もう師走 !
カレンダーを1枚めくるだけで師走 ! とたんに何にか忙しくなり、なんとなく気ぜわしく落ち着かない12月ですね !
新型コロナウィルス変異株オミクロン BA:5 が年末にかけ感染拡大ピークが予測され終息が見られない。何時になったらもとの生活に戻れるのかもどかしさがあります。 最近はコロナと共存する生活が普通になりつつあるような気がします。コロナに追われ一年が早く過ぎた気がします。
白南天と千両
平安時代中期の「拾遺和歌集」(1006年)に載ってい平兼盛が詠んだ和歌に、
数ふれば わが身につもる年月を 送り迎ふと何いそぐらん
数えてみると、自分に積もり重なる年月なのに、どうして、一年を送るといってはあわただしくしたり、新年を迎えるといってはバタバタと準備をしているのだろう。年を越すのには何も急ぐ必要はないのに、
平安時代の貴族であっても、年末はあわただしく過ごしていた様子が読みとれます。 現代の我々であっても、平安時代の貴族であっても変わらないのが年末ですね !
また、
江戸時代の元禄文化を代表する浮世草子『好色一代男』は、井原西鶴の有名な作品ですが、西鶴が小説家として活躍し出したのは40歳を過ぎてからで、それまでは俳人でこんな歌を詠んでいます。
「大晦日 定めなき世の 定かな」
「決まりもなくなってきている世の中だけど、大晦日は毎年決まった日にやってくる」近頃では、人は決まりも守らず、決まり自体もなくなってきている世の中になってしまったと憂いている一方で、一年の終わりの大晦日だけはいつも決まってやってくると、 最近では大晦日の過ごし方も様々になってきましたが、それでも除夜の鐘が響いてくると厳かな気持ちになるのが大晦日ですね ! 江戸の人も同じ思いで除夜を迎えたのかなと思うと、日本人の生活文化は古き時代も変わらなくしみじみと感じます。
ツワブキの花
今年の冬至は、12月22日(木)一年で昼が最も短かい日で、また太陽が一番南に位置し日本付近では一番太陽が低高度になる日です。
同じ日に、南半球では昼がもっとも長くなります。
夏至・冬至の中間の日(昼と夜の長さが同じ日)を春分・秋分とさだめています。
中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が よみがえってくると考えられ、「陰」が極まり再び「陽」にかえる日との意「一陽来復」と言われます。すなわち、冬至を境に運が向いてくると言われています。
では、どうして「気運」を上げるの?
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼び込めると言われています。 「れんこん」「だいこん」「にんじん」「きんかん」「ぎんなん」「きんかん」 「かんてん」「うどん」、、、
あれ、れ、、「かぼちゃ」は? 子供のころ親から冬至には「かぼちゃ」を食べて元気にならないと言われたのになぜ「かぼちゃ」には「ん」が付いてない?
かぼちゃは漢字で書くと「南瓜」と書きます、すなわち「なんきん」とも読み「ん」が二つも付いていますよ ! (^O^)/
かぼちゃは長期保存ができる野菜で、今でこそハウス栽培や野菜の冷蔵・冷凍技術が進んでいて何時でも食べれますが、昔は現代と違って野菜を1年中食べることは難しい時代でした。そのため、野菜の不足する冬の時期に食べることで、厳しい冬を元気に乗り切ろうという江戸時代の人たちの「冬至の日」への想いや知恵が込められて、現代まで風習として残っている。( かぼちゃは南アメリカ大陸原産で、生育適温は25~30℃前後の熱帯性の植物 )
ほかにも、「冬至粥」「小豆粥」を食すると気運アップ! 小豆の赤い色が災除けと言われ、疫病にかからないと言われています。
中国最古の医学書『本草』に小豆は「鬼毒を殺し、痛みを止める」と記載されているほど、昔から効果効能が知られていた。冬至に厄払いのため小豆粥を炊いたという風習も中国では昔からあったようです。そのため、冬至のかぼちゃに何かプラスするなら、小豆は最適の食材と言われています。
冬至風呂「柚子湯」も「冬至=湯治」と「柚子=融通」をかけた語呂合せで「融通が効くように」という縁起かつぎの意味で何事もうまくゆく! <1838年(天保9年)の「東都歳時記」によれば琉行し始めたのは江戸の銭湯からであると記されている>
冬至と反対に昼の時間が1年で1番長いのは、夏至(げし)です。今年の夏至は、6月21日(火)でした。
今年はあまりよくなかったな ~ と言う方は、冬至に「柚子湯」に入って「冬至かぼちゃ」を食べ邪気を払って気運を上げて下さい。(^O^)/
「年越しそば」の起源は、?
江戸時代 後期(1814年)に刊行された『大阪繁花風土記』には、年越しそばに関する記述があります。「十二月三十一日 晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。年越蕎麦とて食す」とあり、「年越しそば」を食す習慣がすでに大阪では定着していたと言われています。
世の中にめでたきものは蕎麦の種、
花咲きみのりみかどおさまる
「みかど」はそばの実の三角と帝との掛けことばです
そばのめでたさをたたえるこの歌は、室町時代の関東の三長者の一人「増淵民部」の作と言い伝えられています。 大晦日にはそばがきが振る舞われ、家中はもちろん出入りの者みな「福そば」をたべたたそうです。そして、この家の繁盛を見た人々は次々とみならったというのが、「年越しそば」の由来起源とされる一です。
こんな話も、鎌倉時代、九州・博多の承天寺で、年を越せない町人に「世直しそば」と称してそば餅をふるまったところ、翌年から運が向いてきたので、「世直しの運そば」と呼ばれて大晦日に食べるようになったとの由来もあります。
他にも、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があったそうで、これが転じて大晦日だけになったとの説や、
金銀細工師が、散らばった金粉を集めるのにそば粉を使っていたことから、金運を呼び「そば」は縁起が良いからとの説も!
逆に蕎麦は切れやすい事から、一年間の苦労や、借金が切れるように、また蕎麦には五臓の毒を取ると信じられていたので、そんな年越しそばを食べてもらおうとそば屋さんが仕掛けたとか? 昔の人は一杯のそばを食べるのにも、いろんな願いを込め「年越しそば」を食べていたのですね。
各地方の「年越しそば」には、
江戸時代から北海道ではニシンの豊漁が続き、干物の「身欠きニシン」が北前船(きたまえぶね)などで全国各地に運ばれていた。
京都では、明治時代にその「身欠きニシン」を使った淡い色の薄口ダシの「にしんそば」が名物になり、現在でも年越しそばとしてよく食べられています。
岩手県には、年齢の数と同じ杯数のわんこそばを食べる「年越しわんこ」の習慣があります。1人前は、わんこ7杯とも、15杯ともいわれます。
福井県の年越しそばは、お殿様が栽培を奨励し、名家老が食べ方を広めたと伝わるのが越前そばで、「冷やがけ」に辛味大根おろしをのせて食べるのが必須の「越前おろしそば」です。また辛味大根のおろし汁と生醤油で味わう場合もあります。
島根県のそばと言えば、3段重ねの「割子(わりご)そば」ですが、地元の人の年越しそばの食べ方としては、「年越し釜揚げ」が多いそうです。そばをゆで汁ごとお椀によそい、そこにカツオ節、ネギ、特産の十六島(うっぷるい)ノリをのせ、出雲そば独特の甘辛~い ! つゆを回しがけして熱々を食べるそうです。
各地方地方の「年越しそば」があり、元気ですこやかに新年を迎えたい言う、庶民のささやかな願いが、今でも思いが込められた食文化が根ついていますね !
ところで、かけそばやおろしそばのカロリーは、約320kcal程度。ローカロリーなので夜遅くに食べても安心ですよ !
天ぷらや鴨肉をのせれば、600~700kcalと、通常の1食分ぐらいです。
近年の調査で、大晦日に年越しそばを食べる人は 57.6パーセントにのぼり、風習として深く定着していることが窺えます。
そして「除夜の鐘」の音が!
年越しに鐘をつくという「除夜の鐘」とは、梵鐘の発祥地・中国で生まれた文化で、鎌倉時代に日本へ伝わってきたとする説が有力と言われています。
旧年を、除く日の夜につくから「除夜の鐘」
一年の最後にあたる大晦日は、「旧年を除き新しい年を迎える日」という意味からして「除日:じょじひ」と呼ばれ、つまり12月31日の夜は、除日の夜と言うことです。「除日:じょじひ」を縮めて、「除夜:じょや」と言うようになったそうです。
新年を迎えるにあたり、旧年の煩悩を取り除くために鐘をつくという風習が、『除夜の鐘』として日本の風土に定着し親しまれていますが、仏教の本場はインドでは、意外に除夜の鐘をつく習慣はないそうです。
万両と千両
中日新聞夕刊「夕散歩」に、名古屋の紅葉の見頃は、、
新型コロナウイルス流行後に四割弱の方が「体重が増」!
東京の製薬企業(ノボノルディスクファーマ)の調査によると、
外出自粛や行動制限が影響し、いわゆる「コロナ太り」か? 20才 ~ 75才の47 都道府県ごとに各 200人を抽出、全国の 計 9400人の回答を分析の結果 !
かなり増えた:11.9 % 少し増えたが:25.6 % 計 37.5 %
少し減った:10.6 % かなり減った: 2.3 %
変化がない: 45.0 % で最も多い結果です。
都道府県べつでは、
全国で 体重が増えた : 37.5 % でした !
ちなみに、肥満に関して、病院に行ったり相談したりした人は : 12.5 %
皆さんは如何ですか? もうすぐお正月ですね !寝正月なんて言ってたら危険度100%ですよ~~
さぁー 大掃除 !!
沢山の風物詩を感じながら荒ただしく年末がやって来ます。どこの家庭でも「大掃除」が年中行事ですね! 昔は12月13日を「正月事初め」とし、1年の汚れを落とす「すす払い」や「門松」などに用いる松を準備しました。これが現代の大掃除へと変わってきた !