「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

7月ですーー

7月と聞いて、皆さん何にを想いますか ??

ボーナス・夏休み・海開き・山開き・盆踊り・花火・祇園山笠・土用丑・・・・

現役の頃は、ボーナス日が待ちどうしく、早く7月がこないかなーと、そわそわした のを思い出します。しかしもう私にとっては死語  (>_<) 空しい? 虚しい? 

子供が幼少の頃は、夏休みとなれば何処かに、海か山にと計画したのを思い出します。

富士山の山開きは、7月1日と10日ですが、これて、如何して??        富士山は静岡県と山梨県の二県にまたがっていて、静岡県側は積雪を考慮して7月10日に、そして山梨県側は山頂で神事を行う伝統を重んじて7月1日となっているそうです。山開きとは、登山をする人の為の行事でなく、山を信仰をしている人達の宗教行事です。勿論、登山者の安全祈願も ヽ(^o^)丿 山開き後しか入山出来ないわけではないです。あくまでも登山は自己責任です。 世界遺産に登録された富士山の入山料金は任意で、富士山保全協力金として1,000.-だそうです。

半夏生(はんげしょう)・・・・雑節の一つ、夏至(今年は6/21)から数えて11日目とされていて、今年は7月1日です。言葉の意味としては、半夏(烏柄杓:カラスビシャク)という薬草が生える頃という由来です。(半夏える時期)

半夏生は、葉っぱの一部の表側だけ白くなるので半分化粧をしているように見えることから、半化粧 ⇒ 半夏生 となったそうです 。(半夏生の花が咲くころ)    また地域では、この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)とも言うそうです。

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 半夏生(はげしょう)大野極楽寺公園にて、     半夏(烏柄杓:カラスビシャク

半夏生」は、農業が中心だった頃の日本では大切な節目でした。 地方によっては、まだまだ様々な風習があるようです。

◆農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「田植えを終える」との目安として重要になる日です。この日から5日間休みとする地方もあります。

◆この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとか、休養するための風習か?

三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するといわれ農作業を休むようにと戒めの風習があるそうです。       

近畿地方では、田に植えた稲の苗がタコの足のように大地にしっかりと根付き、豊作を願いタコを食べる習慣があるそうです。  タコには血圧やコルステールを下げる働きがあるタウリンが豊富に含まれていて、疲労回復効果、習慣病を予防すると言われています。

福井県大野市では江戸時代に大野藩主が農民に焼き鯖を振舞った逸話があり、今でも「半夏生」に焼き鯖を食べるそうです。(半夏生サバ)

青森県では、半夏生の日の後に田植えをすると、1日につき1粒ずつ収穫が減る。

◆讃岐ではうどんを、長野県小川村では芋汁を、永平寺では大布薩講式が行われる。

今では、田植えは機械化されましたが、田植えは重労働で疲れた体を休めるため、先人が知恵を出して生まれた素晴らしい風習だと思いますネ (^O^)/

                               7/1 記 丸井)

追記

富士吉田市にある新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)は海外からの観光客に知名度抜群のビュースポット (^O^)/ ここでは五重塔と富士山を同時に眺めることができ、外国人には日本の風景として大人気だそうです。

6月です

夏服に衣変えした学生さんの姿、季節の移ろいを感じ気持ちもリフレッシュですネ! 新緑も一段と緑が映え、庭の紫陽花も色づいて来ました。

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  上高地 徳沢 ニリン草がいっぱい  (^O^)/(5/25)

 

紫陽花(アジサイ)漢字で書くと何となく初夏を迎えるにピッタシの活字(花)だと思います。雨にも良く似合う花ですネ!

アジサイの原産地は日本で、原種は日本に自生するガクアジサイです。古くは8世紀に登場した万葉集にも詠まれています。18世紀ごろに日本原生のもや東アジアに生えていたものがヨーロッパに持ち込まれ、イギリスの王室庭園にも栽培されています。最近はヨーロッパに持ち込まれで品改良されたものはセイヨウアジサイと呼ばれています。今では、世界で3000種を超える紫陽花が存在するそうで、日本でも全国各地に多くの紫陽花が植えられた名所も多く、親しまれています。 

◆  紫陽花は夏の季語です。万葉集には二首詠われています。

言問はぬ木すら味狭藍(あじさい)諸弟(もろと)らが練の村戸(むろと)あざむかえけり 大伴家持

紫陽花の八重咲く如くやつ代 においませわが背子見つつ思はむ(しのはむ<橘 諸兄>

◆  平安後期になると多く詠まれるようになり、

夏もなほ 心はつきぬ あじさゐの よひらの露に 月も住みけり <藤原 俊成>

あじさゐの 下葉すだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る <藤原 定家>

 

またこの時期には「ほたる」が飛翔したとあちこちから多く聞かれます。

優雅に飛び交う「ほたる」はいつごろ頃にいた のだろうか? 中国では紀元前300年頃に蛍について記載された文献があるそうです。日本で始めて文献に登場したのは、    奈良時代 の文献に(720年)「日本書記」の中に「彼地多有蛍火之光神や蛍火」(そのくにほたるひのかがやくかみさわにあり)と記載があります。 

 平安時代になると「万葉集」や「源氏物語」に「ほたる」が登場します。

「枕草紙」には夏の風物詩として、『 夏は夜、月のころはさらりなり、蛍の多くとびちかいたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもおかし。雨など降るももをかし、』清少納言> とあります。

 江戸時代になると、浮世絵に蛍の飛ぶ情景や、庶民が蛍にふれる風景が描かれています。またこの時代のわらべ唄に「ほうほう ほたるこい あっちのみずはにがいぞ、こっちのみずはあまいぞ」と今でも歌われています。 

紫陽花に比べると「ほたる」は多く詠われています。

「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる 魂(たま)かとぞみる」和泉式部

「はるる夜の星が河部の蛍かも、わが住むかたの海人(あま)のたく火か」伊勢物語 <藤原業平>

「音もせで思いに燃ゆる蛍こそ、鳴く虫よりもあわれなり」 古今和歌集紀貫之

「こゑはせで 見をのみこがす蛍こそ いふよりまさる 思なるらめ」源氏物語紫式部

「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあわれなりけり」後拾遺集 216源重之

「己が光を木々に蛍や花の宿」 「ほたる見や船頭酔うておぼつかなや」芭蕉

「手習いの顔にくれ行くほたるかな」 「狩衣の袖のうら遺うほたるかな」<蕪村>

「蛍 見や 転びながらも あれ蛍」 「馬の屁に吹き飛ばされし蛍かな」<一茶>

「人寝ねて蛍飛ぶなり蚊帳の中」  <子規>

「飛ぶ蛍ひかりさびしく見ゆるまに 夏は深くもなりにけるかも」樋口一葉

 都々逸(どどいつ)に、平安朝の貴族たちが、我が身を焦がすほどの恋心を口にも出さずに静かに燃える心情を、闇に光る蛍に喩え、

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」

昔から日本人にとって、光を放ちながら飛ぶ蛍は、人間の霊魂そのものだと受け止められていたようで、優雅な観賞物だけの存在だけでなく命のはかなさ、尊さを現代社会にも何か大切なものをを伝えているようでロマンを感じつにいられません。

                         (記 丸井 6/7)

いずれがあやめか、かきつばた!

5月になると、あやめ・かきつばた・しょうぶ・はなしょうぶ が競って咲ますが、 皆さん見分けがつきますか??

あやめ・しょうぶを漢字で書くと「菖蒲」 えぇ! えぇ! でも漢字は同じでも、 菖蒲(アヤメ)菖蒲(ショウブ)は別物です。勿論、花菖蒲(ハナショウブ)・杜若(カキツバタ)も違います。あまりにも、花の形や葉もよく似ていて、ぐちゃぐちゃの四っ巴 (?_?)

だから、「いずれがあやめか、かきつばた」と言う言葉は見分けがつかない? いずれ劣らぬ美人が二人いるときなどに使われますネ (^^♪

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◆しょうぶ(菖蒲)・・・ 端午の日に菖蒲湯に使かわれサトイモ科で、あやめ・かきつばた・はなしょうぶはアヤメ科で別物、葉が良く似ているだけ (>_<) 花は似てもにつかないガマノ穂に似ています。

 

◆はなしょうぶ(花菖蒲)・・・ あやめとかきつばたの中間地(半乾湿地)に5月下旬~6月下旬に咲く・江戸時代中期に改良された日本産で種類が多い・花弁の元が黄色で目型模様・花は大輪で背丈は80~100Cmです。

 

◆ あやめ(菖蒲)・・・ 畑地(乾地)に5月中旬~下旬に咲く・花弁の元が網目目模様・花は小輪で背丈は30~60Cmです。

 

◆かきつばた(杜若・燕子花)・・・水辺(湿地)に5月中旬に咲く・万葉の頃に詠まれ菖蒲は葉菖蒲のこと・花弁の元が白色で目型模様・花は中輪で背丈は50~70Cmです。

 

それにしても、良く解からないですネ (?_?)

知立(池鯉鮒)の八幡の杜若(かきつばた)は、伊勢物語の昔からよく良知られている名勝地で平安の歌人在原業平」が句頭に「かきつばた」の文字を入れ詠まれた、古今集の名句に、

 唐衣(からころも) きつつなれにし つましあれば 

      はるばるきぬる たびをしぞおもう

史跡八幡のかきつばたは、江戸時代の巨匠 尾形光琳作 国宝「燕子(かきつばた)花屏風図」(根津美術館所蔵)に、そして10年後に描かれたとされる「八橋図」(ニューヨーク・メトロポリタン美実館所蔵)は有名ですネ ヽ(^o^)丿

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                   国宝「燕子(かきつばた)花屏風図」

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                                      「八橋図」

もう一つ、かきつばたには「剣葉:けんば」と呼ばれる葉の最先端がかなず、右か左にカーブします。刀に似た優美さから花菖蒲の葉とともに、古典の生け花の宗匠たちも「一子相伝」にて伝えて来ました。これて!たいしたことではない? けれども、知っているとチョット (^^♪  光琳も、この神秘「剣葉」を知って描かれいます。

おまけです。 光琳の「燕子花図」五千円札の裏に印刷されてる (^O^)/

 

今、藤(フジ)の花が見ごろです。万葉集にはフジの花を詠んだ歌が二四首あり、そのうち一八首は「藤波」と表現される波のように揺れるフジが詠まれています。フジにはつるが右巻きのノダフジと左巻きのヤマフジがあります。

近年、手入れが出来ない山林が増え自生するヤマフジが目立つようになった。以前は、つるが樹木に絡み付き成長をふさぐため刈り取られていたが、その作業が出来なくなったのが原因か、野生のフジも風情がありますが、喜んでいられない  (@_@;) 

                                                                                                          ( 記 5/6 丸井)

 

 

 

 

 

「子供の日」 何ぜ、なぜ (?_?)

5月5日は「子供の日」で「端午のの節句」でもありますが、兜や鯉のぼりを飾ったり、また柏餅や粽(ちまき)を食べたり菖蒲湯につかったりするのは、なぜ?

なぜ、菖蒲湯なの? 奈良時代に宮中で無病息災を祈って、天皇が冠に菖蒲をつけて家臣に菖蒲酒をふるまったり、軒に菖蒲をふいたりして邪気を払う儀式を行っていた。鎌倉時代になって政権を武士が司るようになると、菖蒲という言葉が武を尊ぶ「尚武・勝負」という意味に重ねられて「尚武」ための儀式になりました。(尚武:武士道を重んじる精神) 菖蒲は薬草で血行を良くする効能があり、菖蒲湯に浸かり無病息災を願う。(雨季に入る前は病気になりやすかったので、厄払いが必要だった)

なぜ、端午の節句は5月5日なの? 奈良時代から続いている行事で、端午の午が五と読み方が同じなので、五月五日になった説も?(1948年 祝日法の交付・施行により国民の祝日「こどもの日」となった)

なぜ、鯉のぼりなの? 江戸時代・武家に男子が生まれると玄関の前にのぼりや馬印をたてて祝うと習慣が生まれた。中国の故事に「登竜門」という言葉があり、鯉が竜門の滝をの登って龍となって天をかけるといういわれから、いつしか庶民によって「鯉のぼり」を飾り、守護・成長・出世を願った。鯉のぼりは、日本だけの風習で江戸時代には黒い鯉(真鯉:まごい)のぼりのみだったが、明治時代になり赤い鯉(緋鯉:ひごい)のぼりも飾られるようになった。

 

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一宮市本町・第21回 鯉のぼりフェステバル 4/5~5/8  600匹の鯉のぼりが! 

なぜ、鎧兜(よろいかぶと)を飾るの ? 鎌倉・室町時代、武将が身の安全を祈願する際に、神社に鎧や兜を奉納した。また江戸時代の武家では、五月五日になると精神的な象徴の鎧兜を飾り、子供の無事と家の繁栄を祈った。この風習を江戸の庶民が真似て、つくりものの鎧兜や槍などを飾ったのが始まりとされています。

なぜ、柏餅を食べるの ? 柏の木は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、子供が生まれるまでは親は死なない、後継ぎが絶えない、つまり子孫繁栄を願って食べる。(中国からの伝承ではなく日本の風習、習慣です)

柏の巻き方に違いがあるのご存知ですか? 葉の表で巻いてあるのは味噌あん、裏で巻いてあるのが小豆あんです。これ本当です (>_<)

なぜ、粽(ちまき)を食べるの ? いまから2300年前の中国、屈原(くつげん)という国王側近の詩人が汨羅(べきら)とゆう川に国の行く末に失望して身を投げてしまったのが5月5日で、国民は死を悲しみ川に竹の筒に餅米を入れて川に投げいれ弔いをしました。しかし悪い龍が食べてしまうので、龍の苦手な楝樹(れんじゅ)の葉(笹やちがやとの説もあり)で餅米を包み、邪気を払う五色(赤・青・白・黒)の糸で縛り川に流し屈原に届けたことから、中国では5月5日に災いを除く習慣が生まれた。その風習が日本に伝来し、日本では茅(ちがや)の葉を使われていた事から「ちゃがやまき」と呼ばれ、それが短縮されて現在では「ちまき」と呼ばれています。邪気を払う五色の糸が吹き流しの色に反映されています。

今では子供の日には、柏餅は関東で、粽は関西で食べられるのが多いそうです。九州地方では「あくまき」(灰汁につけた餅米を竹の皮に包んだ物)と言う和菓子を食べる習慣があるそうです。

最近ではマション・団地住まいが多くなり、鯉のぼりを飾るのもままらら無いですが、昔も今も、親が子を思う気持ちは同じで、健やかな成長を願い祝う風習は地域によって異なっていても、日本の風習て良いですネ!  ヽ(^o^)丿

 

 三目日の朝に降りくる この雨を涙と思ふ 抒情は遠し

                           斎藤梢(宮城県歌人

 

「九州地震」による災害、一日も早い復興、普及を心より願います。 (記 4/23) 

 

 

 

もう過ぎてしまいましたが、3月15日は「靴の記念日」!

1870年(明治3年)3月15日、東京築地に初めて近代的な靴工場ができ国内で靴の製造が始まりました。当時築地は外国人居留地に指定されており、宣教師・医師・教師などの知識人が開いた協会や学校も多く、江戸・東京における文明開化の発祥ともいえる場所だったようです。 今はマグロ卸売りで有名な築地市場が思い浮かびますが、当時は多くの外国人が居住し靴の需要も多くなり、築地に靴工場が誕生したのも納得ですネ 

さて日本人が初めて靴を履いたのは?? 

残念ですが、日本で最初に靴を履いたのは、はっきりしたことが分かっていません? あの坂本龍馬が思い浮かびますが、しかし大和朝廷では既に中国から伝わった「くつ」をすでに履いていましたが、伝播(でんぱ:伝わり広ろがって行くこと)に付いて記録が無いから分かってない??そうです。

坂本龍馬が靴を履いていた事実は、靴(ブーツ)を履いてた写真が2枚現存していているからです。 その二枚の写真を確認すると明らかかに違ったブーツを履いた写真で、その一枚に写っているブーツは、長州の高杉晋作からもらったものと言われている。 長州は、当時長州沖を通るイギリスやオランダ、アメリカの軍艦を攻撃しており、その時の乗組員のものと思われるそうです。(写真に写っている靴は破れている)

では、もう一枚の写真に写るってるのは、龍馬は1865年に長崎で亀山社中という商社を開き、大浦居留地に住むグラバーを通じ諸外国から武器や蒸気船を輸入していました。その大浦居留地のにある「トプソン靴店」で作ったと言われいます。

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  ◇長崎の亀山社中資料館のそばにあり、長崎の街並みを見下ろしている◇

土佐藩では、身分制度が厳しく身分低い侍や郷士は雨でも下駄を履くことを禁じられ、いごっそ(反骨精神)な龍馬は「ほんならワシは靴を履ちゃろう」とあのスタイになったとか (?_?)

最近、卒業式で袴すがたの女性、足元は何故かブーツを履いている人が多い。 NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公も明治の終わり頃から、着物姿で靴を履いていた。 ブーツを履き、疾風の如く時代を先駆けた龍馬! ロマンを感じえない ヽ(^o^)丿

 

<追記> 今日4月13日は「決闘の日」 慶長17年4月13日 宮本武蔵佐々木小次郎が巌流島で決闘した日です。もともと島の名前は「舟島:ふなしま」でしたが、佐々木小次郎の流儀をとって「巌流島」と呼ばれるようになった。

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 山口県 下関市(無人島): 公園・記念碑あります

吉川英治の小説「宮本武蔵」決闘シーンは映画で何度も!

                              記 4/13

 

お花見をしましたか?

「さくら」の言語は?

日本神話に出てくる木花開耶姫(このはなさくやひめ)の「さくや」が転じたのか? 国語学の先駆者 大槻文彦が説いたように、うららかに咲く「咲麓」(さくうら)の略なのか? 諸説あるもののサクラの言語ははっきりしないそうです。中日新聞夕刊より)

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   根尾の「淡墨桜」 4/6に行く予定が雨と花嵐! 中止 (>_<)

桜見をした人は、首都圏・東海圏在住の20~69歳の対象に実施した調査によると、平均 0.47回で、約半数の人が少なくとも一度出は掛けたと報告があるそうです。

ではお花見一回に掛ける費用は平均一人¥3.000円未満(26.6%)、¥4,000~5,000円未満(5.1%)多く、¥3,000円未満で有ることが分かります。 歓送迎会に比べると¥1,000円以上お金が掛かってないことが分かります。 

如何してかな? お花見は食品店やスーパーでお酒や食品を調達して、桜の木の下で楽しく飲み食いすることで済まされるからかな?

もっともお金をかけるのは、青森県の¥3,708円で、全国平均より¥1,125円多く1位だそうです。もっともお金を掛けないのが沖縄県で¥1,637円で47位です。

日本で一番早く春を迎える沖縄県は花の見ごろが 1 ~ 2月、それに比べると青森県では4月中頃に、待ちに待った桜と春が一度に来る ヽ(^o^)丿 だから桜も気持ちも満開!

 

まだ、まだお金の話しです (>_<)

春はお祝いごとが多い、入学お祝い金は?? 全国の20~60代  2,115人 に聞きました。

一人当たり平均¥25,392 円 だそうです。 幼稚園と小学生は、平均¥20,160 円 で、 中学生は平均¥18,685 円 専門学校等は平均 ¥24,381 円 大学校は平均¥45,738 円 だそうです。  もらう側ありがたい、嬉です (^O^)/

贈る側、年齢が高くなるほど右肩上がりで、例えば小学校入学祝い平均は、20代では ¥12,443円 30代¥12,654円 40代¥11,589円 50代¥16,141円 60代¥38,000円 60代は孫には、大奮発で甘いことが分かります (^O^)/

 桜散る 短いいのにち 惜しみつつ

 散る桜 残る桜も 散るさくら    良寛

     さくら さくらさく さくらちるさくら

 いつとなく さくら咲いて 逢うてはわかれる 山頭火

  さまざまの事 おもい出す 桜かな   芭蕉

 願はくは 花の下にて 春しなむ その如月の望月のころ 

                                  西行法師

               記 4/9 丸井

さくら咲く!! Cherry Blossom

根尾の「淡墨桜」は、一宮市真清田神社から ヽ(^o^)丿

一宮市の真清田神社ゆかりの土川家で発見された古文書「真澄探當證」(ますみたんとうしょう)の記述によると 467年頃 継体天皇が根尾村を去るに当たり、真清田神社で献納を受けた桜木をお手植えし御歌を詠まれた。

「見も代と遺す桜は薄住(うすずみ)よ 千代に其名を栄     盛へ止まむる」

これが、「うすずみ桜」の由来と言われています (*^-^*)

興味のある方は、「真澄探當證」復刻版 ¥3,500.- 有限会社人の森 一宮市北園通り5の4の1      Tel 0586-72-5445 問い合わせ

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花は桜です。 日本三大桜で知られる根尾「淡墨桜」昭和23年頃に文部省に枯死と認定された古木が238本の根接ぎにより甦った。その陰には歯科医師の前田利行さん他植木職人、大工、村民の手を借り昭和24年に若い「ヤマザクラの根」を接木に成功する。起死回生だ (^O^)/

 *三大桜:淡墨桜」 「三春滝」(高山) 「山高神代桜」(山梨) 

しかし昭和34年の伊勢湾台風で再び危機が、作家の宇野千代さんがグラビヤ「太陽」に投稿の呼びかけに、岐阜大学堀武義教授の指導により再び不死鳥のごとく甦った。

その古木「淡墨桜」が現在も淡いピンクの花を咲かせ ロマンいっぱいです  ヽ(^o^)丿

飛鳥時代以前から咲いていた「淡墨桜」品種:彼岸桜(エドヒガン)大正11年 国天然記念指定 推定樹齢1500余年 樹高:16.3m 幹周り:9.91m 枝張り:東西26.9m 

                                   3/21 記