皆さん、暑い日が続きまが如何お過ごしですか?
暑さに負けず! 水分補給を忘れず! 無理せず!
体調には十分に気をつけて! ヽ(^o^)丿
「花火」の シーズンです!
日本の花火の歴史は、1543年に種子島に台風で漂流したポルガル人から2挺の鉄砲と火薬の製法が伝えられたと言われています。その後火薬は鉄砲のほかにも狼煙(のろし)としても使用され、後に「関が原」の戦いでは、西軍の石田光成が、打ち上げ方式の狼煙(流星)を使って合図した事は歴史で良く知られています。
では、日本で初めて花火を見たのは 誰れ! 1613年(慶長18年)イギリス国王の使者ジョンセリスが、駿府城の徳川家康を訪ね持参した花火を見せたとの記録が残っています。しかし最近になって、この数十年前に伊達正宗公が見たとの公文書が発見されました。 但し当時の花火は筒から火の粉が吹き出すもので、現在のような打ち揚げ花火の登場は19世紀になってからのようです。
有名な「隅田川花火大会」の前身である両国花火は、1733年(享保18年)5月28日 8代将軍 徳川吉宗が前年の大飢饉で犠牲になった人々の慰霊と悪病退散を祈願し、墨田川で水神祭を行った。 このとき両国橋周辺で花火をあげた。以後、今に伝わる「墨田川花火大会」が恒例になり、現在では7月最終土曜日に行われています。
一宮市・羽島市 市民花火大会 濃尾大花火大会 8月14日(金)です!
花火の掛け声と言えば、「 鍵屋~~ 玉屋~~ 」 「鍵屋」は初代の鍵屋弥兵衛が1659年に葦(よし)の管に火薬を詰め火の玉が飛び出す花火を作り大評判となる。 元禄末期になると4代目は江戸幕府御用商人にまでに身代を大きく成長し、1808年(文化5年) 8代目のとき優秀な番頭の清七がのれん分けを許されて、玉屋市兵衛を名乗り「玉屋」が出現する。 以後、両国川開きでは「鍵屋」「玉屋」が花火の競演で人気を二分しました。 ところうが、 1843年(天保14年)「玉屋」は失火により江戸払いとなり30年間で廃業となり、一方「鍵屋」は戦前まで続きました。
現在でも「 かぎや~~ たまや~~ 」という掛け声が当時のまま受け継れ、当時の風景が思い浮かびますネ (^O^)/
記 丸井 7/31
<追記>
「花火」でなく「火花」?
お笑い界 初の快挙! コンビ「ピース」の一人 又吉直樹氏(35歳 大阪生まれ) 「第153回 芥川賞」受賞!! 「人間とは何かを描いた初の純文学」 売れない芸人徳永は、師として仰ぐ先輩神谷に出合い、お笑いの真髄に心酔しつつも別の道を歩む徳永、、、、売れない芸人の生き様に迫ったデビュー作です。 (ちなみに、正賞:懐中時計 副賞:100万円) (^O^)/