「大伴旅人」は、武門の家柄でありながら、風雅を愛する文化人として知られ、天平2年(730)正月13日 「梅花の歌三十二首」が詠まれた宴は、大伴旅人の邸宅で主催し詠まれたものです。(画像はネットより)
厳しい冬が終わり、春の訪れとともに見事に咲き誇る梅の花のように、日本人一人ひとりが明日への希望を持って、それぞれの花を咲かせられる日本でありたいと、願いが「令和」という二文字には託されています。
岐阜梅林公園で撮影
「大伴旅人」は、奈良時代前半の貴族・官人・歌人で、飛鳥時代から奈良時代にかけて名門に生まれ、朝廷で要職を歴任したのち、727年頃、大宰帥(だざいのそち)として、太宰府に赴任します。
『梅花の宴』は、梅の開花による春の訪れや、梅の美しさと香りの良さを表現しているのが特徴的な歌といえます。のちに大納言になって都へ戻る。帰京の翌年67歳で亡くなるまで、政治の中心にいた人物でたくさんの歌を残していす。
【 最初の元号は645年に制定された「大化」で、以降2026年時点の「令和」まで、ほぼ途切れることなく続いています。明治時代以降は一世一元の制が導入され、天皇一代につき一つの元号が用いられるようになりました 】
万葉集 巻五には、『酒を讃むる歌』『妻を悼む歌』などに存在感を示す歌などが多く有ります。
旅人は、公の場では明るくふるまいながら、その明るさの奥にある孤独や人の情に敏感な歌人と言われています。
『酒を讃むる歌』十三首
仙人になりたい、飲まない人は猿に見える、黙って飲むのがよい、といった歌まで含む連作は、自嘲と諧謔をまじえながら、人生の苦さをどう受け流すかを語る歌群として知られています。
「 験なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべく あるらし 」
どうにもならないことをあれこれ思い悩まないで、一杯の濁り酒を飲むのがよいらしい。
「験なきものを思はずは」は、思っても仕方のないことが人生にはある。 人生の苦さやつらさ人間の弱さの限界を知り、それでも心をほどくものとして酒を語っています。
「 なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒に染みなむ 」
中途半端な人間でいるより、いっそ酒壺になって、そのまま酒に染みていたいものだ。賢く生きる理想を語るのでなく、うまく生ききれない人間の本音を、少し笑いを混ぜて出せるところに味があると、豪放に見えて、実は人の弱さへの理解が深い歌人です。 旅人は、物事を解決できない人の弱さを知っていて、その弱さを責めるのでなく、酒に心を逃がす知恵として歌っています。
「 あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ人をよく見ば
猿にかも似む 」
あな醜 (みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
ああ見苦しい 懸命ぶって酒を飲まない人を見ると、猿にでも似ているようだ
賢くないのに賢いふりをして酒を飲まない、そういう人を馬鹿にしているのですが、 本当は酒を飲む飲まないに関わらず、「賢ら」とは現世を渡る知恵を持った人たちを指していいます。 万葉集に「猿」を題材した歌は一首のみです。
『妻を悼む歌』
「 世の中は 空そきものと 知る時し いといよますます
悲しかりけり 」
世の中は空しいものだと、まさに思い知らされるこういう時には、ますます深く悲しくなるのである。
遠い任地で人と集う楽しさ、亡き妻を思う痛み、世の中の空しさ、それでも酒や言葉で心をつなごうとする願い。
大伴旅人は、公の場では明るくふるまいながら、遠い任地で人と集う楽しさ、亡き妻を思う痛み、世の中の空しさ、それでも酒や言葉で心をつなごうとする願い。 人の弱さがにじむ瞬間をよく見ていた歌人と言われています。
大伴旅人を尊父に持つ、大伴家持は万葉集の最終的な編纂に深く関わり、挽歌・恋歌・自然詠まで幅広い歌を残します。そうした家持の細やかな歌世界の土台には、旅人が大宰府で作った文化空間と、喪失を景物に託して表す感覚がつながっていると見ることができます。
『万葉集』の一番の特色は、天皇や貴族だけでなく、兵士や農民といった身分の低い人々の歌まで収められていることです。 他の歌集には見られない、この懐の深さが万葉集の大きな魅力といえます。
このため、宮廷での優雅な歌ばかりでなく、家族を思う気持ち、労働の苦しみ、故郷への郷愁など、当時の人々の素朴で力強い感情がストレートに表現されている歌を多く見つけることができます。

夏の強い日差しにも負けずに、ポーチュラカの花が満開! スベリヒユ科の植物で、葉や茎は多肉質で乾燥に強く、地面を這うように広がります。花は一日花で、朝に咲き午後にはしぼみます
若山牧水は、自然主義短歌を確立した明治・大正期の歌人で、「幾山河」「白鳥は哀しからずや」などの代表作で知られる。宮崎に生まれ、旅と自然、恋や酒を詠み、生涯で9,000首近くを残し、旅が大好きで、日本各地に歌碑が残されています。 晩年は沼津に移住、千本松原保存運動を主導された。
若山牧水 (1885-1928) ネットより
1928(昭和3)年の9月17日 享年43歳で没し、死因は肝硬変でした。毎日一升の酒を飲んでいたそうです。酒を題材に詠んだのが二千首もあると言われています。
「人の世に 楽しみ多し然れども 酒なしにして なにも楽しみ」
「それほどにうまきかと ひとの問いたらば 何と答えむこの酒の味」
彼の長男に旅人《たびと》と名付けたのは、旅が好きだったからなのか、あるいは『万葉集』で有名な「酒を讃むる歌」13首を詠んだ大伴旅人にちなんだのか?
「 幾山河越え さり行かば寂しさのはて なむ国ぞ 今日も旅ゆく 」
誰もが青春期には一度は抱いたことがある感情を、わかりやすくものの見事に表現した歌です。
この歌に酷似した詩があります。それはカール・ブッセの「山のあなた」です。 いずれも、満たされぬ思いが消えることを望んで旅を続けているけれども、寂しさや哀しみは消えず、真の安らぎや幸福にも出逢えないという嘆きを詩にしています。
「 白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まず ただよう 」
この名歌は中学校で最初に習った短歌で、大正4年、北下浦(神奈川県)で詠まれた歌で、この白鳥はハクチョウでなくカモメを指しています。
「幾山河」と並ぶ若山牧水の代表作であり、近代・現代短歌の中で、最も多くに人たちに愛唱されている作品です。
長男に若山旅人(1913~1998年)は、建築家として牧水記念館を設計し、同時に短歌活動や講演を通じて父の文学的遺産を後世に伝える役割を果たした。
石川啄木(1886~1912年) 明治時代後期、まだビール🍺が珍しかった時代に、彼は日記『ローマ字日記』などや友人との社交の場でビールにまつわる記述が登場します。
1907年9月、函館から札幌へ移住する直前の日記には、友人との別れの酒宴で麦酒(ビール)を10本も飲んだという豪快な様子が残されています。
特に東京で生活していた時期には、経済的にかなり苦しいにもかかわらず、金田一京助が啄木の引っ越し費用や生活費を工面するために自分の大切な蔵書を売り払って、二人は小料理屋に駆け込んでビールで乾杯し、お互いの未来を熱く語り合ったと記述があります。
明治末期のキリンビールは1本23銭で、当時のざるそば1杯の約10倍だったとされています。
『一握の砂』に、酒のめば悲しみ一時湧きくるを 寝て夢みぬを うれしとはせし
酒を飲むと一時的に悲しみが湧いてくる。それでも、眠って夢を見ることができるのを「うれしい」と思った
『悲しき玩具』に、しっとりと 酒のかをりにひたりける 脳の重みを感じて帰る
小説『雲は天才である』に、「苦学生の口には甘露とも思はれるビール」という表現があり苦学生にとってビールは「甘露」のような、ちょっと贅沢なものだったと記載があります。
啄木は生涯に約750首の短歌を残し、そのうちアルコールを詠んだ歌は71首あるとする紹介もあります。

毎年種が落ちて、咲いてくれるマツバボタンです 南アメリカ原産で一年草、アルゼンチン・ブラジル南部に分布!
原爆忌は、1945年8月6日に広島市、9日には長崎に原子爆弾が投下された日を追悼し、核兵器の恐ろしさを伝え、平和を祈念する日です。
アメリカの従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさん「焼き場に立つ少年」と言うすさまじい1枚の写真がある。
81年前の「長崎の原爆投下後、10歳ぐらいの子の口を固く結んだ 直立不動不同の少年の姿「小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て裸足、背中には 2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。 幼子は眠る様な姿で死んでいた」

オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。 フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを 機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。
原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。
2024年にノーベル平和賞を受賞した被団協『核兵器の戦争もない人間社会を築くのは世界一人一人だ。命の限り訴え続ける。共に闘おう』と長崎で結成70年声明発表!

高市総理は広島・長崎で原爆犠牲者慰霊平和慰霊式典で「非核三原則の堅持に触れたものの、『我が国は、非核三原則を堅持しており』という現状説明にとどまる言い回しから、将来的な変更の可能性を示唆したのではないかと波紋が広がっています。
高市総理は、総理就任以前、非核三原則の一つである『持ち込ませず』に不満を抱いていると公言してた経緯があります。
8月15日の全国戦没者追悼式で、高市首相の式辞で『戦争の惨禍を繰り返させない』と述べる。 <今までの首相は『戦争の惨禍を繰り返さない』と述べる。石破前首相が用いた言葉『反省』を削除する>
◇「せ」の言葉の持つ意味は! 十分な防衛力・抑止力を持つことで、日本に戦争を仕掛ける国が出てこないようにするとの憲法の変更するとの含みが有ります。 そのためにどれだけの防衛力が必要だろうか??
最近、官僚人事、減税政策、核議論、、、様々な面で独自色を強めている高市総理、独善的な政権運営が続けば、党内の求心力低下が心配される。(自民党関係者)
ロシヤ プーチン氏 2000年に就任以来、初めて北方領土「択捉島」訪問する。 実効支配誇示!? 北方領土は日本国有の領土です。
長崎原爆が投下された1945年8月9日の未明に、ソビエト連邦が翌年4月まで有効であるはずの「日ソ中立条約」に違反して対日宣戦布告。同時に満州・朝鮮・樺太の国境を突破して対日戦勝国の一角を占領したのを忘れてはならない。
長崎への原爆投下は同日午前11時2分、そして御前会議が開かれ、ポツダム宣言受諾が決定したのは日付が変わった10日午前2時半でした。現在も北方領土がロシアの占領状態にある限り、「未解決」の事件です。
死に水も 凍りて飲めぬ 捕虜ゆけり
鈴木ゆすら(1912-2002)
鈴木ゆすら氏はソ満国境に派遣された応召兵。まさかのソ連侵攻と同時に捕虜となり、シベリア抑留を体験されたかたです。1948年に復員された後、当時の体験を多くの俳句に残されています。
お隣に咲いたムクゲ花 韓国の国花で有名ですね!
日本には、季節ごとに古くから受け継がれてきた言葉や、習慣や行事がありす。 9月と言えば、防災の日(1日)重陽(9日)敬老の日(21日)秋分の日・十五夜(23日)などの行事に、コスモス・彼岸花・菊といった秋の花、そして新米や秋刀魚などの秋の味覚ですね!
重陽とは、古くから伝わる行事に9月9日は奇数の「9」が重なることから、中国では、この日に高台に登って、菊の花で造られた「菊酒」を飲むと長生きすると信じられています。
日本の宮中にも取り入れられ、江戸時代には「菊の節句」として一般の人々に広がり、菊の花びらを浮かべたお酒、菊酒を飲み長寿を祈りました (^^♪
飲んべーには、たまらない (@_@)
食欲の秋・味覚の秋・紅葉の秋・読書の秋・芸術の秋など沢山の言葉が有ります。 「いろんな秋」を楽しみたいですね ! (^o^)
8月29日(土)カレジ仲間と信州「アルプス眺望 自然歩道 中級ウオーキング 5km」に参加しました。 日頃は5,000歩も歩いたらスマホに金賞の表示が出て一人で自己満足しニンマリ! そんな状況ですが、一万歩余のウオークでした!
当日は小雨模様で、コースは登りの連続でかなりキッイ、息も上がり 仲間に励まされ、可憐な花たちにも癒やされ何とかゴールイン、冷えたビールで乾杯🍻 疲れも吹っ飛ぶ! 仲間に感謝です (^_^)


仲 仙 寺 展望台 背景にはアルプスの山々が?

ミズヒキの花 * 名前の由来は、お正月飾りや慶事の熨斗(のし)に添える水引に似ていることから!

たまアジサイの花 * 日本在来のアジサイの仲間で、一般のアジサイよりも一ヶ月以上後から咲き始めます。蕾が球形をしていることが名前の由来です。 初めて見るたまアジサイ、仲間から名前を教わり感心する (^^)/~~~
最近、現役の頃に一諸に働いた仲間が一人減り二人減り寂しい限りで、人生引き算ばかりです。 増えるのは歳ばかりですね! 素敵な仲間を大切にしたいです。
(❁´◡`❁) 9/1 UP


ネットより








ネットより
ネットより

<ネットより>


ネットより
ネットより
東京博物館所蔵 ネットより




キュウリの花 (家庭菜園)
京都 長岡天満宮に参拝にて (2023.8.25)
ネットより

1947年(昭和22年):日本国憲法が施行。現在の日本における国家形態等を規定する憲法。大日本帝国憲法の改正という形で制定されたが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つを基本原理とする。
クチナシの花



ネットより

<表は中日新聞より>
<画像はネットより>


花ニラとムスカリ





ネットよ

ネットより





