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「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

いよいよ、お花見シーズン !

 

米国ワシントンD・Cでも桜が咲き誇る!

1912年(明治45年)3月27日 日本の東京市長であった尾崎行雄からワシントンに贈られた桜は、100年以上もアメリカの人に愛され続けています。毎年この時期になると「全米桜祭り」が盛大いに模様される。

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第二次世界大戦中(1941年12月8日真珠湾攻撃)は、イベントは中止されたが戦争終結後の1945年に再開、2012年には最初の植樹から100周年を記念し盛大に「sakura maturi」が開催された。

どうして日本の桜が米国ワシントンD・Cに??  

★1885年 ナショナル ジオグラフィク協会 初の女性理事 エリザ・シドモアが初めて日本旅行から帰国し、埋め立てが行われたポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案するが拒否され、その後24年間提案し続け、桜を植樹する計画等を通し1909年4月5日に大統領夫人に手紙を書き希望を伝える。

★その頃、東京市長衆議院議員 尾崎行雄が、日露戦争の講和に助力してもらったアメリカへの謝礼を考えていたころで、4月8日 ニューヨク日本総領事 水野幸吉が大統領夫人に逢い2000本の桜を寄贈する計画あると伝え受け入れられる。

★1909年8月30日 東京からアメリカ合衆国国務省に2000本の桜を寄贈し、ポトマック川沿いに植えると伝え受け入れられ、桜は1910年1月6日にワシントンD・Cに到着するが、害虫等に汚染され、農務省の検疫の結果タフト大統領は1月28日に焼却命令を出す。

再び計画が進められ、尾崎東京市長農商務省の古在農学博士に害虫に強い桜の苗木の調達を依頼した結果、1912年(明治45年)植木の産地の兵庫県川辺郡東野村(今の伊丹市)興津園芸試験場で、荒川堤の桜を病害虫に強い台木に接ぎ木された苗木3020本(ソメイヨシノ含め12種類)を横浜港からアメリカに出港し無事到着する。タイダルベイスンの周りにソメイヨシノ1800本が植えられ、残りのソメイヨシノと11種類は東ポトマックに植えられた。

エリザ・シドモア:1856年米国ウィスコンシン州生まれ、1884年初来日 桜を愛でる日本人の精神に、また向島の桜に深く魅せられワシントン・ボトマック湖畔の埋立地に桜を植樹するための活動をする。

1928年11月3日 ジュネーブで死去 72歳没 横浜外国人墓地墓所がある

 

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1991年(平成3年)にワシントンから5本の苗木が里帰りし、横浜外国人墓地にあるシドモア墓の傍に植えられた。これらの桜は「シドモア桜」と呼ばれ「SAKUR」を楽しむ会が発足する。(写真はネットから)

 

返礼にハナミズキ

日米親善の交流はさらに続き、1915年(大正4年)アメリカ側から感謝のしるしとしてハナミズキが日本に届けられた。しかし伊丹に届いたハナミズキは枯れてしまい、その他のハナミズキも行方不明となってしまうが、その後の調査で東京都立園芸高校に原木が現存が判明する。1999年(平成11年)その子孫樹が伊丹市立萩野小学校に返礼のハナミズキとして植樹され、今では 3mを超える程に成長しています。

里帰り桜  

2003年(平成15年)ワシントンの桜が 90周年を記念して州協会全米協議会より日本に贈られ、東野地区に隣接する端ヶ池公園に日米友好の「里帰り桜」が植樹された。

 

今も日本から遠く離れたアメリカに咲く見事な桜は人々を魅了しています。

                              記 Marui 3/20