「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

焦りを感じる!? 11月

『秋深き 隣は何を する人ぞ』

晩年に松尾芭蕉が詠んだ俳句です。秋の深まりとともに隣人の暮らしに思いを馳せた心情が17文字に表現された俳句です。元禄7年9月28日 51歳作、最後の作品として知られています。                               この俳句を「秋深し ~」と覚えている方も多いようですが「秋き深き ~」が正解です。

この句を詠んでから、芭蕉は寝込んでしまい、そして9月29日から死の10月12日までついに起きなかったそうです。<享年51歳>

この句を詠んだ時、芭蕉は旅の途中で、大阪の宿で体調を崩して床に臥せっていました。こんな秋晴れの気持ちのいい日に、体が自由にならないもどかしさ、寂寥感が表れていたとも言われています。そして、「隣は何をする人ぞ」とは今までに出会った人、お世話になった人、門人たちが、何をしているのだろうと思いを馳てた句とも言われています。

芭蕉は、『平家物語』で有名な木曽義仲に敬慕の念が強く有り「義仲の墓の隣に葬ってほしい」と遺言します。そして琵琶湖のほとりの「義仲寺」に遺言どうり芭蕉の墓が残されています。木曽義仲は、北陸から都を目指して快進撃を続け、巨大な平家を西に追い落とした朝日将軍と呼ばれ、歴史を大きく変えた人物です

平家物語』は、祇園精舎の鐘の声、、とゆう書き出しで有名ですが、作者については諸説有りますが、「信濃前司行長」とゆう学識のある遁世者(仏門に入った人)とゆう説」が有力です。

書物で読みつがれるのではなく、琵琶法師の演奏で「生仏」とゆう盲目の僧侶に教え語らし広まったとされています。平清盛を中心とした平家の栄華や、子孫の代で急速に衰退していく話です。

平清盛の全盛期から語り始め、冒頭に大変美しく可憐な「祇王御前」が登場します。そして、「祇王御前」は17歳の時に平清盛の屋敷を訪れます。武者の多い邸内ではその美しさが一段と輝きを放ち清盛は一目見るなり「祇王御前」に惚れ込み、そのまま屋敷にとどめてしまいます。そのかわりとして、「祇王御前」の母に立派な家を造り、毎月百石と百貫の金銭を贈り続けます。貧しかった家族は一躍裕福になり楽しい日々を過ごすことになます。

しかし、3年ほど後、キラリと光る加賀国の出身で名は「仏御前」が現れます。都では、こんな上手な舞は見たことがないと、仏御前の人気は高まる一方です。噂は尽きません。「仏御前」は清盛殿に評価されなければ一番とは言えないと思い立ち、美しく粧って平清盛の屋敷に向かいます。 さて ?、、

来年2024年のNHK大河ドラマは「光る君へ」 平安中期に、のちに世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」を生み出した紫式部の人生を描きます。武家台頭の時代を目前に華やかにひらいた平安文化の花、そしてきらびやかな平安貴族の世界と懸命に生きて、書いて、愛しい女性の一生に挑戦する大河ドラマです。

紫式部平安時代中期の作家、歌人、女房であり日本文学史を代表する一人です。 藤原道長の要請で宮中にい上がった際に、宮中の様子を書いた「紫式部日記」が有ります。また和歌にも優れ「紫式部集」も有ります。

源氏物語」は、平安時代中期、11世紀初めに成立した、世界最古の長編小説です。 五十四帖から成り、各帖はそれぞれで完結し、その集合体として長編小説になっています。 

天皇の子どもに生まれながら源氏という臣下(家来)の身分に落とされ、皇位継承権を失った光源氏天皇に准じた待遇を受けるまでの成功談でもあります。
実際には全54巻のうち、光源氏を主人公とするのは41巻までです。

第2部とされる34巻から41巻までは、光源氏の行いが報いとなって返ってくるという物語になっています。

残りの13巻は光源氏の正妻・女三宮(おんなさんのみや)と柏木(かしわぎ)という才芸豊かな貴公子の間に生まれた子どもの薫(かおる)と、光源氏の外孫・匂宮(におうみや)、宇治八の宮の三女・浮舟(うきふね)の3人の間の恋愛模様を描いたものです。
純愛から複雑な恋愛事情まで幅広い恋愛を題材にしているので、お子さまには向かないと思われがちですが、最近は表現をわかりやすくした子ども向けのものや、『源氏物語』を題材にした漫画『あさきゆめみし』など多くの書籍が発売されています。

紫式部」の名前は、昔から日本に自生している「ムラサキシキブ」とゆう樹木に由来すると言われています。

  <画像はネットより>

6月から7月の開花時期にはピンクの淡い色の花を房状に咲かせます。9月から11月の秋には紫色の実が葉の付け根につきツヤツヤしています。 花言葉は「聡明」「上品」、「愛され上手」、紫式部から由来してつけられた花言葉と言われています。

捨ててだにこの世の他はなきものを  いづくかつひのすみかなりけむ
                                       斎藤道三 (辞世)  

この世にある、我が身の他のものは捨ててしまった。何処になるのだろうか、私の終の棲家は、 

戦国武将斎藤道三庶子の義龍に討たれ、さらに義龍の子、龍興の代に斎藤家が織田信長によって滅ぼされたことはよく知られています。ドラマや小説で帰蝶、あるいは濃姫と呼ばれる道三の娘が信長の正室であったことと無縁ではありません。

その信長が斎藤氏の居城稲葉山城に拠点を移したのが1567年9月17日(永禄10年8月15日)。同時にこれを岐阜城と改めたことから今の岐阜県の名称があると言われています。今から456年前の事ですが、これ以前の資料に「岐阜」の名称は一切見られないため、信長時代の命名説は間違いないようです。また現在は稲葉山金華山と名を変えています。

天そそる金華の城や風光る  ~大野万木(1890-1964)

(大野万木は岐阜県出身の政治家、大野伴睦の俳号です)

 さぁー 11月は、イベントも多く忙しくなる月ですね!

11月1日 犬の日「1」が3つ並ぶことから、「ワンワンワン」という犬の鳴き声にちなみ、ペットフード工業会(現在の一般社団法人ペットフード協会)により1987年(昭和62年)に制定されました。

日本には十二支にまつわる「戌の日(いぬのひ)」があり、こちらは妊娠5カ月目に安産祈願として帯祝いをする日です。混同しないで!

11月3日 文化の日「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日として制定されました。国民の祝日に関する法律」が制定された1948年(昭和23年)、当時定められた9つの祝日のうちの一つです。この日は明治天皇の誕生日だったことから、祝日法が制定される前は「明治節」と呼ばれていました。

1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布され、憲法の中で戦争放棄という重大な宣言をした日でもあります。国際的にも文化的意義のある重要な日であることから、祝日制定の際に「文化の日」と名づけられました。

11月15日 七五三、子供が3歳、5歳、7歳になったときに行われる、日本の伝統行事です。 由来は諸説ありますが、平安時代に宮中で行われていた3つの儀式が基になっているといわれています。子どもの死亡率が高かった当時、7歳までは「神の子」であると考えられており、7歳になると人間として認められていました。

3歳、5歳、7歳は奇数なので、中国の陰陽道(おんみょうどう)における「陽」にあたるため縁起が良いといわれています。節目の時期に成長を神様に感謝しお祝いをする。この儀式は江戸時代に武家や商人の間に広まり、その後明治時代の頃に庶民にも広まったそうです。

11月22日 いい夫婦の日「ふたりの時間を大切にする日」です。1988年に財団法人余暇開発センター(現・財団法人日本生産性本部)が、夫婦でゆとりある余暇を楽しむ「いい夫婦の日」として提唱しました。

将棋の藤井聡太(21歳)史上初八冠達成! 将棋界では、1996年に羽生善治九段(53歳)が当時の七大タイトルを独占したが、2017年に「叡王」がタイトルが加わって以降、全冠を同時に保持した棋士はなく初めての大挙です。  八冠とは、竜王・名人・王位・叡王棋王・王将・棋聖・王座ですが、皆さん八冠言えますか?

11月を迎えカレンダーが残り2枚を見つつ、ひたすら時の経つ速さに焦りを感じてしまいます。  この道や 行く人なしに 秋の暮れ 芭蕉の句です。

                                                11月1日 UP