11月 英語の月名 『November』 は、ラテン語で「第9」という意味の「novem」に由来しています。 しかし実際の月の順番からずれている ?
紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算からで、3月から数えて9番目という意味です。
秋の風にそよぐように咲く姿には風情があります。
キンポウゲ科の植物で、花が咲くのは9月~11月、夏が終わり初秋の風が吹き始めた頃から咲き始めます。原産地は中国で、花言葉は「薄れゆく愛」「忍耐」です!
最近の「スマホ」のカメラ機能がよく若い方ばかりで無く、高齢者の方も簡単にはい!パチ、パチ!と手軽に撮影が出来ますね (^^)/~~~
すでに後期高齢者を迎えた私の古いアルバムの1頁には、お稚児さん(5歳)の写真が貼られています。 これが私の一番幼少期の写真で町の「写真屋」で撮った記念写真です。今の時代と違いカメラが高価で、写真機はそれから数年後に兄が購入しました。
11月に入ると、どこの神社・お寺でも七五三のお祝いで「スマホカメラ」が大活躍ですね!
中国で奇数「七・五・三」が縁起のよい数とされたところから、成長の節目の年の数が、そのまま行事の名称になったとされています。
江戸の昔、子どもの死亡率はとても高く、「七五三」は子どもの健康と長寿を祈る大切な成長の節目の行事とされ、今に受け継がれてきました。「七五三」が11月15日とされたのは、江戸時代の将軍・徳川綱吉が徳松君と呼ばれた幼少の頃、この日に祝儀を行ったことから、式日とするならわしになったと言われています。
当時は江戸の関東圏のみで行われていた地域的な行事でしたが、
江戸時代あたりまでは7歳を迎えると一人前であると認められていた。 そのため、7歳を迎えるまでにやってくる縁起の良い奇数3、5、7にお祝いが行われていたと言われています。 七五三は晴れ着を着て神社・お寺で行うため、神様に子供の健康を願う意味で庶民、皇族を問わず行われていたようです。
七五三の髪飾り、「水引飾り」
昔は、髪を伸ばし始める3歳に「髪置き」の儀式が行われたと言われています。菱餅カラー三色で彩った「ピラかんざし」は、子供の晴れ着を、より華やかな装いにします。
(ネットより)
「ピラかんざし」:京水引の「鴇色:トキイロ」・「青苔:アオコケ」 そして花水引きの「鳥の子」などがあります。
発祥の地である関東では、七五三はそれぞれ次の年齢で行われます。
* 3歳(男の子・女の子):「髪置き」こどもが髪を伸ばし始めるときの儀式
* 5歳(男の子):「袴着」男の子がはじめて袴をつける儀式
* 7歳(女の子):「帯解き」女の子がはじめて帯を結ぶ儀式
しかし地方によって年齢が違っていることも有ります。
出雲地方では、3歳、5歳、7歳は厄の年であることから、七五三を厄払いするという考えもあります。また年齢ごとに神様へ報告・祈願する意味が有ります。
福岡県のある地では、七五三、十三詣りと言われ、13歳の数え年になったときにお祝いをします。
近年では性別を問わず、男の子・女の子ともに3回行うのが一般的になっています。
水仙のは名
七五三には「千歳飴」が欠かせないですね!
「千歳飴」の由来は諸説ありますが、江戸時代(1603年~1868年)の徳川綱吉(五代将軍)の時代に、浅草で飴売りをしていた七兵衛という男が、 紅白の棒状の飴を「寿命糖(じゅみょうとう)」や「千年飴(せんねんあめ)として売り歩いていたのが始りと言われています。
当時貴重だった砂糖を使うことから、お祝い事のときのみ食べられたお菓子です。
(ネットより)
その後、七五三のお祝いに用いられ「千歳飴」と呼ばれるようになった。 千歳飴は文字通り「千年」「長い年月」という意味を込め、子供の長寿を願うためのお菓子です。
水仙が咲いた!
もォー! 来年の話です >"<
2025年後期のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)は小泉八雲の妻 小泉セツを主人公のモデルにした『ばけばけ』に決定されたと新聞記事に、、
松江の没落士族の娘・小泉セツ(1868-1932)がモデルで、外国人の夫・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と共に、「怪談」を愛し、急速に西洋化が進む明治の日本で埋もれてきた名も無き人々の心に光をあてた夫婦の物語と紹介されています。
朝ドラのキャスティングはまだ発表されていませんが、誰が主役の小泉セツに?
楽しみですね!
画像は小泉八雲と妻セツ(ネットより)
今年の9月26日は『怪談』を世界に紹介したギリシャ人、小泉八雲(1850-1904)が亡くなってちょうど120年目に当たります。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1890(明治23)年にアメリカの出版社の通信員として初めて来日しました。そもそも日本に惹かれてやってきた動機の一つは『古事記』を読んで興味を持ったことにあるそうです。
1890(明治23)年8月に来日後、ハーンは出版社との契約を破棄し島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任します。その後、熊本・神戸・東京と移り住み、欧米に日本文化を紹介する多くの著作を残しました。
そして、1896年に出雲松江藩士の娘、セツと結婚し三男一女を設けています。
「小泉八雲」名前の由来は、
日本国籍を取得して名乗った名前「八雲」は、出雲国にかかる枕詞である「八雲立つ」からきていると言われています。八雲は出雲国を象徴する言葉です。
京都の山鉾巡行でクライマックスを迎える祇園祭が八坂神社の祭礼で、祭神が素盞鳴尊《すさのおのみこと》です、八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名な神様で、日本最古の和歌を残した神様でもあります。
出雲の地で八岐大蛇を退治したあと、大蛇から命を救った櫛名田姫《くしなだひめ》を妻として迎える時に歌ったのが、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
素盞鳴尊(すさのおのみこと) 『古事記』
この歌は、5・7・5・7・7の三十一文字(みそひともじ)で作られた短歌の形式になっていて、日本初の「和歌」とされています。
八雲(やくも)は、八重に(幾重)にも重なる雲が湧くこの出雲の地に、妻を招き入れる宮を造ったが、その雲のように八重に(幾重)にも重なるくらいの垣を作りたいものだ。(妻をその中に置こうといった意味)
松江:小泉八雲記念館 を訪れた2016.6.撮影
小泉八雲の功績は広範囲に渡り、翻訳(おもにフランス文学の英訳)、紀行文、随筆、文芸批評、民俗学などの分野で多くの作品を残しています。
当時の西洋人としては珍しいほど日本に対する偏見がなく、むしろ好意的な目で当時の日本を世界に紹介をしています。「知られぬ日本の面影」「心」「東の国から」「耳なし芳一」や「雪女」などの「怪談」の著者として知られ数々の名作をが有ります。
小泉八雲は、1904(明治37)年狭心症により東京の自宅にて亡くなるまでの14年間を日本で過ごしました。 54歳の生涯でした。
10月30日中日新聞に、「ばけばけ」の主演に俳優 高橋あかりさん(21才)が決まり、「見た人が温かい気持ちになれる作品にしたい」と涙を流しながら語ったと記載あり!高橋あかりさん(21才)は、応募者2,892人からオーデションで選ばれた。
ホトトギスの花
名前の由来は、花がホトトギスの鳥に似ている所から付いた。東アジアを中心に約20種が分布する多年草。日本にもその半数以上の種類が自生していて毎年花を咲かせます。「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」日本人好みの風情のある花ですね!
10月24日 新聞記事に! ボージョレヌーボーワインが日本に入荷 と!
11月といえばボージョレヌーボーワインの解禁日が、11月21日 第三木曜日の午前0時がワインの解禁日です。ですから、まだ1ヶ月近くありますね!
日本は日付変更線の兼ね合いから本場フランスよりも、8時間早く新酒の味が楽しめるといったことから例年フィーバーが巻き起こります。
その年に仕込んだワインの解禁日というだけで、ここまで大きな騒ぎになるのは日本だけのようです。11月といえば、新米仕込みの日本酒が出回り始めます。この時期と重なることも理由ですね!
輸入量は、昨年の横ばいで約16万5000ケースを見込で、 「ボージョレ」 主力の「ジョルジュ デュブッフ ボジョレー ヌーヴォー 2024」75ミリミリリットルは3,256 円です。 赤ワインが主流です。
(ネットより)
ボジョレー・ヌヴォー(仏語表記: Beaujolais nouveau)とは、フランスのブルゴーニュ地方の最南端に位置する。ボジョレー地方(マコンの南からリヨンまでの55kmに渡り続く広い地域)で生産されるフランスワインの一つです。 ヌヴォーはフランス語で「新しい」を意味です。
ムラサキ ツユクサ
11月といえば、「カレンダー 残りが今月を含め2枚」 少し肌寒くなってきました! 日常のなか、少し足を止めてみると、すこし秋がどことなしか感じられますね! 「年末近し」「冬の始まり」といった心の準備を始める月になりますね!
政治は野党が多数をしめ政局に目が離せないですね (?_?)
冬に向かい能登半島地方の皆さん、正月早々の激震、台風10号などによる8月から9月にかけての豪雨被害、やっと政府は激甚災害の指定を決定!
対応が遅い (/_;) 寒い冬が目の前! 心配! m(_ _)m 11月1日 UP