「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

July・文月・ふみ月 7月です

万葉集には130首を超える七夕(たなばた)に関連する歌が有ります。ほとんどは男女の恋の物語を詠まれています

天の川 、いとし川波は、立たねども、さもらひかたし、近きこの瀬を                          万葉集 八巻 山上憶良

原文:天漢 伊刀河浪者 多々弥杼母 伺候難之 近比瀬呼

天の川の波はそれほど立ってはいないけど、近い瀬なのに、逢えるかどうかいてもたってはいられない (>_<)  天平2年(729)7月8日の夜に大伴旅人の邸宅に集まって、詠まれた七夕の歌です (山上憶良の七夕の歌一二首のひとつ)

たふても、投げ越しつべき、天の川、へだてればかも、あまたすべきかな、

                         万葉集 八巻 山上憶良 

小石でも投げれば、向こう岸に届いていそうな天の川なのに、その川で離れているのでどうすることも出来ません! アルタイルとベガの間は15光年もあるですよ!!

「七夕:たなばた」<しちせき> とも読み、江戸時代に一年間の重要な五節句の一つに定められています。七夕といえば、どこかロマンチックに感じられ7月7日の夜に願い事を色とりどりの短冊に書き、竹笹につるして星にお祈りをします。  中国・日本の七夕伝説では織姫星はこと座の1等星ベガとして知られています。そして働きものの牛使いの彦星はわし座のアルタイルです。

五節句」とは、1/7「七草粥節句」3/3「桃の節句」5/5「菖蒲の節句」7/7「七夕の節句」9/9「菊の節句

この二つの星と白鳥座のデネブを結んだものが夏の大三角形と呼ばれ、夏の星座を探す目印となっています(^O^)/ 二人の橋渡し役となるのがカササギです。

f:id:marui-hall:20170630091040j:plain     二人のロマンチックな星物語 天帝の娘で織姫は、天の川の西岸に住み機織の上手で美しい布を織り父親天帝を大変に喜ばせて居ました。天帝は東岸の働き者の牛使い「彦星」に引き合わせ、めでたく結婚しました。しかし夫婦になった二人は仲睦まじくするばかりで仕事をしないので、天帝は怒り悲しみ、二人を離れ離れにしてしまいました。しかし悲しみに明け暮れる二人を可愛そうに思った天帝は「七夕」の夜に限って再会を許すこととしました。天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り年に一度の逢瀬をするようになりました ヽ(^o^)丿

二人逢瀬を祝い、中国では「乞巧奠・きっこうでん」とゆう行事が催されるようになりました。「乞」は願う「巧」は巧みに上達する「奠」まつるという意味で、機織りの技が上手くなるように、様々な手習いごとの上達を願いました。

奈良時代遣唐使によって日本に伝わり、宮中行事として取入れられるようになった。詩歌や裁縫の上達を願い星に祈りをささげ、梶(かじ)の葉に和歌をしたためて、お祀りしていたそうです。今でも、京都の冷泉家では古式ゆかしい七夕の歌会や「乞巧奠」がとり行われており、梶の葉が重要な役割を果たしているそうです。

梶の葉の裏側には細く滑らかな毛がたくさん生えているので墨の乘がよく紙の原料にもつかわれていた

          f:id:marui-hall:20170630091917j:plain              

「七夕」日本が稲作を行っていた他に、「古事記」に登場する「棚織女」(たなばたつめ)からと言われています。「棚織女」とは織物を作る機織り機を扱う女性を指し、俗世を離れ「棚造りの小屋」にこもって神聖な布を織る習慣が有りました。この習慣と中国から伝わった「星伝説」に登場する「織女・しょくじょ」と「牽牛・けんぎゅう」がにていいたので、日本に広く受け入れられ「七夕」の文化が定着したとも言われています。

 

「藪入り」と聞いても最近はまったく聞かなくなりましたが、江戸時代に広がった風習で、商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へ帰ることが出来た休日を言います。

昔は、奉公人には休みはなく、嫁もいったん嫁いたら実家にの門はくぐらせてもらえなかった。そうゆう時代でも年に2日(旧暦1月16日と7月16日)は、住み込みで働く奉公人や、結婚して嫁いだお嫁さんが、小正月とお盆の行事を勤め上げた翌日だけは実家に帰ることが許された。それが「藪入り」です。

だから、年に2回の休日が本当に待ち遠しくて嬉しかったと思いますね ~ ~ (^^♪  嬉しくてたまらないことを「盆と正月が一緒に来た」と言いますが、ここから生まれたと言われています。

母親(家族)は、子供が帰ってくるから、朝からソワソワして美味しいご馳走を作り待っていたそうです。 今も昔も、子を思う母親の気持ちは変わらないですね !

「藪入り」の風習は、今ではほとんど耳にしないですが、現在は「帰省」として引き継がれ、お盆と正月には故郷に帰る習慣として毎年、都会から田舎への帰省ラッシュがはじまりますね !

「藪入り」の原語には諸説あり、実家に帰ることを元は「宿入り」と言いが訛った説や藪ぼ深い田舎に帰るからと言う説などがありますが、あまり説得力はないようです。

丁稚奉公は12~15才ほどの年齢で、里心が付くといけないと3年間は実家に帰してもらえなかったそうです。昔はどこの家庭も貧乏で、食い口を減らすためもあり親も泣き泣き奉公にだし、このころの子供たちは辛抱強かったですね ! 今の子供たちは、勉強ばかりで、、、どちらが良いか (?_?)

                             記 7/1