謹んで新春の お慶びを申し上げます
[ お正月 ] 童 謡 《滝 廉太郎 作曲》
もういくつ寝るとお正月、 お正月には凧揚げて、 コマを回して遊びましょう、
歌詞にあるように、お正月の子供の遊びと言えば、「コマ回し」「凧揚げ」が定番でしたが、最近ではすっかり見る機会も少なくなり、ゲームばかりでちょっと寂しいですね!
昔は、正月の風物詩として凧は欠かせない遊びで、凧揚げは子供だけの遊びでなく大人も一緒になり、凧を天上にいる神様に近ずくための尊いもので、風をうけて勢いよく高く揚がる様子から商売繁盛・福を招く象徴とされていたようです。
凧の起源は、古来中国で「紙鳶:しえん」「紙老鴟:しろうし」と呼ばれ、戦いや占いの道具として使われたいた。
『凧』と云う文字は、中国にも韓国でも無く、鎌倉時代まで凧の呼名は日本には無く中国から伝わった「紙鳶:しえん」「紙老鴟:しろうし」と呼ばれていた。
そして、室町時代なって「イカノボリ」「イカ」などと呼ばれ、戦国時代には、武士の通信手段の一つとして使用されていた。また貴族や武士の遊びとして取りいれら、一般にはあまり遊ばれていなかったようです。
江戸時代初期 に入り、町民の間でイカノボリ・イカ揚げが盛んになり、関東でも、京、大阪でも大人の間に大流行となった。
そして、大人達はイカノボリ・イカ揚げに無中になりケガ人や死者まで出たり、大名行列や参勤交代の列、武家屋敷に落ちて、それが原因で事件が頻発する。
幕府は、明暦元年(1655年)事件が多発したため「町中にてイカノボリを揚げることを禁ずる」と禁止令を出すが! (>_<)
庶民の人気の娯楽が禁止とは! そこで「これの名前はタコでイカではありません」とへりくつのような言い訳をつけて、依然とタコ揚げがされる始末!
江戸っ子のタコ揚げがますます盛んになり、「凧」とゆう漢字まで生まれる! 驚きの!歴史を変える衝撃の庶民パワー!
こうして、江戸時代初期に 日本で「凧」の文字ができ、「イカ」が「タコ:凧」と呼ばれるようになる。このようにして凧揚げが町民の遊びとして普及する。
凧揚げをお正月にあげるようになったのは!
幕府は禁止令を出したが、庶民の不満が多く対策として、武士が家に居て参勤交代の行列が無いお正月ならとの取り計らいで、凧揚げはお正月になったとの由来があります。
ほかに、男子が生まれた家庭では祈願や厄除けなどの願いを込められて、お正月に凧揚げをした説も有ります。
我が家の千両:赤く熟した丸い実は、縁起ががいいとされ「値千金」」として名がつけられたそうです。目元千両・一声千両。千両役者など、めでたい美称として使われます
やっこ凧・・・・江戸時代の庶民の反骨精神から生まれた凧揚げ! 身分の低い「奴凧」を揚げ武家を見下ろし日頃のうっぷんを解消をしたとか?
奴さんは、参勤交代のお伴の数が格式によって決められていて、今で言うバイトさんとして、奴さんを荷物担ぎなどとして臨時雇いされたそうです。どの「藩」に雇われてもいいように着物の紋は正方形で、豆腐を四角に切った豆腐に似ている事から、冷やして食べる豆腐料理を「ひや奴」と呼ばれる「語源」になったとか?
《 豆知識 (^^♪ 》
タコの足は何本? 八本で、学術的には足でなく「腕」と表現される。また見た目で頭部と思われがちな丸く大きな部分は胴部であって、本当の頭部は足(腕)の基部で、そこに目や口があります。
まだ驚きです!心臓は3つ! 脳みそは9つ! 9割が筋肉を占め、まさにハイスペック (@_@ 毎月8日は「タコの日」です
イカは何本? 10本ですが、正確には8本で長い残りの2本は手で「触腕」とよばれ獲物を捕るために使われるそうです。イカを買ったら確かめてください (^^♪
門松の起源は、歳神様が家を見つけやすいようにする目印だそうです。飾られる常緑樹の松は「不老長寿」、真っすぐ育つ竹は「誠実な心」を願って飾られます。そして早春にほかの花よりも早く咲く梅は「出世」「開運」を象徴しています。
元気いっぱい 健康で、 楽しく 笑顔を忘れず 良いお年に成りますように!
本年も宜しくお願致します ヽ(^o^)丿
令和2年 元旦 丸井邦春