「郡上おどり」は、 江戸時代から約420年間、歌い、踊り継がれて、 今年も、7月13日(土)1万人余の参加者で初日を迎えました。
今年の夏も下駄の音が響き渡る !
開催日:2024年7月13日(土)~9月7日(土)延べ31夜開催される長期間のお祭りで、
特筆すべきは、8月13~16日の夕方から明方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会:徹夜踊り」です。
唄いだしに、なぜか哀調があり多くの別れを忍びながら踊る ! 「かわさき」 雨も降らぬに 袖しぼる、、、
<写真はネットより>
歌詞の意味やルーツについては諸説ありますが、
1754年の郡上一揆のとき、当時の藩主・金森氏の圧政に苦しんだ農民が極刑覚悟で老中に駕籠訴をするため江戸へ向かう際、残していく家族や仲間、恋人とのつらい別れを唄ったとする説が有ります。
「かわさき」は三重県伊勢市の「河崎(かわさき)」のことで、江戸時代にお伊勢参りの玄関口として栄えた港町です。 全国から参拝客が集まるお伊勢参りを通じて当地の古市(ふるいち)遊郭で、遊女の遊び歌が郡上八幡へ伝わり、郡上おどり『かわさき』のルーツとなったとする説が有ります。( 遊女と旅人の別れを唄ったとも!)
江戸時代に伊勢参りに行くのは、現代と異なり大変な日時と費用が掛かりました。 旅も安全でなく家族や親類縁者と水杯を交わして別れを惜しみ旅立つたとの話しも有ります。
2ヶ月の旅で1日300文必要だったと仮定し、300文×60日=18貫
現在の価値にして50万円前後のお金が掛かりました。
十返舎一九の大ヒット『東海道中膝栗毛』には、弥次郎兵衛と喜多八のお伊勢参り珍道中が描かれます。
江戸時代の国学者本居宣長の『玉勝間』によると、1625年閏4月9日から5月29日までの50日の間に合計362万人が伊勢参りしたと記録があります。
どの説でも「雨も降らぬに 袖しぼる」が「涙の別れ」を意味しているという点は共通していますが、問題は、誰が誰との別れを涙したかということですね!
『民謡手帖:竹内勉著 駸々堂出版.1989年刊』には、郡上おどり歌詞の意味として、それぞれ歌の1番部分の意味が以下のとおり記されている。 「かわさき」 郡上八幡をあとにして他国へ出ていく人は、必ずといってよいほど、別れがたくて、寂しさ、悲しさのため、雨も降っていないのに、涙をふいた袖がぐっしょりと濡れてしまうので、そっとしぼって水をきっている。 それほど郡上はいいところであると記述あり。
「郡上一揆」は、江戸中期に美濃国郡上八幡(現岐阜県郡上市)で宝暦年間に発生した大規模な百姓一揆です。百姓側の犠牲だけでなく、郡上藩主金森氏が改易され老中、若年寄といった幕閣中枢部の失脚という異例の大量処分など大きな爪痕を残した一揆です。
これにより、百姓側も首謀者らが打首獄門となってしまい、領内も立百姓側と寝百姓側の因縁が残るなど大きな傷を残しました。
金森家の改易後、丹後国宮津藩から青山 幸道(1758年12月27日)が美濃郡上藩に移封され初代となります。 7代藩主青山幸宜(1863-1871)は最後の藩主となる。 青山家が疲弊した領内を慰撫するために盆踊りを奨励したことが、郡上おどりの起源ともいわれています。
我が家の朝顔
郡上おどりのルーツには、諸説あり定かではありませんが、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事は仏教と深くかかわり、踊り自体は祖霊を供養するものとして平安時代に広がった念仏踊りが始まりだとされています。
具体的な盆踊りについての記録は19世紀まで出現しないため、江戸時代中期以前の盆踊りの様相を知る術はありません。しかし、少なくとも藩の緩和的な政策により、郡上おどりの基盤が幕末までには整っていたことが分かっています。
昭和20年の終戦の日ですら、英霊の御霊(みたま)を慰めるために踊ったという事実も残っています。先祖代々、どんな時代にも常に心の拠り所として受け継がれてきた「郡上踊り」です。
ポーチュラカの花、夏の暑さに負けることなく開花する。花言葉には、いつも元気・無邪気・可憐・自然を愛する
今では「郡上おどり」は、徳島の阿波踊り、秋田の西馬音内盆踊りと合わせて「日本三大盆踊り」とされています。
郡上踊り」は徳島県の「阿波踊り」秋田の「西馬音内(にしもない)盆踊り」とともに日本三大盆踊りの一つに数えられ、1996年(平成8年)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
また、「郡上踊り」「阿波踊り」青森県黒石市「黒石よされ」を三大流し踊りと言います。
中世の「念仏踊り」や「風流踊り」の流れから来ているといわれ、盆踊りとしてのかたちが確立したのは、郡上藩主の奨励によると伝えられてきました。
「かわさき」「春駒」「三百」「ヤッチク」「古調かわさき」「げんげんばらばら」「猫の子」「さわぎ」「甚句」「まつざか」の10曲があり、対応する踊りは、それぞれ異なります。
昭和48年(1973年)には「古調かわさき」が国の無形文化財に指定され、平成8年(1996年)には、全10曲が国重要無形民俗文化財の指定を受けています。
踊る曲の順番は日によって違いますが、最後に踊る曲は「まつざか」です。
「まつざか」は拍子木(ひょうしぎ)と唄のみを伴奏にして踊る曲で、終わった後は拍子木を懐に入れて帰って行くことができ、片付けの手間がいらないため。
従って、三味線などは「まつざか」の前の曲が終了した時点で片づけの準備に入れることとなります。
ハナキリンの花
東京「青山」で、郡上おどりが開催されます。 東京都 港区にある「青山」の地名は、郡上八幡城主・青山家の江戸屋敷があったところでその名称が付いています。そして青山家の「菩提寺 梅窓院:ばいそういん」であるというご縁から、平成6年(1994年)から本場の「郡上おどり保存会」による、お囃子による郡上おどりが開催しされています。
毎年6月に郡上市から郡上おどり保存会が来訪し、郡上節の生演奏により本場さながらの踊りが披露されています。愛好者が各地から集まり、期間中会場は踊り手で溢れています。
踊る開始前には簡単な講習会も行っているので、早めに現地へ行くのがおすすめです。 同時に郡上市の物産展も催される。主催者は青山外苑前商店街振興組合です。
郡上白鳥町でも、7月9日夜 古くからの盆踊りの姿を今に伝える国選拓無形民俗文化財「拝殿踊り」が始まります。
白鳥町は美濃馬場や白山中宮長瀧寺を中心に、白山信仰と共に栄えた町で、格調高い白山信仰の流れを汲む唄と手拍子、踊り子の下駄が鳴り響き三味線も笛も太鼓もない。 江戸時代の中頃から先祖代々伝わってきた素朴な踊りを、そのまま継承しているのが白鳥の「拝殿踊り」です。
「拝殿踊り」は、信仰に深く根差した踊り、労働に関わる踊り、お座敷踊りなどがあり、伝承されてきた時代に差はあるものの、発祥地では途絶えてしまった踊りが、この地に比較的良好に、10種類程度まとまって、お盆時期に『拝殿踊り』として伝承されている」と、歴史的価値が高く評価されています。
ベコニアの花
中日新聞 「中日春秋」欄より、
『歴史的に、集団で何かを楽しむ民衆はお上に警戒される。 例えば盆踊り、熱狂が一揆に転化せぬと恐れられたらしい。阿波踊りとして知られる徳島の盆踊りでも、江戸時代に徳島藩がお触れを出した。踊りは特定の3日間とし、家臣はその間外出禁止で踊りたければ屋敷で踊ることを指示した。禁止を破り幽閉された家臣もいたという。 治める側は熱狂と一線を画すべしとゆうことなのか? 盆踊りは男女が出会う場。明治期には「風儀の乱れ」などを理由に各地で禁止が出た』と記載が、
「郡上盆踊り」も例外でなく、
江戸時代初期に全国的に盛り上がりを見せた盆踊りですが、次第に風紀や秩序の乱れを危惧する幕府によって危険視されます。そして1685年に盆踊り禁止令が江戸で公布されたのを筆頭に、多くの藩は盆踊りを抑圧されました。
1874年には、岐阜県によって盆踊り禁止令が公布されるのを皮切りに、手踊りや豊年踊りといった民俗芸能が禁じられました。
明治天皇の崩御によって3年間自粛する。その後、盆踊りを再開しようとした人々ですが、八幡警察署長である和田茂が風紀上問題があるとして干渉します。
特に1918年に富山で米騒動が勃発すると、波及することを恐れた署長による弾圧はより一層激化する。さらに翌年に町で起きた大火事とそれに伴う自粛が追い討ちとなり、郡上八幡での盆踊りは今まで以上の危機に陥ります。
この状況の中、伝統を絶やしてはならないという人々の情熱によって郡上おどり保存会が1922年に発足。卑猥な歌詞や踊りを改めるなど、盆踊りを「近代的」で「健全な娯楽」へと変容させるために奔走します。
同時に後任の中西久五郎署長との粘り強い交渉の末、翌年7月にはついに承認を得ることに成功します。
郡上八幡では、お盆の3日間において踊ることが認められ、城下の人々は地元の寺社の縁日に境内や付近の通りで踊りを楽しむようになります。お盆を含めて7日間開催されるようになり、今日における「七大縁日」の原型となります。
「七大縁日」以外にも踊りの日程を組むことで、最終的には30夜以上に渡って行われる長丁場なイベントになります。この様な取り組みによって、郡上おどりは「城下町の盆踊り」から「郡上八幡を代表する文化的価値のある民俗芸能」へと変貌を遂げただけでなく、1996年には国から重要無形民俗文化財に指定されたのです。
下駄の音鳴る夜の闇、踊ってなんぼの郡上おどり!
現在多くの人々に愛されている郡上おどり、その歴史は「伝統を絶やしてはならない」という情熱と意思が、郡上の人々によって守られ大きな素晴しい歴史文化が引き継がれて来ました。
音頭や囃子に合わせて手拍子を整え、下駄を鳴らしながら踊る姿は壮観です! 特にお盆4日間の「徹夜おどり(徹夜踊り)」では、七重八重の輪が広がり、郡上おどりならではの一大絵巻が繰り広げられます。
中日新聞より、(7/11 夕刊)
伝統郡上おどりのまちに、この地に暮らす俳優 近藤正臣さん6月に若者を巻き込む「寄席」を仲間と開きチケット完売する。その名も「郡上種まき寄席」。
昨年まで上方落語の会は毎回盛況!でも高齢者が多数! これからは若者の心に「種」をまこうと! 地元の中高生を招き運営を任せ、高校生以下の木戸銭を千円に抑えプロの落語家、三味線演奏者を迎えた。近藤さんの夢は大きく「地元の高校に落研(落語研究会)が出来たら」と「まいた種」が芽が吹き花開くと信じて、郡上のあちこちで寄席を開き新しい芸能文化をめざす。 と記述あり!
「夕歩道」に、
2024年産の新米が値上がりする見通しだ。鹿児島など九州南部で始っている早場米の出荷価額が、昨年に比べて4割から5割高くなっており、全国の新米価額に影響する恐れが強いという。
価額高騰の背景には、やはり気候変動があるようだ。昨年の夏の猛暑の影響で23年産の流通量が減少、インバウンドによる和食需要が重なって新米の争奪戦が早くも激しくなっているらしい。
思い出すのは、1993年に起きた「平成の米騒動」と呼ばれるコメ不足。あの時は冷夏の影響だったが、この夏は昨年並みの猛暑の予想。冷夏であれ、猛暑であれ「令和の米騒動」は願い下げですね!
ほかに、
笑っていいのか悪いのか? 大阪府が始めた「高齢者の孤独感解消」を目的に生成AIの会話サービス、難関山積の大阪万博の件で尋ねてみると、あろうことか『残念やけど大阪万博は中止やね』という答えが返ってくる! (>_<)
欧州メディアが、中国の習近平主席は「良い指導者か?」とチャットGPTに質問、 答えず!と (?_?)
「生成AI」という用語が登場したのがまだ今年の3月頃、その代表格の「チャットGPT」が公開されたのが昨年の11月頃で1年にもならないのだが!? 人間社会を翻弄され随分振り回された! 速くAIの対応社会を確立し取り入れないと!
花の都、第33回 夏期パリ五輪がセーヌ川中心とする会場にて、7月28日に開幕! 心配されたテロが26日朝、フランス高速列車TGVの線路網に大規模な破壊行為が発生!緊張高まるなかで式典パレードは無事終了!
パリ五輪は100年ぶり3度目で、史上初めて出場枠の男女同数が実現。 約1万1千人の選手が8月11日までの17日間・329種目で争われる。
日本金メダル1号は、柔道66キロ級 安倍一二三選手、残念妹の詩選手は2回戦で敗退し兄妹での金メダル獲得は出来なかった。ほか日本選手のメタル獲得の朗報が次々とあり、毎日暑く、熱い戦いに寝不足が続く、(>_<) 8/1 UP