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「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

「子供の日」 何ぜ、なぜ (?_?)

5月5日は「子供の日」で「端午のの節句」でもありますが、兜や鯉のぼりを飾ったり、また柏餅や粽(ちまき)を食べたり菖蒲湯につかったりするのは、なぜ?

なぜ、菖蒲湯なの? 奈良時代に宮中で無病息災を祈って、天皇が冠に菖蒲をつけて家臣に菖蒲酒をふるまったり、軒に菖蒲をふいたりして邪気を払う儀式を行っていた。鎌倉時代になって政権を武士が司るようになると、菖蒲という言葉が武を尊ぶ「尚武・勝負」という意味に重ねられて「尚武」ための儀式になりました。(尚武:武士道を重んじる精神) 菖蒲は薬草で血行を良くする効能があり、菖蒲湯に浸かり無病息災を願う。(雨季に入る前は病気になりやすかったので、厄払いが必要だった)

なぜ、端午の節句は5月5日なの? 奈良時代から続いている行事で、端午の午が五と読み方が同じなので、五月五日になった説も?(1948年 祝日法の交付・施行により国民の祝日「こどもの日」となった)

なぜ、鯉のぼりなの? 江戸時代・武家に男子が生まれると玄関の前にのぼりや馬印をたてて祝うと習慣が生まれた。中国の故事に「登竜門」という言葉があり、鯉が竜門の滝をの登って龍となって天をかけるといういわれから、いつしか庶民によって「鯉のぼり」を飾り、守護・成長・出世を願った。鯉のぼりは、日本だけの風習で江戸時代には黒い鯉(真鯉:まごい)のぼりのみだったが、明治時代になり赤い鯉(緋鯉:ひごい)のぼりも飾られるようになった。

 

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一宮市本町・第21回 鯉のぼりフェステバル 4/5~5/8  600匹の鯉のぼりが! 

なぜ、鎧兜(よろいかぶと)を飾るの ? 鎌倉・室町時代、武将が身の安全を祈願する際に、神社に鎧や兜を奉納した。また江戸時代の武家では、五月五日になると精神的な象徴の鎧兜を飾り、子供の無事と家の繁栄を祈った。この風習を江戸の庶民が真似て、つくりものの鎧兜や槍などを飾ったのが始まりとされています。

なぜ、柏餅を食べるの ? 柏の木は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、子供が生まれるまでは親は死なない、後継ぎが絶えない、つまり子孫繁栄を願って食べる。(中国からの伝承ではなく日本の風習、習慣です)

柏の巻き方に違いがあるのご存知ですか? 葉の表で巻いてあるのは味噌あん、裏で巻いてあるのが小豆あんです。これ本当です (>_<)

なぜ、粽(ちまき)を食べるの ? いまから2300年前の中国、屈原(くつげん)という国王側近の詩人が汨羅(べきら)とゆう川に国の行く末に失望して身を投げてしまったのが5月5日で、国民は死を悲しみ川に竹の筒に餅米を入れて川に投げいれ弔いをしました。しかし悪い龍が食べてしまうので、龍の苦手な楝樹(れんじゅ)の葉(笹やちがやとの説もあり)で餅米を包み、邪気を払う五色(赤・青・白・黒)の糸で縛り川に流し屈原に届けたことから、中国では5月5日に災いを除く習慣が生まれた。その風習が日本に伝来し、日本では茅(ちがや)の葉を使われていた事から「ちゃがやまき」と呼ばれ、それが短縮されて現在では「ちまき」と呼ばれています。邪気を払う五色の糸が吹き流しの色に反映されています。

今では子供の日には、柏餅は関東で、粽は関西で食べられるのが多いそうです。九州地方では「あくまき」(灰汁につけた餅米を竹の皮に包んだ物)と言う和菓子を食べる習慣があるそうです。

最近ではマション・団地住まいが多くなり、鯉のぼりを飾るのもままらら無いですが、昔も今も、親が子を思う気持ちは同じで、健やかな成長を願い祝う風習は地域によって異なっていても、日本の風習て良いですネ!  ヽ(^o^)丿

 

 三目日の朝に降りくる この雨を涙と思ふ 抒情は遠し

                           斎藤梢(宮城県歌人

 

「九州地震」による災害、一日も早い復興、普及を心より願います。 (記 4/23)