秋の魚といえばサンマ! 漢字で書くと「秋刀魚」、昔の書物には「三摩」と記されています。また夏目漱石・小説「吾輩は猫である」に「三馬」と書かれています?
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかなぬ・・・
<主人公の猫がひもじさと寒さを避けるために台所に忍び込もうとしますが、すぐに 下女の「おさん」に見つかり外に放り出されてしまう、そしておさんという者をつくづくいやになり、そのしかえしに>
・・・この間 おさんの三馬を偸(ぬす)でこの返報をしてやってから、胸の痞(つか)えが下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたとき、この家の主人が騒々がしい何だといいながら出て来た・・・」 <1905年(明治38年)著 38歳発表>
<写真はネットより>
一般的には1898年頃に現在「秋刀魚」という字が使われる様になったそうです。 江戸時代から、細長い魚を意味する「狭真魚:さまな」とか「祭魚:さいら」などの名で親しまれた大衆魚です。古くは紀伊半島で「佐伊羅魚:サイラ」と呼ばれており、ここから学名「Cololabis saira」と付けられたそうです。
秋刀魚は、北太平洋に広く生息する回遊魚で、日本各地で水揚げされる。東京「目黒のさんま祭り」今年は昨年と違い大漁で岩手県宮古漁港から直送の7000匹の新サンマが振舞われる。9月9日(日)に賑やかにひらかれた。勿論目黒のさんまの寄席も恒例だ! (主催者が異なり、9/16にも開かれる)
<写真はネットより>
産地でもない東京・目黒とサンマが結び付いたのは、ひとえに落語『目黒のさんま』のおかげだろう。お殿様が鷹狩りの帰路、目黒の茶屋でたまたま庶民の食べていた下魚のサンマを味わって感激し!「サンマは目黒に限る」といったとか? この頃は、庶民はサンマを食べていたが、武士は、魚中の下品(げまん)とされ未だ食べていなかった時代です。
裕福な町人のなかにも、サンマを好んで食べる者が出てくるのは、寛政年間(1787年)頃になってからだそうです。しかし旗本などの武家の多くはサンマを下世話な魚とみなして依然として食べることはなかったという。さらに、形が刀に似ているいることもあり武士は口いするのを嫌がったそうです? 庶民がサンマを食べだしたのは、江戸の中期頃からであるそうです。 (^^♪
佐藤春夫の名詩に「さんま苦いか 塩っぱいか」と歌われた『秋刀魚の歌』はよく知られています。<大正10年>
あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ
ー ー 男ありて
今日の夕餉に ひとり
サンマを食(くら)ひて 思いにふける と
さんま なんま
そが上に 青き密柑の酸をしたたらせて
さんまを食うふは その男がふる里のならいなり
・・・・・・
・・・・・・・さんま苦いか塩つぱいか・・・・・
北海道 胆振(いぶり)東部地震により被害された皆様、心よりお見舞い 申し上げます。
1900年9月11日 日本で初めて東京の新橋駅と上野駅に公衆電話が、街頭に2か所設置された。それ以来1993年には約93万台に(^O^)/しかし現在は16万台弱に、そのかわりに携帯電話、スマホが普及する。
9月6日 北海道の震度7を観測した地震により大停電、固定電話が使用出来ない、携帯電話の充電もままならない状況、通信手段は公衆電話のみ (>_<) NTT東日本、道内全域で公衆電話 5800台 無料開放すが、どこに設置されているのか分からない人が??
日頃から公衆電話がどこに設置されているか確認しておく必要がありますネ!
かけ方(取扱)が分からない人が多いのにビックリ (@_@;)
地震災害により、道産の乳製品や野菜が品薄で価額高騰、豊漁だったサンマも一転、値上がりし庶民の食卓を直撃 (>_<) <中日新聞掲載による>
記 9/11