「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

7月(文月:ふみつき)

コロナ、コロナのせいでお祭りはなし、花火大会もなしの寂しい夏、、、

夏の風物詩 『花火』

コロナウイルスの感染拡大を受けて、花火大会の中止決定が各地で続いています。  東京の夏を彩る「隅田川花火大会」も、7月11日の開催予定でしたが中止が決まりました。花火業界や大会関係者にとっては死活問題 (@_@) 使わなかった花火は来年まで保管するのかな?  公益社団法人日本煙火協会によりますと、(東京都中央区

花火は湿気などに注意して適切に保管すれば、長期的に使用でき、1年後の大会に備えて保管すること自体は問題ないそうです。しかし火薬類である以上、法律に基づいて安全を保って管理しないといけないので、大変で火薬庫の維持費、管理費がかかり、経費もばかにならないそうです。

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          花火  &  一宮138タワー (合成写真)

『花火』は、江戸時代に本格的に始まり、一つの目的として『悪疫(悪性の流行病)退散』の願いも込められていました。

だから、夏に新型コロナの退散を願い、『慰霊の花火』を小規模に打ち上げる地域もあるようですが、たくさん人を集めない形で、人々に癒やしを与えられる花火ができれば嬉しいですね! それが花火の力と思います (^^♪ 

《愛知県花火組合 代表3人が、6/18に大村知事に夏以降花火を積極的に開催する旨、 嘆願書を手渡す》

 花火のもとである黒色火薬は中国で発明され、鑑賞用の花火は、14世紀にイタリアで作られたといわれ、日本へは1543年、種子島に火縄銃とともに火薬が伝来しました。そして江戸時代になってから、観賞用の花火が登場してきました。

 天正17年(1589年)に伊達政宗が鑑賞したとか、慶長18年に(1613年)イギリス国王の使者が駿府城徳川家康を尋ね、持参の花火を見せたという記録があります。 この時、家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれています。その後花火は急速に発展し、江戸で開花していったようです。
■ 江戸の花火
花火は将軍家をはじめ諸大名の間で流行し、江戸の大川端(隅田川下流右岸一帯の称。大川=現在の隅田川)の下屋敷での年中行事となりました。やがて町民の間にも流行し、花火師や花火売りが登場しましたが、花火が原因の火災が多発したため「花火禁止令」が出され、花火を行う場所は大川端のみ許可されることになりました。

その後、享保17年(1732年)に全国的な飢饉とコレラが流行し多数の死者が出たため、享保18年(1733年)の川開きで「慰霊と悪疫退散を祈願する」水神祭が催され、盛大に花火が披露されました。これが「両国川開き花火」(隅田川花火大会の原型)の始まり、つまり花火大会のルーツと言はれています。

■ 花火の掛け声の定番「たまや~」「かぎや~」ってなに?
この両国川開き花火で活躍した花火師が、「玉屋」と「鍵屋」です。当初は鍵屋六代目弥兵衛が打上げを担当していましたが、やがて鍵屋の番頭が暖簾分けをされて玉屋市兵衛を名乗ると、川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となりました。これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。

ところが、「玉屋」は不運なことに火事を起こし、江戸を追放されてしまいました。しかし、今も「たまや~」の掛け声のほうが多く、その後も掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう?

ひとつは花火の技術が勝っていたから。 もうひとつは、語呂が良いので掛け声を掛けやすかったから。 そして、江戸っ子気質がそうさせたから。
『橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし』
これは、実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示した狂歌で、「情」に「錠」をかけており、「鍵屋の声がねぇのもしかたがあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」という詠み手の洒落を含んでいます。

 「鍵屋」はその後も様々な花火を開発して日本の花火界をリードし、現在は女性当主が鍵屋15代目として活躍中です。音にこだわり、日本古来の花火である"和火"復活に力を注ぐなど花火の魅力を高めていますので、ぜひ「かぎや~」と掛け声をかけてあげてくださいね  (^^♪

新型コロナウイルス撃退と医療現場で働く皆さんに感謝をこめ、花火が打ち上げられることを期待したいですね! 

  医学が目指していたのは、人間の寿命を延ばすすことでありましたが、2000年以降多くの先進国で、『健康寿命』を延ばすことが重要な課題となります。

16年の調査では、平均寿命と同時に不健康期間も延び、男性の約9年、女性だと12年もある。この期間をできるだけ短くしていくことが理想です。

すなわち、平均寿命から健康寿命の期間を引いたものが、「不健康期間」ということになります。

厚生労働省が3年に一度、大きな都市を対象に調査しており、浜松市は三期連続で男女とも一位であつた。男性73.19歳、女性76.19歳で二十六都市の最下位と比べると約4年健康寿命が長い。

浜松市連続一位の背景は次のようなことが考えられる。まず、温暖な気候でああり、一年を通じて過ごしやすく日照時間も長ので骨密度や免疫力を高める効果だある。さらに水資源に恵まれ野菜や果物、新魚など豊富な「旬」の食材が身近に手に入る・

次に社会参加の機会が多いことである。産業は製造業が中心であり熟練の技術を持った高齢者が働ける環境がある。また、定年のない農業や漁業が盛んなことも要因である。

浜松市『70歳現役都市宣言』行い、就労意欲のある人は70歳まで働くことができる環境づくりに取り組み始めています。

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 サボテンの花が咲いた! 早朝に咲き、午後にはしぼんでしまいます (@_@)

   1992年に出版されベストセラーになった『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書) 筆者の本川達雄氏は、のんびり生きても、せかせか生きても、哺乳(ほにゅう)類は心臓が一定数打つと一生を終えると説いています。

ネズミの寿命は数年ですが、、ゾウは百年近いそうです。しかしその間の心臓の鼓動はどちらも二十億回で、心拍数で計ればネズミもゾウも一生は同じ長さと言っています。

 ■「人間にも同じことがあてはまる」と、東邦ガス診療所(名古屋市)の林博史所長はこう言い切る。心臓の消費エネルギー量はおおむね決まっているとみており、心拍が速いと劣化が進み、寿命が短くなるという。
血圧が正常でも、、、
名古屋大病院に在籍中に、心筋梗塞(こうそく)の患者をたくさん診てきた。一命を取り留めた場合、何が予後を左右するのかに興味を持ち調べたところ、心拍数にたどり着いたそうです。いつまでも脈が速い人は、回復に時間がかかった。
 心臓は、ご存じのとおり血液を全身に送るためのポンプです。では、1日にいったい何回、心臓は、打つ(拍動する)のでしょうか?
正常な大人では、1分間に大体60回~90回、心臓は打っています。
1分間に平均70回、打っているとすると
1時間で、70x60(分)=4,200回
1日で、4,200x24(時間)=100,800回
1日10万回以上、心臓は、打っていることになります。
1年で、10万回x365日=3,650万回
では、一生ではどうしょう?
人生、80年とすると、
3,650万回x80(年)=29億2,000万回 です。
時間生物学の概念を取り入れ、哺乳類ごとの体重や心拍数、心周期(1心拍にかかる時間)と寿命との関係を分析し、人間が一生の間に打つ心拍数は「23億回」とはじき出した。
1分間脈を測り、その数で割れば、寿命(分)がわかる。 心拍数が60回で約73年、70回で約63年、80回で約55年になる。
 心臓は、“おぎゃー“と生まれる前からお母さんのお腹の中でも動いていますから、 実際はもっと多い回数、打っています。
心臓が、“まめ”な臓器であることおわかりいただけたでしょうか、(^^)/
人間のつくった時計だけでは計りしれない生物が、
海から引き揚げられた「ニシオンデンサメ」、なんと推定392才だそだ! とすれば、生まれたのは三代徳川家光のころか、泳ぎも成長も極端に遅いが、我々と同じ脊髄動物だ! はたして脈拍は、ネズミと同じか??

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6/23 ナナちゃん、4/6以来、 装いを一新です (^^)/ 

f:id:marui-hall:20200629171322j:plain顔には一般マスクの17倍の特大マスク、足の間隔は2m バンテミン スタンスで   コロナ対策です (^^♪ 身長は6mです!      (写真はネットより)

暑い、暑い夏本番、猛暑日真夏日、熱帯夜などという言葉をよく耳にしますが、暑さを表現している言葉ですが、その温度の基準があります。

最高気温が35℃以上の日を猛暑日、30℃以上の日を真夏日、25℃以上をの日を夏日と言います。 また、夕方から翌日の朝までの最低気温が25℃以上になる夜が熱帯夜です。

以前は35℃以上になる日は少なく、気象用語ありませんでしたが、最近35℃以上超える日が増え、気象庁は2007年4月に35℃以上を超える日を猛暑日としてて定義しました。地球温暖化か? これから夏本番!体調管理に気を付けて、無理せずに過ごしましょう (^^)/

◆ 先月6月  夏日が最多15日 名古屋76年ぶりの更新 (6/24 中日新聞 夕刊)

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   紫陽花も咲きました (^^♪ 梅雨時によく似合う花です (^^♪

もうすぐ七夕! 古代中国の「乞巧奠(きこうでん)」が日本に伝わった行事ですが、笹に願い事を書いた短冊を結びつける風習は江戸時代から始まったもので、日本以外では見られません。

七夕といえば、どこかロマンチックに感じられ7月7日の夜に願い事を色とりどりの短冊に書き、竹笹につるして星にお祈りをします。自宅で笹を用意するのはなかなか大変ですが、駅やショッピングモールでは笹と短冊が飾られていますよね!  

小学校の七夕学芸会で、みんなで「七夕さま」を合唱したのを思い出されます。でも分からない言葉が?「のきば」「きん ぎん  砂子」 意味がわからなく歌っていた !

《 のきばとは、漢字で「軒端」と書き。屋根の軒先 ・ きん ぎん 砂子とは、金箔 銀箔を砕き、粉状して蒔絵や襖絵に使う「すなこ:砂粉」です》   

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   童謡「七夕さま」 作詞 権藤はなよ  (写真ネットより)

コロナを忘れ、せめてひと夜、満点の星空を子供や孫たち見るのも良し、夫婦で見るのも良し、素敵な方と見るのはなお良し (^^♪ 楽しいひと時を過ごしたいね! (^^)/ 

七夕がお天気に恵まれますよに!        Marui 6/30

 

 

 

6月 つゆ! 「水無月」

紫陽花は、

つゆ時期によく似合う花、千変万化に色を変え、ひときわ美しい花ですね!

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紫陽花:日本が原産 色がついているのが「萼:がく」で花はその中の小さな点のような部分 土壌が酸性だと青色ぽい花を付け、アルカリ性だと赤色ぽい花となる!   花言葉:は、「辛抱強い愛情」「元気な女性」「謙虚」    <昨年、庭で撮影>

「紫陽花の色移りゆき 梅雨となる小窓に 一つてるてる坊主」

子供の頃には、雨降りが続くと晴れてほしいと願い「てるてる坊主」を吊り下げた記憶が皆さんにもあるかと思いまが! 特に遠足、運動会、七夕まっりなどには「明日天気にしておくれ」と願いをこめて作ったのを思い出します。

最近は、テレビや新聞で、天気予報で雨が降り出す時刻までわかる時代で、今の子供たちは「てるてる坊主」をつくたり! 童謡「てるてる坊主」の歌をうたったりするのかな?

f:id:marui-hall:20200522104252j:plain f:id:marui-hall:20200522104852j:plain      てるてる坊主

         作詞:浅原鏡村  作曲:中山晋平

《 削除された幻の①番 》
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう

① てるてる坊主 てる坊主  あした天気に しておくれ

 いつかの夢の 空のよに   晴れたら 金の鈴あげよ

② てるてる坊主 てる坊主  あした天気に しておくれ
 私の願い を聞いたなら   あまいお酒をたんと 飲ましょ

③ てるてる坊主 てる坊主  あした天気に しておくれ
 それでも曇(くも)って   泣いたならそなたの首を 

                    チョンと 切るぞ

 この歌詞には、④番まであったそうですが、 ① 番が削除されました!  
(・-・)・・・ん?
幻の①番を③番にすれば良いのになぜ、③番の怖い歌詞でなかったのかな?     なぜ、より残酷な歌詞を残したのかな? 疑問はつのるばかりです?? 

《 思うに! 当時(大正時代)の子供たちは「てるてる坊主」に本 気でお願いし、思いつく最大の褒賞が「金の鈴」や「あまいお酒」であり、最大限の罰が「首を切る」ことだったのではないかと思う? だから「いちばんいいものあげるか! 首を切っちゃうか!」と脅しでなく晴れにしてほし気持ちが強く、「空をながめてみんな泣こう」では気持ちが弱く本気のお願いが、強い歌詞になったのではないのかな??》

それにしても、③番の歌詞チョット怖い! 皆さん知っていましたか?

大正10年 雑誌「少女の友」に、浅原鏡村(ペンネーム)で童謡『てるてる坊主』を発表する。後に中山晋平により曲がつけられ、全国の子供たちに愛され歌いつがれてきました。本名は浅原六郎 明治28年生まれ、

『てるてる坊主』の由来は、 江戸時代の中頃に中国の風習が伝わり(一説には平安時代とも)、晴れを祈るために紙を人の形に折ったものを吊るすことが行なわれていた。 当時は、「照る照る法師(てるてるぼうし)」と呼ばれていたのが「照る照る坊主」になったと言われています。   

今でも地域によっては「てるてる法師」「てれてれ坊主」「日和坊主(ひよりぼうず)」「てり法」「てりてり」「てり雛」など様々な呼び名があるそうです。

逆さに吊るすと明日は雨になるといわれていて、こちらは「ふれふれ坊主」「あめあめ坊主」「るてるて坊主」などと呼ばれています。

江戸時代(1830年)に刊行された随筆集『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には、「晴天になった場合は、瞳を書き入れてお神酒を供てえ川に流す」と記述されている。 

「てるてるぼうず」は実在したという話があります!

ある年のこと、長く雨が続き、人々は難渋した。「誰か、雨がやむ方法を知らないか」という為政者の声に、ひとりの僧侶が名乗り出て経を唱えたが、いつまでたっても雨はやまない。                                 「噓つきめ」と、怒った為政者が僧侶の首をはね、見せしめとして首を布に包んで吊るしたところ、雨があがったという。

てるてるぼうずの坊主頭、雨ガッパは僧侶の衣、そして姿は吊るされた首と、すべてが一致する怖い話です (>_<)

また、「てるてるぼうず」は中国から伝わった風習とも!

中国のある街に、紙切り細工が好きな「晴娘:サオン チン ニャン」という美しい女性がいた。ある年の6月、大雨が降り続いた北京は水で溢れかえり、人々は大変困っていました。
晴娘は「大雨が止みますように」と、天に向かって祈ります。
すると天から、「東海龍王の太子の妃になれ、さもなくば北京を水没させる」と天の声が聞こえ、、

それを聞いた晴娘は、北京の人々のため、迷った末に晴娘はその命に従がいます。
すると、雨は止み、空は晴れ、その代わりに晴娘の姿は消えてしまいました。

切り紙が得意だった『晴娘』を偲び、人の形をした切り紙「掃晴娘」を門に掛け、晴れを祈るようになりました。

それ以来、人々は雨が続くと、紙切り細工が好きだった晴娘をしのんで、紙で頭を作り、赤い服を着せ、ほうきを持った女の子の人形「掃晴娘」「雲掃人形」という紙人形を作り、軒下につるして晴れを祈ったそうです。

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 ほうきを持っているのは、「掃晴娘」の「掃」は、空の雲をほうきで掃いて青空にするといった意味で、雨雲を掃き、晴れの気を寄せるためと言われています。

「掃晴娘」は、中国の元朝初期(1300年頃)の文献にも確認することができ、20世紀の初頭までは一般的な風習でしたが、今では知らない若い人が多いそうです。

日本の僧侶にしろ、中国の晴娘にしろ、いうならば「生贄:いきにえ」のようなもので、自らの命を捧げることで、自然の猛威を鎮めたというわけです。

 

 沖縄では、月11日に梅雨入りしました。九州南部も5月30日・四国は31日梅雨入りしました。

5月中旬から6月上旬にかけ、梅雨を先駆けて降る梅雨みたいな天気が続くと「梅雨の走り」「迎え梅雨」と言います。

俳句で「梅雨の走り」「迎え梅雨」「うのはなくたし」は夏のきごですが、「てるてる坊主」は季語でないそうです。

「うのはなくたし」とは? 意味が解らない?? 漢字で「卯は花腐し」と書きます。この時期卯の花がが咲くころで、雨が続くことで卯の花を腐らせることからこの言葉が生まれたそうです。 卯の花アジサイ科ウツギ属「空木:うつぎ」に咲く花です。

 6月10日 時の記念日 大正9年(1920年)に東京天文台(現在の国立天文台)と財団法人の生活改善同盟会によって『時間をきちんとと守り、欧米並みに生活改善・合理化を図ろう』という呼びかけとともに制定された記念日です。

6月21日 夏至 日の出から日没までの時間が一年間で最も長い日です。また 「父の日」でもあります。 バラを贈り毎日頑張ってくれてる父に感謝いたしましょう。  

6月下旬 暑気払いは「暑い時期」というだけで明確に日にちは決ってないそうです。会社帰りにビヤガーデンで一杯が楽しみだったのが思い出されます (^^♪      江戸時代は「冷やした甘酒」を暑気払いに飲んでいたそうです。

6月30日 夏越しの大祓 罪や穢れを祓い、年越しの大祓までの半年を新たな気持ちで過ごすことが出来るように祈る神事です。6月は、なつの暑さがはじまり病気などをせずに乗り越えられるように願いをする。

6月は祝日がなく残念です。梅雨で雨が続き体調を崩しやすい時期です、目の前に迫っている夏に備えて体力をつけておきましょう。

一宮市にも紫陽花がきれいに咲き誇る 尾西「御裳神社:みも じんじゃ」があります。

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       手水舎に浮かぶ紫陽花、綺麗です!      

今年は、「尾西あじさいまつり」6月13・14日ですが、コロナウイルスにより中止となりましたが、境内では色も形も違う70種類の紫陽花を楽しむことができます。

PCR検査 新型コロナ感染拡大で世界的に知名度が広がった検査とは、狙った遺伝子を試験管の中で自由自在に増幅させるものです。

そのアイデアは、当時38歳の研究者キャリー マリスマさん1983年のある金曜日の夜、ガールフレンドのジェニファーさんと シビック(Honda )でドライブしている時に、PCR法の原理を突然ひらめき、路肩に車を止め紙片に化学式を書き留めたそうです。デート中の出来事だったそうです(彼女とはその後別れたそうです!)

その内容があまりにも発想が飛躍しており、当時論文掲載で有名な化学誌「NATURE」「SCIENCN」から掲載を断られたとのエピーソードがあります。

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1993年・キャリー マリス博士は、PCR法 原理の功績で、 ノーベル化学賞を受賞する。

受賞前年度の1992年(平成4年)に日本国際賞を受賞、 その受賞式後のパーティーで、ガールフレンドとのドライブのエピソードが紹介されたというのです。そのエピソードを耳にし 美智子妃殿下は、マリスさんに向かって「今日一緒に来られている方がその方ですね」と尋ねられた。

それに対して生まれながらの正直者のキャリー マリス博士は「いや、今日一緒に来ているのは別の人です」と答えたという。《凍りつくような周囲の人々》ところが、美智子妃殿下は、それではもう一つ大発見が出来ますね! (^^♪ 

このエピーソードが、彼の自叙伝に記述されています。

キャリー マリス博士は奇想天外な人生の持ち主です。無類の女性すきで4回の結婚で3人の子供さんがいます。また麻薬にも手を出していたり、サーフィン狂でもありノーベル化学賞決定の連絡の時は、サーフィンをしていたそうです。 (^^♪

[沙羅双樹」インドでの高地に自生するフタバガキ科の花、日本では「夏つばき」がそう呼ばれている。

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平家物語 第1巻 栄華を誇った平家一門の滅びゆく姿を語る 冒頭に:祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす、、

沙羅双樹の花の色があっとゆう間に変わったことは、栄えているものも必ず衰え、まるで覚めやらず春の夜の夢のようだ!

5月25日 緊急事態宣言・全国解除が宣言された! 気が緩まなように、今まで通りアルコール消毒、手洗いに、マスクを忘れないように、第二波が来ないことを祈りましょう (^^)/

                                 Marui  5/31

 

5月 「旬」 (^^♪

日本の食文化は、季節を感じながら、季節の味「旬」をいただくことを大切にする文化があり、いち早く季節のものを味わうことが大きな喜びであり、昔から大切に引き継がれてきました。 

「初鰹」を食べて長寿を祈った江戸の町人! (^^♪ 

初夏は、初鰹が「旬」の季節です!

江戸中期の俳人 山口素堂(1642~1716)の句に! 

「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」

目にも鮮やかな「青葉」美しい鳴き声の「ほととぎす」そして食べて美味しい「初鰹」江戸の人々が最も好んだ「旬」なものを俳句に詠んでいます。

三つも季題が重なっているということでも、有名な俳句です < 山口素堂は、江戸ではなく大阪の人だったそうです>

江戸時代には「勝魚」などと呼ばれ縁起の良いもので、とりわけ初鰹は猫も杓子も飛びつくほどの人気ぶりで、食べると(初鰹七十五日)寿命が75日延びるとも言われ、特に「初鰹」は、珍しさが先行して値段がたかく江戸庶民に、目が飛び出るほど高値の花!しかし江戸っ子は初物に手をだすのが「粋」な証だったようです。

当時の「初鰹」は「まな板に 小判一枚 初鰹」宝井其角 / 1661~1707)と詠われるほど極めて高価で、「初鰹は女房子供を質に置いても食え」と言われるほどに人気があったそうです。 (>_<)

鎌倉時代末期の歌人だった兼好法師は『徒然草』の中で、

鎌倉の海に、鰹という魚は、かの境には双なきものにて、このごろもてはやすものなり」鎌倉の海でとれた鰹を、生で食されたであろう鰹が、「最近もてはやされるようになった魚」として綴っられています。

兼好によれば、鎌倉の年寄りには「この魚は私たちが若かりし頃は、身分の高い人の前に出されることはなかった。頭は下人も食べず、切って捨てたもの」と言っていた者もいたようだ。兼好の時代にカツオの生食観が大きく変わったのかもしれない。

小林一茶の句に、

 「鰹一本で 長屋のさわぎかな」

松尾芭蕉の句に、

 鎌倉を 生きて出でけむ 初がつお」   

この句にありますように江戸に入る鰹は、鎌倉沖相模湾でとれたことがわかりますね!

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クレマチス・テッセン(鉄仙)・カザグルマと呼ばれ「ツル性植物の女王」といわれ世界中の人に愛されています。多年草で約300種類存在すると言われています。写真右側のピンクは(ドクターラッペル) 花言葉「精神の美」「旅人の喜び」

高値の「初鰹」はいくらしたのでしょうか?

江戸の町を、天秤棒をかついで威勢のいい売り声で「かっつをー、かっつをー」と売り歩く魚屋が登場する歌舞伎(髪結新三)があります。その中で朝帰りの新三が、宵越しの銭はもたねえと高かろうが、ためらわず初鰹 1本3分で買う場面があります。

当時の貨幣はいわば4進法で、1両は4分・1分は4朱・だから1両は16朱
 かなり大ざっぱに、1両は今の6万円ぐらいと推定すると!

    6万円×3/4両=4萬5千円

江戸時代の初鰹が高かったことがわかる話を、もうひとつ。

文化9年(1812)旧暦3月25日 初カツオ1本 2両1分。
文化年間ですから、1両を今の2万円ぐらいと推定すると!

     2万円×2、25両=4萬5千円 

 太田南畝(おおたなんぽ)というひとの「壬申掌記:じんしんしょうき」に、その日、魚河岸(当時は日本橋)に入った鰹 17本うち、将軍家お買い上げ6本、3本が料亭八百膳に、残りが一般売り! と記述があります。

当時は「これが一句詠まずにいられっか、ちくしょうめ!」と腹が立つほど高価で、まさに「初鰹」を食すのは、一大イベントだったようですね! (^^♪

「初鰹 銭と辛子で二度涙」
「初鰹」の高さで銭がなくなることに涙し、鰹といっしょに食べる辛子で二度目の涙を流す。

 しかし、値のはるカツオも 端午の節句(旧暦5月5日)が過ぎると、安くなり、「落ちぶれるものは鰹の値段なり」という、ことわざがあるほど!

「初がつお 旦那は羽がもげてから」
賢い店の番頭などの旦那衆は、初がつおの次期が終わってから、つまり銭が飛んでいく羽が取れてから、かつおを味わったという意味の句です。

カツオの「旬」は年に2度! 春から初夏にかけ、黒潮にのって太平洋岸を北上するカツオを「初鰹」です。

秋の水温の低下に伴い、三陸あたりの海から関東以南へ南下してくるカツオが「戻り鰹」です。

餌をたっぷり食べている「戻り鰹」は脂がのっているのに対し、「初鰹」はさっぱりしているのが特徴で、旬の走りの「初鰹」は今も昔も人気の初夏の味覚です。

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また、「たたき」別名「土佐造り」という代表的な食べ方もありますネ! 高知の名物料理でもあります、皮付きのまま鱗は削ぎ落とし、表面に軽く火が通るくらいに焙ってから氷や水で冷やす。そして、たれと薬味をたっぷりかけて刺身として食べる。

 カツオのたたきにも誕生をめぐっての逸話のような説があります。

江戸時代中期に土佐(現在の高知県)で生のカツオを食べたことにより、大規模な食中毒事故が起きました。そこで、土佐藩主だった山内一豊が庶民にカツオの生食を禁じました。

しかし、刺身の味を忘れられない庶民は、カツオの表面だけを焙って生でないぞ!とばかり食べたそうです。毒消しのためニンニクやネギも添えたそうです。これがカツオのたたきの始まりとも言われている。美味しい鰹のタタキが食べられるのは、図らずも名君山内一豊のおかげか ヽ(^o^)丿

なぜ「タタキ」? もともと包丁の背でたたいてから表面を焼いていたからだとの節、現在は焼いてからたたく、 たたいてから焼く、まったくたたかないなど色んな方法が有るようです (>_<)

最近は、漁業技術、船の技術が進歩したことで赤道付近まで船をだしてカツオを漁獲します。 そのため年中かつおが入荷して、「旬」というものがなくなりつつあるのも事実ですが、でも、せっかくの旬ですから是非冷凍ではなく生で、一年に二回の「旬」を迎えるカツオ、その一回目の「旬」を是非皆さん味わってみて下さい! (^^♪

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ヤグルマソウは、矢車草・矢車菊コーンフラワーといろんな呼び名があります。  花期は6~7月ですが、今年は暖冬のせいか、もういっぱい咲いた (^^♪       花言葉は「繊細」「優美」「繊細」

日本には、カツオからダシをとる食文化もあります!  日本では、4世紀以前、すでにカツオをそのまま干したり、煮てから干したりして食べていたと言われています。

室町時代になると、この干したカツオを焙って乾かすという工程が加えられ、それが、いまのカツオ節の製法につながったとされています。大坂の大商人や京都の上流階級が、煮汁にカツオ節を入れて旨味を出したことがダシとして定着し、カツオ節を使うという日本食文化にとって重要な方法を編み出したのである。

また、ダシの誕生以前から、日本人は調味料としてカツオの煮汁を煮詰めて、うまみを固形に凝縮させたものを「竪魚煎汁:かたうおいおり」と呼んで、ダシとして用いていたそうです。

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カランコエ多肉植物・アフリカ南部、東部・アラビヤ半島・東南アジアに約100種類分布・ 花言葉は「たくさんの小さな思い出」「幸福を告げる」

春の芽吹きの季節の ¨たけのこ¨ も「旬」の食材ですね!

孟宗竹(もうそうちく)は3月中旬から5月にかけてが「旬」で、その後、淡竹(はちく)、真竹、根曲がり竹が旬を迎えます。

また、「筍(たけのこ)」という漢字を分解すると「竹」と「旬」。「旬」は「一旬」「上旬」「中旬」などというように約10日ほどの期間を表す言葉です。「たけのこ」は成長が早く、10日ぐらいで竹になってしまうことからこの字が当てられたといわれています。

筍の産地で有名なのは京都洛西一帯で、柔らかく香りもとても良いそうです。

ゆでた「たけのこ」や、水煮の「たけのこ」の切り口によく白い粉がついていますが、これはチロシンというアミノ酸なので、洗い流さずそのまま食べられます。

この他、タンパク質やビタミンB1、B2、カリウムや食物繊維を含んでいます。

えぐみの成分はホモゲンチジン酸や蓚酸(しゅうさん)で、堀り出してから時間が立つごとに増加します。 

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屋根もあり雨も当たらないカーポートに、コロナウイルスに負けないで今年も咲いてくれた、「ど根性たんぽぽ」 (^^)/

新型コロナウイルス感染の脅威による「全国緊急事態宣言発令」4/16~5/6まで出される。これによって不要不急の外出が自粛となり、大型連休もじーっと我慢! 我慢!

「不眠不休」医療関係者にエールを送ろう! 頑張れ  感謝! 

高校総体(インターハイ)も中止決定! 残念無念 (>_<) 

緊急事態宣言も延長か?? (@_@。

                             4/30  Marui

 

 

 

 

4月 エイプリルフール (@_@)

4月1日はエイプリルフール、この日に限り午前中は軽いいたずらでウソをついて人を驚かせてもかまわないと言われている!一八世紀頃から西洋に起こり、大正頃から日本にも伝わり、この日にかつがれた人を四月馬鹿! (@_@)

 エイプリルフールは、日本語に直訳すると「四月馬鹿」漢語的表現では「万愚節」、中国語では「愚人節」、フランス語では「プワンソ・ダブリル Poisson d‘ avril  四月の魚」と呼ばれる。

しかし、エイプリルフールの起源はまったく不明で! すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣、風習が始まったかわかってないそうです。有力とされる起源説として、

★ その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年として、4月1日まで春の祭りを開催していました。1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用したことで、それに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし馬鹿騒ぎをしはじめたとの説から、

★ インドで悟りの修行が、春分から3月末まで行われていたが、すぐ迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節:やゆせつ」と呼んでからかったことによる説から、

★  フランスでは、エイプリルフールを Poisson d‘ avril( 四月の魚)といい、子供達が紙に魚の絵を描き こっそり人の背なに張り付けるいたずらをしたからとの説から! 「 四月の魚」とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこのこ頃にサバが釣れるためこう呼ばれたとされる。

 過去には 4月1日に、個人ばかりでなく世界中で新聞が嘘の内容のニュースを掲載したり、報道番組でジョークを報道したことがあり、閲覧者から嘘の情報の内容について問い合わせが来ることも、その規模についても簡易なものから大きな労力をつぎ込んだものまで存在しました。

◆ 1980年に、 BBCが、 英国 ロンドンのウェストミンスター宮殿の時計塔 「ビクベンのデジタル化」及び「針のプレゼント」と、また2008年には、「ペンギンが空を飛ぶ」と嘘の報道をした!

◆ 1995年 朝日新聞は「ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが初の小説(山の彼方に)を出版する」と掲載する。しかし出典元のフランクフルター・アルゲマイネの記事がエイプリルフールの冗談であったことから、後に撤回しました。

◆ 2005年 東京新聞スマトラ沖地震の余波で、沖縄南西端に新島が出現」と掲載すると、韓国の京郷新聞がニュースとして掲載するなど、別のメディヤが情報元を信じてしまった例もあります。

◆ 2006年 東京新聞は「東京タワーが傾く、原因は足元の *おなら*」と嘘報道をしたことも!

2016年4月1日 中華人民共和国 新華社『エイプリルフールについて、中国の特色ある文化や社会主義の核心的価値に合わない。便乗して参加せず「嘘をつかない、嘘を伝え広げない、嘘に惑わされない」ように新浪微博で呼びかけた』しかし中国のインターネットユーザーは「国営メデァアは毎日が嘘情報」「中国人民は67年間も嘘をつかれ続けられてきた」「西洋諸国にとって、エイプリルフールは4月1日が過ぎれば終わりだが、中国では年中エイプリルフールだからな!」「冗談も言えないような民族は悲しいものだよ!」とブラックジョークとして皮肉り、イギリスのガーディアンやアメリカ渇州国のニューヨク・タイムズも「2016年のベスト ジョーク」として報道する。

2016アメリカ合衆国大統領選挙で、いわゆる偽ニュース(フェイク ニュース)が社会問題化すると、北欧メディヤなどでは2017年から伝統となっていたエイプリルフール記事を自粛するようになった。 (^^♪

4月1日に、 今だったらどんなウソをつきたいですか? 「新型コラナウイルス感染拡大終息する!」 不謹慎でお叱りをこうむりますが、早くそうあってほしですネ!

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 マンサク花: 日本原産の国有種で北海道 ~ 鹿児島まで広く分布します。言語は、早春に咲くことから「まず咲く」「真先に咲く」また多数の花が豊年に通じることから「万年豊作」と由来する説があります。

今年は、新型コロナウイルス感染拡大で 桜見もままならない!  (>_<) 

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「のどかな春のせわしなく散りゆく 桜の寂しくも美しい姿を」古今和歌集の撰者の一人である『紀友則』が詠んだ歌です。

もう一人、古今集にある紀貫之の歌に!

『 ことならば  咲くかずやはあらぬ  桜花見る我さへに静心なし』 

「散ってしまうなら、いつそ咲かなければいいのに、なまじ咲くから心が乱れるのではないか」と、花の盛りの美しさと、散る寂しさはかなかさを歌っています。

「桜の花」は、いつの世も日本人の心をとらえ、ひらりと舞い散る花びらに想い想いの桜を愛しんだ歌ですネ!  

見ごろが大変短い桜、お菓子やお茶でも楽しむことができます。桜の花や葉は塩漬けにすると糖分が分解されクマリンという物質が生成され、これが良い香りの元(正体)です。材料となるのは食用として育てられている種類で、花の塩漬けは八重桜の種類、葉っぱは大島桜です。

今年の桜見は「コロナウイルス拡大」で、どこの桜名所も宴会、出店も禁止!ひっそりと花見で寂しい限り!

世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスをバンデミック(世界的流行)と宣言したのは3月1日だったが、今だ終息の気配がなく拡大の一途! (>_<)

ギリシャ西部オリンピアで3月13日に開かれた東京2020五輪の聖火採火式は、無観客となり同国内の聖火リレーも中止となり、コロナの拡大は深刻さがますばかり! 

新型コロナウイルスの感染防止を防ぐのに、効果的な一つに「手を洗う」ことが大切です。米疾病対策センター(CDC)は、石鹸で20秒間手を洗い、流水ですすぐように推進している。その陰にハンガリー人の医師 セメルグブヴェイス イグナーツ(1818.~1865) 手洗いを医療の改善と結びつけて説いたことで、「消毒の先駆者」と言われています。

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和名は むすかり ヒヤシンス科でポトリオイデス・ハマメリス・ベルナリスと別名前があります。 耐寒性が強く、原産は地中海沿岸 ~ 中近東・西アジアまで広い範囲に分布花ことば、寛大なる愛・明るい未来

◆亀○製菓の「柿の種」今年の6月から、国民投票の結果を受け「柿の種とピーナッツの比率」を6:4であったのを7:3に変更 、ピーナッツの割合が激減! (>_<) 

缶ビールと「柿の種」最高の取り合わせ! (^^♪ ビールをグイと飲みほして、最後にひと粒残したピーナッツを味合うのが私流の楽しみです !(^^)/ 『柿の種』は5:5 の比率でもウェルカム ??

◆ 4月12日は世界宇宙旅行の日、1961年のこの日 当時のソビエット連邦が世界初の有人宇宙衛星ポストーク1号打ち上げに成功し、搭乗していたカガーリン宇宙飛行士が、あの有名な言葉「地球は青かった」とコメントしました。 それから半世紀たった今や、民間宇宙旅行ツアーの企画もあるようで、真っ暗な宇宙に浮かぶ青い地球を見たいですね (^^♪

◆4月20日は郵政記念日、この日を含む1週間は「切手趣味週間」です昔、郵便配達員は拳銃を携帯していた (@_@) 明治初期に「飛脚制度」から「郵政制度」に移行した、明治6年~昭和24年になるまで、郵便物の中に入っている現金や荷物を狙った強盗事件が多発し、護身用として「郵便保護銃」と呼ばれる短銃を所持することが許可されていた。命懸けで郵便物を運んでいたんですね! (>_<)

近年、インターネネット、タブレット、スマトホン等が普及しSNS、ラインやメールなどでやり取りが増え、手紙を出す機会がめっきり減りましたが、皆さん、是非手紙にチャレンジしては如何ですか? 忘れてしまった漢字を思い出すかも、  (^^♪??

◆3月22日 名古屋地方気象台 名古屋市で桜開花宣言 (^^♪ 昨年と同日、平均で4日早い。名古屋市千種区 名古屋地方気象台内のソメイヨシノ標本木に、約10輪の花が咲いた! 暖冬と言いながら自然界は大きな変化はなく、ゆっくりと季節の移りは進んでいる。 新型コロナウイルスの拡大に見舞われ、世界中が大混乱! 早く平常な日々になーーれ、普通がいいーですね! (^^)/ 

東京2020オリンピック 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大、予想しなかった想定外による1年程度延期で中止は回避できたが、感染の終息がいつになるのか?  経済はどうなるのか? 不透明なことばかり! 難問はつきない、(@_@)

東京2020オリンピック 開催日(延期)日程決定 2021年7月23日~8月8日 パラリンピックは、8月24日~9月5日に決定 (^^)/

 

                            3月31日 Marui

 

 

 

 

 

 

 

 

芽吹く春! 3月

春です「桜」の開花するのが心待ちですね! (^^♪

「さくら」`さ` 字は、田の神さまを意味し、`くら` は座(くら)、田の神さまの座するところ。 桜は古来、神の依り代だったという。 桜は、田の神が下りてくる木なのです。

昔から日本には神さまと共に食事をとる「共食」の習わしがあり、そのため、人々は神の依代である桜が開花すると、農作業の始まりを知り、木の下で豊作を祈り、ご酒を飲み歌ったりして士気を高め、団結を図ったそうです。だから「桜」は神聖な木であり、花見の主人(あるじ)は身を清め、賓客(まろうど)をお迎えする習わしがどの地方にも守られています。ゆかしき日本の心ですね! (^^)/~~~

賓客(まろうど)とは、古代祭祀(さいし)に来臨する聖なる者、饗宴の主客を「まれびと・尊者」といい、応待者を「あるじ」という。

古来、日本に稲作が栽培されるようになったのは2000年ほどまえからと言われている。農村の人々は春の初めに田の神様に豊作を祈願し、秋には収穫に感謝する行事を大切に守られてきました。

◆「アエノコト」と言う、奥能登の冬の伝統行事があります。「アエ」と饗宴、「コト」は祭礼のことで、裃(かみしも)に威儀をただて厳かに、田の神さまをお迎えし、お風呂と酒食でおもてなしをします。そして、収穫に感謝して、豊作を祈願します。

◆東京のような大都市(板橋区)にも豊作を祈る素朴な祭りがあります。神事「徳丸の田遊び」と言われ、一辺3m四隅に竹笹を立てしめ縄を張りめぐらして、その中で唄いながら種まき、田植え、稲刈りのまねをして田遊びを2時間に凝縮して行われます。

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 東京板橋区「徳丸の田遊び」国指定 重要無形民俗文化財   <ネットより>

世界遺産に指定された白川村の「合掌づくり」の里にも、有名な「どぶろく祭り」があります。農家の人々は秋の収穫を感謝し特別に国の許可を得て「どぶろく」をつくり、笛太鼓の調べと獅子舞が村中の家々を清めて回ります。夕方、神社境内では郷土芸能が行われ、「どぶろく」を氏神様に供えた後、皆さんに振まはれます。

◆桜の花は、春の暖かさだけで咲くわけでない。つぼみは前年の夏に生まれ、秋の夜長を感じて冬に備える休眠芽となる。その休眠芽を目覚めさせるのは、春の訪れでなく、真冬の寒さである。この現象を「春化」と呼び、いい春を迎えるために、厳しい寒さをくぐり抜けなければならない。

◆温暖な九州や四国では、時には本州より開花が遅れるのはそのためだそうです。つまり、厳しい寒さにさらされてこそ、春に桜は咲きます。       

◆今季は記録的な暖冬で、2月10日にようやく東海地方に初雪!「春化」がようやく来たようだ! これで、桜も目覚め素敵な花を付けてくれるでしょう (^^♪  名古屋では、百十九年ぶりに観測史上最も遅い初雪の記録(1901年)を更新したとのこと。  雪不足に悩むスキー場にはうれしい雪が降ったところもあり、ひと安心!  でも暖冬!

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プリムローズ <サクラソウ科・和名:イチゲサクラソウ・イチゲコザクラ>   「スコットランドの春を告げる花」といわれ、花言葉は「青春の恋」

現在でこそ花見といえば「桜」を思い浮かべますが、中国文化の影響が強かった奈良時代頃までは、花見と言えば「梅」の花であったようです。

そのあかしに、『万葉集』に詠まれている「梅」の歌は、約120首もあり、それに比べて「桜」40首ほどです。梅の人気があったことがわかりますネ!

しかし平安時代になると、日本独自の文化が芽生え始めて、花は梅から桜が好まれるようになった。その理由としては、日本人独自の風流、感性が、ぱっと咲き誇った花が、風とともに散る花びらを愛でることが、生命の尊さ、もののあはれさ、いさぎよさが相重なり日本人に好まれたようです。

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沈丁花ジンチョウゲ)原産地は中国北部で日本には室町時代頃には栽培されていた。木全体に毒を持っていて、樹液に触れると皮膚炎や水疱ができるので要注意です。(/_;)花は香り高く三大香木と言われ、春の沈丁花・夏の梔子(くちなし)・秋の金木犀(きんもくせい)です。  

日本最初の花見とされているのは、嵯峨天皇弘仁3年(812)に「花宴の節」を催したという記録が「日本後紀」に記述があります。紫式部の「源氏物語」にも宮中での華やかな花見の様子が記されている。

鎌倉時代から室町時代になると、貴族の楽しみから、一部の武士の間でも桜見が広がり始まった。吉田兼好が執筆したとされる「徒然草」に、武士たちが酒を飲みながら大騒ぎをする様子が描写されています。貴族の上品な花見とは対照的な楽しみかたがうかがえます。

◆桜見が広く一般の武士の間に普及したのは、安土桃山時代だと言われています。豪華絢爛を好んだ豊臣秀吉は桜の花を愛し、贅を尽くした「吉野山の花見」を大名以下5000人を集めた大規模な花見を行っています。 

◆そして、豊臣秀吉が晩年に醍醐寺三宝院で花見の宴を催したのはよく知られています。700本もの桜を植樹し、諸大名からその奥方、女中衆まで招待客は1300人を数えたそうです。その5ヶ月後の8月、秀吉は病により生涯を終えています。

我が国のあるじ(首相)が、新宿御苑で「桜を見る会」を開催、招待客は一万八千余人、予算は五千二百万円! 贅(税)を尽くす盛大なもの?? 無論、あるじのポケットマネーではない! 秀吉もあの世で腰を抜かしていょう  (>_<) それにしても、七十年近く続いた公的行事を鶴の一声で中止とは、私物化も甚だしい!!

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 「合格祈願の花」で人気のクリスマスローズが満開です。例年この時期になると、何年もかけて育てたつぼみ「受験生」が晴れて、開花の春「桜咲く」の便りが来ることを!心から願う次第いです。 (^^)/

江戸っ子が愛した桜の名所!

花見が庶民にも広がったのは、徳川家康江戸幕府を開き江戸城や城下町に大規模な桜を植樹し、家臣を引き連れて花見を楽しんだ。 三代将軍家光は上野(寛永寺)などに、八代将軍吉宗飛鳥山(王子)や隅田川向島)沿いに桜を植樹をしたことから、庶民の花見が大イベントとして定着したとされる。 

 一夜にして桜の名所になる吉原遊郭 (@_@)

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  春だけ現われる 吉原の桜 <国立国会図書館蔵 ネットより>

吉原のメインストリート仲の町に、桜が開花する時期にだけ他所から桜の木を植えたそうです。時期が過ぎると抜いてしまうそうです。豪華ですがいかにも虚構の町、賑わいを誇っただろうが、何か物悲しいく桜の花が散るがごとく寂しく思いますネ!

春の訪れとともに、桜の開花を心待ちに胸が弾むのは、今も昔も変わらないよですネ!

◆ 新聞、テレビも新型コロナウイルス 肺炎感染拡大のニュースばかり、何時になったら終息するのか? 心配だ!  (>_<)  突然の小中高の休校! 各種のイベント中止、プロ野球オープン戦は無観客! 東京2020オリンピック開催が心配だ! (>_<)

東京2020オリンピック 聖火リレーが、3月26日福島県をスタートし、愛知県を4月6日~7日に駆け抜ける予定です。

一宮市:4月6日 稲荷公園前(2:38)スタート ⇒  九品地公園(3:10)ゴール予定

ミニセレブレーション:宮前三八市広場(2:10)開催 

※  聖火トーチはどうなるの? 走り終わったランナーに7万円程度で売るとのこと、ユニホームは走者に無償でプレゼントです。 

                            記 3/1  Marui 


 

2月・《 如月 : きさらぎ》

令和になって、初めてのお正月もはや過ぎ、そしてまた新しい四季がはじまります。

平安時代の「清少納言」が 随筆『枕草子』に春夏秋冬の移ろいをこんなふうに書いています。

春は『春は明け方』がいいと!

「はるはあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、すこし明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

《 春は明け方がいい。だんだんと白くなってゆく山の稜線が、少し明るくなって。紫がかった雲が細くたなびいている景色が、趣(おもむき)き深くていい 》

平安の時代、清少納言は夜が明けるころに起きだし、夜空をながめ「やっぱり春は夜明けがいいよね!」と言ってます そして空をながめたら紫の雲が美しかったと感じられ、いいものだとも言っています。

夏は『夏は夜』がいいと言っています。 

「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちかいたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもおかし。雨など降るのもをかし」

《 夏は夜がいい。月が輝いている満月のころは言うまでもなく、月がでていない新月のときでも、ほたるが飛びかっている光景がいい。また、ほたるが一匹二匹と、ほのかに光って飛んでゆくのも趣きがある。雨が降るのも趣きがある》

平安時代の夜は、電灯もなく暗闇のなか、月明りに照らされた光景は、さぞや幻想的だったと思います。そして蛍の光は神秘的で平安の人々にとって美しく感じられたと思われます。雨が降ると月明りもなく真っ暗闇となるのも ‘‘をかし‘‘ と清少納言は言っています。さらに雨の降る夜は、雨の音やこもる湿気なども楽しみで趣がありいいと言っています。

「をかし」とは  :  とても趣がある・とても可愛らし・風情がある

そして秋は『秋は夕暮れ』がいいと!

「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさえあわれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小ささく見ゆるは、いとおかし。日入りはてて、風の音、虫のねなど、はたいふべきにあらず」

《 秋は夕暮れがよい。夕日がさして、山の端に近くなっているところに、からすがねぐらに帰ろうとしている。三羽四羽、二羽三羽と急いで飛んでいく様子さえも、しみじみとした趣きがある。ましてや、雁などが列をつくって連なっているのがとても小さく見えるのは、たいへん趣き深い。日がすっかり沈んでしまってから聞こえてくる、風の音や虫の声などもまた、あらためて言うまでもないことである 》

夕焼けといえば、今も昔もやはり秋がいいですネ! 家々の灯かりや、ネオン、街灯、車のライトない昔は、真っ赤な夕日の空と暗い山々や森の対比が、さぞ美しかったでしょう。家路を急ぐ鳥たちを眺めつつ、人々も夜の支度を始めます。そして日が暮れてすっかり暗くなると、秋の夜長は目に見えるものから、耳で聞こえるものを楽しむことができます。夏の夜はほとんど風がありませんでしたが、秋になると、風が菜を揺する音や、虫の声えが聞こえてきて、それがまた趣き深いものでいいと言ってます。

 さて、冬は『冬は早朝』がとてもいいと!

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水仙;別名・雪中花です。花言葉は「自己愛」「尊敬」「神秘」香りも有りますョ! 珍しく原産地はヨーロッパ・北アフリカ 但し中国を経由し平安時代に日本へ!

水仙の葉や球根に毒がありますので、要注意 (>_<) 

《 冬はつとめて。雪の降るたるは、言うふべきにもあらづ、霧のいと白き、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るも、いとつきづきし・・ 》

《 冬は早朝がいい。雪が降っている朝は言うまでないも。霧がおりて白くなっている朝も、また、そうでなくても、とても寒い朝に火などを急いで起こして、炭を持って運びまわるのも、冬の朝にたいへん似つかわしい 》

このように、冬の早朝は空気もしんとし、背筋がピンと伸びるような気がします。  今年は暖冬で雪も少なく、スキー場も雪乞をしたりして雪不足で困っているようですが、朝起きて雪が降っているときも、霧がおり景色が一変して白い世界となる。そんな寒い朝、女中たちが炭をもつてバタバタと急いでいる様子が、清少納言にとっては「冬らしくていいと」すなわち「をかし」といっています。

平安時代を代表する女流作家に、西暦1000年頃に清少納言が『枕草子』を、少し遅れて1008頃に紫式部が『源氏物語』を完成されています。何かにつけ比較される二人、、

枕草子」には「をかし」 源氏物語には「あわれ」の表現が多用されいます。

「をかし」とは、楽しさがあり、明るい印象を与え、はっとした気づきから来る機知にあふれた感動を表す。言葉としてつかわれる。

「あわれ」とは、心の底から湧き出てくるしじみとした感情や感動を表す。

よくにた言葉ですが、微妙にニァンスが違いますねネ! 日本語には、繊細で、優美な言葉があり素晴らしいですね! (^^♪

古今集坂上是則の歌に、

朝ぼらけ  有明の月とみるまでに  吉野の里  ふれる白雪 

朝がうっすらと明けるころ、有明の月あかりかと思うほどに、吉野の里に降りつもっている白い雪だったと感動した歌です。やはり雪が降ると雪がまわりの音を吸収し、しんと静に、冷たい空気、薄明かりの朝に白い雪がと、やはり冬の朝がいいと詠んでいます。百人一首にも選ばれています。

また 桃山時代の絵師  長谷川等伯が描いた『松林図風』  六曲一双 (縱156.8×横356..0)冬の朝に霧(もや)がかかる松林を素早い筆づかいで描かれた水墨画です                

                     <ネットより 東京国立博物館

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手前の松は濃く、遠くにいくほどう淡く遥か遠くには薄らと雪山が描かれて、深い奥行きが感じられ、余白部分が冬の静寂な空気を表している。「冬の朝」の静けさ、漂う冷たさ、ときの悠久が余白に感じられます。

このように、いにしえの時代に随筆や歌、水墨画などに日本の様々な「冬の朝」が魅力的に表現されています。

冬本番です。寒いのはあたり前ですが、寒い、寒いと縮こまっていないで「冬の朝」を違った感覚で眺めてみたら、どっかに春の息吹を見っけるかも !

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蝋梅(ロウバイ)です (^^♪ 甘い香りがします。中国原産で唐梅とも言われます。

そろそろ梅の便りが届き、春を恋しく、また感じる季節が二月ですね (^O^)/   毎日をなんとなく忙しく過ごしていると、四季の移ろいを改めて感じるのも忘れがちですが、せっかく四季のある日本に住んでいるのですから、春夏秋冬を肌で感じながら確実にやってくる春を楽しみに1日1日を過ごしたいですネ!

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知らないうちに、クリスマス ローズもつぼみが! 春に咲く少ない花!「合格祈願の花」として最近人気です。5枚の がく を持つことから「合格」また、見ごろがおわっても がく が落ちないことから「学力が落ちない」と受験生にとって縁起の良い花です。

今年の国府宮の裸まっり(儺追神事)旧歴の正月13日の2月6日(木)です。 子供の頃に祖母から裸祭りにはよく雪が降るが、それ以後は雪は降ることがなく暖かくなると聞いていましたが、今年は雪は降らないのかな?? また、北海道のさっぽろ雪祭りは2月4日(火)~ 11日(火) 雪が少なく雪像つくりに苦戦?  地球温暖化? 東京オリンピック 40℃  超えないか心配?? (@_@;

スウェーデンの環境活動家 グレタ・トゥンベリさん(17歳)温暖化警鐘に応援 !

2月3日(金)節文には豆まきをして福を招き、 恵方「西南西」を向いて健康を願い、恵方巻きをガブリと! 食べよ~う (^^♪

中国 春節と重なり「武漢」を中心に新型「コロナウイルス」による肺炎、どこまで拡大するか?  WHO(世界保健機関新型肺炎・緊急事態宣言! 心配ですネ! (>_<)  

                                 Marui   2/1

明けまして おめでとうございます

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 謹んで新春の お慶びを申し上げます      

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[ お正月 ]   童 謡  《滝 廉太郎 作曲》 

 もういくつ寝るとお正月、 お正月には凧揚げて、 コマを回して遊びましょう、

歌詞にあるように、お正月の子供の遊びと言えば、「コマ回し」「凧揚げ」が定番でしたが、最近ではすっかり見る機会も少なくなり、ゲームばかりでちょっと寂しいですね!

昔は、正月の風物詩として凧は欠かせない遊びで、凧揚げは子供だけの遊びでなく大人も一緒になり、凧を天上にいる神様に近ずくための尊いもので、風をうけて勢いよく高く揚がる様子から商売繁盛・福を招く象徴とされていたようです。

凧の起源は、古来中国で「紙鳶:しえん」「紙老鴟:しろうし」と呼ばれ、戦いや占いの道具として使われたいた。

『凧』と云う文字は、中国にも韓国でも無く、鎌倉時代まで凧の呼名は日本には無く中国から伝わった「紙鳶:しえん」「紙老鴟:しろうし」と呼ばれていた。

そして、室町時代なってイカノボリ」「イカなどと呼ばれ、戦国時代には、武士の通信手段の一つとして使用されていた。また貴族や武士の遊びとして取りいれら、一般にはあまり遊ばれていなかったようです。

江戸時代初期 に入り、町民の間でイカノボリ・イカ揚げが盛んになり、関東でも、京、大阪でも大人の間に大流行となった

そして、大人達はイカノボリ・イカ揚げに無中になりケガ人や死者まで出たり、大名行列や参勤交代の列、武家屋敷に落ちて、それが原因で事件が頻発する。

幕府は、明暦元年(1655年)事件が多発したため「町中にてイカノボリを揚げることを禁ずる」と禁止令を出すが! (>_<)

庶民の人気の娯楽が禁止とは! そこで「これの名前はタコでイカではありません」とへりくつのような言い訳をつけて、依然とタコ揚げがされる始末! 

江戸っ子のタコ揚げがますます盛んになり、「凧」とゆう漢字まで生まれる!   驚きの!歴史を変える衝撃の庶民パワー!

こうして、江戸時代初期に 日本で「凧」の文字ができ、「イカ」が「タコ:凧」と呼ばれるようになる。このようにして凧揚げが町民の遊びとして普及する。

凧揚げをお正月にあげるようになったのは!

幕府は禁止令を出したが、庶民の不満が多く対策として、武士が家に居て参勤交代の行列が無いお正月ならとの取り計らいで、凧揚げはお正月になったとの由来があります。

ほかに、男子が生まれた家庭では祈願や厄除けなどの願いを込められて、お正月に凧揚げをした説も有ります。

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 我が家の千両:赤く熟した丸い実は、縁起ががいいとされ「値千金」」として名がつけられたそうです。目元千両・一声千両。千両役者など、めでたい美称として使われます

やっこ凧・・・・江戸時代の庶民の反骨精神から生まれた凧揚げ! 身分の低い「奴凧」を揚げ武家を見下ろし日頃のうっぷんを解消をしたとか?

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奴さんは、参勤交代のお伴の数が格式によって決められていて、今で言うバイトさんとして、奴さんを荷物担ぎなどとして臨時雇いされたそうです。どの「藩」に雇われてもいいように着物の紋は正方形で、豆腐を四角に切った豆腐に似ている事から、冷やして食べる豆腐料理を「ひや奴」と呼ばれる「語源」になったとか? 

《 豆知識  (^^♪  》
タコの足は何本? 八本で、学術的には足でなく「腕」と表現される。また見た目で頭部と思われがちな丸く大きな部分は胴部であって、本当の頭部は足(腕)の基部で、そこに目や口があります。

まだ驚きです!心臓は3つ! 脳みそは9つ! 9割が筋肉を占め、まさにハイスペック  (@_@   毎月8日は「タコの日」です

イカは何本? 10本ですが、正確には8本で長い残りの2本は手で「触腕」とよばれ獲物を捕るために使われるそうです。イカを買ったら確かめてください (^^♪

門松の起源は、歳神様が家を見つけやすいようにする目印だそうです。飾られる常緑樹の松は「不老長寿」、真っすぐ育つ竹は「誠実な心」を願って飾られます。そして早春にほかの花よりも早く咲く梅は「出世」「開運」を象徴しています。

f:id:marui-hall:20191230110915j:plain 元気いっぱい 健康で、 楽しく 笑顔を忘れず 良いお年に成りますように!

本年も宜しくお願致します ヽ(^o^)丿

                        令和2年 元旦 丸井邦春