静かな里の秋の夜に、裏庭で木の実が落ちる音が聞こえる情景を歌った、

「里の秋」の“おせど(お背戸)”は“家の裏口・裏庭”を意味し、静かな秋の夜に木の実が落ちる情景を描く言葉です。
齋藤信夫が国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月に作られ、 歌全体は、戦地にいる父を思いながら母子が過ごす戦後の家族の姿と、平和への祈りを表現しています。
秋を彩る大輪、菊の花、
品評会や菊人形などで鑑賞する大輪の菊は、野生の原種から気が遠くなるほどの長い年月を掛けて品種改良を重ね栽培され、「家菊・イエギク」とよばれています。

菊の花は、平安時代に中国から渡来したもので、万葉集には150を超える花が詠まれていますが、「菊」と特定される歌は一首もないとされています。しかし、「菊」かもしれないと言われるただ一首だけ存在します。
万葉集4326番 歌に詠まれた「ももよぐさ・百代草」がそれである。
父母が 殿のしりへの ももよぐさ もも世いでませ 我がきたるまで 生玉部足國(みむべのたるくに)
父上母上の御館のうしろに咲く百代草の名のようにずっと変わらずいて下さいませ。私が帰って来る日まで、
この歌は、天平勝宝七年(775年)二月に東国各地から新任した防人たちから大伴家持が収集した防人歌と呼ばれる一群の和歌の一つで、遠江国佐野郡(現在の掛川市付近)の生玉部(あるいは壬生部)足国という防人が家族との別れを詠んだものです。
菊には「齢草」・千代見草・霜見草・契り草・長月草などの異称があり、「百代草・ももよくさ」もその一つとする解釈が有ります。
万葉集4326番歌に詠まれた「百代草・ももよくさ」が、なぜ「菊」かもしれないと言われるかと言うと、平安時代のある文献に「百代草は菊である」と書いてあるからです。しかし、別の平安時代の文献には「ツユクサである」とあり、また別の平安時代の文献には「ヨモギである」とある。要するに、平安時代には既に「ももよぐさ」が何であるかは分からなくなっていたようです。
現代でも謎のままで明らかになっていない?
『菊』が、皇室の家紋と定められたのは鎌倉時代初め、後鳥羽上皇によるもので、上皇は身の回りの品々や御服、輿車、懐紙などに使用されています。
『 現在は十六菊が国章となっていて、工業所有権の保護に関するパリ条約によって日本国内ではもとより、海外でも商標として使用することは許されていません 』
日本には法律で定められた国花はありませんが、慣習的に「桜」と「菊」が国花とされています。桜は国民の象徴、菊は皇室の象徴として扱われます。
明治維新の際は、明治天皇から西郷隆盛に贈られるなど、菊は日本人にとって古くから特別な存在で、品位や品格の象徴とされてきました。
菊は、春の桜と並んで日本人にとって特別な存在です。咲いてすぐ散り落ちる桜の花に対して、菊の花は寒さをものともせず長い間咲き続けます。
能の秋の謡曲「枕慈童(まくらじどう)」では、菊の葉にのった露を飲んだ少年が700年も生き、仙人になったというエピソードもあります。菊のたくましさと、美しく高貴な花姿からは、不思議なパワーが感じられます。
(✿◠‿◠) 食欲の秋に欠かせない松茸 、
マツタケは、キシメジ科のキノコで、日本原産といわれています。日本では、古代から秋の香りをたのしめるキノコとして親しまれてきました。
日本のキノコ食文化の歴史は古く、青森県など東北地方の縄文時代中期末葉から後期前葉(紀元前2000年から1500年)の遺跡から、当時の人々がきのこを身近な食物として利用していたことを示唆する遺物「きのこ形土製品」が多数発見されています。岡山市の弥生時代の百件川・謙基遺跡からは、マツタケを模した「土人形」が出土しています。

「きのこ形土製品」 「土人形」 (画像はネットより)
日本書紀には吉野の国栖人が応神天皇に土地の産物である茸を献上したことが記載されています。 『万葉集』には奈良の高圓山のマツタケの短歌が載っております。
高松(たかまつ)の この峰も狭(せ)に 笠(かさ)立てて 満ち盛りたる秋の香(か)のよさ 作者不詳
高松(たかまつ) のこの峰(みね)も狭いほどに、松茸が傘を立てていっぱい盛っています。なんて秋の香(か)のよいことでしょう
高松は奈良の髙円(たかまと)とされています。
春日山の南にある高円山(たかまどやま, たかまとやま)は、春日山と同様に奈良の人々が四季を楽しんだ行楽地のような場所だったようです。聖武天皇の離宮があったとされていますが、どこにあったのかはわかっていません。
一宮市萩原町高松「 高松分園 」には6基の歌碑と45の歌詞版が園内に設置されています。
万葉歌碑に同様の短歌が刻まれています。なぜ? マツタケの詩が「高松」同じ名だからかな、、?
平安時代になると当時の貴族がマツタケ狩りを季節の行事として楽しむようになり、「古今和歌集』『拾遺和歌集』にもしばしばマツタケの歌が詠まれている。
平安時代後期の今昔物語にはヒラタケにまつわる話が出てくることから、当代ではマツタケとヒラタケが珍重されていたようです。
安土桃山時代になると、武士もマツタケ狩りをしていた様子が記録として残されており、江戸時代になると一般大衆もマツタケを食していたことが江戸時代の料理本『本朝食鑑』に記録されている。
<ネットより>
江戸時代の大阪の庶民のマツタケ狩りの様子 <攝津名所圖會(1798)より抜粋> 江戸時代の料理本「本朝食鑑」にはマツタケ、ハツタケ、コウタケ、シイタケ、ヒラタケ、エノキタケ、ショウロなど10種類のきのこが茸芝類として記されており、多くのきのこ類が食用にされていたようです。
今も、きのこを表す言葉としてキノコ、タケ、ナバ、コケ、ミミ、クサビラ、モタシなど多くの方言が残っています。
マツタケがたくさん採れたときには、煮た後、塩漬けにして保存し、贈り物や祝いの日のご馳走に用いていました。
天保年間に初版が刊行された『漬物塩嘉言』では貯蔵法として塩松茸の記述があります。
大正・昭和になると、多くのきのこ類が安定的に栽培されるようになり、近年では、きのこ類は我が国だけでなく諸外国においてもヘルシー食品としての需要が高まっています。
今年も、国産マツタケの中でも全国的に名高い丹波篠山産マツタケの初競りが行われ、6本110万円の過去最高額で落札されました。 重さは6本で208グラム。キロ単価は約530万円で、去年の322万円を大きく上回る高値となりました。 <9/28朝日新聞より>

- 2025年の国産まつたけは15トン。2024年の51トンから7割減り、2023年の19トンも下回った
- 国内消費541トンのうち526トンが輸入(97.2%)。輸入先は中国が7割、次いでカナダ・アメリカです。
- 高い理由は ①人工栽培ができない ②アカマツ林の減少(IUCNが2020年に絶滅危惧種に指定) ③気象で収穫量が年ごとに2〜3倍の値になる。この3つです。
秋に艶やかな紫色の実をつける「紫式部」の花、
昔から日本に自生している「ムラサキシキブ」とゆう樹木に由来すると言われています。
6月から7月の開花時期にはピンクの淡い色の花を房状に咲かせます。9月から11月の秋には紫色の実が葉の付け根につきツヤツヤしています。 花言葉は「聡明」「上品」、「愛され上手」、紫式部から由来してつけられた花言葉と言われています。
<画像はネットより>
紫式部の実は、秋に艶やかな紫色の小粒の実を房状につける落葉低木「紫式部(ムラサキシキブ)」の果実を指す秋の季語です。
その気品に満ちた美しい実の色合いを、平安時代の『源氏物語』の作者である紫式部にたとえて名付けられたと伝えられています。庭木や公園のほか山野にも自生し、秋の深まりとともに葉の脇にぎゅっと集まって色づく姿は、静けさの中に雅やかな趣を感じさせます。
わが家に咲くホトトギスの花
野趣あふれる花、和名「ホトトギス」は、大きな特徴は、花びらに浮かぶ紫色の斑点(まだら模様)です。花の斑点が鳥のホトトギスの羽毛の模様に似ていることからホトトギスという名前がついたそうです。斑点を油染みに見立てて、ユテンソウ(油点草)という別名もある。 花言葉は「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」
鳥のホトトギスは、自分で子育てをせず、ウグイス等に托卵する習性がある。渡り鳥で、越冬するために日本には5月中旬ごろにやってくる。
ネットより
ホトトギスは文無鳥(あやなしどり)、時鳥、不如帰、杜鵑、子規、郭公と表記される。
万葉集にホトトギスを詠んだ歌が156首も収録されています。(約25%)。 これは他の鳥たち比べても飛び抜けて多い数です。 大伴家持は一人で58首も詠んでいます。 他に古今和歌集に42首・新古今和歌集46首・百人一首にも詠まれています。
ほととぎす鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣 ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、姿は見えず、ただ有明の月が空に残っているだけであった。
秋には「つわぶき」の花も咲き誇ります
山里の草のいほりに来てみれば 垣根に残る つはぶきの花
良 寛
今年も咲いたツワブキの花 石蕗《つわぶき》はキク科に属する常緑多年草で、「艶蕗」とも書かれ同じキク科のフキに形がよく似ていますがツハブキの葉には艶があります。九州南部ではフキといえばツワブキを指すことが多く、キャラブキにもツワブキを使うそうです。 山陰の小京都と言われる津和野は、遠い昔に住み着いた人達が群生するツワブキの野を見て名付けたのが町名の由来だとされています。
家庭菜園で「ナナホシ テントウ虫」発見! 日本でも可愛がられるテントウ虫ですが、海外でも人気の高い昆虫です。
昔から愛されてきた「てんとう虫」が見られるのは「幸運・幸せ」のお告げと言われています。
漢字では「天道虫」と書きます。 テントウムシ(天道虫・紅娘・瓢虫)は、コウチョウ目テントウムシ科 鮮やかな体色の小型の甲虫である。 和名の由来は、太陽神から来ています。太陽のことを「お天道さま」と言います。
なぜ太陽なのかというと、テントウ虫は高いところに登っていって、てっぺんまで登ると飛び立つ習性がある。「お天道様に飛んで行った」と解釈し、太陽神の天道からとられ「天道虫」と呼ばれるようになったと言われる。 日本では180種類ほどが確認されており、世界では約6000種とも言われています。 英語では「ladybug(レディバグ)、ladybird(レディバード)、lady beetle(レディビートル)」などと書き、日本では「ladybug」がよく使われています。
共通するのは「lady(レディ)」の部分!レディという言葉の意味は貴婦人や淑女のことですね! それだけでも、英語圏ではテントウ虫に好感を持っているのがわかります。 レディファーストの文化です!
ただ、レディに関しては説も色々とあって「聖母マリア」を表しているという話が一番よく言われます。
聖母マリアの化身であったり、聖母マリアの使いだと言われることもあるので、神聖さや愛のイメージが強く込められています。 テントウ虫の多くに共通するのは、メスのほうがオスよりも大きいということです。しかし、個体差もあるので絶対というわけでもありません。
テントウムシの寿命は、種類によって違いますが代表的なナナホシテントウ虫は、成長も早く卵を産んでから20日ほどで成虫になります。
春に成虫になったナナホシテントウ虫は約2ヶ月ほど生きますので、合計約3ヶ月くらいです。
しかし、秋に成虫になったナナホシテントウ虫は越冬をして、春になると活動を再開しますので寿命が長くなります! 『肉食のテントウ虫』 植物に害を与えるアブラムシを食べてくれる益虫です。 ナナホシテントウは、名前のとおり7つの斑紋があります。ナミテントウは個体によって色・模様がさまざまで、黒い体に2つの赤い斑紋、赤い体に細かい斑紋など。模様のパターンは200以上とも言われています。
ナナホシテントウ虫 ナミテントウ虫 『菌食を食べるテントウ虫』 キュウリやトマトなどによく発生するうどんこ病菌を食べてくれる益虫です。 キイロテントウ虫は鮮やかな黄色一色の羽が特徴的です。
シロホシテントウ虫は胸部は白色で黒い斑紋があります。四国や九州・沖縄などの暖かい地域に生息しています。4~10月にかけて活動しており、幼虫の段階からうどんこ病菌を食べる益虫です。
キイロテントウ虫 シロホシテントウ虫 シロホシテントウ虫は光沢のある黄褐色の体に、白い斑紋が特徴的なてんとう虫です。 北海道から九州まで広く分布しています。キイロテントウ虫と同じく、うどんこ病菌を食べてくれる益虫です。 『家庭菜園で特によく見られる害虫テントウ虫』
ニジュウヤホシテントウ虫 オオニジュウヤホシテントウ虫
火星衛星 探査機 打ち上げに成功 ! 2018年10月3日 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機、はやぶさ2が小惑星リュウグウに小型着陸機を投下し岩石等を最終して地球に持ち帰りました。「サンプルリターン」を見事に成し遂げました。 今回、JAXAは、火星の衛星「ホォボス」のサンプルリターンを目指し、鹿児島県の種子島宇宙センターより、10月20日午前4時41分3秒 H3ロケット10号機に打ち上げ、約70分後に軌道投入に成功しました。
探査機(全長約5.3メートル、太陽光パネルを広げると幅約9メートル)総開発費は、約553億円 です。

探 査 機 探査車 (写真はネットより)
火星から約6000Km離れたフォボス(直径約20~30Km)に着地し、地表面の10g以上の砂などの試料を採取しさらに、別の衛星ダイモスの近くを高速で通過しながら観測する「フライバイ」を実施する予定。 ◇ ロシアの探査機が2011年に打ち上げられたが、地球を回る軌道から離脱できず失敗しました。
観測後は地球へ戻り、2031年に試料入りのカプセルを豪州の砂漠地帯に投下する計画です。
ホトトギスとシュウメイ菊の花
11月を迎え、カレンダーが残り2枚を見つつ、時間の過ぎるのが年々早く感じる今日この頃です。
この道や 行く人なしに 秋の暮れ 芭蕉の句です。
松尾芭蕉「奥の細道」は、江戸時代の俳諧紀行文の最高傑作とされ、芭蕉(46歳)が曾良(41歳)とともに東北・北陸地方を旅し岐阜県大垣市に到着するまで、150日に及ぶ旅のことや各地で詠んだ約50句が綴られています。
序文『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす』
「月日は百代の過客にして」時間の流れや人生を永遠の旅人にたとえ「百代」とは永遠、長い時間という意味で、人間の一生は限られているのに対し、時間は永遠に流れ続けるという無常観が込められています。
月日が永遠に続く時の中を旅する人生を旅人のようだと表現しています。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
『奥のほそ道』の旅で、岩手県 平泉を訪れた際に詠まれた句で、かつて栄えた奥州藤原氏の跡地を見て、今はその面影のない草原に栄枯盛衰や無常観を表現しています。
『 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる 』
旅の途中に病で亡くなり絶筆として有名な句です。
1694年11月28日(元禄7年10月12日)、大阪で病に倒れ51歳で生涯を閉じました。生涯に作った句は確認されている物だけで982句あります。
シュウメイ菊の花
最近、あれも、これもと思いながら何も出来ずに過ごしてしまうことが多い。 人生100年時代と言われ、多様化の時代とも言われますが、体力が衰え、物覚えが悪く すぐに忘れる。人生は引き算ばかりで、増えるのは歳ばかり! 時間を大切に生きなきゃ! と想いながら1日がす過ぎる。 未来はまだまだ来てくれない!?
林 修氏の名言に、 いつだって思ったら明日でなく、今日でなく、今すぐにしないと、 明日やれば後回しの人生、 じゃ何時やるの、『やるなら今でしょう』
放送作家の永六輔さんの名言に、 誰だって人生で『今が一番若い』 そして、「死」に対しても、死んだっていうからおかしいんだ! 先に行っただけなんだと、お寺で生まれ育った永六輔さんの言葉です。 物心ついた時から人の最後を見てきた環境だからこそ前向きに捉える。 「大往生」より、その方が楽になる。 特別なものではないと考えることが大事とも、、
私たちがコントロールできるのは、「今」この瞬間だけなのです。年齢を重ねることは、衰えではなく、経験と知恵を蓄積していく、豊かな時間です。未来の自分から見たら、今の自分が若いということですね !
残りの人生で、今この時が、常に一番「若い」
Today is the youngest day in the life.
今を大切にする。明日を心配はせず、きょうの食事が美味しい、空が綺麗いだ、だれかと話せた! それも、これもこれも感じるのが幸せであると! ゴールは皆同じ! 人生はやり直せないが、今日の心の持ちようで、少しは変えられるかな?
11/1 UP






138タワーとコスモス

岐阜梅林公園で撮影









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<ネットより>


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東京博物館所蔵 ネットより




キュウリの花 (家庭菜園)
京都 長岡天満宮に参拝にて (2023.8.25)
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1947年(昭和22年):日本国憲法が施行。現在の日本における国家形態等を規定する憲法。大日本帝国憲法の改正という形で制定されたが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つを基本原理とする。
クチナシの花



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<表は中日新聞より>
<画像はネットより>

