夏服に衣変えした学生さんの姿、季節の移ろいを感じ気持ちもリフレッシュですネ! 新緑も一段と緑が映え、庭の紫陽花も色づいて来ました。
上高地 徳沢 ニリン草がいっぱい (^O^)/(5/25)
紫陽花(アジサイ)漢字で書くと何となく初夏を迎えるにピッタシの活字(花)だと思います。雨にも良く似合う花ですネ!
アジサイの原産地は日本で、原種は日本に自生するガクアジサイです。古くは8世紀に登場した万葉集にも詠まれています。18世紀ごろに日本原生のもや東アジアに生えていたものがヨーロッパに持ち込まれ、イギリスの王室庭園にも栽培されています。最近はヨーロッパに持ち込まれで品改良されたものはセイヨウアジサイと呼ばれています。今では、世界で3000種を超える紫陽花が存在するそうで、日本でも全国各地に多くの紫陽花が植えられた名所も多く、親しまれています。
◆ 紫陽花は夏の季語です。万葉集には二首詠われています。
言問はぬ木すら味狭藍(あじさい)諸弟(もろと)らが練の村戸(むろと)あざむかえけり <大伴家持>
紫陽花の八重咲く如くやつ代 においませわが背子見つつ思はむ(しのはむ<橘 諸兄>
◆ 平安後期になると多く詠まれるようになり、
夏もなほ 心はつきぬ あじさゐの よひらの露に 月も住みけり <藤原 俊成>
あじさゐの 下葉すだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る <藤原 定家>
またこの時期には「ほたる」が飛翔したとあちこちから多く聞かれます。
優雅に飛び交う「ほたる」はいつごろ頃にいた のだろうか? 中国では紀元前300年頃に蛍について記載された文献があるそうです。日本で始めて文献に登場したのは、 ◆ 奈良時代 の文献に(720年)「日本書記」の中に「彼地多有蛍火之光神や蛍火」(そのくにほたるひのかがやくかみさわにあり)と記載があります。
◆ 平安時代になると「万葉集」や「源氏物語」に「ほたる」が登場します。
「枕草紙」には夏の風物詩として、『 夏は夜、月のころはさらりなり、蛍の多くとびちかいたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもおかし。雨など降るももをかし、』<清少納言> とあります。
◆ 江戸時代になると、浮世絵に蛍の飛ぶ情景や、庶民が蛍にふれる風景が描かれています。またこの時代のわらべ唄に「ほうほう ほたるこい あっちのみずはにがいぞ、こっちのみずはあまいぞ」と今でも歌われています。
◆ 紫陽花に比べると「ほたる」は多く詠われています。
「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる 魂(たま)かとぞみる」<和泉式部>
「はるる夜の星が河部の蛍かも、わが住むかたの海人(あま)のたく火か」伊勢物語 <藤原業平>
「音もせで思いに燃ゆる蛍こそ、鳴く虫よりもあわれなり」 古今和歌集<紀貫之>
「こゑはせで 見をのみこがす蛍こそ いふよりまさる 思なるらめ」源氏物語<紫式部>
「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあわれなりけり」後拾遺集 216 <源重之>
「己が光を木々に蛍や花の宿」 「ほたる見や船頭酔うておぼつかなや」<芭蕉>
「手習いの顔にくれ行くほたるかな」 「狩衣の袖のうら遺うほたるかな」<蕪村>
「蛍 見や 転びながらも あれ蛍」 「馬の屁に吹き飛ばされし蛍かな」<一茶>
「人寝ねて蛍飛ぶなり蚊帳の中」 <子規>
「飛ぶ蛍ひかりさびしく見ゆるまに 夏は深くもなりにけるかも」<樋口一葉>
◆ 都々逸(どどいつ)に、平安朝の貴族たちが、我が身を焦がすほどの恋心を口にも出さずに静かに燃える心情を、闇に光る蛍に喩え、
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
昔から日本人にとって、光を放ちながら飛ぶ蛍は、人間の霊魂そのものだと受け止められていたようで、優雅な観賞物だけの存在だけでなく命のはかなさ、尊さを現代社会にも何か大切なものをを伝えているようでロマンを感じつにいられません。
(記 丸井 6/7)