「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

11月

静かな里の秋の夜に、裏庭で木の実が落ちる音が聞こえる情景を歌った、

  

「里の秋」の“おせど(お背戸)”は“家の裏口・裏庭”を意味し、静かな秋の夜に木の実が落ちる情景を描く言葉です。

齋藤信夫が国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月に作られ、 歌全体は、戦地にいる父を思いながら母子が過ごす戦後の家族の姿と、平和への祈りを表現しています。

食欲の秋・味覚の秋・紅葉の秋・読書の秋・スポーツの秋・芸術の秋など沢山の言葉が有ります。 秋は何をするにも最適な季節ですネ! 

秋を彩る大輪、菊の花、

品評会や菊人形などで鑑賞する大輪の菊は、野生の原種から気が遠くなるほどの長い年月を掛けて品種改良を重ね栽培され、「家菊・イエギク」とよばれています。

  

菊の花は、平安時代に中国から渡来したもので、万葉集には150を超える花が詠まれていますが、「菊」と特定される歌は一首もないとされています。しかし、「菊」かもしれないと言われるただ一首だけ存在します。

万葉集4326番 歌に詠まれた「ももよぐさ・百代草」がそれである。

父母が 殿のしりへの ももよぐさ もも世いでませ  我がきたるまで       生玉部足國(みむべのたるくに)
父上母上の御館のうしろに咲く百代草の名のようにずっと変わらずいて下さいませ。私が帰って来る日まで、

この歌は、天平勝宝七年(775年)二月に東国各地から新任した防人たちから大伴家持が収集した防人歌と呼ばれる一群の和歌の一つで、遠江国佐野郡(現在の掛川市付近)の生玉部(あるいは壬生部)足国という防人が家族との別れを詠んだものです。

菊には「齢草」・千代見草・霜見草・契り草・長月草などの異称があり、「百代草・ももよくさ」もその一つとする解釈が有ります。

万葉集4326番歌に詠まれた「百代草・ももよくさ」が、なぜ「菊」かもしれないと言われるかと言うと、平安時代のある文献に「百代草は菊である」と書いてあるからです。しかし、別の平安時代の文献には「ツユクサである」とあり、また別の平安時代の文献には「ヨモギである」とある。要するに、平安時代には既に「ももよぐさ」が何であるかは分からなくなっていたようです。

 現代でも謎のままで明らかになっていない?

『菊』が、皇室の家紋と定められたのは鎌倉時代初め、後鳥羽上皇によるもので、上皇は身の回りの品々や御服、輿車、懐紙などに使用されています。

『 現在は十六菊が国章となっていて、工業所有権の保護に関するパリ条約によって日本国内ではもとより、海外でも商標として使用することは許されていません 』

日本には法律で定められた国花はありませんが、慣習的に「桜」と「菊」が国花とされています。桜は国民の象徴、菊は皇室の象徴として扱われます。

明治維新の際は、明治天皇から西郷隆盛に贈られるなど、菊は日本人にとって古くから特別な存在で、品位や品格の象徴とされてきました。

菊は、春の桜と並んで日本人にとって特別な存在です。咲いてすぐ散り落ちる桜の花に対して、菊の花は寒さをものともせず長い間咲き続けます。

能の秋の謡曲「枕慈童(まくらじどう)」では、菊の葉にのった露を飲んだ少年が700年も生き、仙人になったというエピソードもあります。菊のたくましさと、美しく高貴な花姿からは、不思議なパワーが感じられます。

 (✿◠‿◠)    食欲の秋に欠かせない松茸 、

マツタケは、キシメジ科のキノコで、日本原産といわれています。日本では、古代から秋の香りをたのしめるキノコとして親しまれてきました。

日本のキノコ食文化の歴史は古く、青森県など東北地方の縄文時代中期末葉から後期前葉(紀元前2000年から1500年)の遺跡から、当時の人々がきのこを身近な食物として利用していたことを示唆する遺物「きのこ形土製品」が多数発見されています。岡山市の弥生時代の百件川・謙基遺跡からは、マツタケを模した「土人形」が出土しています。 

          

  「きのこ形土製品」       「土人形」   (画像はネットより)

日本書紀には吉野の国栖人が応神天皇に土地の産物である茸を献上したことが記載されています。 『万葉集』には奈良の高圓山のマツタケの短歌が載っております。

高松(たかまつ)の この峰も狭(せ)に 笠(かさ)立てて 満ち盛りたる秋の香(か)のよさ   作者不詳

高松(たかまつ) のこの峰(みね)も狭いほどに、松茸が傘を立てていっぱい盛っています。なんて秋の香(か)のよいことでしょう

 高松は奈良の髙円(たかまと)とされています。

春日山の南にある高円山(たかまどやま, たかまとやま)は、春日山と同様に奈良の人々が四季を楽しんだ行楽地のような場所だったようです。聖武天皇の離宮があったとされていますが、どこにあったのかはわかっていません。

   一宮市萩原町高松「 高松分園 」には6基の歌碑と45の歌詞版が園内に設置されています。

万葉歌碑に同様の短歌が刻まれています。なぜ?  マツタケの詩が「高松」同じ名だからかな、、?

平安時代になると当時の貴族がマツタケ狩りを季節の行事として楽しむようになり、「古今和歌集』『拾遺和歌集』にもしばしばマツタケの歌が詠まれている。

平安時代後期の今昔物語にはヒラタケにまつわる話が出てくることから、当代ではマツタケとヒラタケが珍重されていたようです。

安土桃山時代になると、武士もマツタケ狩りをしていた様子が記録として残されており、江戸時代になると一般大衆もマツタケを食していたことが江戸時代の料理本『本朝食鑑』に記録されている。

 <ネットより>

江戸時代の大阪の庶民のマツタケ狩りの様子 <攝津名所圖會(1798)より抜粋>        江戸時代の料理本「本朝食鑑」にはマツタケ、ハツタケ、コウタケ、シイタケ、ヒラタケ、エノキタケ、ショウロなど10種類のきのこが茸芝類として記されており、多くのきのこ類が食用にされていたようです。

今も、きのこを表す言葉としてキノコ、タケ、ナバ、コケ、ミミ、クサビラ、モタシなど多くの方言が残っています。

マツタケがたくさん採れたときには、煮た後、塩漬けにして保存し、贈り物や祝いの日のご馳走に用いていました。

天保年間に初版が刊行された『漬物塩嘉言』では貯蔵法として塩松茸の記述があります。

大正・昭和になると、多くのきのこ類が安定的に栽培されるようになり、近年では、きのこ類は我が国だけでなく諸外国においてもヘルシー食品としての需要が高まっています。

今年も、国産マツタケの中でも全国的に名高い丹波篠山産マツタケの初競りが行われ、6本110万円の過去最高額で落札されました。                     重さは6本で208グラム。キロ単価は約530万円で、去年の322万円を大きく上回る高値となりました。 <9/28朝日新聞より>

   

  • 2025年の国産まつたけは15トン。2024年の51トンから7割減り、2023年の19トンも下回った
  • 国内消費541トンのうち526トンが輸入(97.2%)。輸入先は中国が7割、次いでカナダ・アメリカです。
  • 高い理由は ①人工栽培ができない ②アカマツ林の減少(IUCNが2020年に絶滅危惧種に指定) ③気象で収穫量が年ごとに2〜3倍の値になる。この3つです。

秋に艶やかな紫色の実をつける「紫式部」の花、

昔から日本に自生している「ムラサキシキブ」とゆう樹木に由来すると言われています。

6月から7月の開花時期にはピンクの淡い色の花を房状に咲かせます。9月から11月の秋には紫色の実が葉の付け根につきツヤツヤしています。 花言葉は「聡明」「上品」、「愛され上手」、紫式部から由来してつけられた花言葉と言われています。 

    <画像はネットより>

紫式部の実は、秋に艶やかな紫色の小粒の実を房状につける落葉低木「紫式部(ムラサキシキブ)」の果実を指す秋の季語です。

その気品に満ちた美しい実の色合いを、平安時代の『源氏物語』の作者である紫式部にたとえて名付けられたと伝えられています。庭木や公園のほか山野にも自生し、秋の深まりとともに葉の脇にぎゅっと集まって色づく姿は、静けさの中に雅やかな趣を感じさせます。

秋の庭を彩る、ホトトギス(杜鵑草)の花
東アジアを中心に約20種が分布する多年草で、日本にもその半数以上が自生しています。

 わが家に咲くホトトギスの花

野趣あふれる花、和名「ホトトギス」は、大きな特徴は、花びらに浮かぶ紫色の斑点(まだら模様)です。花の斑点が鳥のホトトギスの羽毛の模様に似ていることからホトトギスという名前がついたそうです。斑点を油染みに見立てて、ユテンソウ(油点草)という別名もある。 花言葉は「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」

鳥のホトトギスは、自分で子育てをせず、ウグイス等に托卵する習性がある。渡り鳥で、越冬するために日本には5月中旬ごろにやってくる。

     ネットより

ホトトギスは文無鳥(あやなしどり)、時鳥、不如帰、杜鵑、子規、郭公と表記される。                 

万葉集にホトトギスを詠んだ歌が156首も収録されています。(約25%)。 これは他の鳥たち比べても飛び抜けて多い数です。 大伴家持は一人で58首も詠んでいます。     他に古今和歌集に42首・新古今和歌集46首・百人一首にも詠まれています。

ほととぎす鳴きつる方を ながむれば
  ただ有明の 月ぞ残れる     後徳大寺左大臣         ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、姿は見えず、ただ有明の月が空に残っているだけであった。     

秋には「つわぶき」の花も咲き誇ります         

 山里の草のいほりに来てみれば 垣根に残る つはぶきの花

                   良 寛                                  今年も咲いたツワブキの花         石蕗《つわぶき》はキク科に属する常緑多年草で、「艶蕗」とも書かれ同じキク科のフキに形がよく似ていますがツハブキの葉には艶があります。九州南部ではフキといえばツワブキを指すことが多く、キャラブキにもツワブキを使うそうです。             山陰の小京都と言われる津和野は、遠い昔に住み着いた人達が群生するツワブキの野を見て名付けたのが町名の由来だとされています。

家庭菜園で「ナナホシ  テントウ虫」発見!       日本でも可愛がられるテントウ虫ですが、海外でも人気の高い昆虫です。
昔から愛されてきた「てんとう虫」が見られるのは「幸運・幸せ」のお告げと言われています。

漢字では「天道虫」と書きます。           テントウムシ(天道虫・紅娘・瓢虫)は、コウチョウ目テントウムシ科 鮮やかな体色の小型の甲虫である。                              和名の由来は、太陽神から来ています。太陽のことを「お天道さま」と言います。
なぜ太陽なのかというと、テントウ虫は高いところに登っていって、てっぺんまで登ると飛び立つ習性がある。「お天道様に飛んで行った」と解釈し、太陽神の天道からとられ「天道虫」と呼ばれるようになったと言われる。                                  日本では180種類ほどが確認されており、世界では約6000種とも言われています。  英語では「ladybug(レディバグ)、ladybird(レディバード)、lady beetle(レディビートル)」などと書き、日本では「ladybug」がよく使われています。
共通するのは「lady(レディ)」の部分!レディという言葉の意味は貴婦人や淑女のことですね! それだけでも、英語圏ではテントウ虫に好感を持っているのがわかります。 レディファーストの文化です!
ただ、レディに関しては説も色々とあって「聖母マリア」を表しているという話が一番よく言われます。
聖母マリアの化身であったり、聖母マリアの使いだと言われることもあるので、神聖さや愛のイメージが強く込められています。                    テントウ虫の多くに共通するのは、メスのほうがオスよりも大きいということです。しかし、個体差もあるので絶対というわけでもありません。

テントウムシの寿命は、種類によって違いますが代表的なナナホシテントウ虫は、成長も早く卵を産んでから20日ほどで成虫になります。
春に成虫になったナナホシテントウ虫は約2ヶ月ほど生きますので、合計約3ヶ月くらいです。
しかし、秋に成虫になったナナホシテントウ虫は越冬をして、春になると活動を再開しますので寿命が長くなります!                        『肉食のテントウ虫』                   植物に害を与えるアブラムシを食べてくれる益虫です。               ナナホシテントウは、名前のとおり7つの斑紋があります。ナミテントウは個体によって色・模様がさまざまで、黒い体に2つの赤い斑紋、赤い体に細かい斑紋など。模様のパターンは200以上とも言われています。                        ナナホシテントウ虫        ナミテントウ虫                        『菌食を食べるテントウ虫』                   キュウリやトマトなどによく発生するうどんこ病菌を食べてくれる益虫です。     キイロテントウ虫は鮮やかな黄色一色の羽が特徴的です。

シロホシテントウ虫は胸部は白色で黒い斑紋があります。四国や九州・沖縄などの暖かい地域に生息しています。4~10月にかけて活動しており、幼虫の段階からうどんこ病菌を食べる益虫です。                                      キイロテントウ虫           シロホシテントウ虫             シロホシテントウ虫は光沢のある黄褐色の体に、白い斑紋が特徴的なてんとう虫です。  北海道から九州まで広く分布しています。キイロテントウ虫と同じく、うどんこ病菌を食べてくれる益虫です。                            『家庭菜園で特によく見られる害虫テントウ虫』              ニジュウヤホシテントウ虫     オオニジュウヤホシテントウ虫                

火星衛星 探査機 打ち上げに成功 !                2018年10月3日 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機、はやぶさ2が小惑星リュウグウに小型着陸機を投下し岩石等を最終して地球に持ち帰りました。「サンプルリターン」を見事に成し遂げました。                         今回、JAXAは、火星の衛星「ホォボス」のサンプルリターンを目指し、鹿児島県の種子島宇宙センターより、10月20日午前4時41分3秒 H3ロケット10号機に打ち上げ、約70分後に軌道投入に成功しました。      

探査機(全長約5.3メートル、太陽光パネルを広げると幅約9メートル)総開発費は、約553億円 です。

        

        探 査 機           探査車    (写真はネットより)

火星から約6000Km離れたフォボス(直径約20~30Km)に着地し、地表面の10g以上の砂などの試料を採取しさらに、別の衛星ダイモスの近くを高速で通過しながら観測する「フライバイ」を実施する予定。                      ◇ ロシアの探査機が2011年に打ち上げられたが、地球を回る軌道から離脱できず失敗しました。

観測後は地球へ戻り、2031年に試料入りのカプセルを豪州の砂漠地帯に投下する計画です。

  ホトトギスとシュウメイ菊の花

11月を迎え、カレンダーが残り2枚を見つつ、時間の過ぎるのが年々早く感じる今日この頃です。 

 この道や 行く人なしに 秋の暮れ    芭蕉の句です。

松尾芭蕉「奥の細道」は、江戸時代の俳諧紀行文の最高傑作とされ、芭蕉(46歳)が曾良(41歳)とともに東北・北陸地方を旅し岐阜県大垣市に到着するまで、150日に及ぶ旅のことや各地で詠んだ約50句が綴られています。

序文『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす』

「月日は百代の過客にして」時間の流れや人生を永遠の旅人にたとえ「百代」とは永遠、長い時間という意味で、人間の一生は限られているのに対し、時間は永遠に流れ続けるという無常観が込められています。

月日が永遠に続く時の中を旅する人生を旅人のようだと表現しています。

『夏草や 兵どもが 夢の跡』
『奥のほそ道』の旅で、岩手県 平泉を訪れた際に詠まれた句で、かつて栄えた奥州藤原氏の跡地を見て、今はその面影のない草原に栄枯盛衰や無常観を表現しています。

『 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる 』

旅の途中に病で亡くなり絶筆として有名な句です。

1694年11月28日(元禄7年10月12日)、大阪で病に倒れ51歳で生涯を閉じました。生涯に作った句は確認されている物だけで982句あります。

    シュウメイ菊の花

最近、あれも、これもと思いながら何も出来ずに過ごしてしまうことが多い。    人生100年時代と言われ、多様化の時代とも言われますが、体力が衰え、物覚えが悪く すぐに忘れる。人生は引き算ばかりで、増えるのは歳ばかり! 時間を大切に生きなきゃ! と想いながら1日がす過ぎる。 未来はまだまだ来てくれない!?

林 修氏の名言に、                  いつだって思ったら明日でなく、今日でなく、今すぐにしないと、 明日やれば後回しの人生、 じゃ何時やるの、『やるなら今でしょう』   

放送作家の永六輔さんの名言に、            誰だって人生で『今が一番若い』  そして、「死」に対しても、死んだっていうからおかしいんだ!  先に行っただけなんだと、お寺で生まれ育った永六輔さんの言葉です。  物心ついた時から人の最後を見てきた環境だからこそ前向きに捉える。 「大往生」より、その方が楽になる。 特別なものではないと考えることが大事とも、、

私たちがコントロールできるのは、「今」この瞬間だけなのです。年齢を重ねることは、衰えではなく、経験と知恵を蓄積していく、豊かな時間です。未来の自分から見たら、今の自分が若いということですね ! 

  残りの人生で、今この時が、常に一番「若い」

   Today is the youngest day in the life.

今を大切にする。明日を心配はせず、きょうの食事が美味しい、空が綺麗いだ、だれかと話せた! それも、これもこれも感じるのが幸せであると! ゴールは皆同じ!             人生はやり直せないが、今日の心の持ちようで、少しは変えられるかな?

                               11/1 UP

 

10月の空は澄み渡り 秋月(あきつき)がきれい!

秋はただ今宵一夜の名なりけり同じ雲居に月はすめども
 伊勢神宮内宮に奉納された「御裳濯河歌合《みもすそがわうたあわせ》」より、                             西行(1118-1190)

秋というのはただ今宵一夜だけの名としてふさわしいのだ。同じ夜空に月はいつも澄(住)んではいるが

日本には色んなものを愛でる習慣、行事があります。花見、雪見、そして月見などとそれぞれ楽しみや想いが色んな形で残っていますね! 

特に月は古くから身近にあり、文学や和歌に俳句、唄にも童謡に歌謡曲と、また各地で色々な風習として伝承されています。

  9月25日は『中秋の名月』でしたが、!

 いつまで待っても、雲に隠れお月さまを愛でることが出来なかった (/_;) 

雲で見えない月を「無月(むげつ)」、雨の夜を「雨月(うげつ)」と呼び、見えない月に思いをはせるのも古くからの楽しみ方だそうです。

日本では昔から、秋八月(旧暦)の満月をと呼んで、美しい月を愛でる風習があります。それを観月とも言います。平安時代に唐(中国)から伝わった行事と、日本に古来からあった秋の収穫祭が合わさったもので、十五夜と呼ばれ愛されて来ました。

月々に  月見る月は  多けれど  月見る月は  この月の月 

                              (詠み人不明)

十五夜は、その年の豊作に感謝し、里芋の収穫期にあたることから「芋名月」ともよばれます。

里芋とお月見の関係は、昔々、宮中の女官たちが、萩の枝で作ったお箸で里芋に穴をあけて、その穴から、月を眺めて、「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という「月づくしの歌」を口ずさんだとも言われています。

『御湯殿記』 室町中期~江戸末期・ 宮廷にある清涼殿御湯殿の女官たちの日記 に、陰暦8月15日(十五夜)「名月御祝、三方に芋ばかり高盛り」新芋 (サトイモ)を掘り、水炊きのまま月前に供えたりして収穫を祝ったと記述があります。

『えびいも』が生まれたのは、安永年間(1772年~1778年)この頃、京都、平野権太夫(料亭「いもぼう平野本店」の先祖)が、御所の御用を賜り野菜の栽培をしていた。仕え先の粟田青蓮院宮が長崎から持ち帰ったという里芋を育てたところ、海老のような形ちをした芋が出来きたと言われています。

「雲霧や 芋名月のき ぬかつき」  貞 徳『犬子(えのこ)集』

  月を詠んだ短歌や和歌は古い時代から数限りなくあります。 

「東の野に 炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」                                                                                   

                         万葉集 柿本人麻呂         「東の野に陽炎の立つのが見えて振り返ってみると、月は西に傾いてしまった」

「めぐり逢ひて  見しやそれとも 分かぬ間に
雲隠れにし 夜半の月影」     百人一首  紫式部

「久しぶりにめぐり逢い、見定めのつかないうちに雲間に隠れてしまった夜半の月のように、貴方はあわただしく姿を隠してしまい残念です」

  百人一首には、11もの歌に ”月” が登場しています。

奈良時代の貴族で歌人 「山上憶良」(660~733)万葉集に詠まれた「七草」に、

「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」

  

萩は秋の七草の一つで、万葉集の植物ではもっとも多い141首に登場し、梅の118首を上回って、歌人に一番愛されていた花です。

「萩の花咲きたる 野辺にひぐらしの鳴くなるなへに 秋の風吹く」
                                        『万葉集』 作者未詳  
「萩の花が咲いている野に ひぐらしが鳴いていて、秋風も吹いています」

  萩の花

お月見の夜に団子と共に供えられる萩とススキ、ススキは「尾花(オバナ)」としても知られています。

  ススキ(尾花)

月見にススキを飾る理由は諸説ありますが、「稲穂に似たススキを飾って豊作を願う」という説や、「ススキは神様の拠り所であり、魔除けの効果があると伝えられてきた」という説などがあります。

🐰  10月」23日は『十三夜』 です!                晴れて、お月さんが顔をだして微笑んでくれるといいですね (^^♪

日本では、月を愛でる習慣は縄文時代からあったとされ、平安時代には貴族の間で月見の宴を催し、舟遊びをして池に映る月を愛で、お酒の杯に月を映して拝し宴を楽しんだと記録が残っています。
江戸時代には庶民にも広がり、稲穂に見立てたススキや獲れた芋や栗を供えて秋の収穫を祝ったといわれています。この様に中国から伝わった十五夜に対し、十三夜は日本独特の風習の「十三夜」 もまた美しい月であると重んじられてきました。

満月の少し手前、左側がわずかに欠けた月を愛でるのが十三夜の粋なところ で、    「完璧ではないものに美しさを見いだす」日本らしい感性の行事です。

十三夜は、栗や豆が収穫できる時期であり、旬のものをお供えしてお月見をしたことから「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。

『万葉集』には「十三夜」という語はありませんが、

平安時代に書かれた『躬恒集』(みつねしゅう) に「延喜19(919)年9月13日、 醍醐天皇が月見の宴を催し詩歌を楽しんだ」という記録があり、これが「十三夜」の月見の始まりではないかと言われています。
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

                            万葉集 柿本人麻呂

「天空という海に雲の波が立ち、月の船が星の林の中へ漕ぎ入って隠れていくように見える」   <月を「船」に例えていますね>

天の原ふりさげ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも

                          万葉集 安倍仲麿  <遣唐使>

「大空を振り仰いで遥か遠くを眺めると、今見ている月は、かって奈良の春日にある三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ」 

717年、17歳で留学生として唐に入り、753年、帰国の途につくが船が難破し果たせず、ついに二度と日本の土を踏むこと無く逝った望郷の歌です。

樋口一葉の小説『十三夜』 

深まる秋の十三夜を舞台に明治の女性の哀感が漂う名作です。                離婚の決意を固めながらも、それによって一人息子を失うことを怖れて離婚をとどまる女性の姿を描いた小説です。                                                                                                              物語の冒頭で主人公のお関が、十三夜の月の晩に、夫の高級官吏の原田勇との離縁を決意して実家へ戻ってきます。しかし父親に諭され、子どものことなどを考え、結局は夫のもとへ戻ることになります。  帰りの人力車を引いていたのが、かつて心を通わせた幼なじみの 録之助です、、、                                 「十三夜」という月は、あと少しで満ちるのに、満ちきることのできない月で、決して満たされることのないお関の悲しい運命と対比して描かれている。                       作品は1895(明治28)年に発表され、当時の結婚制度や女性の立場、家族を優先せざるを得ない社会の矛盾を描いた作品です。

  彼岸花(曼珠沙華)

彼岸花を死人花《しびとばな》や幽霊花、狐花、捨子花など、昔から不吉な花だと言われていますね! 球根にはミミズも嫌う有毒性があります。この有毒性を利用して田んぼや畑の周囲や畦道に植えておくとモグラなどの有害動物が寄り付かないという効果もあるそうです。

昔から、十五夜と十三夜のどちらか一方しか月見をしないことを「片見月(かたみつき)」と呼び、縁起がよくないとされてきました。江戸時代の遊里で「二度目も来てね」という商売上の口実から広まったという説もあり、由来には諸説あります。

草原で見つけた「ツユクサ」、長い年月、日本人に愛されてきたザ・ブルー!

  

万葉集では「月草」の名で詠まれている植物は、今で言うツユクサ「露草」で朝に咲き、昼にはしぼむ儚い性質があります。この特徴から「露草」とも呼ばれる。     もともと青や紫の花の色が染料に使われていて、そのまま擦り付けても紙や布に着きやすいので「つき草」とも呼ばれ、それに「月草」の漢字が当てられたと考えられています。

人生の空しさ、恋の儚さを「月草」にたとえ万葉集に多く歌われています。

月草に 衣は摺らむ朝露に濡れて ののちはうつろひぬとも

                          『万葉集』  作者未詳

月草(ツユクサ)で衣を染めてみたい。朝露に濡れたら色が移るだろうけれど、その後色が褪せてしまっても構わない、

朝咲き夕は消ぬる月草の 消ぬべき恋も我はするかも                                                                            

                           『万葉集』  作者未詳 

朝咲いて夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消えてしまいそうな恋をしています 

この歌は恋愛の儚さを表現された歌として、万葉集の中でも有名です。                               

「月草」というと、まるで前夜の月のしずくを宿したかのようにも感じられ、なんとも素敵な名前ですね!

朝顔は、原産地はヒマラヤ地方、熱帯アジア、アメリカなど諸説ある。日本への伝来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったのが初めとされる。 中国語で牽牛花で、『古今和歌集』(913年)にケニゴシ(牽牛子)の名がある。

「十日夜:とうかんや」(旧暦10月10日)の月の夜に、稲の収穫を祝ってお餅をついたりします。特に東日本を中心に収穫祭としして様々な行事があります。

刈り取った稲で、藁(わら)を束ねて「藁づと」や「藁鉄砲」を作り、地面を叩きながら、地面の神様を励ますためだと伝えられていますが、現実的な解釈として、作物にいたずらをするモグラを追い払う意味もあると言われています。

「案山子上げ」という行事も行われます。
田んぼを見守ってくれたカカシを田の神に見立てています。その為、十日夜の日には、カカシを田から内庭に移して供え物をする「カカシ上げ」の行事も行われています。  田の神様が郷を離れて山に帰る日とされ、稲刈りをこの日までに終わらせなければならないと考えられていました。

「十三夜」は 聞いた事があるけど、「十日夜」は知らないという方も多いと思いますが、 昔から「十五夜」「十三夜」「十日夜」の三つのお月見をすると大変縁起が良いとされています。 (^^♪ <今年の「十日夜」は  11・18・水曜 です>

  

『秋の空』高々として澄みわたり気持ちのいいものですね! でも変わりやすいのが「女心と秋の空」などと変わりやすい例えになっていますが、広辞苑を調べると「男心と秋の空」とあり『変わりやすい ものの例え』と書いてあります??             女心でないのかな~~ ??  (>_<)

日本には、月は欠けても、満ちることから不死の象徴として とうとばれ、月をお団子に見立て食し、また月を杯に映しお酒を拝することで、健康で長寿が得られると考えられていたようです。

日本人は昔からお月さまが大好きです! 子供のころ祖母から、お月さまにはうさぎが餅つきをしていて、豊作を願っていると話を聞きました。 現代子にこんんなことを言うと笑われるかな?

  水 仙

10月17日  国際連合が定めた「貧困撲滅のための国際デー」です1992年の国連総会で制定され、世界における戦争や暴力、窃盗や殺人などの犯罪の多くは貧困と貧富や教育の格差が直接・間接的に原因となっています。国連はこの日を通じて、世界中の人々が貧困の現実を直視し、それに立ち向かうために行動を起こすことを促しています。

これは必ずしも現代の病巣ではなく、古代から延々と解決できずにいる人類の課題かも知れません。

1987年、貧困、飢餓、暴力、恐怖、の犠牲者に敬意を表するため10万人がフランス・パリのシャイヨ宮の人権広場に集まったのが最初で、「極貧に打ち克つための世界デー」として認識されました。

『万葉集』には、山上憶良が残した「貧窮問答歌」が残されています。

貧窮問答歌の中から、代表的な部分を紹介します。

竈(かまど)には 火気(けぶり)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く

当時の農民がいかに貧しい暮らしを送っていたのかが分かる部分です。        訳は、「かまどには火の気がなく、米を蒸す土器にはクモの巣がはってしまい、ご飯を炊くことも忘れてしまった…」

此(こ)の時は 如何(いか)にしつつか 汝(なんじ)が世は渡る

問答形式になっている貧窮問答歌の「問い」にあたる歌の最後の部分です。      訳は、「こういう時に、どうやって、あなたは暮らしていくのか」          「こういう時」とは、貧しい当時の暮らしを指しています。

世間(よのなか)の道 世間を憂(う)しと恥(やさ)しと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

貧窮問答歌の「答え」にあたる歌の最後の部分です。               訳は、「この世の中はつらく、身も細るほど耐え難く思うけれど、鳥ではないから飛んで行ってしまうこともできない」

「やさし」は、現代の「やさしい」につながる言葉ですが、当時は「身も細るほどつらい。肩身が狭い。耐え難い」という意味です。

貧窮問答歌が詠まれた奈良時代は、律令制という国家制度のもとで、里長(りちょう)と呼ばれた役人が、税(当時は主に米)の取り立てをしていました。農民は貧しく、苦しい暮らしを強いられていました。

「律令(りつりょう)」と呼ばれる法によって、国を治める仕組みを「律令制度」といいます。律令制度は中国で始まり、日本の政治体制にも大きな影響を与えました。    律令は、現在でいう法律に該当する言葉で、「律」は罪と、罪を犯した人への刑罰について、「令」は行政の枠組みについて定めたものです。

  

9月17日  第2次高市改造内閣が発足、小野田紀美氏の経済安全保障担当相への抜擢や、日本維新の会からの閣僚起用といったサプライズ人事に、国民の反応は!?

 <下記の資料はネットより>

   N    H    K   支持率 55%  / 3PT・UP    不支持率36%                            

  朝 日 新 聞  支持率 50%  /  3PT・UP    不支持率29%               

  読 売 新 聞  支持率 58%  /  4PT・UP    不支持率29%             

  日 経・テ レ 東   支持率 61%  /  5PT・UP    不支持率28%             

  共 同 通 信  支持率 54%  /  2PT・UP    不支持率33%            

  全 体 平 均 支持率 55.6%/3.4PT・UP   不支持率28.7%                   

 20代〜40代の突出した高い支持を集め、支持率が60%を超えた!             好発進を切った高市総裁内閣。 今後の政権運営に期待したいですね!

9月20日  第20回アジア競技大会 第5回アジアパラ競技大会の開催です。        ブルーインパルスが名古屋上空を飛ぶ!

   

「久屋大通公園」から、(写真は中日新聞より)  

大空の青きとばりによりそひて 人を思へるこすもすの花
                                                                                  与謝野晶子(1878-1942)

   138タワーとコスモス

コスモスの原産地は熱帯アメリカで、日本には明治12年、イタリア人のラグザーという美術教師がはじめて持ち込みました。和名が「秋桜 《あきざくら》」、与謝野晶子にはこの花を詠んだ短歌がいくつもあります。

  

何かと忙しい毎日の中で、空を見上げることを忘れがちです。ときには月を見上げ俗界を忘れ、美しい月を愛で悠久の時を楽しんむのは如何ですか?

とは言え、9月25日中秋の名月も雲がかかり、それ以後も雨続でお月さんが観られず寂しい限りで、10月を迎えてしまいました。                    10月は、素晴しいお月様が輝いてくれると思います。(^^)/~~~ 

秋の夜は冷えるので、ベランダに出るなら上着と温かい飲み物?を用意しましょう。

 十五夜の前日に眺めた月です (^^)/ <9月24日  PM20:00 頃撮影 >

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先人は、明らかな夜を「良夜」と呼びます。  曇って月が見えないことを「無月」といい、また雨が降れば「雨月」と称して楽しんだそうです。 m(_ _)m   10/1  UP     

    

         

(👉゚ヮ゚) まだまだ暑い 9月

日本では、9月を長月(ながつき)と呼び、ほかに、詠月(ながめつき)・菊月(きくつき)・晩秋(ばんしゅう)・玄月(くろずき)と色々と呼ばれ、その名からして「秋らしさ」を感じますね!
   (✿◡‿◡)   残暑見舞い申し上げます
まだまだ残暑が続き、昼間は冷房が必要な毎日ですが夜の風は随分涼しくなってきたように感じます。 
元号「令和」は、 すでに8年なかばが過ぎ日常違和感もなく「令和」の時代を過ごしています。 万葉集 歌人「大伴旅人:おおとものたびと」による、万葉集 巻五「梅花の歌  三十二首」の序文から引用されたことは、よく知られています。
『梅花の歌 』 三十二首
『令和』の直接の引用元となった歌は、美しい情景だけではなく、未来への深い願いが込められた歌です。                              「 初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 」
時は素晴らしい新春の月、空気は清々しく風は穏やかである。梅は鏡の前でおしろいをつけた女性のように白く咲き、蘭は香りの良い飾り物のように香りを漂わせている。

  「大伴旅人」は、武門の家柄でありながら、風雅を愛する文化人として知られ、天平2年(730)正月13日 「梅花の歌三十二首」が詠まれた宴は、大伴旅人の邸宅で主催し詠まれたものです。(画像はネットより)

厳しい冬が終わり、春の訪れとともに見事に咲き誇る梅の花のように、日本人一人ひとりが明日への希望を持って、それぞれの花を咲かせられる日本でありたいと、願いが「令和」という二文字には託されています。

   岐阜梅林公園で撮影

「大伴旅人」は、奈良時代前半の貴族・官人・歌人で、飛鳥時代から奈良時代にかけて名門に生まれ、朝廷で要職を歴任したのち、727年頃、大宰帥(だざいのそち)として、太宰府に赴任します。

『梅花の宴』は、梅の開花による春の訪れや、梅の美しさと香りの良さを表現しているのが特徴的な歌といえます。のちに大納言になって都へ戻る。帰京の翌年67歳で亡くなるまで、政治の中心にいた人物でたくさんの歌を残していす。 

【 最初の元号は645年に制定された「大化」で、以降2026年時点の「令和」まで、ほぼ途切れることなく続いています。明治時代以降は一世一元の制が導入され、天皇一代につき一つの元号が用いられるようになりました 】

 万葉集 巻五には、『酒を讃むる歌』『妻を悼む歌』などに存在感を示す歌などが多く有ります。

旅人は、公の場では明るくふるまいながら、その明るさの奥にある孤独や人の情に敏感な歌人と言われています。

『酒を讃むる歌』十三首

仙人になりたい、飲まない人は猿に見える、黙って飲むのがよい、といった歌まで含む連作は、自嘲と諧謔をまじえながら、人生の苦さをどう受け流すかを語る歌群として知られています。

「 験なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべく  あるらし 」

どうにもならないことをあれこれ思い悩まないで、一杯の濁り酒を飲むのがよいらしい。

「験なきものを思はずは」は、思っても仕方のないことが人生にはある。 人生の苦さやつらさ人間の弱さの限界を知り、それでも心をほどくものとして酒を語っています。

「 なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも    酒に染みなむ 」

中途半端な人間でいるより、いっそ酒壺になって、そのまま酒に染みていたいものだ。賢く生きる理想を語るのでなく、うまく生ききれない人間の本音を、少し笑いを混ぜて出せるところに味があると、豪放に見えて、実は人の弱さへの理解が深い歌人です。  旅人は、物事を解決できない人の弱さを知っていて、その弱さを責めるのでなく、酒に心を逃がす知恵として歌っています。

「 あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ人をよく見ば  

 猿にかも似む 」

あな醜 (みにく)  賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば  猿にかも似む

ああ見苦しい 懸命ぶって酒を飲まない人を見ると、猿にでも似ているようだ

賢くないのに賢いふりをして酒を飲まない、そういう人を馬鹿にしているのですが、 本当は酒を飲む飲まないに関わらず、「賢ら」とは現世を渡る知恵を持った人たちを指していいます。  万葉集に「猿」を題材した歌は一首のみです。

『妻を悼む歌』

「 世の中は 空そきものと 知る時し いといよますます

悲しかりけり 」

世の中は空しいものだと、まさに思い知らされるこういう時には、ますます深く悲しくなるのである。

遠い任地で人と集う楽しさ、亡き妻を思う痛み、世の中の空しさ、それでも酒や言葉で心をつなごうとする願い。

大伴旅人は、公の場では明るくふるまいながら、遠い任地で人と集う楽しさ、亡き妻を思う痛み、世の中の空しさ、それでも酒や言葉で心をつなごうとする願い。 人の弱さがにじむ瞬間をよく見ていた歌人と言われています。

遠い西の拠点で、山上憶良らと交流し、梅花の宴を開き、漢詩文の教養を背景に豊かな文化空間を作った一方で、同じ地で妻を失います。つまり旅人は、特に酒を讃え、華やかな宴と深い喪失を同じ場所で経験した歌人でした。
この二つが重なっているからこそ、旅人の歌は単なる酒好きの豪放な歌では終わりません。にぎやかな言葉の裏に、人生の空しさや、人と集うことの貴さが強くにじみます。

大伴旅人を尊父に持つ、大伴家持は万葉集の最終的な編纂に深く関わり、挽歌・恋歌・自然詠まで幅広い歌を残します。そうした家持の細やかな歌世界の土台には、旅人が大宰府で作った文化空間と、喪失を景物に託して表す感覚がつながっていると見ることができます。

『万葉集』の一番の特色は、天皇や貴族だけでなく、兵士や農民といった身分の低い人々の歌まで収められていることです。 他の歌集には見られない、この懐の深さが万葉集の大きな魅力といえます。

このため、宮廷での優雅な歌ばかりでなく、家族を思う気持ち、労働の苦しみ、故郷への郷愁など、当時の人々の素朴で力強い感情がストレートに表現されている歌を多く見つけることができます。

  

夏の強い日差しにも負けずに、ポーチュラカの花が満開!              スベリヒユ科の植物で、葉や茎は多肉質で乾燥に強く、地面を這うように広がります。花は一日花で、朝に咲き午後にはしぼみます

若山牧水は、自然主義短歌を確立した明治・大正期の歌人で、「幾山河」「白鳥は哀しからずや」などの代表作で知られる。宮崎に生まれ、旅と自然、恋や酒を詠み、生涯で9,000首近くを残し、旅が大好きで、日本各地に歌碑が残されています。     晩年は沼津に移住、千本松原保存運動を主導された。

  若山牧水 (1885-1928) ネットより

1928(昭和3)年の9月17日 享年43歳で没し、死因は肝硬変でした。毎日一升の酒を飲んでいたそうです。酒を題材に詠んだのが二千首もあると言われています。      

「人の世に 楽しみ多し然れども 酒なしにして なにも楽しみ」

「それほどにうまきかと ひとの問いたらば  何と答えむこの酒の味」

彼の長男に旅人《たびと》と名付けたのは、旅が好きだったからなのか、あるいは『万葉集』で有名な「酒を讃むる歌」13首を詠んだ大伴旅人にちなんだのか?   

 「 幾山河越え さり行かば寂しさのはて なむ国ぞ        今日も旅ゆく 」

誰もが青春期には一度は抱いたことがある感情を、わかりやすくものの見事に表現した歌です。

この歌に酷似した詩があります。それはカール・ブッセの「山のあなた」です。    いずれも、満たされぬ思いが消えることを望んで旅を続けているけれども、寂しさや哀しみは消えず、真の安らぎや幸福にも出逢えないという嘆きを詩にしています。

「 白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まず    ただよう 」 

この名歌は中学校で最初に習った短歌で、大正4年、北下浦(神奈川県)で詠まれた歌で、この白鳥はハクチョウでなくカモメを指しています。 

 「幾山河」と並ぶ若山牧水の代表作であり、近代・現代短歌の中で、最も多くに人たちに愛唱されている作品です。

長男に若山旅人(1913~1998年)は、建築家として牧水記念館を設計し、同時に短歌活動や講演を通じて父の文学的遺産を後世に伝える役割を果たした。

石川啄木(1886~1912年)  明治時代後期、まだビール🍺が珍しかった時代に、彼は日記『ローマ字日記』などや友人との社交の場でビールにまつわる記述が登場します。

1907年9月、函館から札幌へ移住する直前の日記には、友人との別れの酒宴で麦酒(ビール)を10本も飲んだという豪快な様子が残されています。

特に東京で生活していた時期には、経済的にかなり苦しいにもかかわらず、金田一京助が啄木の引っ越し費用や生活費を工面するために自分の大切な蔵書を売り払って、二人は小料理屋に駆け込んでビールで乾杯し、お互いの未来を熱く語り合ったと記述があります。

明治末期のキリンビールは1本23銭で、当時のざるそば1杯の約10倍だったとされています。

『一握の砂』に、酒のめば悲しみ一時湧きくるを 寝て夢みぬを うれしとはせし

酒を飲むと一時的に悲しみが湧いてくる。それでも、眠って夢を見ることができるのを「うれしい」と思った 

『悲しき玩具』に、しっとりと 酒のかをりにひたりける 脳の重みを感じて帰る

小説『雲は天才である』に、「苦学生の口には甘露とも思はれるビール」という表現があり苦学生にとってビールは「甘露」のような、ちょっと贅沢なものだったと記載があります。

なぜ、ビールを好んだの? 当時、ビールは「西洋からの舶来品」であり、最先端の「都会的な飲み物」でした。見栄っ張りな性格で、流行りものが大好きだった啄木にとって、ビールの洒脱でモダンな雰囲気は自分のハイカラなセンスを表現するのにぴったりのアイテムだったと考えられています。

 啄木は生涯に約750首の短歌を残し、そのうちアルコールを詠んだ歌は71首あるとする紹介もあります。

 

毎年種が落ちて、咲いてくれるマツバボタンです                        南アメリカ原産で一年草、アルゼンチン・ブラジル南部に分布!

原爆忌は、1945年8月6日に広島市、9日には長崎に原子爆弾が投下された日を追悼し、核兵器の恐ろしさを伝え、平和を祈念する日です。

アメリカの従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさん「焼き場に立つ少年」と言うすさまじい1枚の写真がある。

81年前の「長崎の原爆投下後、10歳ぐらいの子の口を固く結んだ 直立不動不同の少年の姿「小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て裸足、背中には 2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。 幼子は眠る様な姿で死んでいた」

  

オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。  フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを 機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。

原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。

2024年にノーベル平和賞を受賞した被団協『核兵器の戦争もない人間社会を築くのは世界一人一人だ。命の限り訴え続ける。共に闘おう』と長崎で結成70年声明発表!

  

高市総理は広島・長崎で原爆犠牲者慰霊平和慰霊式典で「非核三原則の堅持に触れたものの、『我が国は、非核三原則を堅持しており』という現状説明にとどまる言い回しから、将来的な変更の可能性を示唆したのではないかと波紋が広がっています。

高市総理は、総理就任以前、非核三原則の一つである『持ち込ませず』に不満を抱いていると公言してた経緯があります。

 8月15日の全国戦没者追悼式で、高市首相の式辞で『戦争の惨禍を繰り返させない』と述べる。 <今までの首相は『戦争の惨禍を繰り返さない』と述べる。石破前首相が用いた言葉『反省』を削除する>

◇「せ」の言葉の持つ意味は! 十分な防衛力・抑止力を持つことで、日本に戦争を仕掛ける国が出てこないようにするとの憲法の変更するとの含みが有ります。                そのためにどれだけの防衛力が必要だろうか?? 

最近、官僚人事、減税政策、核議論、、、様々な面で独自色を強めている高市総理、独善的な政権運営が続けば、党内の求心力低下が心配される。(自民党関係者)

ロシヤ プーチン氏 2000年に就任以来、初めて北方領土「択捉島」訪問する。   実効支配誇示!? 北方領土は日本国有の領土です。

長崎原爆が投下された1945年8月9日の未明に、ソビエト連邦が翌年4月まで有効であるはずの「日ソ中立条約」に違反して対日宣戦布告。同時に満州・朝鮮・樺太の国境を突破して対日戦勝国の一角を占領したのを忘れてはならない。

長崎への原爆投下は同日午前11時2分、そして御前会議が開かれ、ポツダム宣言受諾が決定したのは日付が変わった10日午前2時半でした。現在も北方領土がロシアの占領状態にある限り、「未解決」の事件です。
死に水も  凍りて飲めぬ  捕虜ゆけり
                  鈴木ゆすら(1912-2002)
鈴木ゆすら氏はソ満国境に派遣された応召兵。まさかのソ連侵攻と同時に捕虜となり、シベリア抑留を体験されたかたです。1948年に復員された後、当時の体験を多くの俳句に残されています。 

    

  お隣に咲いたムクゲ花 韓国の国花で有名ですね!

日本には、季節ごとに古くから受け継がれてきた言葉や、習慣や行事がありす。   9月と言えば、防災の日(1日)重陽(9日)敬老の日(21日)秋分の日・十五夜(23日)などの行事に、コスモス・彼岸花・菊といった秋の花、そして新米や秋刀魚などの秋の味覚ですね! 

重陽とは、古くから伝わる行事に9月9日は奇数の「9」が重なることから、中国では、この日に高台に登って、菊の花で造られた「菊酒」を飲むと長生きすると信じられています。
日本の宮中にも取り入れられ、江戸時代には「菊の節句」として一般の人々に広がり、菊の花びらを浮かべたお酒、菊酒を飲み長寿を祈りました (^^♪

 飲んべーには、たまらない (@_@)

食欲の秋・味覚の秋・紅葉の秋・読書の秋・芸術の秋など沢山の言葉が有ります。   「いろんな秋」を楽しみたいですね !   (^o^)        

8月29日(土)カレジ仲間と信州「アルプス眺望 自然歩道 中級ウオーキング 5km」に参加しました。 日頃は5,000歩も歩いたらスマホに金賞の表示が出て一人で自己満足しニンマリ! そんな状況ですが、一万歩余のウオークでした! 

当日は小雨模様で、コースは登りの連続でかなりキッイ、息も上がり 仲間に励まされ、可憐な花たちにも癒やされ何とかゴールイン、冷えたビールで乾杯🍻        疲れも吹っ飛ぶ! 仲間に感謝です (^_^)

 

   

    仲 仙 寺                         展望台 背景にはアルプスの山々が?   

   

ミズヒキの花 * 名前の由来は、お正月飾りや慶事の熨斗(のし)に添える水引に似ていることから!

    

たまアジサイの花 * 日本在来のアジサイの仲間で、一般のアジサイよりも一ヶ月以上後から咲き始めます。蕾が球形をしていることが名前の由来です。               初めて見るたまアジサイ、仲間から名前を教わり感心する  (^^)/~~~ 

最近、現役の頃に一諸に働いた仲間が一人減り二人減り寂しい限りで、人生引き算ばかりです。 増えるのは歳ばかりですね! 素敵な仲間を大切にしたいです。

                            (❁´◡`❁)   9/1 UP

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興味なし9月といえば、十五夜(2026年は9月25日)、敬老の日(2026年は9月21日)、秋分の日(2026年は9月23日)、重陽の節句(9月9日)、防災の日(9月1日)などの行事や、コスモス・彼岸花・菊といった秋の花、そして新米やさんまなどの秋の味覚が代表的です。 
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暑いですね! 8月

          

炎天下の夏を代表する花といえば、やはり「向日葵《ひまわり》」ですね !

ヒマワリ「向日葵」と書きヒュウガアオイとも呼ばれ、また、ヒグルマ、日輪草(ニチリンソウ)とも。 英語ではサンフラワー、フランス語ではソレイユです。いずれも「太陽の花」と言われキク科の一年草です。ヒマワリの原産地は北アメリカで、成長すれば高さは3メートルくらいにまで伸びて大輪の花を咲かせます。

「ひまわり」といえばゴッホ(1853-1890)の絵画が有名ですね! 花瓶に挿したひまわりの絵は全部で7点が描かれています。

「ひまわり」は、ゴッホにとっては南仏の太陽、あるいはユートピアの象徴であったと言われています。

その7点の1点が、1920年(大正9年)に 実業家の山本顧弥太(こやた)氏が2250万ポンド(約58億円)フランスで購入された「ヒマワリ」です。                                                  居を構えた地名にちなみ《芦屋のひまわり》と呼ばれました。 

        作品はF459と呼ばれ1888年に制作されたもので、現在は焼失した幻の「芦屋ひまわり」として語り継がれています。 <画像等はネットより>

「芦屋のひまわり」は、大正時代に実業家である山本顧弥太氏がフランスから購入し、日本へと持ち帰えり自宅に飾られていた。しかし、第二次世界大戦末期の1945年8月6日、兵庫県芦屋市が空襲に見舞われ、残念ながら『芦屋のひまわり』は山本氏の邸宅とともに焼失してしまいました。 戦争の終結まであとわずか終戦9日前の出来事でした。    

白樺派の芸術家たちとの交流の中で日本にもたらされた貴重な作品でしたが、悲しい歴史を辿ることとなりました。

今では、写真資料や記録がわずかに残るのみで、実物を見ることは叶いません。

焼けてしまった“幻のひまわり”を、2014年、徳島県「大塚国際美術館」が《芦屋のひまわり》を原寸大の陶板で再現し、今では失われた名画を、陶板画として見ることができます。

現在日本には、もう1点、東京の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」で、  ゴッホの「F457:ひまわり」が常設展示され観ることが出来ます。

  

1888年2月、ファン・ゴッホは南フランスのアルルで、画家ポール・ゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれた《ひまわり》と考えられています。

燃えるような黄色、力強く上を向く花々、そして短い命の間に輝きを放つその姿は、ゴッホ自身の芸術への情熱や、南仏のまばゆい太陽への憧憬、そして生命そのものへの賛歌を象徴していたと言われています。

貧困で苦悩と孤独な人生を、自然や精神状態を絵にぶつけ「生きる苦しさ」を表現されたとも言われています。

   

  昨年、我が家に咲いたヒマワリ、

「向日葵が好きで狂ひて死にし画家」 高浜虚子

この句には、ゴッホを思わせる情熱的なひまわりへの思いが込められています。    明治から昭和にかけて活躍した俳句界の巨匠で、写生を重んじる作風で知られています。深い情感を宿しているのが特徴です。

「日まはりの 花心がちに 大いなり」  正岡子規
ひまわりの花が太陽に向かって大きく開く様子を、まるで心を開いているかのように表現しており、ひまわりの持つ開放感や生命の躍動を感じさせます。

ヒマワリの花が日本に伝わったのは江戸時代中期頃とされています。北アメリカからヨーロッパへ渡り、そして江戸時代中期(17世紀後半)に日本に伝来しました。

江戸後期には『花譜』(貝原益軒・1694年)や『花壇地錦抄』(1695年)にも登場し、名称も「日廻(ひまわり)」として定着していきます。

確かな記録としては、1666年刊行の『訓蒙図彙(きんもうずい)』に、

    ネットより

「丈菊(じょうぎく)」「天蓋花」「迎陽花」といった名でひまわりが描かれており、これが日本最古の記録とされています。

俳句や浮世絵、日本画などにもたびたび登場し、夏を象徴する花として「夏の輝き」「生命力」「太陽の象徴」として表現され、近代以降は文学や俳句にも登場します。 

 伊藤若冲『向日葵雄鶏図』国宝            葛飾北斎 『向日葵』

            

     宝暦9年  142.3cm×79.7cm                 1847年、北斎88歳のときの肉筆画


大垣のヒマワリ畑 14万本の圧巻とドクターイエロー

  

  ASC23期の仲間が撮影です 2025.8.13.

たくさんのひまわりが同じ方向を向いて咲いていますね!?

ひまわりの茎の中では、太陽光が当たらない部分に「オーキシンという成長ホルモン」が移動し、太陽光が当たる部分よりも濃度が高くなります。
その結果、ひまわりはオーキシンの働きによって、日陰側の茎のほうが早く成長します。そして日なた側の茎に被さるように伸びていき茎の先端が太陽の方向に向きます。

つまり、ひまわりの茎の中で太陽の光が当たる部分よりも、光の当たらない部分の成長スピードが早くなり起きる現象です。ひまわりが太陽の方向を向くように動くのは、花が「つぼみ」の時期までです。

太陽に向かって花 を咲かせる性質から、「日輪を迎える花」と言われ、花言葉は、「あなただけを見つめる」「愛慕」「情熱」です。

◇ 愛知県美術館で、「ゴッホ展」が開催されました。 2026.1.3.~3.22.

「家族がつないだ画家の夢」 弟のテオとその家族愛がテーマで沢山の手紙などの資料が展示された。 ひと、人で閲覧するのが大変でした。

◇ 名古屋美術館にて、「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」            2026.9.19.~11.29. 開催予定です。

   

『跳ね橋』1888年 は、南仏・アルルの陽光な風景が広がり、印象派から影響を受けた緑や黄色の鮮やかな色彩はゴッホ黄金期の象徴作品です。

ドイツ・ケルンのリヒャル美術館の大規模改修工事のため長期休館で、『跳ね橋』が日本にやって来ます。

フィンセント・ファァト・ゴッホは、約10年間(27歳~37歳で自死)の短い活動で油彩や素描など2,000点余りの作品を残しています。弟のテオドルス(通称テオ)が、ゴッホの芸術の良き理解者で生活や画材などを支援し膨大な作品等を保管します。しかしゴッホの死の半年後に生涯を閉じます。                     「死後に評価が爆発した芸術家」と言われています。  

   

万葉集には、朝顔に関する5首が詠まれており、

「朝顔は 朝露を浴びて 咲くといへど  夕影にこそ 咲きまさりけり」  第10巻 2104番歌 作者 不明
朝顔は朝露を浴びて咲くのが美しいというけれど、真っ赤な夕光を浴びて咲くのもいっそう美しい 

朝顔といえば、朝に咲いて昼にはしぼんでしまう夏の花です。 ところが、奈良時代に編まれた『万葉集』では、秋の草花として詠まれ、なんと夕方まで咲いていたと歌われています。

アサガオが日本に渡ってきたのは奈良時代末期で、遣唐使が薬として種を持ち帰ったのが始まりとされていますので、それ以前に『万葉集』に詠まれる「朝顔」は、現代の朝顔とは異なる花を指しています。

当時は、朝に咲く美しい花を「朝顔」と呼んでおり、桔梗(ききょう)が有力な候補とされています。

平安時代初期の辞書『新撰字鏡』には「阿佐加保(あさがお)=桔梗」との記載があります。古代の朝顔は青色しかなかったと言われています。

  

  朝顔の花          桔梗の花

山上憶良が、秋の七草の歌を詠んでいます

はぎをばな  くずはななでしこ  をみなへし  またふぢばかま あさがほのはな 

朝顔は別名「牽牛」といい、「種」は、中国で「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、下剤や利尿、虫下しといった薬とされていました。                   非常に高価で珍重された事から、贈答された者は牛を引いて御礼をしたという謂れである。
非常に薬効が強く、用法・用量を誤ると激しい下痢や嘔吐、腹痛などの副作用を引こす危険性があるとされています。
そのため、素人が安易に利用するようなものではなく、専門の知識を持った医師の指導のもとで慎重に使われていた。

朝顔の種が薬として平安時代初期につくられらたわが国最初の漢和辞典に「牽牛子」と記載されていることから、朝顔が渡来したのはこの頃であったと推定される。

江戸時代1666年刊行の『訓蒙図彙(きんもうずい)』に、

   

朝顔の花言葉は 「はかない恋」「固い絆」「私はあなたに絡みつく」 

   

  東都入谷 朝顔        浮世絵 朝 顔    歌川広重画・ネットより       

アサガオは日没後10時間後に開花すると言われますが、開花には必ず夜の闇が必要なので街灯の下など終夜明るいところでは咲きません。その上30℃を超える高温の夜であれば朝になっても咲かないそうです。

アサガオは菊と並んで日本の園芸植物の代表格といわれ、江戸時代には競って品種改良が行われました。多種多様に変化し世界でもまれに見る植物と言われています。

アサガオはヒルガオ科の一年草で、実はサツマイモと同じ仲間に分類されます。

      

朝顔の花によく似ている、サツマイモの花 (ネットより)  

原産地についても、長らくヒマラヤからネパール、中国にかけてのアジア圏とされてきましたが、近年ではサツマイモと同じく熱帯アメリカ原産という説が有力になってきました。

薩摩を経由して日本中に広まったことから、「薩摩のいも」という意味で「さつまいも(薩摩芋)」言われています。ほかには、

  • 唐芋(からいも):中国(唐)から来たいもという意味
  • 琉球いも:琉球から伝わったいもという意味
  • 甘藷(かんしょ):中国語での呼び名で、「甘い芋」という意味       

   

◇ 7月5日 探査機「はやぶさ2」「フライバイ探査」に成功!  地球から約1億キロ離れた小惑星「トリフネ」と超高速ですれ違いながら撮影する。  宇宙航空研究開発機構(JAXA)が6日発表された。

   ネットより

二つの小惑星がくっいた形のトリフネ(平均直径450m)は、2001年に米国のチームが発見された。自転周期は約5時間で太陽の周りを約1年かけ1周している。当時は「2001CC21」と呼ばれていた。

    ネットより

画像は、光学航法カメラ(望遠)が最接近の約1秒前に撮影した小惑星トリフネ 2026年7月5日午後6時29分、JAXA・東京大・千葉工業大・東京科大・産業技術総合研究所・パリ天文台・カナリア天体物理研究所提供                        トリフネとは、日本神話に登場する神が乗る舟の名前「天鳥舟:あめのとりふね」にちなんで 2024年に、JAXAが一般公募したなから選定し、国際天文学連合から承認され命名された名称です。

はやぶさ2号は、2031年に最終目的地に !

 小惑星 約350の候補から絞り込んで選考されたのが、大きさが約30mで地球と火星の間を回り、高速で自転しているとみられる 「小惑星1998 KY26 」です。 

「リュウグウ」同様に着陸し、最後のミッション残っている弾丸1発を発射して粉塵を収集を目指しています。 イオンエンジンの噴射口の劣化、残された燃料を最後までもたせなければいけないと、「恐怖心と戦いながら最後まで攻めきりたい」と担当者 三桝氏は意気込みを語る。                                     今後も日本の独創力を発揮して、宇宙の謎を解き明かしてほしいと願い、期待します。

◇  芙蓉の花 《フヨウ》が咲いた!

白楽天が楊貴妃を芙蓉(蓮)に例えたため,「芙蓉の顔(かんばせ)」「芙蓉の眦(まなじり)」という言葉が生まれた。(日本国語大辞典) 

      

アオイ科フヨウ属の落葉低木、8月から10月の暑い時期に咲きます。           君が名を石につけむはかしこさにしばし芙蓉と

      呼びてみるかな                       与謝野鉄幹 
与謝野鉄幹が「君」と呼ぶのは妻 与謝野晶子のことかと思いきや!?        鉄幹は関係のあった女性を白い花にたとえていました。例えば山川登美子は「白百合」、与謝野晶子は「白萩」、増田雅子は「白梅」など。

そして「白芙蓉」と呼んだのは鉄幹が駆け落ちし、一度は妻にもなった林滝野という女性のこと!

与謝野鉄幹と言えば、与謝野晶子との愛と創作をめぐり有名ですネ!

妻の与謝野晶子は、明治から昭和にかけて活躍し、生涯を通して5万首にも及ぶ歌を残した情熱の歌人です。 鉄幹との間に子供は12人・ 歌集『みだれ髪』は有名ですね。 『やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君』

しろ百合は それその人の高きおもひ おもわは艶(にほ)ふ 紅芙蓉とこそ  与謝野晶子 みだれ髪 

そして、『君死にたまふことなかれ』は、1904年(明治37年)に与謝野晶子が詩歌・文芸雑誌「明星」にて発表した詩です。

「与謝野晶子が愛する弟に詠んだ魂の反戦詩で、 「君よ、どうか死なないでください」という意味で、与謝野晶子は、日露戦争で旅順攻撃の報道を受け、激戦地にいるであろう弟のために、どうか死なずに生きて帰ってきてほしいと、悲痛な思いや願いを訴え詠んだ反戦詩です。

◇  2028年前期のNHK連続テレビ朝ドラに、主人公は医師であり、大正・昭和を代表する歌人でもある斎藤茂吉とその妻輝子(1895-1984)をモデルにした『ほんのモキチ』と決まったそうです。

夏晴れのさ庭の木かげ梅の實のつぶらの影もさゆらぎて居り                                                                                    

                     斎藤茂吉(1882-1953)  

    <ネットより>

昭和26年・斉藤茂吉が文化勲章を受賞した時の写真 右、輝子夫人

茂吉は、山形の守谷家の三男に生まれ後に医師の斎藤家に婿入りします。主人公の妻で輝子は悪妻と呼ばれるほどの猛女であったとのことです。              そして、朝ドラ史上もっとも不仲な夫婦が最後まで添い遂げるストーリーとか!?                 主人公は輝子夫人は河合優実さんで決まり、茂吉は誰が演じるのか楽しみですネ!

 ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを

  吾は食ひをはりけ      斎藤茂吉(1882-1953)『白桃』
今、日本の桃は古代のものとは違い、明治時代初期に中国から渡ってきたものです。  その後品種改良が重ねられ、より甘く柔らかな白桃です。他に「水蜜桃」という呼び方もありますが白桃全般を指す言葉で、特に違う品種を指す言葉ではないそうです。

桃の原産地は中国・黄河上流の高山地帯とされていますが、縄文時代の遺跡から桃の種が見つかっていますし、『古事記』にも桃が登場します。

  

◇  総理肝入りの「食品消費減税」1%指示、表明!

高市総理が「悲願」とする飲食料品消費税減が、自民党の要職経験者から慎重論が上がる中、やっと7月30日に食料品の消費税率を来年4月から2年間に限って1%に引き下げるための法改正の指示をした。残る税率1%は、所得連動給付を簡易的に導入し、消費税の「実質ゼロ化」を図る。とテレビ、新聞が報道!

「財源なき減税は市場に大きな影響を与える」・ 『社会保障費に充てる安定財源不足や外食産業などへの影響を危惧」・ 「飲食料品に限った減税の効果の疑問視や首相が示す 2年後の引き上げが心配」と慎重論も根強い!

高市首相は1月の衆議院解散表明の記者会見で飲食料品の消費税ゼロを「私自身の悲願」と訴え、公示直前のテレビ番組で26年度中の実現を目指すと公言しています。

高市早苗内閣の支持率が複数の世論調査で軒並み急落している。政権基盤が脆弱な高市首相にとって内閣支持率は最大の「生命線」であるが、!

崩れつつある高市総理の支持率が40%台も、

最新の世論調査を見ると読売新聞の調査(7月24〜26日実施)で支持率は前月比12ポイント減の57%、不支持率は同13ポイント増の34%となった。

その1週間前、朝日新聞が7月18、19日の両日に実施した全国世論調査によれば、高市内閣の支持率は53%と、内閣発足後初めて60%台を割り込んだ。。

「高市内閣の強みは“高支持率” それが崩れつつあります。このトレンドは、朝日だけではありません。

19日に公表された毎日新聞調査では、支持率が前月から10ポイント減って41%、不支持率は9ポイント増えて44%と逆転した。主要メディアの調査として初めて不支持が支持を上回った。

テレビ朝日も支持率 49.2%、時事通信も支持率 49.0%と軒並み過去最低でした。  (全国紙政治部記者)

🤣 熱いですね!

最近、AIが人に代わって働ける職種が増えつつあるそうです。これから10年・20年先にはどんな社会が待っているのか? この暑さ対策をAIに答うと、酷暑を乗り切るには、「体を冷やす」「水分・塩分を補給する」「暑さを避ける」の3つを意識するのが基本と回答です。

2026年『酷暑日』元年 毎年夏になるとニュースや天気予報では「猛暑日」「真夏日」「夏日」という言葉が頻繁に登場しますが、2026年、気象庁は最高気温40℃以上の日の名称を正式に「酷暑日(こくしょび)」と命名しました。

8月は、一年の中で最も暑さが厳しい時節ですが、お盆や夏祭り、花火大会など、夏ならではの楽しい行事が沢山さん有りますね。

生活リズムの乱れや、暑さによる疲れがたまりやすい8月でも有りますので、体調管理には十分気を付けて、暑い熱い夏を乗り切りましょう🙆‍♂️       

                            8/1 UP

 

(✿◠‿◠) 7月です!

  

夏の風物詩「七夕:たなばた」は、しちせきとも読み、7月7日の夕方という意味があります。 江戸時代に季節の節目を意味する「五節句」の一つに定められ、「七夕まつり」「星祭り」として、今も続いている日本の伝統的な行事です。 

五節句とは、7月7日の七夕の節句(しちせきのせっく)以外は、七草粥を食べる1月7日の人日の節句、桃の節句やひな祭りとも呼ばれる3月3日の上巳の節句、こどもの日とも呼ばれる 5月5日の端午の節句、菊の花を飾ったり菊酒を飲んだりする9月9日の重陽の節句があります。

日本の「たなばた」は、奈良時代の遣唐使によって、中国から伝わった「乞巧奠・きっこうでん」と言う行事や「星伝説」に登場する「織女・しょくじょ」の風習と、日本古来の宮中行事として「古事記」にも登場する織物を作る女性「棚織女:たなばたつめ」が技術が上達を願う行事が有り、それが中国の行事と結びつき「七夕」の文化が定着したとも言われています。

牛飼いの「牽牛:けんぎゅう」と天帝の娘で機織りの名手「織女:しょくじょ」は、共に働き者でしたが、結婚を機に仕事をサボるようになり、これが天帝の怒りにふれ、2人は年に1度、7月7日の夜にしか会えなくなったと伝えられています 。                   織女は「こと座のベガ」、牽牛は「わし座のアルタイル」を表しています。

牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の二つの星が年に一度しか逢うことを許されないと言う話は、中国から伝わってきたものです。

これに、日本にあった、棚機女(たなばたつめ)と男性の神のお話がミックスされて、「彦星:ひこぼし」と「織姫星:おりひめぼし」とのお話として定着したようです。       

7月7日の真夜中には、ほぼ頭上に天の川をはさんで、二つの星を見る事ができます。

日本と中国の文化が結びついた風習と言われ、時代も変わり、かたちも変わってきましたが、短冊に願い事を書き笹に飾る習わしは幼い頃から親しみ、皆さんも沢山の想い出が有ると思います。

万葉集には、130首を越える七夕に関連する歌が収められています。そのほとんどは、男女の恋の物語をイメージして詠まれています。

久方(ひさかた)の天の川瀬(かわせ)に、舟浮けて、

 今夜か君が、我がり来(き)まさむ

天ノ川の瀬に、船を浮かべて、今夜はあなた様が私のところへいらっしゃるかしら。

この歌は、「山上憶良」が七夕を詠んだ12首ある一首です 

京都の冷泉家では、今でも古式ゆかしい七夕の歌会や「乞巧奠」がとり行われており、詩歌や裁縫の上達を願い星に祈りをささげ、梶(かじ)の葉に和歌をしたためて、お祀りしているそうです。 梶の葉が重要な役割を果たしているそうです。

 織姫と彦星の物語を想像しロマンティックなラブストーリーが頭に浮かびますね!  そんな七夕の由来に思いを果てながら、7日の夜空を見上げてみてはいかがでしょうか?

     (✿◡‿◡)  「おりもの感謝祭  一宮七夕まつり

昭和31年(1956年)に始まった一宮七夕まつりは、今では市民の夏の最大イベントとして根をおろし、期間中は約130万人が訪れます。
繊維の街にふさわしく当地特産の織物を奉納する「御衣奉献大行列」、「ワッショーいちのみや」、「コスプレパレード」や「盆踊り大会」など多彩な行事が開催されます。

           

今年は「一宮コスチュームタウンプロジェクト」発足15年を祝い 26日 PM5時から、  コスプレ パレードが盛大に開催される予定です。   

   

千両 と オギザリス トライアングル グラリスの花 別名「紫の舞」 多年草でカタバミ(雑草)の仲間、800種類もあります。

 暁(あかとき)と   鶏(かけ)は鳴くなり   よしゑやし
                ひとり寝(ぬ)る夜(よ)は    明けば明けぬとも

            万葉集/巻11-2800  作者/不明

朝が近いと鶏の 鳴いて知らせる声がするそれでもいいよ ひとり寝の         

    夜(よ)は明けるなら明けていい 

日本にニワトリが入ってきたのは弥生時代とされていますが、その詳しい年代は明らかになっていません。しかし、日本の弥生時代に鶏が飼育されていた決定的な証拠が唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で発掘された骨を解析し、ニワトリのヒナのもので、飼育されていたらしいと突き止めた。

北海道大学総合博物館の江田正樹教授のチームが、弥生時代(紀元前5世紀から紀元前2世紀頃)の集落、唐古・鍵遺跡で鶏が飼育されていたことを示す発見が学術誌に掲載された。 <2023年4月20日付 地球科学のフロンティア. 科学雑誌に掲載>

     ネットより 

唐古・鍵遺跡は、今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置する近畿地方最大級の拠点的集落の弥生時代の遺跡です。

ニワトリの主な祖先は東南アジアの森林に生息するセキショクヤケイ。現在ではニワトリは、南極大陸をのぞく全大陸の、バチカン市国以外の全ての国で飼育されている。

約3千年前には欧州やオセアニアにもいたとわかっているが、ニワトリの飼育がいつごろ始まったかは謎だ。                              日本列等島には弥生時代、朝鮮半島や中国を通じて入ってきたと考えられているが、詳細な年代は不明だ。奈良時代の歴史書「古事記」には時を告げる「常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)」として登場し、「日本書紀」雄略紀に闘鶏の勝敗で占いの結果を判定したという記述がある。

岐阜県各務原市:那加柄山町にある柄山古墳(からやまこふん)は、全長82メートルの前方後円墳で、県の史跡に指定されています。昭和32年、柄山古墳周辺の整備の際に発見されたのが、この鶏頭埴輪(けいとうはにわ)です。

     ネットより

頭部だけが発見され、高さ11.6センチメートル。竹管を押し当て表現された目のほか、鶏冠(とさか)やアゴの肉ひげなど、ニワトリの特徴がよく表れています。また、表面には顔料が残り、本来は赤く塗られていたと考えられています。

日本の戦後復興期において、深刻な食糧不足が続き肉や魚も十分に手に入らず、栄養失調が社会問題となっていた。そうした状況のなかで卵は長年にわたり価格が比較的安定し「物価の優等生」と呼ばれ安価で栄養価が高く、家庭の食卓を支え栄養源に非常に大きな役割を果たしていました。

中日新聞「中日春秋」より、(一部転記)

日本人が愛する「卵かけご飯」を初めて食したのは、明治期の記者 岸田吟香(ぎんこう)とされる。画壇の巨星 岸田劉生の父である。

明治天皇巡幸の随行記者として、旅行中はどんぶり飯に生卵三、四個を入れ、持参の焼塩と唐辛子を振りかけて朝食にしたと伝える文が残る。忙し記者家業のスタミナ源としてたらしい。(森誠静岡大 名誉教授の著書に記述)

鶏が祭神の使いとされる栃木の鷲宮神社では、毎年11月の例大祭で、天狗が山盛りの生卵を地域住民がふんする「頂戴人」に強引に勧める「強卵式」と言う儀式がある。  決して口にせず「神様にお供えします」と辞退する段取りになっています。      神社で祈願する際には鶏肉、鶏卵を断つしきたりを伝えるのがこの儀式です。

鎌倉幕府二代将軍となる源頼家の幼少期の百日咳治癒のため、母の北条政子がしきたりに従って祈り、回復したといわれる。

卵はここ数年でかなり高騰!

2026年春時点では、全国平均の小売価格が10個入り1パックあたり約300円前後で推移しており、過去最高水準に近い状態です。農林水産省の調査では、1パック308円となり過去最高値に並んだ時期もありました。                     卸売価格も高止まりしており、2026年5月の東京地区のMサイズ卵の基準値は1kgあたり315円前後となっています。

興味深いのは「高い」と感じる一方で、卵は依然としてかなりコストパフォーマンスの良い食品だという点です。

例えば10個入り300円なら、1個約30円で、タンパク質は約6g

1食分の良質な動物性タンパク質を30円程度で摂れる計算になります。肉や魚も値上がりしているため、栄養価あたりの価格では今でも優秀な食品と言えます。

戦後を知る世代の方からすると、「卵はごちそうだった」「昔はもっと安かった」という印象があるかもしれませんが、今は「安価な栄養源」から「比較的手頃な栄養源」へと位置づけが変わりつつあります。

戦後まもない幼少期、我が家には鶏が10羽ぐらい飼ってた。卵はすべて家族の貴重なタンパク源でした。 小学校の遠足の朝に母がゆで卵をつくり、リックに5個入ってた。 貴重な卵で子供心に嬉しかった記憶があります。

花の形がニワトリのトサカに似ているため、「鶏頭」に由来してケイトウという名前がつきました。英名にでも、ニワトリのトサカを表す「Cockscomb」という名前がついています。

 

ニワトリが歩いている姿に似ているため、「おしゃれ」「気取り屋」「風変わり」「個性」などの花言葉があります。

毎月28日は「ニワトリの日」です。その由来は、日付は「に(2)わ(8)とり」(鶏)と読む語呂合わせから、日本養鶏協会など養鶏関係者が1978年(昭和53年)6月に制定された。

     東京博物館所蔵 ネットより

  群馬県 赤堀茶臼古墳出土

縄文も弥生も寒しざらざらの火焔土器とふ壺をかこみて
                                                         大西民子(1924-1994)『光たばねて』
1877(明治10)年のこと、エドワード・モース(1838-1925)が横浜から東京へ向かう汽車の窓から、大森駅を過ぎてすぐの崖の地層に貝塚らしきものが露出しての見つけました。日本初の考古学発掘調査はこの大森貝塚で開始され、モースは出土した土器を「縄目文様のある土器」と呼んだことが『縄文時代』の語源となった。

      

  大森貝塚遺跡庭園に建つエドワード・モースの胸像  (ネットより)

エドワード・モースが大森貝塚を発見した日にちなんで、6月19日は『縄文の日』と設定される。  「縄文時代」は1万年以上に及び、日本史の時代区分ではもっとも長い時代です。しかし、この時代の遺跡や遺物があっても文字で残された資料はありません。

これからも新しい発見があるかもしれませんが、この時代よりはるか後に登場する「邪馬台国」でさえ解明されていないのですから日本人のルーツにも関わるミステリーには興味津々ですね!

    ポーチュラカの花、              夏の暑さに負けることなく沢山の花が咲きます

6/9 ・6/29  中日新聞:朝刊に、

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は9日、探査機は「やぶさ2」が7月5日午後6時半ごろに目標としている小惑星の一つ「98943トリフネ」の近くを通過しながら観測する予定と記事が伝える。

   <ネットより>

「やぶさ2」は、 2020年12月6日、小惑星リュウグのサンプルの入ったカプセルを地球に届けた後、 自体のイオンエンジンの燃料が半分以上残っていたことら、余力を使って新たな探査に旅立ちました。

次なる新しいミッションは、2つの小型小天体に接近し探査する予定です。      その一つが、2026年に小惑星「98943 トリフネ」で地球に近づく軌道を回る小惑星です。 大きさは500mほどで、形は細長いとみられている。

「はやぶさ2」は秒速約5キロで通過しながら、約1キロまで近づき、トリフネの形や表面をカメラなどの機器で観測を試みます。

将来、地球に衝突しそうな小惑星が見つかった際の対処法を探るプラネタリーディフェンス(地球防衛)活動の一環でもあるそうです。

そして、2031年には最終目的地に、           小惑星 約350の候補から絞り込んで選考されたのが、「小惑星1998 KY26 」で大きさが約30mで地球と火星の間を回り、高速で自転しているとみられる 。                                  

    

小惑星1998 KY26とはやぶさ2のサイズ比較 <ネットより>            

「小惑星1998 KY26 」は、1998年6月に発見された天体で、リュウグウと同様に炭素を含む「C型」小惑星の可能性がある。

「はやぶさ2」は宇宙の航行は、2014年12月6日に 打ち上げから2031年7月で17年間の探査となります。

  <開発時の設計寿命はすでに過ぎています>

JAXの山川理事長は「非常に長期の運用もしつかり動いているのも工学的の成果」と強調します。また三桝氏はエンジンを噴射してどの位制御するか、各機器の電流値や温度など送られてくる運用データーをJAX相模原キャンパスの管制室で見続けています。

今、「金星の近くを飛んでいるので、最も熱い機器だと百数十度になる。また探査機からデーターが届くまでの時間が光りの速さで6分ぐらいで、遠い時には15分かかるので遠くを感じる」と話す。

そして「リュウグウ」同様に着陸し、残っている弾丸1発を発射することを目指していますが、イオンエンジンの噴射口の劣化、残された燃料を最後までもたせなければいけないと、三桝氏は「恐怖心と戦いながら最後まで攻めきりたい」と意気込みを語る。

 今後も日本の独創力を発揮して、宇宙の謎を解き明かしてほしいと願うばかりです。

  ペチュニアの花  :  原産地は南アメリカです

初夏から秋にかけて長く咲き続け、花壇の女王とも呼ばれています。

今年の「梅雨入り」は6月7日、気象庁発表

平年の6月6日頃より1日遅く、昨年(2025年)の5月17日頃より21日遅い時期となりました。

梅雨明けは、7月19日頃と予想されており、梅雨期間は約44日間が目安です。

過去の統計では、最速の梅雨入りは2011年の5月22日頃、最遅は1951年の6月28日頃で、梅雨明最短6月22日頃、最長8月3日頃でした。

歌碑祭は雨の降るなか献酒する牧水やはり雨男なり
   「第9回若山牧水みなかみ紀行短歌大会」にて、 奥村清美(群馬県)
牧水は物心がつく頃から雨に濡れる坪谷の渓谷と尾鈴山が好きで、歌を詠み始めた中学生の頃は自らを「雨山《うざん》」とか「白雨」とか呼んでいたそうです。18歳の時に名乗り始めた「牧水」も母の名の牧《まき》と雨にちなんだ水の字を用いたと言われています。 

   

一強体制を築いた高市首相だが、昨年の自民党総裁選で自身の陣営が他候補を中傷する動画を大量投稿していたとされる疑惑が! 公職選挙法違反の疑いがある。

「SANAE TOKEN(サナエトークン)」なる暗号資産への陣営の関与も取りざたされています。 そもそもなぜ彼女の選挙戦にはトラブルを呼び込む面々が集うのか?

高市首相の陣営が昨年の自民党総裁選や今年の衆院選などで他候補を中傷する動画を作成し投稿したとする「週刊文春」報道をめぐり、首相の公設第1秘書と動画を作成したとされる男性の会話の音声として「文春オンライン」が新たに配信したことで、高市首相は国会で野党の追及を受け、事実関係を否定してきた。一方、文春だけでなく、共同通信が7日、秘書と打ち合わせを行った上で中傷動画を作成したとするこの男性の証言を独自に報じた。動画を作成したとされる男性は顔出しでオンライン取材に答えており、これまでの国会での首相答弁と食い違う内容もあらためて浮上している。

                       2026.7.1. UP

(👉゚ヮ゚)👉 夏めく、6月 !

春から夏へと季節が移り変わる6月は、水無月(みなづき)・水張月(みずはり)・青水無月(あおみな)・涼暮月(すずくれ)・蝉羽月(せみのは)、鳴神月(なるかみ)などと、 古人は憂鬱なつゆ時期も楽しみ美しくもロマンチックな呼び名が付いています。

夏服に衣変えした学生さんの姿に、季節の移ろいを感じ気持ちもリフレッシュですネ!

世の中が便利になるにつれ、季節感を味わうことも少なくなり、行事も年を重ねるごとに簡素化されていますが、花たちは季節がやって来ると出番が待ち遠しいように咲いてくれます。  新緑も一段と緑が映え、庭の紫陽花も色づいて来ました (^^)/~~~   つゆ時期によく似合う花、千変万化に色を変え、ひときわ美しい花ですね!

梅雨どき、「紫陽花」は雨がよく似合う !

ふる雨が染めたかのように、紫陽花の花が少しずつ色を変えていきます。                                      気象庁は、5月4日、沖縄地方が梅雨入りと発表!平年より6日早い梅雨入りと報じる!

紫陽花の原種は日本に自生するガクアジサイです。古くに中国へ伝わったものが欧州へ渡り、改良されて再び日本に里帰りしたのが セイヨウアジサイ だそうです。 (●'◡'●)

紫陽花の色移りゆき 梅雨となる小窓に 一つ てるてる坊主

     

子供の頃に、雨降りが続くと晴れてほしいと願い「てるてる坊主」を吊り下げた記憶が皆さんにもあるかと思いますが、特に遠足、運動会、七夕まっりなどには「あした天気にしておくれ」と願いをこめて作ったのを想い出します。

最近は、テレビや新聞の天気予報で雨が降り出す時刻までわかる時代で、最近の子供たちは「てるてる坊主」をつくたり! 童謡「てるてる坊主」の歌をうたったりするのかな?

「紫陽花」が登場する最も古い書物に、「万葉集」で二首詠われています。

言問はぬ木すら味狭藍(あじさい)諸弟(もろと)らが練の村戸(むろと)あざむかえけり         

                           <大伴家持>

ものを言わない木で、あじさいのように色鮮やかに見せてくれますね、それ以上に言葉をあやつる諸弟たちの上手い言葉に、すっかりだまされてしまったことですよ                                     

紫陽花の八重咲く如くやつ代 に おいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)

                           <橘 諸兄>

あじさいが幾重にも咲くようにいついつまでもいらっしゃいませ、あなたあじさいのようにお顔を見ながら、お慕い申しておりましょう

万葉集には「「アジサイ」が詠まれているものの、古今和歌集や源氏物語、枕草子には取り上げられていないようです。 それほど人気がなかったと言うことか?

ドイツ人の長崎オランダ商館の医師 シーボルトは、    日本で出会った「お滝さん」に恋するのですが、なんと彼にスパイ容疑がかけられ国外追放にされてしまいます。

ドイツに帰国した後、日本で採った紫陽花に「お滝さん」の名前から「オタクサ」と学名をつけ忍んだとそうです。 今も長崎では、紫陽花を「オタクサ」と呼んでいる。

離れていても思っているというお話から「辛抱強い愛」という花言葉がつけられたそうです。 なんともロマンチックな話ですね! (^^)/

粋でちょっとにくい花、様々な色の紫陽花が咲いているのはよいものですね!

5月10日8日(日)「母の日」

 皆さん、カーネーションの花をプレゼントしましたか?

「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にグラフトンの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」で、この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月の 第2日曜日を「母の日」にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。                                                                一人の娘の純粋な母への想いから誕生した特別な記念日です。

日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会で お祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まっていったと伝えられています。

また、父の日は 6月第3日曜 17日で、日本には、1950年代にアメリカから伝わったといわれています。

5/10 中日新聞<中日春秋>より、<一部転載>

「母の日」に、最近はアジサイを贈るという人が増えているそうです。    

 『紫陽花や きのうふの誠 けふの嘘』

                       正岡子規

アジサイは色が変化することからいにしえより「移り気」や心変わりなどイメージがある。母の日に移り気のアジサイは妙な気がすが、小さながく片が集まり花房を形作っていることからアジサイは「家族だんらん」のシンボルと考え、母の日にふさわしい花の一つになつてきたそうだ。 知らなかった!

アジサイの語源は青い「花」が集まる『集(あず)真藍(さい)』というから、なるほど、家族が仲良く集まる様子に重なるか。長持ちすることも人気の理由かもそしれない。

  気になって、花言葉を調べてると「謝罪」と言うのが出てきた。

金子みすゞの「さかむけ」という詩をおもいだす。                『指にさかむけができる子は、親のいうこときかぬ子よ」さかむけが痛む子は考えこむ。「おとつい、すねて泣いたっけ、 きのうも、お使いしなかった」「母さんにあやまりゃ、なおろうか」 そんな詩である。

こんな日、「謝罪」の花を用意したくなるという人はわが身を含め少なくあるまい!

「さかむけ(ささくれ)ができると親不孝」とは諸説ありますが、ささくれができると「親の水仕事を手伝えないから」親に迷惑をかけることになるという説があります。

  キュウリの花 (家庭菜園)

日頃、特別なこともなく過ごしていますが、知らず知らずのうちにストレスや気持ちの乱れで疲労が溜っています。 半年分の厄落としをして心身一新する節目にする行事があります。

  夏越の祓「なごしのはらえ」神事

「名越の祓(なごしのはらえ)」「夏越神事(なごしのしんじ)」「六月祓(みなづきばらえ)」とも呼ばれています。

1000年以上の歴史をもつ神道の行事で、毎年6月30日に行われ1月から6月までの半年間にたまった穢れ(けがれ)や災いを祓い、心身を清めるための伝統神事です。            

「祓(はらえ)」とは、神道において罪や穢れを取り除くことを意味します。

「茅の輪(ちのわ)くぐり」神事、 その起源は、七世紀の宮中礼儀までさかのぼるほど古く、神社の境内」に作られた大きな「茅の輪:ちのわ」をくぐることで、自身の穢れや災厄と厳しい夏を無事に越せる儀式です。 

茅は昔から強い生命力を持つ植物とされ、邪気を払う力があると信じられてきました。丸い形には「円満」や「終わりと始まり」という意味も込められています。

   京都 長岡天満宮に参拝にて (2023.8.25)

日本神話のスサノオノミコトに由来すると言われており「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら、8の字に3度くぐり抜けるのがしきたりとされています。

「人形)ひとかた)神事 流し雛の原型とも言われる。「形代:かたしろ」といわれる紙を人形や動物に切り抜き、それに名前を書いて撫でて息を吹きかけ、自分の内に溜まった穢れを移して海・川などに流し清めます。 今は神社へ納めて祓い清めるのが主流です。

「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
  禊ぎぞ夏の しるしなりける」
                  「百人一首」藤原家隆の和歌

      ネットより

 京都 上賀茂神社の「夏越祓式」の情景を詠んでいます

スマートフォンやSNSなどに囲まれた現代社会では、常に情報があふれています。便利になった反面、心が休まる時間は減っているかもしれません。知らないうちにストレスが積み重なり、疲れが取れないと感じる方も多いかと思います。            そんな現代人にぴったりの「夏越の祓」行事で、半年の区切りに自分を見つめ直す良い機会にしたいですね!

そして、後の半年は12月31日「年越の祓」と呼ばれ、1年の締めくくります。そして新年を迎えます。 

昔から受け継がれてきた、良き日本の伝統行事を大切にしたいですね。

 高市首相の、   

ガソリン価格「半額」アピール発言に、大ブーイング!

先行きが不透明なイラン情勢とガソリン価格への不安をめぐり、高市首相のSNS発信が波紋!

政府が3月19日から開始した補助金による「緊急的な激変緩和措置」によって、国内のガソリン平均小売価格が「170円程度の水準」に抑制されているからと発信!

しかし、価格を抑える「補助金」の原資は、元をたどれば税金だ! 「手柄でも何でもないのに! (>_<)

「我々の血税で補填してるからであって、「つまり、国民が国民に払っている」それを自らの政権の「実績」として語るとは?? 不信感がつのる。

 5月3日は憲法記念日、      1947(昭和22)年5月3日に施行されたことを記念して制定された国民の祝日です。

高市首相「憲法は国の礎であるから、時代に合わせて定期的に更新を!」と憲法改正派の集会にビデオメッセージ!  国民の憲法を議会で定期的に更新とは??

元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏が3日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」に出演で、ジャーナリストの門田隆将氏と口論まがいの激論を繰り広げられた。

〝武器輸出〟解禁の是非が議題になると、橋下氏は先の日米首脳会談を振り返りながら「ホルムズ海峡の自衛隊派遣の時に、一応正式には憲法9条を制約とは出してないとは言ってるけれども、ニュアンスは出てることは間違いないんですよ」と指摘し「世界各国はあの戦争には参加する意味があるのかどうなのかということで、トランプさんとぶつかる。でも、日本は憲法ないしは法律というものを盾にして断わることが出来たわけですよね!   

じゃあ、武器輸出の時もね、トランプさんが、今もう武器足りないわけでしょ。   『おい、日本、ちょっとこっちに武器回せ』となったら、ノーと言える政治家がいるのかな?」と懸念を示した。

4月に雑誌界隈で話題になったのが、「高市早苗首相と今井尚哉参与が大喧嘩?」という報道!

月刊誌「選択」は、高市首相がホルムズ海峡への自衛隊派遣を考えていたところ、今井氏が強く反対し、激しいやり取りになったと報じた。高市首相は国会で「誤報」と否定した。 政治家が不利な報道を否定すること自体は珍しくはないですが?

興味深いのは、「週刊文春」が今井氏本人を直撃した。今井氏は首相との確執を否定したものの、

「秘書官の仕事、参与の仕事というのは、耳が痛かろうがどうだろうが、国にとって重要なことについては、きちっと進言しなきゃいけない」と語った。                 この言葉、妙に含みがあると推察されませんか?

  セッコクの花

中日新聞 日曜版 5/3「おじさん図鑑」飛島圭介(エッセイスト)

「憲法前文を読む」  ≪全文転載≫

5月3日は憲法記念日。この時期になるとおじさんは「日本国憲法」の前文を読み返し、その高々と謳う(うたう)清爽(せいそう)な文章に襟を正す。この全文のキモは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言・・・」というところだ。

先の戦争の記憶が薄れ、あたかも戦争が正義の行使だという勇ましく危険な考え方が、徐々に頭をもたげていると、おじさんは憂慮している。「日本を取り戻す」とか「普通の国にする」といった言葉が中身を吟味されることもなく、と世の中に広がりつつある。

「日本を取り戻す」のは戦前の日本に戻ること。「普通の国にする」は、昔のように「政府の行為によって再び戦争」ができる国にすることだ。

戦後生まれのおじさんは、もちろん戦争を知らないが、戦争が大量殺人であることは熟知している。臆病なジジイだと言われても結構だ。

戦争については「あつものに懲(こ)りてなますを吹く」のがちょうどいい。

◇<なますを吹く> 中国から伝わった言葉で、 熱い吸い物にこりて、なますのような冷たい料理も吹いてさます意味。                                 一度の失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり、無駄な心配することのたとえ。

「 日本国は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し 」  戦争しない国として誇り高く、努めるのがいちばんだ。  以上

 1947年(昭和22年):日本国憲法が施行。現在の日本における国家形態等を規定する憲法。大日本帝国憲法の改正という形で制定されたが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つを基本原理とする。

九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ
                   中沢直人(1969-)『極圏の光』

「九条」は、もちろん日本国憲法の第九条。「降り出せばそれぞれの傘」とは、核の傘のこと。

第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

高市首相、 消費税ゼロ法案を提出明言!

5月20日 の党首討論で、2年間限定の飲食限定料品消費税ゼロに向けた関連法案を国会に提出すると明言する。

しかし、高市早苗首相が衆議院選挙で公約した「飲食料消費税の2年間ゼロ」は、2026年度中の実施が難しくなっているとの報道も? 食料品の消費税ゼロではなく1%とする案が急浮上も、?

その理由とは、税率を変更するには、スーパーなどのレジシステムの改修が必要となる。レジシステム大手によると、システムはゼロへの変更を想定して設計されていないため、ゼロへの改修には9か月から1年かかるという。

 ゼロ以外の税率であれば改修期間がその半分程度に短くできるて? 理解出来ますか ?

 クチナシの花

東海地方の梅雨入り6月6日頃で、梅雨明けは7月19日頃と例年値より推定報道!

何気なく過ぎていく毎日に、紫陽花や花菖蒲が咲き季節の移ろいを感じる今日この頃、夏に向かう気候の変わり目です。梅雨で雨の日が続くうえに、祝日のない月なので気分の切り替えが大切になる季節です。 体調を整え、ご自愛専一を願います。

                            m(_ _)m 6/1 UP                                         

風薫る 5月! 

桜の季節も過ぎ、ハナミズキの花も咲き、鯉のぼりもあちこちに!
新緑が目にしみて、風薫る爽やかな季節となりました!
青葉の香りを運んでくる爽やかな心地良い南風のことを「風薫る」と言うそうです。
NHK朝ドラ「風、薫」3月30日に始りました! 脚本吉澤智子さんが、人生における「向かい風」や「追い風」を経て、やがて心地よい「風」が「薫る」ようなドラマになればと、思いを語っておられます。 田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)を原案とするが、脚本はフィクションとして構成されています。

    

大関和(1858-1932)と 鈴木雅(1958-1940)  <ネットより>
今から140年前1886(明治19)年4月4日に新設されたばかりの桜井女学校付属看護婦養成所の1期生として入学した主人公大関和と鈴木雅が、看護の世界に飛び込んだ二人をモデルに制作。 明治期には、まだ賤業だと蔑視されていた!  後に明治のナイチンゲールと呼ばれる女性の物語です。
<後に大関和は東大病院初代 外科看護婦長・ 鈴木雅は東大病院初代内科看護婦長>

   

           大根の花
前回のNHK連続朝ドラは、 『ばけばけ』 モデルになったのが、小泉八雲の妻 節子をドラマ化したフィクション物語でした。
著書『Kwaidan(怪談)』は妻の節子から聞いた各地の民話を文学作品を基にしたもので、これがアメリカで刊行されたのは1904(明治37)年の4月2日でした。           「耳無芳一の話」「むじな」「ろくろ首」「雪女」など良く知られているお話ですが、ドラマにも描かれていたように出版当初のアメリカではベストセラーとはならなかったようです。
  『 怪談に 女まじりて 春の宵 』   正岡子規 (1867-1902)
       
     『Kwaidan』 原本     <写真はネットより>
後に小泉八雲の本は多くの知識人の間で注目され、詩人のW.B.イェイツ、小説家のE.M.フォスター、インド初代首相のネルー、ドイツの哲学者テオドール・アドルノなどはこの本を通じて日本に興味を持ったと述べています。
また、アインシュタインやチャップリンが日本を訪れたいと思ったきっかけは、ハーンの著書だったとインタビューで語っています。
  日暮るれば さそひしものを 赤沼の 
       真菰(まこも)がくれの ひとり寝ぞ憂き
                                        小泉八雲 『怪談』
 日暮れには誘い合って共寝をしたのに、赤沼の真菰に隠れてひとりで
 寝るのはつらいのです。
小泉八雲著書、『怪談』の中の「おしどり」より、  <古今著聞集』巻20>
村充(そんじょう)という猟師が赤沼でつがいの鴛鴦(おしどり)を見つけ、放った矢は雄の鴛鴦を射殺します。その夜のこと、村充の夢枕に若い女が立ち、泣きながらこの歌を詠んで消えていったという、一話です。

 

カランコエ:多肉植物・アフリカ南部、東部・アラビヤ半島・東南アジアに約100種類分布・ 花言葉は「たくさんの小さな思い出」「幸福を告げる」
4月末から5月にかけ楽しいゴールデンウィークですね!

4月29日*昭和の日・5月3日*憲法記念日・5月4日*みどりの日・5月5日*こどもの日が「祝日」です。

「祝日」は、現行法律「国民の祝日に関する法律」で定められた国民の休日です。    かっては、「祭日」と言われる皇室で儀式や祭典を行われる日が有りました。

 「祭日」は、1947年に法律改定により廃止されたため現在では祭日は存在しません。 しかし、以下は名前を変えて現在の祝日に受け継がれています。

  • 紀元節(きげんせつ)・・・建国記念の日
  • 天長節(てんちょうせつ)・・・天皇誕生日
  • 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)・・・春分の日
  • 昭和天皇の誕生日・・・昭和の日
  • 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)……秋分の日
  • 明治節(めいじせつ)・・・ 文化の日
  • 新嘗祭(にいなめさい)・・・勤労感謝の日

戦前の宮中祭祀に基づく祭日のことを指します。                  つまり、祝日は現在使われている正式な呼び方で、祭日は昔の呼び方ということです。 

現在、16日の祝日があり、祝日の多くが「ハッピーマンデー制度」の導入により、月曜日に振り替えされています。これにより、3連休が増えて国民の余暇充実が図られています。

 今年もクレマチスが咲いたよ!

クレマチス・テッセン(鉄仙)・カザグルマと呼ばれ「ツル性植物の女王」といわれています。多年草で約300種類存在すると言われています。花言葉「精神の美」「旅人の喜び」

4月14日 今年初めてツバメが飛ぶのを見た!

冬の間、暖かい東南アジアで過ごしていたツバメたちが春になると繁殖のために、はるばると海を渡って日本にやってきます。別に人懐っこいわけでもないが、人家の軒先に巣を作るのはカラスなどの外敵からヒナを守るためだと言われています。

日本では、昔からツバメが巣を作る家は栄えるとか、商売が繁盛するとされ、農村でも害虫を食べてくれる益鳥として大切に扱われて来ました。人間と燕はまさに共存共栄の関係で、「人と鳥の幸福な共存の象徴」とも言えますね。

最近はカラスが増えてきたせいか、ツバメの姿が少なくなってきたように思えます。

幼少の頃、実家の居間に大きな陶器の火鉢が鎮座していた!? ツバメが飛来し居間の天井に巣を作り子育てをします。そのため糞を受けるための火鉢です。

『 大津絵に 糞落しゆく 燕かな 』 与謝蕪村

  大津絵に、糞を燕が落としていった。

息子の家の玄関軒下に毎年ツバメが巣を作りに飛来します。(^^)/  だから大きな文字でツバメの糞に注意と張り紙をしています  m(_ _)m         

 ネットより

万葉集には、一首だけ燕が詠まれている歌が有ります。

 燕来る時になりぬと 雁がねは国偲ひつつ 雲隠り鳴く

                         大伴家持 巻第19

燕がやってくる時節になったと、雁は自分の国を思い起こしながら、雲隠れしながら鳴き渡っていく。  

燕が飛来する頃、雁は北へ帰っていく頃で、夏場をシベリアで渡り冬は日本で過ごす渡り鳥です。燕は、雁と入れ替わりに常世(とこよ)からやってくると信じられていたそうです。

『 盃に 泥な落としそ 群燕 』 松尾芭蕉

どうか盃に泥を落とさないでくれ、群れになって飛んでいる燕たちよ。

江戸時代にはツバメの糞が肥料になると考えられ、田んぼにわざわざツバメがとまれる棒を立てる風習があったようです。

九州には2月くらいから飛来してきて、3月近くになると関東にに、そして4月になると北海道まで飛来します。

インドネシアやフィリピン、オーストラリアから数千キロの旅をして飛んでくるツバメたちは、日照時間の長さから、それぞれに渡りる時を感知し、敵に見つからないように一羽ずつ、海面すれすれに飛んできます。秋は子供たちを連れて集団で帰りますが、行きは単独です。

『 夕燕 我にはあすの あてはなき 』 小林一茶

夕暮れに飛ぶ燕よ、私には明日の泊まる先のあてがないのだ。

ツバメの子育ては約3週間。エサはほとんどが空中を飛ぶ虫で、多いときは1日に300回もえさを運ぶというから驚きです。

「燕が低く飛ぶと雨が降る」ということわざは迷信ではなく、低気圧で餌となる小さな虫が低く飛ぶためです。

 

フクロナデシコ(袋撫子)中国固有種で落葉性越年草です。            地中海などに分布しています。 

今年の夏も暑い! 

昨今、地球温暖化で四季が「二季」となり? この夏も平年よを上回る暑さになりそうとのこと!

4月17日 気象庁は、最高気温が40度以上日の予報用語をアンケートを実施し、応募者 約 47万8千 結果、「酷暑日」に決定される。

 

2026年の暑さの見通し! 日本気象協会

全国で40℃以上の「酷暑日」が観測される地点予想

 <表は中日新聞より>

日本気象協会の予測によると、2026年は全国の延べ7〜14地点で40℃以上の「酷暑日」が観測される見込みです。

太平洋高気圧が本州付近に張り出しやすく、前年2025年は東北地方を除き5月に梅雨入り、6月に梅雨明けとなり、多くの地方で最も早い梅雨明けの記録となりました。  今年も暑さの到来も早いとのことです。 (>_<)

今や、何にもかもAI時代!?

中日新聞記事に、生成AIを利用して「話し相手」をする事が出来ると!       連れ合いを亡くした人や孤独な老人が実際に使っているという。

話し相手になる生成AIは、当方の言うことをすべて受け入れて、否定はしないそうだ!「あの馬鹿が!」と罵倒して「な、そうだろう」と聞いても、「おっしゃる通りです」と応えるそうだ。

例えばおじさんが妻に何か同意を求めても、テキはそんなに簡単に「おっしゃる通りです」とは言わない。これはほぼ「絶対に」だ。 反射的に否定が先きに来る。「夫唱婦随」など大昔の道徳にすぎない。

だからといって生成AI に否定されたり反論されたら、これはもう必ず不愉快になるだろう。 そこが人間同士と決定的に違う所だ。(おじさん図鑑より)

AIと人間の違いを問いかけると、「AIはプログラムされた範囲内で動くけど、人間はもっと自由に考えられるんだね」と答えた!

今や後期高齢者時代、犬や猫に代わり孤独感を癒やしてくれるのは「生成AI」にお世話になる新時代の始まりか?

4月19日、中国北京市でヒト型ロボットのハーフマラソン大会が開催された。     スマートフォン大手の栄耀(Honor)が開発したヒト型ロボット「閃電(ライトニング)」が50分26秒のタイムで優勝を果たした。と記事が、

 <画像はネットより>

この大会は2025年の初開催に続く2回目で、閃電の力走により優勝タイムを前回(2時間40分42秒)の3分の1未満に短縮した。

昨年は殆どが人間による遠隔操作だったが、今回は約4割のロボットがAIがルート選択や障害物回避を自ら判断する自律型ナビゲーションで走行でした。

参考に、同時開催された人間のハーフマラソン大会で優勝した男子選手(1時間7分47秒)に大差をつけた。世界記録(57分20秒)をも一気に抜き去り、人々を驚かせた。

中国では近年、ヒト型ロボットに代表される「フィジカルAI」(身体性を持つ人工知能。中国語では「具身智能」)の開発競争が加速し、性能が急激に向上している。

素晴しいき「人型ロボット」にカンパイ! しかし「ドロン」のようにすぐに戦争に利用されないように、今から制約しないと人型ロボットが戦争にかり出される!?         平和利用で活躍するのを祈るばかりだ!

高市政権 発足して半年!

トランプ米大統領イラン攻撃! 中東情勢の緊迫により原油価額の高騰が国民生活を直撃! 中国関係も修復出来ずまたまた難題が!? 豪語していた26年度予算の成立も4月7日に、前度内にできなかった。それでも高市政権の支持率は以前と60%を下回らないと!

防衛装備品の輸出ルールをさだめた装備移転三原則と運用指針を改定し、殺傷能力のある武器の輸出原則を容認を決定する。 今まで平和国家として武器輸出に抑制的だった日本の安保政策の大転換であり、日本が「死の商人」に!?            日本の武器で戦争が、 死亡者が!?

4月12日自民党大会開催され、自衛隊所属 鶫(つぐみ)3等陸曹が制服で「君が代」を歌唱する。 政府は自衛隊法に違反しないと説明し私人扱いと言うが、識者からは「論点ずらし」と批判が! 

<自衛隊法61条 「隊員は、政党または政令で定める政治的目的のために、(中略)政令で定める政治的行為をしてはならない」

最近、高市政権の政策に戦争の影が色濃く、改憲について「時は来た」と!?     日本がどこに向かうのか? 独断傾向に危惧し不安と疑問が!?

       ピカソの「平和の鳩」は、1949年に制作され、平和の象徴として広く認識されています。この作品は、シンプルな線で描かれた鳩がオリーブの枝をくわえた姿を特徴としています。 <画像はすべて、ネットより>

       

                        5月1日 UP