「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

8月 暑中お見舞い申し上げます (^^♪

2023年、日本で空飛ぶクルマがテイクオフ ?!

空飛ぶクルマの開発競争が佳境に入り、世界各地で実証実験が進められていて、そんな中、2020年8月、日本勢のトップを切って有人飛行の公開試験を成功させたのが、SkyDriveだ、実用化が秒読み段階に入ったと、マスコミが伝えビックリ! 

f:id:marui-hall:20210719101808j:plain(画像はネットより)

 政府は2025年に客が乗った飛行を実現させる目標を掲げ、ベンチャー企業を中心に機体の開発が進んでいる。巨大な関連市場をにらんで大手自動車メーカーも触手を伸ばす。山積する課題を乗り越え、空中を自由に行き来できる日はが来ると思うとワクワクしますね !

かつてはSF映画や未来予想図に登場していた夢の乗り物「空飛ぶクルマ」が、ドローンの登場やAI技術の発展 などによって現実的に開発が可能になり、空中を移動を身近なものにする短中距離用の乗り物として、特に交通手段としては、空飛ぶタクシーとして普及すと期待されています。 SF映画の世界だったのが現実味を帯びてきた!!

7/28 中日新聞 大阪万博(2025.5.3.~11.3.)で 空飛ぶクルマ 実現 !

「空飛ぶクルマ」を開発するベンチャー企業 「スカイドライブ」は大阪万博を大きな目標に、大阪港地区から会場となる人工島まで海上を5kmほど飛行する「エアタクシ」を実現に向け意気込む ! 

機体は小型無人機ドローンと同じ仕組みで、四隅に配置した八つのプロペラを駆動させ飛行する。現在は二人乗りの機体を開発中 !

しかし、こんなニュースも、、

  EU、35年 HV・ガソリン新車禁止 ( 7/15 中日新聞

欧州連合EU欧州委員会は14日、 2023年の温室効果ガス排出を1990年比で55%減らす目標達成に向け、ハイブリット車(HV)を含めたガソリン車やディーゼルの販売を2035年に事実上禁止すると発表する。

欧州では、英国が30年、フランスが40年にガソリン車の販売を禁止する方針を明らかにしているが、EU全体の目標設定は初となる。
EUへの輸入品が多い中国やロシアの反発が予想され、EUとの緊張関係のさらなる悪化につながる恐れもある。

欧州自動車工業会は声明で「技術を廃止するだけでは理性的な方策とは言えない」と反発、対策案は加盟国や欧州議会の承認が必要で、域内外諸国や産業界との調整が課題となりそうだ。

日本自動車メーカー 驚き と 戸惑い! HV車は日本勢が強みを持つ技術で、次世代車の本命で今後の主流にとの思惑が ! 

脱ガソリン車に向けた規制は世界各国で加速している。米カルフォルニア州は35年までに排気ガスを出す新車の販売を禁止する。

 中国が2020年10月に「2035年に電気自動車5割・ハイブリッド5割」という政策を打ち出している。

英国は30年までにガソリン車・ディーゼル車の販売を禁止し、35年にHVも禁じる

この様に、エンジン車の販売禁止措置は、各国の動きは2030~2035年に集中している。

日本では、2035年にはエンジン車が乗れなくなる ?

菅義偉首相は就任直後に「2050年に排出ガスゼロを目指す」と発言した。つまり2050年には排出ガスを増やさないということは、エンジン車の全廃を意味する。

2050年でエンジン車を全廃するためには、クルマの寿命を考えたら2030~2035年にはエンジン車の販売を止めなければならない。2045年にエンジン車を買っても5年しか乗れない ! クルマの寿命を15年とすれば、2035年からエンジン車は売れなくなる予感しますが、、(?_?)

いずれにしろ世界的な流れを見ると、エンジン車全廃の方向に向かっていることは間違いない。コロナ禍で世界が経済が混迷のなか、車社会が大きな転換期に来ているのは間違いない。

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 今年も向日葵の花が、 背丈が 2.8mにも !


自動車が誕生したのは1769年 日本はまだ江戸時代 !

ヨーロッパでは馬車が人や荷物を運ぶ主な道具であった時代に、フランスで、ニコラ・ジョセフ・キュニョーにより、蒸気で走る自動車が発明された。初めての自動車 は、軍隊で使われる大砲運搬のために造られた重くて大きな車体で、スピードは10km/h以下だったそうです。

走行実験中にハンドルを切り損ねて壁に激突事故! 世界初の自動車による交通事故第一号車となった。 (>_<)

その後、ワットが新方式の蒸気機関を開発するなどして技術が向上し、徐々に馬車時代去り自動車社会に移行していく。

電気自動車の歴史は、ガソリンエンジン車より古く、1873年にイギリスで電気式四輪トラックが実用化されている。 その陰に電池は1777年、モーターは1823年に発明されたのが大きく影響していると考えられる。

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電気自動車 ジャメ・コンタント号 (画像はネットより)

史上初の時速100㎞超えを達成したのが、なんと電気自動車だった。1899年にジャメ・コンタント号が105.9㎞/hを達成している。

ガソリン自動車誕生(1886~1900)

現在、主流となっているガソリン自動車が誕生するのは、1885~1886年。日本は明治時代である。
蒸気自動車、電気自動車が混在していたころに、ドイツ人のゴットリープ・ダイムラーは4ストロークエンジンを開発し、1885年に木製の二輪車にエンジンを載せて試走に成功する。 翌1886年に四輪車を開発している。同じ1886年、同じくドイツ人のカール・ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させて実際に販売ししました。

1891年に、最先端に置かれたエンジンの後方に、クラッチトランスミッションを縦一列に配し、デフ機構を介して後輪を駆動させるFR方式を考案し、この方式を採用した車、パナール・ルヴァソールを市販された。このクルマの機構は「システム・パナール」と呼ばれており、現在の自動車技術の基礎を築いた。また、この頃、“空気入りのタイヤ”が発明され、またハンドルが棒状で舵をとるものが、現在使われているような「円型」のものが開発され、乗り心地や操作性が改善される

世界初の自動車レース 1895年、 フランス、パリとボルドーを往復するコースで22台の自動車がスピードを競った。

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1着のガソリン車のパナール・ルヴァソール (画像はネットより)

参加車のうち15台がガソリン自動車で、蒸気自動車が6台、電気自動車が1台だった。完走したクルマ9台のうち8台がガソリン車で、1着はガソリン車のパナール・ルヴァソールであった。このレースによりガソリン車の優位性が示された。

自動車の大衆化の流れ、、

1900年代初頭は、まだ蒸気自動車が主流で、1900年1月からフランスのド・ディオン・ブートンが、翌年の4月にかけて1500台のガソリン自動車を販売した。

ガソリン自動車の生産・販売で世界をリードしたのはフランスだった。

ヨーロッパでは貴族の趣味としてスタートした自動車だが、広大な土地を有するアメリカでは馬車に代わる移動手段が求められ、1901年に登場したオールズモビル・カーブドダッシュが、同年に425台、翌年には2500台が製造発売され、アメリカ初の量産車化が始まった

自動車大衆化の象徴は、ヘンリー・フォード1903年フォード・モーターを設立し、1908年に登場したT型フォードである。“大衆のためにクルマをつくる”ことを志し、開発されたクルマである。

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 アメリカ    フォードT型  (1907年:明治40年)            (画像はネットより)
初年度に1万台が製造された。1913年には史上初のコンベヤラインが完成し、一日に1000台が生産され生産が終了した1927年までに、総生産台数は1500万7033台に達した。

大衆化への足掛かりとしたのが !   (^^♪

1912年キャデラックに初めて採用されたセルフ・スターターの発明である。それまで、重いクランクハンドルを力いっぱいに回さなければならなず、女性や老人ではエンジン始動が難しく、男性が操作してもハンドルが逆回転してしまうこともあり、これがもとで腕の骨折や、死亡してしまう事例もあったほどである。エンジンスタートボタンを押しさえすれば簡単にエンジンはかかり活気的な発明であった。

1906年にはフランスで第1回ACFグランプリが開催される。 この時点では蒸気自動車のほうが速く、この年、速度記録に挑戦したスタンレースチーマーが205.4km/hを出している。ガソリン自動車が200km/hの壁を超えるのは、その3年後だ。

アメリカでは、1911年にインディ500マイルレースが初めて開催された。
1923年にフランスでルマン24時間レースが始まり、1929年にモナコ・グランプリの第1回大会があった。

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 松葉ボタン 多肉質の葉で暑さには強い花 原産はブラジル・アルゼンチン

さて、日本における自動車は、、

1898年(明治31年)に初めて、海外から自動車(パナール・ルヴァソール)が持ち込まれる。その後、1904年(明治37年)には岡山市で電機工場を営んでいた山羽虎夫が、国産車第1号とされる山羽式蒸気自動車を完成させた。このクルマは乗合自動車(バス)として造られたが、ソリッドタイヤがリムから外れるというトラブルが続き、乗合自動車の計画は実現せずに終わった。

1907年(明治40年)、純国産初のガソソリン自動車が誕生した。“自動車の宮さま”と言われた有栖川宮威仁親王殿下が、自動車の輸入・修理を行うオートモビル商会を設立し、吉田真太郎と機械技術者の内山駒之助に要請し、10台ほどのガソリン車自動車がつくられた。

f:id:marui-hall:20210710142609j:plain “タクリー号”(画像はネットより)

当時の人々に、このクルマがガタクリ、ガタクリ走ることから“タクリー号”と呼ばれた。

その後、明治末期から大正時代にかけて、自動車の国産化が数多く試みられたが、当時の日本の工業技術は、 まだ未熟であったため、国産化は成功しなかった。

1911年(明治44年快進社自動車工場を設立さし、3年後の1914年(大正3年)年に乗用車の第1号「ダット」を完成した。

1925年(大正14年)日本初の本格的な自動車生産が開始したのは、白楊社オートモ号が最初で230台が製造された。

しかし、欧米との技術の差はまだまだ埋めがたいものがあり、快進社、白楊社ともに解散してしまう。

1932年(昭和7年)に、日産自動車 の前身となる“ダットサン商会”が設立され、快進社は巡り巡って、ダットサン商会に引き継がれる。

翌1933年(昭和8年)には、トヨタ自動車 の前身となる“豊田自動織機製作所自動車部”が設立誕生する。白楊社の主要メンバーは豊田自動織機製作所自動車部に入社する。

その後、トヨダAA型やダットサン14型などの意欲的な国産乗用車生産の試みはあったが、戦前の日本車はトラックが中心だった。第二次世界大戦に向け、戦時体制が進むと、軍需用のトラックの製造が開始され、乗用車の開発は中断を余儀なくされることとなる。

戦時体制の中、世界中で軍需用の車両の生産が優先され、乗用車の開発はストップした状態であった。

戦後は、連合国軍総司令部GHQ)から乗用車の生産を禁止されていた。ゼロどころかマイナスからのスタートとなり、日本の工場ではありあわせの材料でスクーターを作るのが精いっぱいだった。

1949年(昭和21年)GHQの自動車の生産制限がに解除され、戦後、日野自動車ルノー(フランス)、いすゞ自動車ヒルマン(イギリス)、日産自動車オースチン(イギリス)と提携し、欧米の最新の自動車技術を競いあって生産することになる。

日本独自の発展を遂げたのは、軽自動車のジャンルだった。

1949年(昭和24年)に規格が定められ、ボディーの大きさとエンジンの排気量を制限し 1954年(昭和29年)に規格が改定されて排気量が 360cc に定められると、大メーカーがこぞって軽自動車を手がけるようになる。

1950年代半ばから、日本は高度経済成長期に入る。1955年(昭和30年)には通産省が“国民車構想”を発表、それを受け、1958年(昭和33年)に発売されたスバル360は爆発的な人気となり、マイカーの先駆けとなる。            (画像はネットより)

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そして、トヨタ自動車は独自路線をとり、純国産乗用車にこだわって開発を進め、

1555年(昭和30年)にトヨペット・クラウン(初代クラウン)を発表する。

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         初代 トヨタ クラウン  (画像はネットより)

ようやく純国産乗用車が誕生し、モータリゼーションを急速に進展させることになったが、欧米との差は、まだまだ大きかった。

1960年代に入ると、日本は1964年(昭和39年)に東京オリンピック1970年(昭和45年)の大阪万博開催と経済発展を遂げ、1968年(昭和43年)にはGNP世界第2位となる。

1963年(昭和38年)に日本初の高速道路として名神高速道路が開通し、1968年(昭和43年)には東名高速道路が開通し道路事情も良くなる。

トヨタは小型大衆車のパブリカを1961年(昭和36年)に発売。

その後、日本の国民車となった初代カローラが1966年(昭和41年)が発売された。カローラは1968年 ~ 2001年の33年間、国内販売台数1位を維持するベストセラーカーとなり、現在でも世界中で販売を続けている。
トヨタカローラ  vs 日産ブルーバードと、トヨタと日産との販売競争が激しさを増していたのもこの頃であった。 一方でスポーツカー  も登場する。

1963年には、第1回日本グランプリが開催され、

スカイラインが神話を作り、トヨタスポーツ 800 と ホンダ S600の対決、 そして、名車トヨタ2000GT、日本初のロータリーエンジン車のマツダコスモスポーツが登場する。

                              (画像はネットより)

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日産フェアレディZは、現在もモデルが引き継がれている本格的な国産スポーツカーが誕生です。

自動車の保有者人口が年々増加するとともに交通事故死亡者が増加し、1970年(昭和45年)には交通事故で年間死亡者が史上最悪の1万6765人となり「交通戦争」と言う言葉が生まれた。また、自動車の排気ガスによる大気汚染が大きな社会問題として浮上、1968年(昭和43年)には大気汚染防止法が成立する。

1973年(昭和48年)オイルショックが起こる!

ガソリン価格が急騰し、自動車の低燃費化が求められる !
日本が誇る技術を示したのが、1972年 ホンダは規制に適合する CVCCエンジン を発表して世界に衝撃を与えた。さらに、アメリカ車に比べて圧倒的に燃費のいい日本の小型車はアメリカ市場で脅かす販売を伸ばすことになります。

こして、日本は黄金期(1980 ~ 1991)を迎える。1980年(昭和55年)には、日本の自動車生産台数が世界ナンバー1となる。しかしアメリカとの間に貿易摩擦を引き起こすに至る。

1989年(平成元年)バブル景気に沸いたトヨタセルシオ、日産スカイラインGT-Rユーノス・ロードスターなどの名車が一斉にデビューし、日本車の名声を確固たるものにする。

新し時代に向けて、環境技術での先進性を世界にアピールしたのが、1997年(平成9年)にはトヨタが初の量産 ハイブリッド(HV)車 であるプリウスを発表し、環境技術での先進を切った。

エコカー”が市場の中心となってきており、プラグインハイブリッドカートヨタ・プリウスPHV、三菱i-MiEV日産リーフなどの電気自動車が、すでに日本の道を元気に走っている。
“究極のエコカー”といわれている燃料電池車も試験的に各地で走行している。

環境や安全の面で、自動ブレーキはすでに多くの自動車に装備され、自動運転さえも手の届く技術になっている。

IT技術との連携など、次世代型自動車の姿を探る試みも、世界中で間断なく続けられている。

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「グリンピースの花」 つるを長く伸ばし、実を次々とつけるため「いつまでも続く楽しみ」「永遠の悲しみ」「必ずくる幸福」「約束」という花言葉がついてます!

トヨタの「 MIRAI 」は水素と酸素を燃料電池に取り込んで電気をつくり、モーターを駆動させて走り、環境に優しい水素自動車です! 

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                              (画像はネットより)

特徴と ! 問題点は !

ミライの車体価格は、7,236,000円と高級車並み、チョット高額ですね! 理由として、水素タンクの気密性が高いなど技術的な点もあり、生産量が圧倒的に少ないのが高額になる大きな理由だそうです。

充電のたびに、数十分もスタンドで時間を要する電気自動車に比べ、水素ステーションでの水素充填時間は数分で完了です。 現状水素ステーションが少ないことが難点です。

「水素はどれくらい入るの?」 「5.6kgくらいです !」
「水素の価額は ?」
「1kg ¥ 1100円です」 

「1kgで100kmくらい走るので、 5.6kgで ≒ 500km/¥6,160.- は走る」

問題は水素の体積エネルギー密度が低いことで、5.6kgの水素を積むのに141ℓのタンク容量が必要となる。

ガソリン車なら105kg 程度搭載できる容量だが、水素は70MPa(約700気圧)に圧力を高めた状態で貯蔵しますから、約5.6kgです。

通常ガソリン車は、40ℓ(約30kg)~  50ℓ(約37.5kg)です。 

だから水素車は、床下に搭載する水素タンクの直径を稼ぐために大径ホイールを採用し対応している。

すでに実用化され、その性能は実証され普及するにそう遠くない (^^♪ 

オリンピックの聖火は、次世代エネルギー水素を使用です。

間もなくガソリン自動車誕生から130年になる !
自動車が現代社会の中で果たす役割の大きさ、成長と発展の勢いがとどまるところを知らない ! これからも自動車はどのように変革するのか ?? 

 

2020 東京五輪 ついに開幕しましたね !

コロナ禍、緊急事態宣言下の開催、 感染対策は ? しかし努力を重ねてきた

アスリートには何の責任もない! 

連日の日本選手の熱い戦い! 朗報に! 興奮! 感動!  猛暑! 寝不足!   

オリンピアの祭典 スポーツの力は素晴らしい!

次は、パラリンピックだ ! でも、コロナ感染広がるばかりで心配だ!  (@_@)

運営や救護・警備にあたられる方々、ボランティアの皆さんも要注意して下さ !

                                                         8/1 Marui