日本には春夏秋冬があり、四季折々の行事や年中行事があります。
10月は「神奈月(かんなづき)」と呼ばれ、神様を祭る月です。
出雲大社に全国の神様が集まり、各地の神様が留守になる月という説があります。
逆に全国の神様たちが集まる出雲の国では「神在月(かみありつき)」といいます。
また、二十四節気では10月8日頃を寒露と言われ、秋の長雨が終わり草木に冷たい霜が宿り始めるころとされています。 朝晩は冷気が冷たくなり、紅葉が色濃くなる時期です。
そして、「金木犀(きんもくせい)」が咲くころで、「金木犀」は「沈丁花」「クチナシ」とともに「三香木」のひとつとされています。
しゅうめいきく(秋明菊)の花が咲くのは、9月~11月、夏が終わり初秋の風が吹き始めた頃から咲き始めます。
平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』には、四季の歌を春夏秋冬の順にあわせて収録されており、この歌は秋の部の巻頭歌に選ばれています。
『 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかねぬる 』 藤原敏行
秋が来たと目にははっきりとは見えないけれど、風の音にハッと秋の訪れを感じておどろいた。
作者の藤原敏行は、平安時代前期の貴族・歌人・書家で和歌の名人とされた三十六歌仙の一人でです。
夏から秋に季節が移るのが眼に見えないが風! そして眼に映る雲の姿からも秋を感じることができます。
刷毛で掃いたようなすじ雲(巻雲)は空気が澄んだ晴天の日に見られ、うろこ雲(巻積雲)やひつじ雲(高積雲)は低気圧や秋雨前線が近づくと見られ雨のふるのを察知できます。
昔の人はそんな風や雲などに敏感で、自然に対する知識も豊富だったようですが、 現代人ならば数時間後のお天気はアプリを見ればすぐに分かるから知らなくて当たり前かもしれませんね!
ホトトギスの花 日本の特産の花で、風情がある山野草です。
名前はの由来は、花びらのまだらな斑点模様が、鳥のホトトギスの胸から腹にかけての柄に似ているからです。
また、一年で最も「月」が美しく見えるのも秋!
単に月を愛でることは古代からあり、名月の日に月を観賞する習わしは平安時代に中国から伝わりました。
当初は平安貴族が「観月の宴」を催すなど大変風雅なお月見でした。それが江戸時代に月見が庶民に広がると、お月様に秋の収穫物を供え、名月を観賞しながら実りに感謝する習慣が生まれました。
お月見といえば十五夜が定番ですが、他にも「十三夜(じゅうさんや)」「十日夜(とおかんや)」というお月見行事があります。
記録に残る日本で初めての月見の宴は、
894年には遣唐使が廃止され! それまで大陸の圧倒的な影響のなかで、やっと日本的な文化が芽生え、 919年 醍醐天皇の時代に催された。
なぜか中秋の名月(八月十五夜)ではなく、九月十三夜の月見で、九月十三夜の月を愛でる慣習は中国にも朝鮮にもなく、日本独自のものだそうです。
遣唐使を廃止し、日本文化を重んじた時代らしい選択といえるのかもしれません!
『古今和歌集』平安時代(905~912年完成)日本最初の勅撰和歌集で、醍醐天皇の勅命により編纂 歌は1,1000首 20巻 特徴は優雅で美しく女性的な感じられ、五七調から七五調への移り変わりがみられる。 (紀貫之らが編集)
月影も雪かと見つつ弾く琴の 消えて積めども知らずや あるらむ 紀 貫之
「月の光も雪かと眺めながら、あなたが弾いている琴 あたかも雪が消えては積もり、消えては積もりするように、私の心に琴の音が積もってゆくけれども、あなたはそれを知らないのだろうか」
紀 貫之 は、平安時代を代表する大歌人であり、勅撰集を代表する「古今集」を編んだことでよく知られています。宮中においては恋愛の道具でしかなかった和歌を、文学作品にまで高めました。「土佐日記」の著者です。
天の原ふりさげ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも
安倍仲麿 <遣唐使>
「大空を振り仰いで遥か遠くを眺めると、今見ている月は、かって奈良の春日にある三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ」
安倍仲麿は、717年、17歳で留学生として唐に入り、753年、帰国の途につくが船が難破し果たせず、ついに二度と日本の土を踏むこと無く逝った望郷の歌です。
『古事記』は、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上される。
日本書紀では、月の神様として「月神:つきのかみ)」・「月弓尊:つくゆみのみこと」・「月夜見尊」「月読尊」(ともに、つくよみのみこと)などと記載されていますが、みな、同じ神を指しているようです。古事記では、夜の国を治める「月読命:つくよみのみこと」と書かれています。
◆ 日本最古の物語と言われる『竹取物語』は、平安時代中期950年位の時期に書かれたと考えられています。原文とされる漢文の文章は残っておらず、最古の写本とされているのは室町時代のものです。 作者は不詳
子供の頃から、 童話や絵本で必ず一度は読んだことがあると思います「かぐや姫」十五夜の月に帰るお話しですね!
◆ 平安時代末期には、日本最大説話集1000話を超え「月にはうさぎが、、」と語りつがれた来た話しが! 『今昔物語』31巻(8.18.21巻欠)編纂されてる。
月は、直径 3500Km(地球の4分1です)温度は、およそ110℃ ~ 170℃ 重力は、地球6分の1 大気はほぼ無 地球との平均距離は38万4399Km にある天体です。
地球誕生の時には月はなく、火星ほどの大きさの天体が衝突して偶然できたと言われています。月の誕生によって地球の自転速度が遅くなり、潮の満ち引きによって生命が誕生しました。
人類にとって月は大切な天体。秋を感じ眺める月は最高に良い季節ですね!
伝統的な「十五夜」(中秋の名月)、「十三夜」、「十日夜(とおかんや)」の日付とともに、それぞれの由来や楽しみ方があります。
今年の十五夜は9月17日でした ! 月見の日付は毎年変動します。
中日新聞 夕刊に、今年の十五夜(中秋の名月)は、東京では午後5時25分に月の出となり、地球と月の距離が358700Kmで、例年の中秋の名月に比べ少しだけ大きな名月が見られました。(月と地球までの距離384399Km ー 358700Km=15699Km 近くに!)
十五夜とは、9月15日だと思われる事が多いですが現在は暦がずれて9月7日から10月8日までの間に見える満月を十五夜と呼び、中国から伝わった月見を取り入れ、平安貴族が観月の宴(月見の宴)を催して風雅を楽しむようになった。
やがて月見が庶民に広がると実りに感謝する意味が加わり、「中秋の名月」と呼ばれ、芋類の収穫祝いをかねているため、「芋名月」という異名があります。
満月に見立てたお月見団子やススキを魔除けとして飾り、美しい満月をゆっくり見て楽しみます。
そして、昔から「お月見どろぼう」という習わしがありますがご存じでしょうか?
「お月見どろぼう」は江戸時代頃からみられる習わしで、昔は、縁側や庭に供えられた月見だんごを子ども達がこっそりとって行きました。 長い棒で月見だんごを突いて刺し、盗み食いする子が多かったそう。 地域によって、「団子盗み」「団子どろぼう」「団子突き」などの呼び名があります。
お月見どろぼうとは、お供えものを近所の子どもが盗み食いする習わしで、とられた家は、怒るどころか縁起が良いとされています。
十五夜の翌日に見る月は、十六夜(いざよい)の月と言われ、これも日本古来から月を楽しむ文化ですね! (^_^)
画像はネットより
ススキの開花は気象庁の生物季節観測の対象で各地の記録があります。名古屋なら、ひと昔前は8月中の開花もあったが、昨年は10月4日で平均値は9月23日とあります。東海地方も猛暑続が原因か? なにかしら青々としたススキですが、所々で白銀の花穂がみられ暑くても季節の移り変わりが感じますね!
「こころみに 四、五本出たり 初尾花」 正岡子規
今年の十三夜は、10月15日です。
十三夜は十五夜に次いで美しい月だといわれており、昔から多くの人々に親しまれて、とても大事にされてきました。 どちらか一方しか月見をしないことを「片見月」「片月見」といい、縁起が悪いとされています。
なぜ日本では、この日の月を愛でるようになったのでしょうか? その理由は、あいにくハッキリとは分かっていませんが、
醍醐天皇の時代・延喜19年の9月13日に、清涼殿にてお月見の宴が催されたことが始まりではないかと考えられています。
寛平法皇(867~931)が十三夜の月を称え「今宵の月は 並び立つものがないほどに 美しい」という詩を詠んだから、という説もあります。
「十五夜」のお月見が中国伝来なのに対し、「十三夜」は、日本でうまれた風習だといわれています。
栗や豆の収穫祝いでもあるため、「栗名月」「豆名月」とも呼ばれています。
お月見をする際は、月見だんご(13個または3個)、すすき、栗や豆などの収穫物を供えて楽しみます。
十五夜は中国伝来で当初は貴族の風雅な娯楽でしたが、民間に広がると実りに感謝する意味が加わり、十三夜、十日夜にお月見をするようになったといわれています。
十日夜(とうかんや・とおかや)知らないという方も多いと思いますが、日本の伝統的な収穫祭であり、特に関東地方や甲信越地方で広く行われています。西日本では「亥の子(いのこ)」と呼ばれる似たような収穫祭があります。
この行事は旧暦の10月10日に行われるため、新暦では毎年11月に開催されることが多く、今年は11月10日(日)に行われます。
特に十日夜は、収穫した稲や餅を田の神に供え、特に大根は重要な供え物であり、大根の収穫を祝う「大根の年取り」の習慣があります。地域によっては大根を使った料理が供えられ、その後家族で食べられます。
月の光は、0.1ルクス(一般的な日中の部屋は100~200ルクス)という微少な光なのです。そんなわずかな月の光が私たちの地球を照らしているのです。
ぜひこの機会に月の魅力、月が私たちにとって特別な存在であることを知って、お月見を楽しんでみてください。
2024年ハロウィンは、10月31日(木曜日)
お月見どろぼうは、わかりやすく「和製ハロウィン」「ハロウィンの日本版」などと称されることもありますが、日本では「お月見どろぼうのほう」がずっと古い習慣です。
10月31日 ハロウィーン:最近では仮装で楽しむ文化も一般的になり各地で大人も子どもも仮装パーティーを楽しむようになりました。
元々は魔物の仮装をして、魔物たちに仲間だと思わせ身を守ろうとする事からハロウィンの仮装文化は始まったと言われています。
さつまいもの日 10月13日 さつまいもを13里と呼ぶことから芋の名産地である川越いも友の会が制定されました。
NHK大河ドラマ 「光る君え」2024年9月8日(日)放送にて、
画像はネットより
藤原道長により、土御門邸で開催されたこの行事を再現され放映されました。
日本では、「日本書紀」に、顕宗天皇元年(485年)3月に宮廷の儀式として行われたのが初見されるが、ただし(701年)まで途絶えその間も行われていたかは不明です。 平安時代には朝廷や公家の間で行なわれた年中行事の一つ。「ごくすいのえん」「めぐりみずのとよのあかり」ともいう宮中や貴族の屋敷で陰暦3月3日に行われた行事です。
そして、撮影までの舞台裏が、同局のドキュメンタリー番組「100カメ」(総合)で、 9月12日に特集で放送された。
すべて室内にて、曲がりくねった曲水はすべてセットで制作し再現 !
防水シートを敷き、ポンプで水流、苔も張り付けなど 苦戦の連続でテスト!
(4枚の画像は、すべてネットより)
杯を乗せる水鳥の形を模した羽觴(うしょう)は発泡スチロール製で3体を制作されて、1体はリモコン操作が出来るもので苦労して制作されたが本番は使用せず!
SNS上には「アヒル隊長(パイロット社のお風呂の玩具キャラクター)みたいなおもちゃ」「お風呂のおもちゃみたいなのが流れてる」「今日の見どころは曲水の宴のアヒル隊長」「曲水の宴の再現度が豪華」「曲水の宴がまさか実演で見られるとは」などの声が上がった。
庭に作られた人工の川の流れにのって鴨の人形が流れ、貴族たちは酒をたしなみながら詩も詠む宴、まさに日本の美が凝縮されていて、目を奪われた方も多かったと思います。 NHK 凄い! 裏方の苦労も凄い!
2024年3月3日、太宰天満宮で宮中行事「曲水の宴」が再現され開催された。平安絵巻さながらの「曲水の宴」を復活された。今年で60回目を迎えました。
(ネットより)
十二単(ひとえ)などの平安装束を着た13人が、ゆらゆら流れる杯を見つつ、短冊に和歌をしたためられ、古式豊かな宴が再現された。
最近、赤とんぼ(アキアカネ)の大群が飛んでいるのを見て、やっと秋が、!
アキアカネは名前の通り、秋を代表する昆虫で、通称「赤とんぼ」の名で呼ばれているトンボのひとつです。また赤とんぼと呼ばれているトンボはアキアカネの他にもナツアカネなどがいますが、一般的にはこのアキアカネだけを赤とんぼと呼ぶ事が多いそうです。
赤とんぼと言っても、真っ赤になるのは、成熟したオスだけで、成熟するに従い赤くなります。この色の変化は、オモクロームという色素の酸化還元反応によって起こることが明らかになっています。頭の部分は赤く染まらずに、腹の部分が特に赤くなる事などが挙げられます。 未成熟のオスや、メスは、黄色っぽい色をしています。
日本では古くから、アキヅ・アキツ・秋津を赤とんぼと呼ばれ、その名の由来は?
・日本ではトンボは古来、秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれた。
・神話において、神武天皇が国土を一望して「蜻蛉(あきつ)のようだ」と言った。 ・なぜ「トンボ」と呼ばれているかは定かではない。
・「飛ぶ穂」や「飛ん棒」から派生?
・蛇に危険が近づくとトンボが、それを蛇に知らせるという迷信もあります。
・西洋においてはトンボは基本的には不吉な虫と考えられた。
・平安時代、透明な翅でふわふわ飛んでいる虫をすべて「カゲロウ(蜻蛉)」と呼んでいた。 (蜻蛉日記など)
・分類的に、蜻蛉(トンボ)と蜉蝣(カゲロウ)は違う種類です。 ややこしい!?
初秋に突如群れをなして飛来するところから、祖霊が姿変えてを来たとの俗信があり、捕ることはしなかった。捕った時は「盆と正月に来い」と言って放つ風習があった。
我が家から、夕焼け!
長く暑い夏の終わりがようやく見え、過ごしやすい気候になってきた! 我が家の食卓にも「ちいさい秋が!」秋刀魚が登場です!
それにしても、今年の猛暑には参りましたね! アイスクリームの2022年度 (22年4月~23年3月)市場規模が、前年から約5%プラスの5534億円となり、値上げ後も販売物量は前年上回り、3年連続で過去最高を更新したと新聞記事に、
日本人とアイスクリームの出会いは江戸末期のこと。1860年、万延元年に幕府が派遣した遣米使節団。彼等が日本人で初めてアイスクリームを賞味しました。船中での晩餐にアイスクリームが供されましたが、見たこともない美味な菓子を驚嘆し目を丸くしたと伝えられています。
「珍しき物あり。氷をいろいろに染め、ものの形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、まことに美味なり。之をアイスクリンといふ」
と、外国奉行新見正興の従者柳川当清の「航海日記」に記述が、
そして明治2年(1869年)、日本で最初のアイスクリームが横浜で作られます。文明開化の波に乗り、日本のアイスクリームの歴史が始まりました。
65年前の9月26日、東海地方を襲った「伊勢湾台風」死者5,098人を出し甚大な災害が生じたました。当時高校3年生で自衛隊員の方と災害地に! 散在するゴミの山を公園空き地に集積したり、現地の住宅、道路周辺に石灰を散布など、2日間学校を通じ復旧活動に参加! お昼はおにぎり2個が支給された。
テレビ、新聞で能登半島の被害のニュース報道に、当時の「伊勢湾台風」被害状況が彷彿する。 早い復興を願うばかりです。 m(_ _)m 10/1 UP