「冬来たりならば 春遠からじ」
英国ロマン派、19世紀イギリス詩人シェリー 「西風に寄せる歌」の最末尾に、
つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来ると !
日本語に訳したのが上田敏だといわれていまが、しかし上田敏の訳詩集『海潮音』にも『上田敏全訳詩集』にも記載が見当たらないそうです。
あっという間にお正月が過ぎ、2月も過ぎてもう3月です。我が家の「まんさく」も花を付け、春の便りがそこまで !
春に他の花に先駆けて咲く「まんさく」は「まず咲く花」「まだ咲かないか」ということでその名がついたと言われ、また花が多いので「豊年満作」から命名されたとも言われています。 欧米では「魔女榛(はしばみ)」と名がついています。 花言葉は「幸福の再来」
3月12日は財布の日
貨幣の誕生と共に登場した財布!
秋に財布を購入するのは「秋(空き)財布」といわれてよくない! 暖かくなった春に財布を購入すると良いと言われていますね !
しかし、最近はスマホでキャッシュレス決済 ! 買物も電車もバスもカードで決済 ! 仮想通貨の登場や電子マネーの普及でキャッシュレス化が加速するなか、「お金」の在り方も変わりつつあります。財布の必要性が大きく変わって来ています。
財布の始まりは紀元前の最古の『エレクトロン硬貨』を入れるため !
財布の歴史は、お金と深く関わっていて、世界でもっとも古い硬金とされているのが、紀元前7世紀ごろ、現在のトルコ西部にあった『リディア』という王国で造られた金と銀からなる合金の「エレクトロン硬貨」です。
その『エレクトロン硬貨』を革の袋に入れて使用したのが財布の始まりという説が有力とされています。
リディア王の紋章であるライオンの頭部が打刻されたリディア金貨、通貨史での正式名称はエレクトロン貨です。
写真はネットより
遠い昔、まだ経済文化が未発達の頃、人々は「物々交換」をすることで欲しいモノを手に入れていましたが、物々交換には問題点があります。自分が持っているモノを相手が欲しがるとは限らないからです。このことから交換の仲だちをするものとして、比較的価値が下がりにくい塩や貝、布などをお金の代わりとして「物品貨幣」を使うようになります。その後、金・銀・銅などの金属が物品交換に使われるようになり「お金:硬貨」が考案され流通するようになります。
世界で最初の本格的な紙幣は、10世紀の中国で作られた「交子」だといわれています。当時流通していた銅銭の不足により発行されたものでしたが、製紙技術・印刷技術の発達していた中国だからこそできたお金といえます。そのため、作るのに技術が必要な紙幣が、世界で広く使われるようになるのはかなり後になってからです。
クリスマスローズの花咲きました 🥰
日本では、室町時代に渡来銭を真似た私鋳銭(しちゅうせん)が大量に造られ、真ん中に穴が開いた硬貨を紐で束ねて持ち歩いていたようです。<私鋳銭とは:民間で鋳造した銭貨です>
日本で最初に作られた貨幣は708年(飛鳥時代:和銅元)発行の「和同開珎」とされていましたが、それより前に「富本銭:ふほんせん」が作られていたことが確認されています。
では財布は? 小判や藩札(紙幣)が発行された江戸時代は、袋の口を紐で縛る「巾着」や、鼻紙や薬などを持ち歩くための布や革製の「紙入」(鼻紙袋とも)が財布として使用されてた。
「巾着」は、もとは火打道具を携帯するための「燧袋:ひうちぶくろ」でした。そして 「紙入」はちり紙にしたり、詩歌などを書いたりする懐紙入れが変化したものと考えられています。
他に紙入の一種で楊枝なども入れられる「三徳」(さんとく)、小物も入るほど大ぶりの「どんぶり」、弾丸入れとして用いられていた腰に提げる「胴乱」(どうらん)などの用途としていた物が「財布」として利用されたようです。
画像はネットより
江戸時代後期、『江戸買物独案内』には、「さいふ」を扱う小問物屋や袋物所が100軒以上掲載されています。
デザインのバリエーションも豊かで、錦やビロードといった高級織物や籐が素材に使われ、細部の留め具にもこだわったおしゃれな「さいふ」が江戸っ子たちに支持された。
江戸土産としても買い求められ、「さいふ」文化は江戸時代に開花する。
ちなみに江戸時代後期、そば1杯が16文の時代に、巾着の値段は372文、紙入は2000文以上したようです。
「さいふ」のルーツは、手形のことだった !
「さいふ」という言葉が「金銭を入れて持ち歩く袋」を指すようになったのは近世以降のことであり、鎌倉時代後期、遠隔地への送金手段だった替銭(かえぜに/かわし)を行う際の手形を『割符(さいふ)』と呼び、割符屋と呼ばれた業者が現金を預かり、割符を発行して送金していた。それが次第に「銭入れ」を意味するようになった。
江戸時代、金貨をつくる機関のことを「金座」、銀貨をつくる機関のことを「銀座」と言われていた。現在の東京都中央区銀座の「銀座」はそこからきています。では「金座」の地名は残っていませんが、日本銀行本店は金座の跡地に建てられています。
日本発祥と思われがちな「がまぐち」は、
日本にがま口を伝えたといわれる山城屋和助は、兵器の輸入のためにヨーロッパやアメリカを巡っている際、当時フランスで流行していたがま口の鞄やサイフを日本に持ち帰ります。
フランスで流行していたがまぐちのカバンや財布を真似して売られ始めたもので、当初は口金に真鍮を使っていたため高価でしたが、安価な溝輪金の口金が登場すると庶民のあいだでも大流行しました。
写真はネットより
「がまぐち」の由来は、その口金の形状がヒキガエル(別称はガマ)の口に似ていることから「がまぐち」と呼ばれました。また仏法の力で悪魔を降伏させる「降魔」(がま/ごうま)の意味もあります。
カエルを連想させることから「お金が帰る」と言われ、縁起が良いと言われています。
写真はネットより
現金離れが進み、財布を持ち歩く機会が少なく生活できるようになったものの、いざというときのための現金や、免許証や頻繁に使うカードを持ち運べるスマートなミニ財布やマネークリップが、これからの時代のスタンダードになっていきそうです
漢字の中でお金や財産のことを表す「財」「貯」「買」「貨」「贈」「賭」などの文字には、どれも「貝」という字が使われています。これは、古代の中国で貝殻がお金のかわりに用いられていたからです。
マリーゴールドの花です
屏風の数え方をご存知でしょうか。「六曲一双」こんな言葉聞いたりしますね、「曲」は折れ曲がらせて繋いだ絵の数です。そのパーツ1枚の面を「扇《せん》」と呼びます。 右から順に第一扇、第二扇と数えて一番左が第六扇で、この複数の扇がつながった屏風が一隻《せき》です。
六扇を会わせたものを半双と呼び、二つの半双が合わさったものを一双と呼びます。
一つの半双だけで構成されたものを一隻と呼びます。
それぞれの置かれるべき位置から、右隻、左隻と呼びます。
美術館でホンモノの屏風絵を見たくなってきませんか?
もう春がそこまで、近くの小学校の櫻が、なんとなく全体がピンク色になってきました。138タワーパーク沿いの木曽川堤には、樹齢100年を超える見事な桜並木が約4kmも続いています。開花予想は4月23日頃と発表です。 Marui 3月1日 UP