「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

年賀状はいつごろから (?_?)

『目出度さも  ちゅうくらいなり  おらが春』
この句は、小林一茶が五九歳の文政二年(一八一九年)の正月を迎えた時のものです。弥陀任せのわが身で、風が吹けば吹っ飛ぶようなあばら屋で、掃除もしないで、門松も立てないで、ありのままで正月を迎えたときの句です。

f:id:marui-hall:20201225113306j:plain

サフラン』 アヤメ科の多年草  イラン原産とされるが諸説あり、地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられる。 めしべを乾燥させて香辛料に! 

花言葉は、歓喜 喜び 陽気 そんな1年になりますように!
昨年は新型コロナ感染症に始まり、何にもかもが中止! コロナが収束することなくコロナに振り回された大変な1年でした   (>_<) 新年も不透明で不安な年明けですが、何とか期待するワクチンが確定され、普通の暮らしが戻ることを願がいたいですね  (^^)/ 
正月の風物詩と言えば、初詣で、門松、しめ縄にお飾り餅、お雑煮、と色々ありますが年賀状もその一つですね! 年初めに年賀状が届くのは嬉しいものですが、最近の若い世代はメールや SNS などの普及で、かつてほど年賀状の習慣が廃れつつあると聞きます。しかし今もなお企業関係の方や年配の方を中心に年賀状のやり取りが行われています。その年賀状はいつから始まっただろか ?
日本の年賀状の歴史は、明治に入って新式郵便制度の実施後、郵便葉書の普及に伴って一般化したとの見方が有力です。しかし史料がないため日本最古の年賀状がいつ誰から誰に送られたのかはわかってないようですが、大化の改新以降ではないかとの説があります。それは、大化の改新(645)により畿内各所に駅馬を置いて、政治的な書類を届ける『飛駅使』という制度が始まり、そして時を同じくして、宮廷で元旦に天皇が家臣たちの年賀を受ける『朝賀の式』が制度化されたからです。
このように新年を祝う習慣は古くからあったと考えられますが、
年賀状は、平安時代から?
平安時代に藤原明衝が著わした『雲州消息』に、年賀の手紙の例文がいくつも取り上げられています。《 郵政博物館『年賀状の歴史と話題」より》
当時、貴族は年初めには年始回りと呼ばれ、新しい1年の付き合いをお願いするため、知り合いのところに挨拶に出かける習慣がありました。しかし遠方の知り合いには直接出向く代わりに、挨拶状を送ることで年始回りの代わりとして いました。

この慣習が年賀状の原型と言われていますが、あくまで貴族の慣習であり、一般庶民には普及していませんでした。

江戸時代にはいって、

日本の歴史の中で年賀状に転機が訪れるのは江戸時代に入ってからで、戦国時代のころには書状による年始回りの慣習が武士にも広まりました。

その後、江戸幕府成立で戦乱の世が終わったことに加えて、五街道や飛脚制度が整備されたことで、国内で円滑に書状のやり取りができるようになったと考えられています。

そして武士たちの間で正式な年始挨拶がますます盛んになり、庶民の間でも年始の簡単な書状のやり取りが行われるようになったようです。

しかし、現在のように元旦や正月期間中にきちんと届くわけではなく、中には梅雨の時期(6月ごろ)に届いたという話さえも伝わっています。

そして明治時代になり、 

明治新政府の時代に入ると、日本は欧米諸国に負けないように近代化に着手し、近代化の過程で年賀状の慣習にも大きな変化がもたらされます。

郵便局の設立に多大に貢献し、郵便制度が誕生するに至る歴史人物が前島密(ひそか)です。彼はイギリスを視察した際に現地の郵便制度についてつぶさに見聞を重ね、帰国後に郵便制度の必要性を力説し、そして彼の尽力で、

 明治4年1871年)東京や大阪などの大都市間で郵便制度開始される

明治5年(1872年)全国的な郵便通信網が確立する

前島密による郵便制度創設とともに登場したのが「はがき」で、イギリスで普及していたポストカードを視察した際、彼は日本の郵便が定着するにはポストカードが重要な役割を果たすと考え、

明治6年1873年)に郵便はがきが発行されます。はがきの登場によって急速に年賀状が普及し、回礼(各家を回って、新年のご挨拶をする)が簡略化され、一般庶民にとっても年賀状が身近な存在となります。

そして、年を追う毎に「はがき」による賀詞の交換が盛んになっていきます。

f:id:marui-hall:20201219161545j:plain 今も使われている「郵便」「切手」「葉書」という名称も前島の案で定めました <ネットより>

当時の郵便配達は命がけで、明治6年1873年)拳銃(6連発銃)の携帯を所持が認められていました(拳銃所持は警察官より早く導入)昭和23年(1948年)廃止、

明治20年(1887年)頃には年賀状も激増します。

◆  明治32年(1899年)から、年賀状は通常郵便物と別枠で処理される年賀郵便の特別取扱が誕生する。

◆  明治33年(1900年)私製はがきの取り扱いが始まります。

  一挙に年賀状文化が花開く事になります。

 昭和12年1937年)7月に日中戦争が始まると、年賀郵便の特別取扱は中止となる。

昭和16年1941年)に太平洋戦争がはじまると、逓信省日本郵政公社の前身)が「お互に年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを掲げて、年賀状の一時期ほとんどがその姿を消してしまいます

昭和20年(1945年)8月に終戦を迎えると、年賀状の数も徐々に増えていきます。
この時、表(おもて)面の下部に通信文を書くことが許されるようになり、一枚のはがきに、より多い文面を記載できるようになります。

年賀状が復活したのは、お互いの安否を知らせ合う意味が多大にあったようです。

 その後、

昭和24年(1949年)12月からお年玉付年賀はがきが発行されるなど、すっかり国民的行事になります。再び息の長い文化として定着します。

f:id:marui-hall:20201219143457j:plain

  大正時代に普及した数多くの子供用年賀状が発行される  <ネットより>

明治38年(1905年)年賀状発売数は、1億枚(推定)を突破します。明治39年末に郵便規則が施行され、取扱期間が12月15日~29日と定められたこともあり、明治40年(1907年)年賀状発売数は、2年前の4倍に近い4億枚に達します。(年賀状の4億枚という数字は、この年度の全郵便物の30%を超える数です)

◆ 令和3年(2021年) 年賀状発売数は19億4198万枚で、5年前 2016年のお年玉つき年賀はがきの発行枚数は32億枚以上で、今年の減少率は過去最大です。

f:id:marui-hall:20201220114759j:plain

「パンジー」数千種類を超える品種があるそうです! ちょっと驚きですね! 寒さにも強く雪が降ってもへいちゃらです。 ちさい花のビオラも仲間です 花言葉 物の思い・純愛・誠実な愛・天真爛漫

年賀状は、日本固有の文化のように考えがちですが、欧米でもクリスマスカードやイースターを祝うカードと並んで年賀状も大変盛んな時期がありました。1900年前後、エンゼルや時計、カレンダーや四葉のクローバーなど様々なモチーフを使った年賀状が発売され交換されています。ただ、欧米では年賀状のブームは、習慣として定着せず、1920年頃を境に、ほとんどその姿を消し、クリスマスカードで年賀を兼ね事が主流となっていきます。それに比べ日本では、歳を十二支になぞらえる文化が年賀状を支え、今に至っていると考えられています。

 

韓国や中国にも年賀状の慣習はありますが、韓国の場合はグリーティングカードとしてやり取りされるのが一般的です。中国の場合は、王朝社会の年始の挨拶状の名残で現在に至るが、やり取りされるのは旧正月です。

現在数多くの日本人が、海外で生活していますが、海外の知人、友人に年賀状を出すには、郵便事業会社の国際事業部がお年玉付き年賀はがき(令和3年現 63円)に、7円切手をプラスするだけで、はがきが世界中に届きます。景品の受け取りなどいくつかの問題もありますが、70円で海外へ届きます ((^^)/

f:id:marui-hall:20201230143625j:plain

プリムラ」の花 世界で約600品種もあり、寒い冬でも生き生きと鮮やかな花を咲かせます 。 色や種類によって違う花言葉を持っています 信頼・初恋・無限の愛・素朴、、

昨年は、世界で想像もできないコロナウイルス感染との闘いに、日常生活もままならない大変な年でした。そんな中で少し勇気と希望を与えてくれましたのが、将棋界の麒麟児 藤井壮太君の活躍、そして水泳界の池井璃花子さんが難病に負けず現役に復帰されました。そしてもう一つ昨年12月16日  宇宙航空研究開発機構JAXA)の探査機はやぶさ2号  りゅうぐうの岩石の入ったカプセルを見事オーストラリアの南部ウーメラの砂漠に着地回収されました。

初代はやぶさは、満身創痍で資料カプセルに持ち帰り自身は大気圏突入で燃え尽きた!劇的な帰還で日本人の心を揺さぶった記憶も新しいですね!

はやぶさ2号は、初代の悪銭苦闘をしっかりと修復し「百パーセント 満点」の帰還でゆっくり余生を楽しんでくれるかと思っていたが、なんと定年延長でもうひと活躍に出発 (^^)/ なんと我々サラリーマンが定年後も働く姿とダブりウルウル ( ノД`)シクシク…! 本当に勇気をくれた「はやぶさ2号」 頑張れ!!

 

新しい年を迎え欧州では新型コロナウイルスの変異種が急増し日本でも確認される! 「医療も緊急宣言」 新年もじっと冬眠 ? 我慢ですね! でも、かのスぺイン風邪の大流行も 第三波で終息しています。もう少し「終息」を信じて「三密」をさけ「不要不急」で我慢 ですね!

日夜活躍されています「医療従事の方々」に感謝と応援しましょう !

 

新型コロナ感染拡大により延期になった東京2020オリンピック競技大会は、2021年7月23日~8月8日、東京2020パラリンピック競技大会は2021年8月24日~9月5日に開催されます。それに伴い、

内閣府2021年に限り「海の日」は7月22日に、「スポーツの日」は7月23日に、

f:id:marui-hall:20201220150836j:plain「山の日」は8月8日(※8月8日は日曜日なので、8月9日が振替休日)に決定される。 <カレンダーを修正して下さい> (^^)/

 

         豆知識 「祝い箸」

祝い事には欠かせない箸のことっで、お正月などのにおせち料理やお雑煮をいただくときなどに使います。祝い箸は末広がりの八寸(約24センチ)で縁起がよく、「両口箸」「柳箸」「俵箸」とも呼ばれ、両方の先端が細くなっていて、「両口箸」とも呼ばれます。それは、一方は神様用、もう一方を人が使うためで、"神人共食"を意味しています。

お祝いの席で折れたりしないように、丈夫で折れにくい柳の木が使われています。また、柳は水で清められた神聖な木とされ、春一番に芽吹くおめでたい木とされています。そのため「柳箸」ともいわれ、縁起良く「家内喜」と書くこともあります。

また、「俵箸」と呼ばれるのは、五穀豊穣を願って米俵を模し、中ほどが太めにできているからで、「はらみ箸」とも呼ばれれ子孫繁栄を表したり、「太箸(たいばし)」と呼ばれることもあります。

お正月の祝い箸は、大晦日に家長が家族の名前をそれぞれの箸袋に記入し、箸を入れて神棚に供えておくのが習わしです。その箸を元旦に使ったら、自分で清めて(洗って)、松の内(1月7日まで)は同じ箸を使います  (^^♪

 今年は丑年ですね! うししっと笑えるようないいことがたくさんの年に、そして「嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことが牛牛ギュウギュウ)に詰まった年となり、牛のように一歩一歩確実に、マイペースで健康で笑顔を忘れない年にしたいですね  (^^)/  本年も宜しくお願い致します。             令和三年 元旦 丸井邦春