「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

年賀状はいつごろから (?_?)

『目出度さも  ちゅうくらいなり  おらが春』
この句は、小林一茶が五九歳の文政二年(一八一九年)の正月を迎えた時のものです。弥陀任せのわが身で、風が吹けば吹っ飛ぶようなあばら屋で、掃除もしないで、門松も立てないで、ありのままで正月を迎えたときの句です。

f:id:marui-hall:20201225113306j:plain

サフラン』 アヤメ科の多年草  イラン原産とされるが諸説あり、地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられる。 めしべを乾燥させて香辛料に! 

花言葉は、歓喜 喜び 陽気 そんな1年になりますように!
昨年は新型コロナ感染症に始まり、何にもかもが中止! コロナが収束することなくコロナに振り回された大変な1年でした   (>_<) 新年も不透明で不安な年明けですが、何とか期待するワクチンが確定され、普通の暮らしが戻ることを願がいたいですね  (^^)/ 
正月の風物詩と言えば、初詣で、門松、しめ縄にお飾り餅、お雑煮、と色々ありますが年賀状もその一つですね! 年初めに年賀状が届くのは嬉しいものですが、最近の若い世代はメールや SNS などの普及で、かつてほど年賀状の習慣が廃れつつあると聞きます。しかし今もなお企業関係の方や年配の方を中心に年賀状のやり取りが行われています。その年賀状はいつから始まっただろか ?
日本の年賀状の歴史は、明治に入って新式郵便制度の実施後、郵便葉書の普及に伴って一般化したとの見方が有力です。しかし史料がないため日本最古の年賀状がいつ誰から誰に送られたのかはわかってないようですが、大化の改新以降ではないかとの説があります。それは、大化の改新(645)により畿内各所に駅馬を置いて、政治的な書類を届ける『飛駅使』という制度が始まり、そして時を同じくして、宮廷で元旦に天皇が家臣たちの年賀を受ける『朝賀の式』が制度化されたからです。
このように新年を祝う習慣は古くからあったと考えられますが、
年賀状は、平安時代から?
平安時代に藤原明衝が著わした『雲州消息』に、年賀の手紙の例文がいくつも取り上げられています。《 郵政博物館『年賀状の歴史と話題」より》
当時、貴族は年初めには年始回りと呼ばれ、新しい1年の付き合いをお願いするため、知り合いのところに挨拶に出かける習慣がありました。しかし遠方の知り合いには直接出向く代わりに、挨拶状を送ることで年始回りの代わりとして いました。

この慣習が年賀状の原型と言われていますが、あくまで貴族の慣習であり、一般庶民には普及していませんでした。

江戸時代にはいって、

日本の歴史の中で年賀状に転機が訪れるのは江戸時代に入ってからで、戦国時代のころには書状による年始回りの慣習が武士にも広まりました。

その後、江戸幕府成立で戦乱の世が終わったことに加えて、五街道や飛脚制度が整備されたことで、国内で円滑に書状のやり取りができるようになったと考えられています。

そして武士たちの間で正式な年始挨拶がますます盛んになり、庶民の間でも年始の簡単な書状のやり取りが行われるようになったようです。

しかし、現在のように元旦や正月期間中にきちんと届くわけではなく、中には梅雨の時期(6月ごろ)に届いたという話さえも伝わっています。

そして明治時代になり、 

明治新政府の時代に入ると、日本は欧米諸国に負けないように近代化に着手し、近代化の過程で年賀状の慣習にも大きな変化がもたらされます。

郵便局の設立に多大に貢献し、郵便制度が誕生するに至る歴史人物が前島密(ひそか)です。彼はイギリスを視察した際に現地の郵便制度についてつぶさに見聞を重ね、帰国後に郵便制度の必要性を力説し、そして彼の尽力で、

 明治4年1871年)東京や大阪などの大都市間で郵便制度開始される

明治5年(1872年)全国的な郵便通信網が確立する

前島密による郵便制度創設とともに登場したのが「はがき」で、イギリスで普及していたポストカードを視察した際、彼は日本の郵便が定着するにはポストカードが重要な役割を果たすと考え、

明治6年1873年)に郵便はがきが発行されます。はがきの登場によって急速に年賀状が普及し、回礼(各家を回って、新年のご挨拶をする)が簡略化され、一般庶民にとっても年賀状が身近な存在となります。

そして、年を追う毎に「はがき」による賀詞の交換が盛んになっていきます。

f:id:marui-hall:20201219161545j:plain 今も使われている「郵便」「切手」「葉書」という名称も前島の案で定めました <ネットより>

当時の郵便配達は命がけで、明治6年1873年)拳銃(6連発銃)の携帯を所持が認められていました(拳銃所持は警察官より早く導入)昭和23年(1948年)廃止、

明治20年(1887年)頃には年賀状も激増します。

◆  明治32年(1899年)から、年賀状は通常郵便物と別枠で処理される年賀郵便の特別取扱が誕生する。

◆  明治33年(1900年)私製はがきの取り扱いが始まります。

  一挙に年賀状文化が花開く事になります。

 昭和12年1937年)7月に日中戦争が始まると、年賀郵便の特別取扱は中止となる。

昭和16年1941年)に太平洋戦争がはじまると、逓信省日本郵政公社の前身)が「お互に年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを掲げて、年賀状の一時期ほとんどがその姿を消してしまいます

昭和20年(1945年)8月に終戦を迎えると、年賀状の数も徐々に増えていきます。
この時、表(おもて)面の下部に通信文を書くことが許されるようになり、一枚のはがきに、より多い文面を記載できるようになります。

年賀状が復活したのは、お互いの安否を知らせ合う意味が多大にあったようです。

 その後、

昭和24年(1949年)12月からお年玉付年賀はがきが発行されるなど、すっかり国民的行事になります。再び息の長い文化として定着します。

f:id:marui-hall:20201219143457j:plain

  大正時代に普及した数多くの子供用年賀状が発行される  <ネットより>

明治38年(1905年)年賀状発売数は、1億枚(推定)を突破します。明治39年末に郵便規則が施行され、取扱期間が12月15日~29日と定められたこともあり、明治40年(1907年)年賀状発売数は、2年前の4倍に近い4億枚に達します。(年賀状の4億枚という数字は、この年度の全郵便物の30%を超える数です)

◆ 令和3年(2021年) 年賀状発売数は19億4198万枚で、5年前 2016年のお年玉つき年賀はがきの発行枚数は32億枚以上で、今年の減少率は過去最大です。

f:id:marui-hall:20201220114759j:plain

「パンジー」数千種類を超える品種があるそうです! ちょっと驚きですね! 寒さにも強く雪が降ってもへいちゃらです。 ちさい花のビオラも仲間です 花言葉 物の思い・純愛・誠実な愛・天真爛漫

年賀状は、日本固有の文化のように考えがちですが、欧米でもクリスマスカードやイースターを祝うカードと並んで年賀状も大変盛んな時期がありました。1900年前後、エンゼルや時計、カレンダーや四葉のクローバーなど様々なモチーフを使った年賀状が発売され交換されています。ただ、欧米では年賀状のブームは、習慣として定着せず、1920年頃を境に、ほとんどその姿を消し、クリスマスカードで年賀を兼ね事が主流となっていきます。それに比べ日本では、歳を十二支になぞらえる文化が年賀状を支え、今に至っていると考えられています。

 

韓国や中国にも年賀状の慣習はありますが、韓国の場合はグリーティングカードとしてやり取りされるのが一般的です。中国の場合は、王朝社会の年始の挨拶状の名残で現在に至るが、やり取りされるのは旧正月です。

現在数多くの日本人が、海外で生活していますが、海外の知人、友人に年賀状を出すには、郵便事業会社の国際事業部がお年玉付き年賀はがき(令和3年現 63円)に、7円切手をプラスするだけで、はがきが世界中に届きます。景品の受け取りなどいくつかの問題もありますが、70円で海外へ届きます ((^^)/

f:id:marui-hall:20201230143625j:plain

プリムラ」の花 世界で約600品種もあり、寒い冬でも生き生きと鮮やかな花を咲かせます 。 色や種類によって違う花言葉を持っています 信頼・初恋・無限の愛・素朴、、

昨年は、世界で想像もできないコロナウイルス感染との闘いに、日常生活もままならない大変な年でした。そんな中で少し勇気と希望を与えてくれましたのが、将棋界の麒麟児 藤井壮太君の活躍、そして水泳界の池井璃花子さんが難病に負けず現役に復帰されました。そしてもう一つ昨年12月16日  宇宙航空研究開発機構JAXA)の探査機はやぶさ2号  りゅうぐうの岩石の入ったカプセルを見事オーストラリアの南部ウーメラの砂漠に着地回収されました。

初代はやぶさは、満身創痍で資料カプセルに持ち帰り自身は大気圏突入で燃え尽きた!劇的な帰還で日本人の心を揺さぶった記憶も新しいですね!

はやぶさ2号は、初代の悪銭苦闘をしっかりと修復し「百パーセント 満点」の帰還でゆっくり余生を楽しんでくれるかと思っていたが、なんと定年延長でもうひと活躍に出発 (^^)/ なんと我々サラリーマンが定年後も働く姿とダブりウルウル ( ノД`)シクシク…! 本当に勇気をくれた「はやぶさ2号」 頑張れ!!

 

新しい年を迎え欧州では新型コロナウイルスの変異種が急増し日本でも確認される! 「医療も緊急宣言」 新年もじっと冬眠 ? 我慢ですね! でも、かのスぺイン風邪の大流行も 第三波で終息しています。もう少し「終息」を信じて「三密」をさけ「不要不急」で我慢 ですね!

日夜活躍されています「医療従事の方々」に感謝と応援しましょう !

 

新型コロナ感染拡大により延期になった東京2020オリンピック競技大会は、2021年7月23日~8月8日、東京2020パラリンピック競技大会は2021年8月24日~9月5日に開催されます。それに伴い、

内閣府2021年に限り「海の日」は7月22日に、「スポーツの日」は7月23日に、

f:id:marui-hall:20201220150836j:plain「山の日」は8月8日(※8月8日は日曜日なので、8月9日が振替休日)に決定される。 <カレンダーを修正して下さい> (^^)/

 

         豆知識 「祝い箸」

祝い事には欠かせない箸のことっで、お正月などのにおせち料理やお雑煮をいただくときなどに使います。祝い箸は末広がりの八寸(約24センチ)で縁起がよく、「両口箸」「柳箸」「俵箸」とも呼ばれ、両方の先端が細くなっていて、「両口箸」とも呼ばれます。それは、一方は神様用、もう一方を人が使うためで、"神人共食"を意味しています。

お祝いの席で折れたりしないように、丈夫で折れにくい柳の木が使われています。また、柳は水で清められた神聖な木とされ、春一番に芽吹くおめでたい木とされています。そのため「柳箸」ともいわれ、縁起良く「家内喜」と書くこともあります。

また、「俵箸」と呼ばれるのは、五穀豊穣を願って米俵を模し、中ほどが太めにできているからで、「はらみ箸」とも呼ばれれ子孫繁栄を表したり、「太箸(たいばし)」と呼ばれることもあります。

お正月の祝い箸は、大晦日に家長が家族の名前をそれぞれの箸袋に記入し、箸を入れて神棚に供えておくのが習わしです。その箸を元旦に使ったら、自分で清めて(洗って)、松の内(1月7日まで)は同じ箸を使います  (^^♪

 今年は丑年ですね! うししっと笑えるようないいことがたくさんの年に、そして「嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことが牛牛ギュウギュウ)に詰まった年となり、牛のように一歩一歩確実に、マイペースで健康で笑顔を忘れない年にしたいですね  (^^)/  本年も宜しくお願い致します。             令和三年 元旦 丸井邦春

 

「はやぶさ 2」12月8日 地球に帰還 (^^)/

はやぶさ2」が6年ぶりに地球に帰ってくる!

探査機「はやぶさ2」手土産は小惑星りゅうぐうの破片 !

11月13日 午前10時過ぎ、地球に向けて小惑星「りゅうぐ」を出発しました  !

2014年に地球を出発し「はやぶさ2」、2018年6月に小惑星リュウグウに到着しました。約1年半の間に2回の着陸に成功して、当初の目的である表面のサンプルを採取を終えて全て完璧にこなし、そして採取した資料が入ったカプセルは、 12月 5日 14~15時 に「はやぶさ2」本体から分離され、カプセルはそのまま大気圏に再突入して、12月6日 2~3時にオーストラリア・南オーストラリア州にある「ウーメラ管理区域(砂漠)に、パラシュートで着地する予定です。  <写真はネットより、ウーメラ砂漠>

f:id:marui-hall:20201104110905j:plain

地球に帰還する「はやぶさ2」から分離されたカプセルの映像が、オーストラリアで撮影されインターネットで生配信されることが発表されました。
大気圏に再突入するカプセルは、地上からは火球のように見えると予想される。ただし今回はカプセルのみの再突入であるため、探査機本体も再突入した 2010年の「はやぶさ」初号機ほどには火球が明るくならないかもしれないとのこと。

f:id:marui-hall:20201107142020j:plain

                             <ネットより>

 2014年12月に探査の旅に出発した「はやぶさ2」は、

往路 32億キロ  3年半 ◇ 復路 8億キロ 1年 
往路は、太陽の周りを3周ほど回りながら加速し、同じく太陽の周りを回っている「りゅうぐう」に接近、この間の飛行距離が 32億キロに及んだ!
はやぶさ2 のエンジンは、急な加速や減速に時間が要し飛行距離が長くなる》
復路は、太陽の周りを1周弱するだけで、飛行距離は8億キロです。
 りゅうぐうの資料の入ったカプセルを投下するだけで、飛行速度の大幅な調整は不要となり、 飛行距離も8億キロも少ない。
2019年3月に、はやぶさ2 が撮影した「りゅうぐう」

f:id:marui-hall:20201107155831j:plain

                         <JAXA提供 ネットより>

はやぶさ2 は、「りゅうぐう」のサンプルを納めたカプセルをオーストラリアに着陸させるため、軌道修正を5回(TCM-1~TCM-5)予定されていて、10月から最終誘導する段階に入っています。いずれも化学エンジン(スラスター)の噴射で軌道変更が行われます。 

10月下旬初回軌道修正(TCM-1)と11月上旬2回目の軌道修正(TCM-2)によって、「はやぶさ2」は地球から高度200km以上離れた位置をスイングバイする軌道に成功し、続いて、11月下旬と12月3・4回目の軌道修正(TCM-3, 4)して、最終的にカプセルが大気圏に再突入してオーストラリアのウーメラ砂漠に着陸できる軌道に入る。

カプセルの分離が行われるのは12月5日の午後2~3時(日本時間)です。この時点で「はやぶさ2」は地球から約22万kmの距離(月までの距離の6割ほど)にいます。

カプセルがオーストラリアに着地するのは、分離から12時間後の12月6日午前2~3時頃の予定です。

資料が満載されたカプセルには、

今年4月に「りゅうぐう」の表面に、金属弾を表面に打ち込むことで、幅15mもの人工クレーターをつくり、7月に2回目の着陸でそのクレーターから噴出した岩石の破片を採集に成功したとみられ、この岩石の破片は太陽風などによる風化を受けておらず、46億年前に誕生した太陽系の状態が保っていると考えられ、有機物が見つかれば、地球の生命誕生との結びつきが解明されると期待が寄せられています。 (^^)/

また、上空から観測したり、小型移動ロボットを着陸させ「りゅうぐう」から得た資料を多角的に分析し、これまでに百十偏以上の論文が発表されています。

さらに資料が満載されたカプセルが回収されれば、さらなる世界に誇る日本の「小惑星研究」が世界をリードすること間違いないと期待が寄せられています。 (^^)/

カプセルを分離した「はやぶさ2」は、

12月5日  午後3~5時に最後のスラスター噴射5回目の軌道修正(TCM-5)を行います。「はやぶさ2」に12基搭載されているスラスターのうち4基を30秒間 × 3回噴射して「全速力」で地球大気圏に再突入する軌道から脱して地球の重力圏を離れ探査機の姿勢を変え、大気圏内で切り離されて発光する『カプセルの様子』を撮影すると発表されました。 撮影は探査機の側面に搭載されている広角の光学航法カメラ「ONC-W2」で行われます。

はやぶさ2」の探査機本体は地球に戻らず ??

回目の軌道修正(TCM-5)で「はやぶさ2」は、次の新しいミッションに !

はやぶさ2」の燃料にはまだ余裕があるため、再び地球を離れさらに別の小惑星の探査に向かいます。 新しいミッションは、カプセルを分離後に地球の重力を使った軌道変更(スイングバイ)を複数回実施し、探査機は別の小惑星を目指す新たな宇宙探査へ!

 11年に及ぶ新しい旅路に出発です。

次の探査先は高速で自転する  小惑星「1998KY26」 直径約30メートルと小さく、JAXAによると、直径100 メートル以下の小天体を探査機が訪れるのは世界初めての前人未到の「未知の小惑星」で、運用チームは期待を寄せています。

小惑星「1998KY26」に到着するのは  2031年7月の予定で、飛行距離は「りゅうぐう」までの往復(約50億キロ)の倍となる約100億キロに達します。
この間、2026年には、別の小惑星「2001CC21」の近くを通過しながら観測するほか、惑星間に漂うちりや太陽系外惑星の観測なども行う予定です。

航行に使われるイオンエンジンや観測機器に現時点で異常はないが、延長ミッションでは設計想定よりも太陽に近づく軌道を通るため、探査機が太陽の高熱で故障することが懸念され技術的にも大きな挑戦となります。

更なる旅路に応援です (^^)/ (^^♪ 

f:id:marui-hall:20201129094052j:plain

和名 ツワブキ 花の少ない冬に開花し、薬用として、解毒、排膿、皮膚病にも用いられる。食用には葉柄の皮を取り去って、茹でてよく水にさらし、苦味をとって調理します。   艶葉蕗(つやはぶき)「艶のある葉を持ったフキ」また、厚葉蕗(あつはぶき)「厚い葉を持ったフキ」から名がついた説があります。
初代「はやぶさ」故障続きで帰還が危ぶまれたがJAXA技術スタフの努力で、小惑星イトカワ」を探査して、2010年6月13日に地球へ帰還しました。小惑星から表面の物質(サンプル)を地球に持ち帰る技術(サンプルリターン)に成功し、イオンエンジン・自律航法・標本採取・サンプルリターンという4つのミッションを果たし、搭載カプセルをオーストラリア・ウーメラ砂漠へ落下させ、その運用すべてを終えました。

はやぶさ2」は、更なる技術の向上を確信し実証するために、地球に持ち帰えるだろうサンプルを多方面から分析がなされ、小惑星の形成過程を考える上で新たな見知をもたらし、さらなる太陽系の成り立ちや地球の生命起源に迫る研究成果が得られると期待されています。でもカプセル帰還まで油断大敵気が抜けない (@_@)
帰還予定地 の「ウーメラン砂漠」オーストラリアは国防所が管理する演習場で北海道1.5個分で初代「はやぶさ」もオーストラリアの協力を得て帰還した場所です。

f:id:marui-hall:20201129094127j:plain

イソキクかな? キクは最も進化した植物とされ、地球上のほとんどの地域に自生し、世界では約2万種があり、日本では約360種類が自生しています。
◆ 講談社 出版『あっと驚く科学の数字』に、  宇宙の大きさは470億光年  ◆ 太陽の中心を出た光が地球に届くまで1000万年   ◆ 地球上の生物の種類は174万種  ◆  宇宙全体で観測できる物質の割合はたったの4.9%。 ◆  日本人が一生の間にするウンチの量は約5トン  (>_<)
 ◆  人間の身体は、およそ60兆個もの細胞で形づくられていて、その一つ一つにあるDNAをすべてつなげると、地球と太陽を400回往復する長さ、およそ1200億キロ、光でも 8分20秒かかる。  宇宙探査機「はやぶさ2」の旅路は往復で40億キロです。
 ◆  壮大な宇宙の中では私たちはケシ粒のごとき存在だが、その粒の中に生命の小宇宙が広がっていると思うと、人間には広大な宇宙より謎が存在しますね!
 
    米宇宙局(NASA)は、10月20日に、米国版はやぶさとも呼ばれる探査機「オシリス・レックス」が小惑星ベンヌ」に着陸し岩石の採集に成功と発表 。
日本の「はやぶさ」「はやぶさ2」に続いて3例目となり米国では初めての試みです。2023年9月に60グラム以上の岩石を持ち帰る予定で、「はやぶさ2」は 0.1グラム 以上の目標予定です。 そして互いに採取した岩石と交換されて、共同研究ができると期待されています。
 ◆ 米宇宙局探査機「オシリス・レックス」は2016年9月に打ち上げされ、小惑星ベンヌ」上空に201 8年12月到着した。小惑星「りゅうぐう」は地球から3,4億万キロ 直径約900mで、「ベンヌ」は地球から 3億キロ以上離れていて、大きさは 約500mです。 
 
 日本時間 11月22日午前 、イスラエル民間・スペース I L(非営利団体)初の 月面探査機「ベレシート」を打ち上げに成功、月を周回し月面に着陸する見通し! これまでに月面の着陸探査機に成功したのは、米国・旧ソ連・中国でイスラエルが成功すえば四ヶ国目となる。アメリカ合衆国アポロ計画の一環として1969年7月 アポロ8号にてアームストロングが人類史上初めて月に降り立っ偉業が成されています> 
 
 11月24日未明 中国 月面探査機「嫦娥:じょうが」5号を搭載したロケットを打ち上げたと発表。月面への着陸後、ロボットアームを使い土壌サンプルを採集し、地球に持ち帰る予定。<「嫦娥」とは、神話に登場する人物の名前>
◆  中国は昨年1月に世界初めての月の裏へ「嫦娥:じょうが」4号 を軟着陸に成功している。2030年以降に有人探査・月面基地建設を行い 45年には火星有人探査を実現する構想計画があります。
成功すれば月への有人飛行や月面着陸・月面基地計画が本格化し、ますます宇宙から目が離せない (@_@) 宇宙旅行も夢でないですネ !

f:id:marui-hall:20201129095423j:plain

千両 :今も昔も正月飾りとして愛される縁起物です。  花言葉は『祝福・富・利益・恵まれた才能・可憐』

 日々、日が暮れる時間が早くなり、冬へ近づいているのを感じます。11月は暖かい日が多かったですが、寒くなると鍋物が食べたくなりますね! 皆さんは何鍋が好きですか? 寒さに負けないよう体を温めて、コロナ感染に負けない体調維持に努めよう。

もういくつ寝るとお正月ですが、新年の催事がどこもコロナ感染拡大で縮小や取りやめが発表され、寂しい お正月になりそうですね (>_<)   
新しい年には、ワクチンの開発が成功し、もう少し明るく健康で、笑顔がいっぱいの年になりますよう期待しましょう ( ^^) _笑~~            Marui  12/1 
 

 

 

 

 
 

 

日本人と文字の出会いは (?_?)

 日本語って、難解 ??

『敷居が高い』の意味を日本人の半数以上がカン違い!

「あのお店はちょっと高級すぎて、上品すぎて敷居が高くて…」といった意味で使うことが多いと思いますが ?

実はこの言葉の使いかたは間違いで、文化庁の『国語に関する世論調査』(平成20年度)で、67.9%もの日本人が正しく理解できていないことが判明したとあります。

そして20代の若者はほぼ8割が間違えていたとあります。 無理もない、住宅事情も変わり「敷居」も分からない若者も多いと聞く! 大変間違いやすい言葉使い(慣用句)なのです!

正しい使いかたは、「相手に不義理などをしたり、長い間音信不通だったりして敷居が高くて家に行くにくい」とこのように使います。  (^^)/

「映画の寅さん」タンカを切って家を飛び出したが! 寅さん、家に帰えってくるのに家の前で「敷居が高くて」モジモジしている。 えっ! 寅さんを知らない 人が?  

                   9/28 中日新聞「中日春秋」コラム欄より、

 最近はドアが多いので「敷居」と言ってもパッと思い浮かばない人もいるかもしれませんが、引き戸や襖、障子を開け閉めするとき、下に戸を受けるレールのような溝のついた横木(敷居)がありますよね!  日本家屋では「敷居」というのは内と外を区切る大切な存在です。中に入るためには必ず敷居をまたぐわけですから、不義理をして気まずかったりして、その家に「入りにくい」ということを「敷居が高い」と表したわけです。

しかし、「高級すぎる」「自分にはレベルが高すぎる」というのは間違いであると言われていましたが、世論調査などでも、この本来の意味ではないとされている意味で使う人のほうが多いという結果が出ました。そもそも「不義理をして」のほうの意味が本来の意味であるとする根拠も曖昧で、以前から誤用とは限らないと主張する人もいました。

2018年1月に発売された広辞苑第七版』では「高級だったり格が高かったりと思えて、その家・お店に入りにくい」という表現が付け加えられました。《 第六版まではなかった記述ですが、今回「俗説として」などの注記もありませんので、正式な用法として認められた」ということになりますネ!》

日本語の文化は多様化して、複雑な「使いかた・言い回し」がありますね 。 最近スマホの普及やオタク文化のメジャー化し、10代〜20代前半の若者やネット住民が使い始めた言葉が浸透する傾向が顕著で、若者が使う言葉やイントネーションの使い方がへんで、理解できないことがイッパイあります。     そして死語になるスピードも早く、やっと覚えた言葉が古いと言われたりしてします。だから30歳をこえたイイ大人が? 最新の若者言葉や最新のネットスラングをガンガン使うのは痛々しいと感じませんか?? とはいえ、いちいち「どういう意味なの?」なんて聞くのもシャクで解ったような顔して、「オヤジ・オジィ」の烙印を押されぬようにつとめているが! チョット日本語が乱れてない ? コロナ感染拡大で世界中混乱! 一日も早く以前の普通の生活が欲し~~です! 言葉も! (>_<)f:id:marui-hall:20201013162617j:plainマリーゴールド」 花壇に一株あれば、虫よけに効果あり  (^^♪ 原産地はメキシコ  名前にはキリストの「聖母マリアの黄金の花」と意味が込められています

日本人と文字の出会いは、中国から漢字が伝来する以前に日本には、固有の文字はありませんでした!人々は神話や伝説などを全て口伝えでしていた。 日本列島において初めて漢字を目にしたのは、古代の遺跡から漢字が刻まれた金印や中国の銅銭が発掘されていることから、遅くとも1世紀頃と推定されています。

しかし漢字を目にした人たちが、それを文字だと認識していたかどうかについては、また別の問題です。 わたしたちがアラビア文字を見るときのように、おそらく当時の人々にとって、漢字を文字として理解していたというよりは、複雑な模様に権威や呪力を感じ、模様のようにしか映らなかったと考えられています。漢字が本格的に使用されるようになるのは、出土した 木簡(もっかん)の研究から、中国や朝鮮半島を経由して 儒教、仏教、道教などを受容してきた6世紀から7世紀にかけてのことで、漢字に出会って 約1600年の歴史です。

では中国で生まれた漢字  日本では、 いつごろから漢字を文字として理解し始めたか詳しいことはわかっていないが、確実なのは邪馬台国(やまたいこく)の時代、紀元3世紀ごろと推定されています。魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』で有名なように、このころには、日本と中国との間に使節の往来があり、おそらく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことのできる人々がいたに違いないとも考えられています。

漢字の使用例は5世紀の 稲荷山古墳出土 の鉄剣や、江田船山古墳出土 の太刀などに見られます。人名の部分は漢字の音だけを使って表記されて、いずれも漢文で書かれています。

そして6~7世紀には遣隋使や遣唐使として中国大陸でさまざまなことを学び帰国する。儒教を中心とする明経道(みょうぎょうどう)を学ぶ人も増えて識字層が広がり、奈良時代に建立された東大寺では官立の写経所が設けられ、漢字で書かれた経典の書写も盛んになります。

f:id:marui-hall:20201004142311j:plain

                               (ネットより)

私たちは何気なく「漢字」と呼んでいますが、そもそもこの呼び名はいつ頃から使われていたか?

漢字の起源は紀元前1300年頃の中国大陸にさかのぼることができるため、漢王朝(紀元前2世紀〜紀元後2世紀)の字だから「漢字」というワケにはいきません。漢字の「漢」は王朝由来ではなく、漢民族が使っている文字という意味で、唐代の頃に使われ始めたといわれています。

 東アジアで固有の文字を発達させた漢民族は、しばらくは自分たちが使っている文字を特別な呼称で呼ぶ必要はありませんでした。しかし、シルクロードなどを通ってインドの梵字をはじめ、西方のさまざまな文字が中国に伝わってきたことから、それらの文字と対比するために漢字という呼び方が定着したそうです。

しかし、漢字は日本語の文法とは異なります。そこで日本語の文法に沿って書き表す変体漢文(和化漢文)が生まれ、漢字に和語(やまとことば)を当てはめる独自の読み方を開発しました。 漢字本来の意味ではなく「音」を使って書き表す「万葉仮名」を発達させ、のちの「ひらがな」の誕生につながるのです。

日本に伝来した漢字は、次第に日本独自の使い方をするようになります。主な漢字の使われ方は以下の三通りです。

■ 現代の音読み、(中国での意味と同じ)で使う (例:山=サン)

■ 日本独自に訓読して使う (例:山=ヤマ)

■ 字音だけを借りて音を表記するのに使う(例:也麻=ヤマ、波奈=ハナ)

この例のように、漢字が持つ意味を無視して音がけを使用して表記した文字を「万葉仮名」と言います。

「万葉仮名」は人名や地名といった日本独自の名詞漢字で表記するときに使われていまた。音を借りるという意味から仮借(かしゃく)、万葉仮名のことを別名で借字(しゃくじ)と言います。 

稲荷山古墳出土の鉄剣も、名前の部分に「万葉仮名」が使われています。出土資料から、万葉仮名は7世紀ごろであろうと言われています。

万葉仮名は、漢字を使って日本語の音を表したもので、いわゆる「当て字」で、最初は固有名詞で使われていたようです。 8世紀に成立した『古事記』『日本書紀』『万葉集』などでは、「万葉仮名」が使われています。

                           ( 下図は、ネットより )

f:id:marui-hall:20201017140203j:plain

「万葉仮名」で書かれた日本語は全て漢字表記で、現代のようにまだ漢字仮名(かな)交じりではありませんでした。ひらがなとカタカナは、この万葉仮名から誕生しましたが、もう少し後の時代になります。

 ひらがなの誕生 ... ひらがなは、万葉仮名をくずして簡単にした文字で、9世紀ごろから使われるようになったと言われています。 当時の貴族社会において、男性が公的な場面で用いるのは漢字であり、ひらがなは主に私的な場面で、あるいは女性によって使われる文字とされました。      ( 下図は、ネットより )

f:id:marui-hall:20201017133002j:plain

ひらがなは、主に手紙や和歌、物語、随筆などに用いられ、女流文学が花開く契機となりました。
ひらがなで書かれたこの頃の文学作品には、紀貫之が女性を装ってつづった『土佐日記』(935年ごろ)、 清少納言の『枕草子』(1001年ごろ)、 紫式部の『源氏物語』(1008年ごろ)などがあります。 

 カタカナの誕生 ...ひらがなとほぼ同時期に万葉仮名から生まれました。ひらながが万葉仮名をくずしたものであるのに、カタカナは万葉仮名の一部分を抜き出したものが起源とされています。 (下 図は、ネットより )

f:id:marui-hall:20201017142814j:plain

僧侶の間で読まれていた経典は、全て漢文で書かれていたので、僧侶たちは行間に読み方などのメモを書き入れていました。
その際、形の複雑な万葉仮名では狭い行間に書き入れるのが難しいため、9世紀ごろから万葉仮名の一部だけが書かれるようになりました。
これが、かたかなの始まりと言われています。 

f:id:marui-hall:20201022094250j:plain

今年も咲きました、ホトトギスの花「時鳥草」「油点草」「社鵑草」と書きます

名前の由来は、もちろん鳥のホトトギスから、ユリ科ホトトギス属、

漢字(かんじ)は、中国古代黄河文明で発祥した表語文字で、四大文明で使用された古代文字のうち、現代も使用される唯一の文字体系である。また史上もっとも文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超えると言われ、ほかの文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えています。

現代では、中国語、日本語、韓国における朝鮮語(韓国語)、広西の東興市にいるジン族が使用のベトナム語の記述に使われていますが、韓国語ではほとんど使用されなくなっています。

20世紀に入り、漢字文化圏内でも中国語と日本語以外は漢字表記をほとんど廃止しされましたが、なお 約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い漢字です。

f:id:marui-hall:20201022100109j:plain

シュウメイキク(秋明菊)も咲いた!日本では古くから野生化してきた多年草で原産地は中国、台湾で、中国では「秋冥菊」と表記 花言葉は「淡い思い」「多感な時」

京都の貴船地方で自生する秋の風情を演出する花です (^^♪

不思議な日本語?

漢字の表記も地域によって独自の文化やが傾向があり、例えば寿司は東京では「鮨」と書かれることが多い一方で、近畿では「鮓」が優勢なのだとか。また、「渋谷」は東京では「しぶや」と読むことが一般的ですが、関西では「しぶたに」と読む、「大谷」は西日本では「おおたに」、東日本では「おおや」と読まれやすいなど読み方にも地域差があるようです。ちなみに、タレントの草彅剛さんの「彅」や蛯原友里さんの「蛯」は、限られた地域で使われていた漢字が本人たちの知名度が上がったことで全国的に読まれるようになった漢字で、“出世漢字”といえるかも?

尾張藩でも用水路やその入り口を意味する「杁:イリ」は、江戸時代に尾張藩で作られた方言漢字です。江戸幕府や他の藩では 木偏でなく土偏の「圦」が使われていたそうです。

ちなみに、江戸時代(1628年)に 木曽川から大江川(宮田用水)に導水するために「杁」が作られて用いられた文字が木偏の文字です。浅井町の大野極楽公園に記念碑がありこの文字が使われています。 (^^♪

地域差ではなく “書き間違い” から生まれる漢字もあります。メジャーなところでは「サイトウ」と読む姓ですが、一説には80以上も存在すると言われてますが、全国的に多い「斉藤」「斎藤」「齋藤」「齊藤」は、もともとすべて「斎藤」が由来で、ほかの字体は役所の人間の書き間違いから生まれたとも言われていた話もあります。 (>_<)

そこで、問題です!

お茶の「いえもん」とか 盗賊の「いしかわごえもん」て、漢字でどう書くのかな?

「右」を忘れないで??

日本語の歴史は、漢字を音読み、訓読み、そして漢字のもつ意味を無視した「万葉仮名」を使い、そして日本独自の文字文化を進化させた「 かな」と「カタカナ」をも作り出して、使いこなした先人に驚くばかりです。

中国から伝わった「漢字」とは違い、日本だけで発達した「かな文字」が誕生し、その優美さに女性文学が盛んになり、清少納言紫式部が活躍することになり、「かな文字」の素晴らしさに驚くばかりですね! (^^♪                  11月1日 Marui

 

 

 

もう、10月です (^^)

『秋の空』高々として澄みわたり気持ちのいいものですね! でも変わりやすいのが「女心と秋の空」などと変わりやすい例えになっていますが、広辞苑を調べると「男心と秋の空」とあり『変わりやすい ものの例え』と書いてあります?? 女心でないのかな ??  (>_<)

ところうで、10月1日 中秋の名月十五夜のお月見しましたか?

f:id:marui-hall:20201002095752j:plain

我が家より眺めた十五夜の月です (^^)/ 明らかな夜を「良夜」と呼びます。  特に陰暦八月十五夜の名月が、曇って月が見えないことを「無月」といい、また雨が降れば、「雨月」と称して楽しまれていました。   < PM20:00  頃撮影 >

 

今年の10月29日は 「十三夜・じゅうさんや」です。

お月見の起源は、中国の唐の頃に伝わったとされる「十五夜」が有名ですが、

日本では、月を愛でる習慣は縄文時代からあったとされ、平安時代には貴族の間で月見の宴を催し、舟遊びをして池に映る月を愛で、お酒の杯に月を映して拝し宴を楽しんだりしました。
江戸時代には庶民にも広がり、稲穂に見立てたススキや獲れた芋や栗を供えて秋の収穫を祝ったといわれています。この様に日本独特の風習の「十三夜」(旧暦九月十三日) もまた美しい月であると重んじられてきました。

《一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています》

十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります

今年も晴れてお月見ができるはずです? 一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされ、十三夜のお月見をしないと「片三月」といつて縁起が悪いと言います。                            <写真はネットより>

f:id:marui-hall:20200908172937j:plain

十三夜は「豆名月」とか「栗名月」と呼ばれて、豆や栗を神棚などに供えることから、「豆名月」とか「栗名月」と呼ばれます。また中秋の名月の後なので、後(のち)の月と言われたり、月の名残り、豆の月、まめなづきとも言われます。
「よめはつらき茄子かるるや豆名月 芭蕉

長野県安曇郡その他の地方では「小麦の名月」と言われます。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。
そして福岡県の海岸部では,この日を女の名月と呼んで,女がいばってもよい日だと伝えています。

さらに翌月の十日(旧暦10月10日)の月の夜は「十日夜:とうかんや」と言って稲の収穫を祝ってお餅をついたりします。特に東日本を中心に収穫祭としして様々な行事があります。

「十三夜」は聞いた事があるけど、「十日夜」は知らないという方も多いと思いますが、昔から「十五夜」「十三夜」「十日夜」の三つのお月見をすると大変縁起が良いとされています。 (^^♪ <今年の「十日夜」は  11・24・火曜 です>

 大豆は薬、平安時代に書かれた日本で最古の医書に、大豆についての記述があります。煮汁を飲むと鬼を殺し、毒を取り去るとして、食中毒、薬害、産後の病気、 むくみを取り除き、胃腸を整え、血の流れをよくし、おなかにたまったガスを下げると書かれています。

また、高い所から落ちてけがをしたときや、のどがしびれたときには飲み、火傷や腫れたところには、すりつぶして塗ると効果があるとされていました。 炒った大豆の粉末は顔色をよくして、気力をつけるとして、不老長寿の錠剤に 使われていたそうです。

豆知識!  マメに暮らすために正月に長寿を願うために食べたり、元旦の朝に乾燥させた大豆の 茎や葉を使ってお雑煮を作ったりして一年の無病息災を祈ります

節分に炒った豆をまくのも、豆に宿る霊力で厄災をはらうためです。疫病、風邪などを豆にたくして、道端に捨てたり、井戸に投げ入れる風習も広く行われていました。

樋口一葉『十三夜』

深まる秋の十三夜を舞台に明治の女性の哀感が漂う名作です。

離婚の決意を固めながらも、それによって一人息子を失うことを怖れて離婚をとどまる女性の姿を描いている。
美貌の娘、お関は、高級官吏の原田勇に見初められたことにより、身分違いの結婚
をする。結婚当初、勇はお関を「下へも置かぬ」ように扱っていたものの、一人息子
の太郎が生まれてからは、人が変わったように何かにつけ 、お関に当たるようになる。
お関は以来、「物言はず辛棒して」きたが、太郎が五歳の旧暦十三夜の夜、秘かに実
家に戻る、、、

日本には、月は欠けても、満ちることから不死の象徴として とうとばれ、月をお団子に見立て食し、また月を杯に映しお酒を拝することで、健康で長寿が得られると考えられていたようです。

日本には色んなものを愛でる習慣、行事があります。花見、雪見、そして月見などとそれぞれ楽しみや想いが色んな形で残っていますね! 特に月は古くから身近にあり、文学や和歌に俳句、唄にも童謡に歌謡曲と、また各地で色々な風習として伝承されています。

何かと忙しい毎日の中で、空を見上げることを忘れがちです。ときには月を見上げ、コロナを少しのあいだ忘れ、美しい月を愛で悠久の時を楽しんむのは如何ですか?   全国各地で晴れるといいですね!

f:id:marui-hall:20200909154426j:plain

ホワイト ジンジャが咲いた ! 素敵な香りがします インド産のショウガ科 キューバとニカラグァの国花です  花言葉 「豊かな心」「慕われる愛」

お彼岸とは、春分秋分の日の前後3日の7日間のことで、古くからその時期のお供え物とされてきたのが、「おはぎ」や「ぼたもち」です。秋分の日は、先月9月22日)

これらに欠かせない小豆は、古くは縄文時代から日本人にとってかかせない食材で、赤い小豆には「魔除け」の力があり、邪気を払う食べ物だと考えられていました。そのような考えが、先祖の供養と結びつき、お彼岸に欠かせない食べ物「おはぎ」や「ぼたもち」となったようです。

現代でも、祝いの席などで振舞われるお赤飯には小豆が使用されていますが、当時は自分たちが小豆を食べるのではなく、ご先祖様に捧げるものであったそうです。

「おはぎ」や「ぼたもち」は、名前の由来などに違いがあっても、彼岸には欠かせない伝統的な食べ物です。

ぼたもち と おはぎ、何気なく食べている人も多いと思いますが、どちらもすごく似ているのため、なにがどう違うのか気になったことはありませんか?

 ぼたもち」は江戸時代に春のお彼岸に食べられていたもので、砂糖は貴重だったため、あんこは塩味で作られていましたが、江戸時代中期になると砂糖の入ったあんこが広まったそうです。

■  それぞれ作る季節に違いがあり、一説には小豆を春に咲く牡丹の花に見立てたことから、「ぼたんもち」と呼ばれていたのが「ぼたもち」に変わったとも言われています。

一方の「おはぎ」は、秋の七草のひとつである萩の花と小豆の形状が似ているため、「おはぎもち」と呼ばれていたのが「おはぎ」に変わったとされています。

■  さらに、夏や冬に作る場合には別名があります。夏の別名は「夜船(よふね)」です。おはぎを作るときには臼でつくことはせず、米を潰して作られるため、餅をつく時のようなペッタンペッタンといった音が出ません。近隣の住人でもおはぎを“ついた”のがいつか分からないことから、夜は暗くて船がいつ“着いた”か分からない「夜船」になぞらえて呼ばれるようになったそうです。

また、冬は「北窓」とも呼ばれ、北にある窓からは“月”が見えないことによります。 搗(つ)くことをしないことから、転じて“月知らず”となったわけです。

今では季節の区別なく呼ばれることが多い「おはぎ」や「ぼたもち」ですが、春夏秋冬により呼び方が違ってた! 春は「ぼたもち」、夏は「夜船」、秋は「おはぎ」、冬は「北窓」と分けて呼ばれ、日本の言葉文化の繊細にさに驚きますねす!

f:id:marui-hall:20200922115025j:plain

                                                                                          <写真はネットより> 

地方により違いが、「おはぎ」は秋の萩の花ににせて「小さめ」に作り、「ぼたもち」は春の牡丹の花のように「大きめ」に作ります。

そして、小豆の収穫シーズンの秋は皮がやわらかであることから、おはぎはつぶあん、そして春の小豆は冬を越して皮が固いからぼたもちはこしあんを使います。このように、あんこの違いによつて「おはぎ」「ぼたもち」を分けて呼ぶ地方もあります。

そして、ぼたもちやおはぎには、「全殺し」「半殺し」「皆殺し」という、ちょっと物騒な言葉があることを知っていますか? ただ聞いただけだと、怖い言葉に聞こえますが、これはもち米の潰し具合のお話しです。

ぼたもちやおはぎは、基本的にもち米の粒を半分程度しか潰さないことから、「半殺し」と呼ぶようになったのです。

ですから、もち米を半分潰したものが半殺しなら、すべて潰したものは「全殺し」や「皆殺し」と呼ばれています。

これらの呼び方は、全国各地で聞かれますが、とくに徳島県群馬県、東北地方で呼ばれることが多いです。ぼたもちやおはぎのことを「半殺し」と呼ぶことがあります。

おはぎには「うるち米」を、 ぼたもちには「もち米」と使い分けて作る地方もあるようですが、明確な決まりはないようです。うるち米:不透明な白色、普通にご飯として食べているもの)

f:id:marui-hall:20200930150654j:plain

水仙が咲いた! ヒガンバナ科に属し色や形の異なる多くの種類がありますが、総称して「スイセン」と呼ばれています(地中海沿岸原産で、平安末期に中国から渡来)

(^^♪  ぼたもち」と「あんころもち」の違いは?

ぼたもちとあんころもちも、見た目はほとんど同じです。

あんころもちは「餡衣餅」と書きますが、その名前のとおり、餅の周りに餡の衣で覆っ

たもの。中が完全なお餅であることです。

ぼたもちの中は、うるち米を完全に潰さないものですから、ここが明確に違うというわけですね。

ちなみにあんころもちは、関西地方を中心に、夏の土用に食べる習慣があります。

 

 (^^♪  一言では語れない「おしるこ」と「ぜんざい」の違いは?

「ぜんざいと」は、主に小豆を砂糖で甘く煮て、餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた料理です。基本的に、小豆から煮るので粒があります。小豆の粒がないものはぜんざいとはいわないようです。 

 ぜんざいの語源には2つの説があります。

仏教用語で「善哉」は「よきかな」とも読み、元々「すばらしい」を意味する言葉です。これを食べた一休禅僧が、あまりのおいしさに「善哉:すばらしい」と叫んだことからそう呼ばれるようになった、という説です。

もう一つは、出雲神社の神事において振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」を由来とし、「じんざい」がなまって「ぜんざい」へと変化したと考えられています。 

おしるこの場合は、小豆あんを水でのばして砂糖を加えて煮て、その中に餅や団子を加えた料理です。特にこしあんを使う場合には、「さらしあん」を使ったようです。

「さらしあん」とは、生のこしあんを加熱乾燥させて粉末状にしたものです。その“粉のあん”を使ったことから「汁粉」と呼ばれるようになったようです。

「おしるこ」は江戸時代からあったようです。当初は甘いものではなく、塩味で調味されていて、お酒のつまみとして出されていたんだそう。

基本的には、「おしるこ」は汁あり、「ぜんざい」は汁なし、という分け方がされています。しかし、もっと細かく見ていくと、関東と関西ではその意味合いが違ってくるようです。ぼたもちと おはぎと同様、地方によつて違いがあります!

                                                                                                                                  <表はネットより>

f:id:marui-hall:20200930100335j:plain

関東では、小豆あんの汁物全般を汁粉(しるこ)と呼びます。その中でも粒ありのものを田舎汁粉、粒なしのものを御前汁粉(ごぜんじるこ)と区別します。

関西では、粒なしのものを汁粉、粒ありのものをぜんざいと呼びます。関東でぜんざいといえば、餅などにあんを添えたものを指しますが、関西ではこれを亀山や金時などと呼ぶのだそうですよ。大阪ではこしあんで作った汁粉を「こしあんのぜんざい」と呼ぶ人もいるそうで、なかなかややこしいですね。

九州では、関西での違いと同じです。つまり、つぶあんをおしること呼び、こしあんをぜんざいと呼びます。 また、九州の一部の地域では餅が入っているものをおしるこ、白子団子が入ってているものはぜんざいと呼び、その逆も然りです。

北海道では、これと言って特質すべき違いはないよううです。しかし九州同様に北海道でも特殊な食べ方する地域があります。おしるこに白玉団子でなく、カボチャを入れると言うものです。 その食べ方の起源はお米の収穫が困難であった時代に、餅の代用品としてカボチャを用いたという時代の背景があるからです。

 日本の食文化って奥が深いですね! ある意味の「こだわり」や 「おもしろさ 」「繊細」など、地域により特色もあり驚きますね! 食べる際に違いを意識してみるのもいいですね! 日本て、い~いなぁ~~~ (^^♪

                         10/2 記 Marui

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月1日は「芋名月」 (^^♪

 

 10月1日は中秋の名月』です 

                      (^^♪ <旧暦の八月十五日>

是非『お月見』を! 日本では昔から、秋八月(旧暦)の満月をと呼んで、美しい月を愛でる風習があります。観月とも言います。平安時代に唐(中国)から伝わった行事と、日本に古来からあった秋の収穫祭が合わさったものです。

月々に 月見る月は 多けれど

       月見る月は この月の月  (詠み人不明)

 

十五夜は、芋名月(いもめいげつ)ともいわれ、その年の豊作に感謝し、里芋の収穫期にあたることから「芋名月」ともよばれます

里芋とお月見の関係は、昔々、宮中の女官たちが、萩の枝で作ったお箸で里芋に穴をあけて、その穴から、月を眺めて、「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という「月づくしの歌」を口ずさんだとも言われています。

f:id:marui-hall:20200907081224j:plain

日本人は昔からお月さまが大好きです! お月さまにはうさぎが餅つきをしているように見えますが、うさぎも豊作を喜んでいる姿でしょうか?  現代子にこんんなことを言うと笑われるかな?

月見団子の形って、地方によって特色があります  (^^♪

f:id:marui-hall:20200911124940j:plain

関東地方では、よく見る定番です。見た目もシンプルで味付けも砂糖です。

関西では、里芋をイメージして、餅にこしあんを巻きつけてあります。     「えっ、ぜんぜん違う!」関西では「お月見=芋」という風潮が強いそうです。

f:id:marui-hall:20200911165711j:plain

 愛知地方では、しずくの形をしています。これは「芋」の形をイメージしたものみたいです。月見が伝来してきた当時は、芋をお供えしていたので、その名残が残っているようです。関西に近くにつれて、「芋」にちなんだ形になっていくところが興味深いですね!
  四国・中国。九州地方では、串にさした串団子タイプが多いようです。

画像は岡山県で定番の三色団子。あんこをくるんだり、きなこをかけたり、普通のみたらし団子だったり、バリエーションが豊富なのが特徴です。

関西より西は、串で食べるのが主流です。

f:id:marui-hall:20200911165745j:plain
静岡地方では、「へそもち」という変わった形をした月見団子。静岡県中部地方ではこれが定番です。

由来は定かではありませんが、戦国時代、徳川家康が今川氏の人質として駿府にいた時のこと。徳川家康の付き人が、「元気に育つように」と願いをこめて、もちをへその形に窪ませ、その上にあんこを乗せたのが始まりとされています。

沖縄地方では、「ふぎゃぎ」または「ふちゃぎ」と言います。お餅のまわりには、小豆がまぶしてあります。ボロボロ落ちて食べにくいそうですね、味付けは、薄い塩味の餅に小豆をまぶすだけで、甘みはなく、ほぼ味がありません!

東北地方ではそもそも、お月見の文化が浸透していないそうです。 お月見の文化が平安時代に中国からきたことを考えると、東北まで伝わっていない可能性が高く、文化として根付いてないのもうなづけます。

 「お月見泥棒」

お供えだけでなく、独特の風習も各地に伝わっています。もっとも多いのが「お月見泥棒」です。

この日だけは、子供たちが他家の供え物をとったり、他人の畑の芋を盗んだりしても、大目にみるという「お月見泥棒」の風習が各地にまだ残っています。

たとえば長崎県の一部では「まんだかな」といい、子どもがお供えを自由に取っていいいそうです。

また東北の秋田県仙北郡では「片足御免」といい、他人の家に片足を踏み込んでお供えを取るくらいは許されるそう。
どちらも「お月さまがお供えを食べた」ととらえ、喜びます。

愛知の一部や名古屋市北区名東区など近県でも「お月見泥棒」の風習がみられます。一宮市に生まれ育ちました私も、昭和25年頃には兄貴と一緒に緊張しながら「お月見泥棒」に行った記憶があります>

子供は、お供えしたものを食べるのは「神様の力をいただく」また「お月さまの使い」と考えられていたようで、たくさん盗み食いされた家ほど縁起よいと言われたそうです。

現代では「月見団子」を盗むのではなく、「お月見ください」と言って家々を廻ってお菓子をもらう地方があるそうです。  

里芋の原産地は、インド東部からインドシナ半島にかけてという説が有力です。 少なくとも紀元前3000年ごろにはインドで栽培されていたようです。

日本で稲作が始まったのは弥生時代ですが、それ以前、縄文時代に焼き畑農業が行われており、その中心作物は里芋で、里芋は稲作以前の主食だったと考えられています。

f:id:marui-hall:20200909103032j:plain

   我が家もそろそろ芋堀り! 十五夜にお供え準備! (^^♪

『御湯殿記』 室町中期~江戸末期・ 宮廷にある清涼殿御湯殿の女官たちの日記 に、陰暦8月15日(十五夜「名月御祝、三方に芋ばかり高盛り」新芋(サトイモ)を掘り、水炊きのまま月前に供えたりして収穫を祝った。と記述があります。

安永年間(1772年~1778年)この頃、京都、平野権太夫(料亭「いもぼう平野本店」の先祖)が、御所の御用を賜り野菜の栽培をしていた。仕え先の粟田青蓮院宮が長崎から持ち帰ったという里芋を育てたところ、大きい海老のような形ちをした芋が出来き、これが「えびいも」が生まれたとされています。

 

芋名月」秋の季語として詠まれてます!

「雲霧や芋名月のきぬかつき」    貞徳『犬子(えのこ)集』

「蕪(かぶら)よりいも名月やひがしやま」  安永『玉海集』 

 

 日本では、月への思いがさまざまな形で、各地に残され親しまれています。今年の十五夜はぜひご家族そろって食卓を囲み、お月さまと一緒に秋の旬をお楽しみたいですね!各地で晴れて、十五夜お月さんが顔をだして微笑んでくれるといいですね (^^♪

                                                                                                               

 9月22日 秋分の日です 昼と夜の長さが等しくなる日です。

秋分の日の3日前の日を「彼岸の入り」といい、3日後を「彼岸の明け」と言います。 その中間に位置する 日を「彼岸の中日」と呼ばれています。

1948年に、広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。

この日には、各家々では家族そろってお寺や墓参りに行ったり、「おはぎ」を供え祖先を供養します。「ぼたもち」では?? おはぎとの違い? 次回に! (^^)/」

                              記   9/20  Marui

 

 

 

 

 

 

 

「長月」 九月 

『長月』とは、日の暮れが早くなり、秋が深まる頃で、 日ごとに夜が長くなることから「夜長月(よながつき)」また、秋雨が降る「長雨月(ながめつき)」が略されたといわれています。

 夜に空を見上げれば、いつでもすぐそこにある月!

月は、地球で生命活動を営む人類にとってもっとも身近な天体であり、人々の生活と密接な関係の中で生きてきました。 いく万年もの昔からひかり輝く月、日本人はたくさんの月を繊細な感性で、愛で、語らい、表現されてきました。

<月と和歌>

 仏教伝来(538年)後、現存する日本最古の歌集 万葉集は、奈良時代(7世紀後半~8世紀後半)歌は 4,500首 天皇から庶民の歌 山上億良(貧窮問答歌:ひんきゅうもんどか)も含まれています。 編纂は不明ですが大友家持が関わっていたとされる。 
東の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ    柿本人麿
「東の野に陽炎が立つのが見え、西の空を振り返り見れば、あたかも月が落ちかけている」 これは軽皇子文武天皇)が阿騎野に宿られて、父日並知皇子を追想されたときに、随従していた柿本人麿が詠んだ歌です。

天の海に雲の波立ち 月の舟 星の林にぎ隠る見ゆ  

                                 柿本人麿

雲の波が立つ天(空)の海に、月の舟が煌めく星の林に漕ぎ入って隠れていくのが見える」 なんとも幻想的な情景が目に浮かぶような和歌です。

f:id:marui-hall:20200826101440j:plain

                    <写真はネットより>
 
894年には遣唐使が廃止され!
 それまで大陸の圧倒的な影響のなかで、やっと日本的な文化が芽生え、 古今和歌集が編纂さる。平安時代(905~912年完成) 日本最初の勅撰和歌集 醍醐天皇の勅命により編纂 歌は1,1000首 20巻 特徴は優雅で美しく女性的な感じられ、五七調から七五調への移り変わりがみられる。 (紀貫之らが編集)

月影も雪かと見つつ弾く琴の 消えて積めども知らずやあるらむ                                    紀 貫之

「月の光も雪かと眺めながら、あなたが弾いている琴 あたかも雪が消えては積もり、消えては積もりするように、私の心に琴の音が積もってゆくけれども、あなたはそれを知らないのだろうか」 紀 貫之 は平安時代を代表する大歌人であり、勅撰集を代表する「古今集」を編んだことでよく知られる。宮中においては恋愛の道具でしかなかった和歌を、文学作品にまで高めた。「土佐日記」の著者でもある。

天の原ふりさげ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも

                            安倍仲麿  遣唐使

「大空を振り仰いで遥か遠くを眺めると、今見ている月は、かって奈良の春日にある三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ」 717年、17歳で留学生として唐に入り、753年、帰国の途につくが船が難破し果たせず、ついに二度と日本の土を踏むこと無く逝った望郷の歌です。

月影にわが身を変ふるものならば つれなき人もあわれとや見む             壬生忠岑(みぶのただみね)

「私の姿を月に変えることができるなら、冷たいあの人も「美しい」と思って --- そして「かわいそうだ」と思って --- 私のことを見てくれるだろうか」 古今和歌集には、恋のつれなさや浮き世の哀れさを詠ったものが多くみられる!

  鎌倉幕府の求めに応じ藤原定家が選んだ百人一首平安時代末期~鎌倉時代初期 百人の歌人から一首選んだで作られた秀歌撰で、カルタで知られる「小倉百人一首」として今も親しまれている。

今来むといひしばかりに 長月の有明の月を 待ち出でつる                   素性法師

「今すぐに来ようとあの人が言ってきたばかりに、九月の夜長を待ちつづけているうちに、有明の月が出てきてきてしまったことだ」遅い月の出を待ちわびる様を、また出てすぐ見えなくなってしまう有明の月に、恋のせつなさつれなさを重ね合わせた歌です。

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな                 紫式部
 
「やっと会えたと思ったのに、あなたなのかわからないうちにいなくなってしまった。出たと思ったらすぐに雲に隠れた月のようだわ」 ほんのわずかな再会を嘆く気持ちを、「夜半の月」に重ね合わせる発想が美しいですね。

紫式部は、藤原北家屈指の学者で詩人でもあった藤原為時の娘です。藤原宣孝と結婚し、大弐三位 を産み、夫の死後、一条天皇中宮・彰子に仕え、『源氏物語』を執筆する。

幻想的な作品が多い新古今和歌集 鎌倉時代の初め 後鳥羽上皇の命により八つの勅撰和歌集 歌は2,000首 20巻 藤原定家らが編集する。

 嘆けとて月やは物を思はするか こち顔なるわが涙かな                                      西行法師

「嘆け、と言って月は、私に物思いをさせるのであろうか。いや、そうではない。本当は、恋の想いのためなのに、まるで月のせいであるかのように、流れる私の涙であることよ」 元永元(1118)〜建久元(1190)年 「新古今集」の中で、最大歌数を誇る西行は、秀歌を詠み続けたスター中のスターで、鳥羽院に仕えた武士であったが、23歳で出家し、日本各地を遍歴。秀歌を詠み続けた新古今のスパースターです。

日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書養老4年(720年)に完成した。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。 神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。

日本の古い伝承(口承説話)を集めたものです

その8年後に古事記は、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。

日本書紀では、月の神様として「月神:つきのかみ)」・「月弓尊:つくゆみのみこと」・「月夜見尊」「月読尊」(ともに、つくよみのみこと)などと記載されていますが、みな、同じ神を指しているようです。古事記では、夜の国を治める「月読命:つくよみのみこと」と書かれています。

  日本最古の物語と言われる竹取物語は、平安時代中期950年位の時期に書かれたと考えられています。原文とされる漢文の文章は残っておらず、最古の写本とされているのは室町時代のものです。作者は不詳      <画像はネットより>

f:id:marui-hall:20200825095051j:plain

子供の頃から、 童話や絵本で必ず一度は読んだことがあると思います「かぐや姫十五夜の月に帰るお話しですね!

平安時代末期には、日本最大説話集1000話を超え「月にはうさぎが、、」と語りつがれた来た話しが! 『今昔物語』31巻(8.18.21巻欠)編纂されてる。

 

月を詠まれた歌は多く、同じ歌が幾多の歌集に編纂されており特定するのが難しい!

そして、今から1000年余前には『枕草子』や『源氏物語』が書かれます (@^^)/~~~ もちろん色んな月が語られていると思います。つぎの機会に魅惑的な「月」を探したいと思います。 

 

記録に残る日本で初めての月見の宴は、919年、古今和歌集の編纂を命じた醍醐天皇の時代に催された。だがなぜか中秋の名月(八月十五夜)ではなく、九月十三夜の月見で、九月十三夜の月を愛でる慣習は中国にも朝鮮にもない日本独自のものだだそうです。 遣唐使を廃止し、日本文化を重んじた時代らしい選択といえるのかもしれませんね!

The  MOONN   日本では月の形の変化に応じて、

「待宵の月」(14日)、「十五夜」(15日)、「十六夜の月」(16日)、「立待ちの月」(17日)、「居待ちの月」(18日)、「臥(寝)待ちの月」(19日)、「更待の月」(20日)、等の名がついている。

月の明らかな夜を「良夜」と呼、特に陰暦八月十五夜の名月が、曇って月が見えないことを「無月」という。 また雨が降れば、「雨月」と称して楽しむ。

そのほかに「新月」、「三日月」、「上弦の月」、「満月(望月)」、「十三夜」、「女名月」、「十五夜」、「芋掘り月」、「芋名月」、「豆名月」、「後の月見」、「山月」、「清月」、「朧月」等の名がついている。

★ 月は古代から人類の想像力を掻き立て、様々な作品の中でいろいろな形で作品を構成する重要な要素として取り上げられてきました。特に陰暦8月15日は「月見」「十五夜」「名月」「中秋の名月」などと呼んで月見を楽しみ、短歌や俳句に詠むことが習わしとなり、作品の中には、太陽よりも月がはるかに多く取り上げられています。

満月の頃の月の位置は、地球から見て太陽の正反対に位置するので、西に日が沈むと同時に月が東に登り始めます。

昔々、農民は雲がなければ満月の光のもとで夜に入ってからも、一晩中農作業を続けることがあった。 収穫期と重なるこの時期の満月には、特にサトイモの収穫を祝って芋をお供え「芋名月」と名付け、今でもその風習が残っています。

欧米では「収穫月」(harvestmoon) の後の満月を「狩人の月」、あるいは「狩猟月」等と呼んでいる。狩猟民族にとってこの月明かりのもとで、獲物を射止める格好のチャンスを得ることができた。

日本では「十五夜」・中秋の名月を「芋名月」といわれます。これ対して中秋の名月の後を「後(あと)月」・十三夜と呼ばれ、「豆名月」「栗名月」と呼んで、豆や栗をお供えする。この風習は江戸時代後期に収穫に感謝する信仰的な意味があったようです。 また月を鑑賞する日本独自の美的風習、文化が今も残っています。

《 俳句》

<江戸時代の俳人

松尾芭蕉

名月や 池をめぐりて 夜もすがら

十六夜の 月を見はやせ 残る菊

雪と雪 今宵師走の 名月か

与謝蕪村

菜の花や 月は東に 日は西に

みじか夜や 浅瀬のこる 月一片

なかなかに ひとりあればぞ 月を友

小林一茶 

名月を 取ってくれろ と泣子かな 

寒月や 食いつきそうは 鬼瓦

年よりや 月を見るにも ナムアミダ

<明治・大正・昭和の俳人

正岡子規

名月は どこでながめん 草枕

春の月 簾(すだれ)の外に かかりけり

名月や 大路小路の 京の人

高浜虚子

 風鈴に 大きな月の かかりけり

十六夜の 月も待つなる 母子かな

月を待つ 立待月と いふ名あり

種田山頭火

あてもなく あるけば月が ついてくる

ほっと月がある 東京に来ている

三日月  遠いところをおもふ

夏目漱石

 柿の葉や 一つ一つに月の影

暁や 夢のこなたに 淡き月

影法師 月にならんで 静かなり 

f:id:marui-hall:20200825095759j:plain

  •   松葉ボタン 多肉質の葉で暑さには強い花 原産はブラジル・アルゼンチン

  • 『今月今夜のこの月を、、』  金色夜叉  尾崎紅葉

  •  貫一とお宮で、おなじみのの有名なセリフですね。

  • 《原文》
  • ああ、宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜限だ。 
  • 一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。
  • 来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 
  • 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……
  • 一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死でも僕は忘れんよ! 
  • いいか、宮さん、一月の十七日だ。
  • 来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
  • 月が……月が……月が……曇ったならば、宮さん、
  • 貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。
  • 金色夜叉』前篇第八章より 明治30年 ~ 6年間 読売新聞に掲載> 
  •  熱海の海岸で貫一がお宮を足蹴にする、映画などでもおなじみの名場面!
  • f:id:marui-hall:20200826155412j:plain

  • JR熱海駅から徒歩15分に、寛一お宮の記念像 1986年1月 建立 <ネットより>
  • 本当に貫一が恨んで、翌年からの1月17日の月は曇ったのか?  
  • あくまでも熱海での名場面が、明治30年1月17日と仮定して、明治31年32年、33年の1月17日の月の形を推測してみると、 (ネットより) 
  •  ◆ 熱海での別離から1年後 の 明治31年1月17日  
  •    月相→半月(下弦)より少し細い月
  •    <夜更かしをすれば見られる>
  •  ◆ 2年後 の 明治32年1月17日  月相→六日月
  •    <夕方から見えやすくなり月没まで見られる>
  •  ◆ 3年後 の 明治33年1月17日  月相→満月の翌日
  •    <ほぼ丸い月が一晩中見られる
  •  ◆ 4年後 の 明治34年1月17日  月相→新月3日前
  •    <真夜中の月の出から朝までは細い月が見られる>
  •                       
  • 宮さんが別れた4年目の1月17日に、過去を回想する場面があります (宮さんは富山氏とすでに結婚している)
  • 富山と結婚生活を続けながらも、貫一を忘れることができない宮が彼の言葉を思い出すくだりです。
  • 「泣ける徴もあらざりければ」とあります。
  • つまり、別れた翌年も翌々年もその次の年も月が曇ったことはなかった。貫一が泣いている証はなかったというのです。
  • 宮は貫一はもう自分を恨んではいないんだとホッとします。
  • でも、その一方「もう自分には未練がなく、どこかで暮らしているんだ」    と少しさみしくなるのです。
  •  女心とは、、、??
  • 月は私たちにとって、唯一無比の特別な天体!   
  • 月は、直径 3476Km(地球の4分1です) 温度は、およそ110℃ ~ 170℃   重力は、地球6分の1 大気はほぼ無 地球との平均距離は38万4399Km
  • 身近にある月ですが、その起源は諸説あります。近年有力とされているのが「巨大隕石衝突説」です。隕石が地球に落ちて、その衝撃で飛び散った地球と隕石の破片が、軌道上で集積して月を形成したというもの。アポロ計画で、月から持ち帰った石を解析してわかってきたそうです。
  • USAアポロ計画アポロ11号1969年(昭和44)7月20日 アームストロング船長・コリンズ・オルドリン 月面に降り立つ! 人類初 の快挙でした。 
  • 1970年(昭和45年)大阪万博延べ6400万人来場、「アメリカ館」にて『月の石』が展示され、3~5時間待ちの大盛況でした。 
  • 2005年愛知万博でも『月の石』が展示される。 今では国立科学博物館・九州 [いのちのたび博物館]で『月の石』が常設展示されています。
  • 現在、宇宙航空研究開発機構JAXA)がすすめている日本の月探査衛星プロジェクトの名前が、ギリシア神話の月の女神「SELENE」(我々は”セレーネ”と発音しますが、欧米人の発音を聞いていると”セリーニ”に近いようです)と決定 
  •  月の光は、0.1ルクス(一般的な日中の部屋は100~200ルクス)という微少な光なのです。そんなわずかな月の光が私たちの地球を照らしているのです。
  • 月が地球を公転する周期と自転する周期が全く同じ(=27.3日)だからです。だから地球からは同じ姿しか見えない。(地球に向きが固定されたのは約35憶年前と言う説があります)
  • 月は太陽光の反射で輝き、地球では大気の影響でオレンジや黄色に見えますが、月は白黒の世界です。
  • 月は地球に住む人間が、唯一肉眼で地表面を見ることができる天体で、もし、月がなければ海の汐の満ち引き、生物が陸上へ進化する過程も生まれなかったかもしれません。
  • ぜひこの機会に月の魅力、月が私たちにとって特別な存在であることを知って、お月見を楽しんでみてください。
  • 8月は猛暑日が22日で、30年ぶりの暑さでした (>_<) まだまだ暑さ続くようですがコロナと熱中症に負けないで、政治も安部総理大臣が体調不良で急な辞職!
  • 政治も大変暑い夏を迎え、日本の舵取りが誰になるのか??
  •                                                                                         8/31  Marui






 

 

八月 新型コロナの終息を願い、風鈴を! 

f:id:marui-hall:20200721162021j:plain

  江戸風鈴                 (写真はネットより)

夏の風物詩と言われる 花火や夏祭り、盆踊りに流しそうめんなどある中で、風鈴もその一つですね! 今ではエアコンが普及し自宅に風鈴を吊るしているという人は少ないようですが、かつては風鈴を軒先や窓際に吊るし、夏の暑さを柔らかな音が和らげてくれていました (^^♪

日本の各地でガラス、陶器、金属など様々な材質、形のものが作られていますが、どうして夏になると風鈴を軒先などに吊るすのだろうか?? 風鈴の音色は涼しげで、癒し効果がありますが、そればかりでないようです?

風鈴の音色には、魔除けや厄払いが! コロナ払いも!

風鈴の歴史は古く、約2000年前の中国において、竹の枝につるして音の鳴り方で吉凶を占う「占風鐸:せんぷうたく」と呼ばれる道具がその起源とされている。

日本には、遣唐使によって仏教・建築と共に伝来し、寺の仏堂や塔の四隅にかける風鐸となり、境内で風向きを知るための音具として用いられた。また、風鐸が風に吹かれて鳴るガランガランという音が魔除けになるとされ、その音が聞こえる範囲に住む人には災いが起こらないと信じられていました。

f:id:marui-hall:20200707145848j:plain

  お寺や神社の軒の四隅に吊るされている青銅製の風鐸 (写真はネットより)

この風鐸を風鈴と名付けたのは、浄土宗の開祖、法然上人だとされる。初め法然が「ふうれい」と呼んでいたものが、後に「ふうりん」と呼ばれるようになったという。

平安・鎌倉時代には、貴族の屋敷の軒先にもつるされるようになり、強い風が悪霊を運び、病気になると信じられていて、風鐸の音のする範囲には悪霊が寄り付かないと考えられ、魔除けとして取り付けられた。音で疫病神の侵入を防ぐための呪術的な道具として扱われたそうです。 現在でも神社やお寺の屋根部分にぶら下がる風鐸の姿を見ることができます。

江戸時代にガラス製になり庶民の手に、、

現在のガラス製の風鈴の姿が生まれたのは、江戸時代になり品質のいいガラス製法が日本に伝わってからのことで、当時はガラスが非常に高価で、風鈴は現在の価格でいうと200〜300万円もしたそうです。

やがて、江戸末期になり徐々にガラスの原材料が安価になり、ようやく庶民の手にガラス製の風鈴が届くようになります。 この時もまだ風鈴は魔除けのためのもので、庶民はかつての貴族と同じように軒先や縁側に風鈴を吊るしていた。

そして、風鈴をひとつの飾りとして楽しむ文化も生まれます。夏のはじめから終わりまでは風鈴を吊るし、夏の暑さで病気が広がるのを塞ぐ夏の魔除け、暑気払いとして定着し、「風鈴は夏の風物詩」という文化が日本の人々に定着していきました。

◆ 風鈴の起源は占いの道具と言われているほど日本人は音に対する信仰心が とても強い民族だと言われ、「六学集」という書物には、鎌倉時代、軒下に風鈴を下げ、その音色によって災いを防いだと記されています。

◆ ガラス製の風鈴が出始めるのが文献には、享保年間(1700頃)とされています。日本には、ガラスは原料を作る技術がなかったため非常に高価で、外国から輸入をするか、外国人のいる長崎でしか手に入らなかったためで、ガラスが安くなるのは天保以後です。大正時代刊行の書物には、「天保以前ビードロは高価なるをもってカラカネの風鈴をたくさん売る」と記述があります。

◆ 江戸のガラス屋の問屋である上総屋留三郎が長崎にガラスの研究に赴き、天保5年に江戸に帰り、その後ガラスの原料を作って卸を始めた。その原料を仕入れ、または職人が問屋から渡されガラス製品を作り、幕末から明治にかけて「加賀屋」と「上総屋」の二大問屋が隆盛を誇った。

江戸時代から続く「江戸風鈴」の音色を現代に受け継ぐ

江戸風鈴」とは! 昭和40年頃に風鈴の老舗「篠原風鈴本舗」の篠原儀治氏が先代から江戸時代から続く歴史ある方法(製法)で作られたガラス風鈴を、「江戸風鈴」と名付け、300年続く「江戸風鈴として、東京の代表的な伝統工芸のひとつとしての名称が拡まりつつあります。石で削った凸凹のある切り口が奏でる涼やかな音色や、内側からの絵付け方法が特徴です。

 f:id:marui-hall:20200722094634j:plain  江戸風鈴の一番の特徴は、音色 (^^♪
少しザラつき感が残るように、あえてギザギザにした縁にすることにより、擦れた心地のよい音を奏でる。コップのように滑らかにすると滑って音がしない!

今では一般家庭で見かけるのが少なくなった風鈴ですが、夏になると、風鈴をメインとしたイベントや祭り、風鈴市などが開催されています。コロナで出かけるのがままにならないですが、イベントやお祭りに足を運び、夏らしい風鈴の音を楽しんでみてはいかがでしょうか (^^♪

岐阜 関ケ原ウォーランド 風鈴祭りでは、昨年より2000個多い5000個とパワーアップし、コロナ収束を願い、7/1~9/22 まで開催されています。

f:id:marui-hall:20200713093142j:plain

「一宮七夕祭り」イベントは中止ですが、一宮駅 東広場で  7/4~7/26 までコロナの終息を願い「願い事風鈴」が展示されました。

f:id:marui-hall:20200715125559j:plain

 《風鈴は名鉄百貨店イオンモールで絵付け体験で作られたものが飾られました》

物理学者で文人寺田寅彦氏は、なぜ風鈴の音に人は涼しさを覚えるのか? 風を予感させるからだけではない「自由」を感じさせるからだと説いています。

風の涼しさとは《風に従って鳴る自由さから来る。あれが機械仕掛けでメトロノームのようにきちょうめんに鳴るのではとても涼しくはない》と『 涼味数題』に記述!

新型コロナウイルスで不要不急で自由に外出もままならず、感染マスクをしているのも息苦しく不自由を感じる! 梅雨全線が停滞し大きな被害をもたらし人々の自由を奪い、なんとも不自由ばかりだ! 特別でなく普通の自由が欲しいですね!

 『 風鈴の もつるるほどに すずしけれ 』 中村汀女

せめて、風鈴をつった糸がもつれるほどの涼風を、音色を楽しみたい

 

流しそうめん』も夏の風物詩 (^^♪

暑くて食欲がない時でも、のごしが良く食べやすい「そうめん」「ひやむぎ」どちらも主な材料は小麦粉と食塩に水です。では違いどこにあるでしょう。

「そうめん」「ひやむぎ」の違いは太さにあります。  JAS日本農林規格)によると「そうめん」は直径1.3mm未満、「ひやむぎ」直径1.3mm以上、1.7mm未満です。

ちなみに1.7mm以上は「うどん」です。そして幅4.5mm以上、厚さ2.0mm未満が「きしめん」です。

「ひやむぎ」には「そうめん」と区別するためピンクや緑色の色付き麺が入っています。

  流しそうめんとは、

考えただけで涼しげな気分になりますね!  流しそうめんは竹を縦半分に割ったものを利用して水とそうめんを一緒に流し、流れてきたそうめんをお箸ですくいながら食べます。   競い合い、お口に頬張りながら食べる流しそうめんはお腹も心も満たしてくれます。    そんな流しそうめんを行う際に必要なものと言えば竹です。今では竹に似せて作られたプラスチック製のプラ竹も販売されています。とても軽く持ち運びにも便利ですが、本格的な流しそうめんを楽しみたいという方は、やっぱり本物の竹を使用するに限ります。準備にひと苦労あると思いますが、それも楽しみの一つです。 家族でワイワイ賑やかに流しそうめんパーティーはいかがですか?

    流しそうめん発祥の地は「九州」

流しそうめん発祥の地は宮崎県の高千穂町で、昭和30年生まれの意外と新しい食べ方です。 暑い夏の野良仕事の際に野外でそうめんを茹で、竹と高千穂峡の冷水を利用して涼を得た光景から、思いついたと言われています。

  「流しそうめん」と「そうめん流し」の違い 

テーブルの周りを流れる水流で食べるのは「そうめん流し」と言い、人工的に水流を作り素麺を食べるというものです。

流しそうめん」は竹樋流し、「そうめん流し」はテーブル流し、なのです。

「そうめん流し」の発祥は 鹿児島県指宿市の唐船峡です。唐船峡の清水は1日10万トンも湧出するため、昭和37年に観光アピールとしてそうめん流しが始まりました。

 
(>_<) 新型コロナウイルス感染防止で、 (中日新聞 7/22 夕刊)
岐阜郡上市の日本三大盆踊り「郡上おどり」も中止に追い込まれました。国重要無形民俗文化財で戦時中でも続いたと伝えられて七月十一日から九月五日まで三十一夜まで開かれる予定だった (>_<) 昨年は延べ三十万人が踊り楽しまれた!
今年はインターネット上でライブ配信されるそうです。全国の愛好家は自宅で一緒に踊って下さいと、同保存会の藤田会長(87才)が話す。
 
江戸初期から続く『日本一やかましい祭り』と評される 三重県桑名市「桑名石取り祭り」も一部の神事を除き、伊勢湾台風翌年1960年以来、60年ぶりの休止となる。  この祭りも国重要無形民俗文化財で、国連教育科学文化機関の無形文化遺産でもあり、例年四十万人が訪れる。同保存会の伊藤会長(67才)ソーシャルディスタンスを取る祭りなんて出来ないと話す。
 来年こそ、沢山の祭りが盛大に行われることを願いたいですね! (^^♪

f:id:marui-hall:20200731160905j:plain

  昨年咲いたひまわりの種をまいたら、今年も咲いてくれた (^^♪

沢山の被害をもたらした長い梅雨、被害を受けられた皆様に心より お見舞い申し上げます。 一日も早い復旧をお祈りします。

新型コロナウイルスも拡大のするばかり、終息の予測も見えない『油断大敵』 (>_<)

自粛生活はいつまで続くのか、「普通の生活」がしたいですね!

これからが夏本番、熱中症に注意! コロナに注意!        8/1 記