「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

9月 暑さが残り、秋らしい涼しさはまだ遠い (>_<)

秋のさわやかな風が待ち遠しいところですが、まだまだ残暑は続くようですね!
熱中症には引き続きご注意ください。

 夕立で 少し和らぐ 残暑かな

   

秋の味覚の代表ともいわれる「さつまいも」!

さつまいもはどこで生まれたの? どうやって日本に! なんでさつまいもて言うの?

戦後の幼少期の食料難には「おさつ」といって大変にお世話になったのが、思い出される!

原産地はアメリカのメキシコ南部からペルーにかけての地域で、紀元前800~1,000年前から中央アンデス地方で栽培されていたと言われてます。

根拠として、紀元前200~600年にペルー北側で栄えた「モチーカ文化」のものとされる「さつまいも型」の土器が発見されています。 

「さつまいも」は、15世紀後半にアメリカ大陸に渡った探検家コロンブスによってヨーロッパに持ち帰られたが、ヨーロッパの涼しすぎる気候に合わず中々栽培には至ら無かった。

その後、スペイン人やポルトガル人によって東南アジアに伝えられ、暖かい地域がさつまいもが育つのにぴったりだったことから広く作られるようになった。

東南アジアに伝わった「さつまいも」はその後中国へと広がり、1,600年頃に中国福建省から日本に伝わったと言われています。

日本への伝来ルートは何種類かあると言われ、1597年頃に宮古島へ初めてさつまいもがやってきたと言われています。その後、1605年に琉球王国沖縄県で栽培がスタートし、1609年以降に薩摩の船乗り「前田利右衛門」によって薩摩地方(鹿児島県)全域に伝えられ、九州地方で栽培がされるようになります。

そして江戸時代の初めから中期になると、救荒作物として注目されたことにより、栽培は日本全国に広がり栽培されるようになった。つまり、日本全国でさつまいもが食べられるようになったのは、今から何百年も前の江戸時代からだった、ということですね。

薩摩から伝わったから「サツマイモ」と言われた。又中国から来た「いも」だから「カライモ」とか、』中国では甘(かんしょ)と呼ばれていたので「カンショイモ」とも呼ばれていたそうです。

1832年の江戸時代「冷夏」と「害虫」の影響で米の大凶作が襲った「亨保の大飢饉」が起こり、日本全土で多数の餓死者が出ました。

江戸幕府8代将軍の徳川吉宗は救荒作物として西日本で普及していた「さつまいも」を関東で栽培することを命じる。

その命に従って、京都で蘭学を学んでいた「青木昆陽(あおきこんよう)」が、現在の千葉市花見区で試作が始まり、その後全国へと「さつまいも」の栽培が普及します。

現在の埼玉県川越市あたりはサツマイモの産地で、江戸から十三里あったので、ここからやってくる焼き芋や屋のことを「十三里」と呼んでいた。

同じ秋の味覚の「栗」と比較した「栗=九里」「より=四里」とし、「9+4=13」なので、「栗より十三里が美味しい」という売り文句が理由です。 
江戸時代の人は、洒落が好きだったみたいですね!

川越いもの保存運動に取り組む「川越いも友の会」では「十三里」にちなみ、1987年(昭和62年)に10月13日を「さつまいもの日」と制定された。10月なのは、サツマイモの旬にあたるからだそうです。

後に青木昆陽は、その功績から「甘藷(さつまいも)先生」と称され、目黒区の瀧泉寺にある墓には「甘藷先生墓」と刻まれています。また、試作が行われた千葉市花見区には昆陽神社が建てられ、「芋神様」と祀られています。

    

    「甘藷先生墓    <ネットより>    昆陽神社

 芒わけて 甘藷先生の 墓を得たり  正岡子規 

    ハイピスカス 花言葉は「艶美」「華やか」

青木昆陽以外に、「さつまいも」の神様と言われる人物、

 大瀬休左衛門 伝来の地の芋神様

青木昆陽が成功する以前に、種子島(現在の西之表市)において、いち早く「甘藷」は栽培されています。 種子島第19代島主、種子島久基は、元禄11年(1698年)琉球の王から「甘藷=さつまいもの苗」を手に入れます。

そして家臣である大瀬休左衛門に苗の栽培方法を研究するよう命じ、大瀬休左衛門は試行錯誤を続け、「甘藷」の栽培に成功します。それが薩摩藩に広まり、7年の歳月をかけ島全土に広がりました。

※今日、芋神様と広く知られた青木昆陽は、元禄11年(1698年)に誕生しています。 青木昆陽が「甘藷」の栽培に成功するより更に先に、種子島では全土で栽培が行われていたようです。現在、さつまいも(薩摩藩の芋)と呼ばれているのはこのような史実に基づいています。

現在、西之表市では、毎年11月に「さつまいもフェスタ」と銘打ったイベントを行っています。その「さつまいもフェスタ」の開始前に、大瀬休左衛門の子孫に当たる大瀬家が西之表市長に、その年に収穫されたさつまいもを献上するのが現在でも恒例行事になっています。

種子島は鉄砲伝などで有名ですが、さつまいも発祥の地でもあります。

野口総管(のぐちそうかん) さつまいも伝来者

野口総管が、琉球(沖縄) 唐(現在の中国)から「甘藷」という植物(サツマイモ)を持ち帰えり、それを儀間真常が人々の飢えを救う食料になると知り沖縄全土に「甘藷」栽培を広める。 儀間真常儀間村の地頭職(地方をおさめる役人)身分の高い士族です」

野口総管は、1611 年に薩摩(鹿児島県)より木綿の種を持ち帰り、栽培に成功し、沖縄の木綿織の普及に尽力する。また1623年には、製糖法の技術を中国から導入し、沖縄の砂糖作りの基礎を築きました。

「甘藷」の伝来については、野国総管が伝える前に、1597年:宮古島に伝わったという説もあります。しかし、その説が真実だとしても、宮古島に伝えられた「甘藷」が他の地域にも広がり、人びとの生活に大きな影響を与えたという記録は、現在のところ見つかっていないようです。

野国総管が伝えた「甘藷」は、沖縄の人びとを飢の苦しみから救い、当時の主食さえも変えてしまうほどの大きな影響を与えたことがわかります。

嘉手納町では、毎年10月の第1土曜日・日曜日の両日に、野国総管まつりを催し、その前夜祭として、野国総管宮において例祭をとり行っています。

現在、嘉手納町では町域の83 % が米軍用地として接収され、「甘藷」を栽培する農地はありません。例祭では鉢で育てた苗と近隣市町村で収穫した「甘藷」をお供そなえして、感謝の念を捧げています。

井戸平左衛門 さつまいも代官

島根県太田市石見銀山などで代官を務めた井戸平左衛門、享保の大飢饉の際、青木昆陽同様にさつまいもの栽培基礎を作り、人々を飢えから救いました。

在職はたった2年間と短かったのですが、その功績から「イモ代官」と呼ばれて、今も島根県の人々に親しまれています。

人々を救うため年貢を少なくしたり、幕府に背いて年貢として納められた蔵米を飢えたその土地の人々に施したりしたため、責任を取って切腹したとも伝えられています。

門下見吉十郎(あさみ きちじゅうろう) さつまいもの地蔵

享保の大飢饉と呼ばれる時期、瀬戸内海地方でも同様に、史上最大の凶作に陥っていました。瀬戸内海を中心に100万人の餓死者を出したとされています。 

その時、大三島(現在の愛媛県今治市)の周辺では1人の餓死者も出さなかった。    そのわけは、下見 吉十郎という人物が、当時薩摩藩でしか栽培が許されていなかったさつまいもを飢饉の多かった故郷である瀬戸内に、危険をおかして薩摩藩から内緒でもらい受けたさつまいもを広め作られていたのです

それどころか、苦しむ伊予松山藩に米700俵を献上したとの記録が残っています。

吉十郎は、瀬戸内海の大三島に生まれましたが、凶作続きで4人の子を失い、その霊を慰めるために全国行脚に出て、その旅先、鹿児島のある農家でさつまいもに出会いました。彼の苦しい状況を聞いた農家の主は禁を犯して種芋を譲り、吉十郎は持っていた小さな仏像に穴を開け、甘藷の種芋を隠して命懸けで持ち帰り、瀬戸内に広めました。 その功績から、吉十郎は多くの人を救った人物として大三島で慕われ、今も甘藷地蔵として島内や近隣各地に祀られています。

薩摩薯 掘り出す手に 秋の土

第二次世界大戦と言われた、先の大戦時に食料増産の為に農林省は品質改良をして出来るだけ大量に大型サツマイモの運動を展開し農林一号、茨城一号等大型のサツマイモの生産に励みました。

又重用国策作物として燃料用アルコール原料として増産奨励され、石油資源の少ない我が国のガソリンを節約する為に、いもアルコールを混入して燃料を補い、質より量の沖縄100号、護国藷(高系4号)などが増産されました。

焼け跡の荒れ地でも作れる食料として各家の庭に藷畑が出来、またまた「お助けいも」として当時の食糧難を喰い偲んだものです。

今の80代になる人は「さつまいも」には大変世話になっており、当時を思い出すのでいもは嫌いになったと言う人も多いかと思いますが!?  (>_<)

日本全国で「さつまいも」の生産量は鹿児島県が日本一です。またさつまいもを使用した芋焼酎などの「飲むさつまいも」のイメージも強いですね!

 酒赤し、甘藷畑、草紅葉   芥川龍之介

実は「食べるさつまいも」の出荷量日本一は茨城県なんです。                                       茨城県南東部に位置する行方(なめがた)市のさつまいも普及拡大に対する取り組みが平成29年度農業の日本一を決める「天皇杯」において受賞されるなどしており、茨城県は今注目のさつまいもの産地となっています。

徳島の阿波踊りの祭りでは、地元産の「さつまいも」を使った料理がふるまわれ、地域の伝統を守るとともに、訪れた人々にもその美味しさを楽しんでもらおうと工夫されています。

そして、毎年秋に行われる「さつまいも祭り」では、さつまいもを使用した様々な料理やスイーツのコンテストが開催され、さつまいもを通じた地域活性化の一環として多くの人々が集まります。

さつまいも、産地ランキング

第1位 鹿児島県  28万2,000t

第2位 茨城県  17万4,900t

第3位 千葉県  10万1,200t

第4位 宮崎県  9万t

第5位 徳島県  3万300t

第6位 熊本県 2万2,300t

  (写真ネットよ)

掘り出した 芋大きくて 声上がる

さつまいものブランド品種と言えば、徳島県産の「鳴門金時」や鹿児島県種子島産の「安納芋(あんのういも)」が有名です。

最近注目なのが、茨城県行方市の「いばらきゴールド」です。さつまいも本来のうまみ、しっとり感、ホクホク感、甘みすべての総合バランスがパーフェクトの今話題のブランド品種と言われています。

沖縄で作られるさつまいもは、生では県外に持ち出せない

沖縄で作られているさつまいもは、紅芋を含め、生で県外へ持ち出すことは禁止されています。

理由はいもの中身を食い荒らす、本土には発生していないアリモドキゾウムシなどの害虫のまん延を防止するためです

お土産など個人的に持ち出すことももちろん禁止。宅配便で送ることもできません。お菓子などに加工されているものは持ち出しOKです。

さつまいもにも、花が咲きます!

あまり見る機会はあまりありませんね!? これは、さつまいもが短日植物であり、日本の気候条件では花を咲かせにくいためです。だから花を見たことがある人は少ないかもしれません。

短日植物とは、一日の日照時間が短くならないと花芽を形成しない植物を指します。

 写真はネットより

さつまいもの花は、同じヒルガオ科のアサガオによく似た形をしています。      花の色は淡いピンク色で、朝顔のようにラッパのような形をしています。花びらは5枚で、中心部は少し濃いピンク色をしているのが特徴です。

さつまいもの花にも「乙女の純情」と「幸運」という2つの花言葉があります。

<さつまもの食文化>

さつまいもは栄養価も高く、健康効果が期待できる食材として、「スーパーフード」とも言われています。

特に、食物繊維、ビタミンC、ビタミンA、カリウムマグネシウム、抗酸化物質であるアントシアニンなどが豊富に含まれています。

食物繊維は腸内環境を整える働きがあり、便秘の改善や生活習慣病の予防に寄与します。また、ビタミンCは免疫力を向上させ、ビタミンAは視力の健康を保つ上で重要です。

さらに、カリウムは血圧を正常に保つための役割を果たし、むくみの予防にも効果的です。さつまいもに含まれるアントシアニンは、強力な抗酸化作用を持ち、細胞の老化を防ぐ助けにもなると言われています。これらの成分が結びついて、さつまいもは健康維持において非常に有益な食材です。

焼き芋、蒸し芋、さつまいもご飯など、その甘味とホクホクとした食感は、多くの料理とコンビネーションが可能です。また、さつまいもには多様な品種が存在し、「べにはるか」や「シルクスイート」など、甘みが強く、おやつやデザートとしても人気があります。

◆「石焼きいも」

昭和26年に元々ラーメン屋をしていた東京都墨田区の三野輪万蔵という方が考案し広まったとされています。窯に熱した石を入れてさつまいもを蒸し焼きにし、それをリヤカーで移動販売するという販売形式でした。

 (写真はネットよ)

その後リヤカーから聞こえる「い~しや~きいも~♪」の歌が冬の風物詩となるほどに石焼きいもの移動販売は広まりましたが、現在では屋台での販売は減少し、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどにおいて広く販売されるようになっています。

 熱々の 焼き芋口に 秋の味

◆ 「ねりくり」

宮崎県に伝わるさつまいもを使った郷土料理のおやつです。 お餅とさつまいもを混ぜてきなこと砂糖をまぶしたお菓子で、素朴な甘さが美味しい。

 (写真ネットよ)

ふるさとの味として親しまれています。お正月に食べられることが多く腹持ちも良いおやつなので、お正月に余ったお餅で一品作ってみてはいかがでしょうか?

◆ 「いきなり団子」

鹿児島県のさつまいもを使った郷土料理で有名です。

輪切りにしたさつまいもと餡を生地で包み蒸して作る団子です。ほくほくのさつまいもと餡の甘味が相性抜群の伝統ある郷土菓子です。

 (写真はネットよ)

「いきなり」という名前の由来は、短時間で「いきなり」作れる。来客が「いきなり」来ても出せる。あらかじめ芋を蒸さずに生で調理することから「生き成り」など、諸説いわれがあります。

◆ 「かんころ餅

長崎県五島列島発祥の郷土料理です。半茹でにして天日干しをしたさつまいも(=かんころ)をお餅に混ぜ込んだ素朴な味の一品です。保存食や長崎県のお土産として長く愛されています。

 (写真・記事はネットよ)

通常棒状で販売されていることが多く、1~1.5cmほどの厚さに切って軽く焼いて食べるのが一般的です。

鹿児島、長崎に旅行の際には、是非食したいですね! 

ほの赤く掘起しけり薩摩芋    村上鬼城

健康への需要が高くなってきている今、準完全栄養食品と言われるさつまいもの需要がどんどん高まってきていますね!

さつまいも発祥の地である種子島で、「夢百笑さん」が取り組んでいるのは安納芋の原種を守り続け、『夢百笑蜜芋』というブランドとして販売されています。他にも加工したジャムや干し芋も販売されています。

「夢百笑さん」の安納芋は、マツコ・デラックスさんの人気番組である月曜からよふかしの人気コーナー「マツコにとれたてを食べさせたい件」でも取材されていて、マツコ・デラックスさんが「何かお菓子食べてるみたい。」「これだけでスイートポテト」とあまりの甘さに驚嘆!

大阪万博 「らぽっぽ」栃木県にあるおいもテマパークの畑で育ったお芋(五郎島金時)が、ミャクミャクとコラボ「ミャクミャク焼き」が買えるよ!

今や広く愛される食材となった「さつまいも」、改めて歴史の流れみますと様々な物語がありました。「さつまいも」を調理する際や食卓に出てきた際には、その奥にある歴史を考えながら味わってみてはいかがでしょうか? 

芋粥の あつさうまさも 秋となつた  種田山頭火

酷暑の夏をヘロヘロで、やっと9月を迎えた!

昼門を 鎖す残暑の 裸かな      正岡子規

8月には戦後80年を迎え、第2次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われています。あの忌々しい戦争による広島、長崎に原爆投下、そして沖縄の本土決戦と悲惨な報道が毎日のように新聞、TVで伝えられた。

そして、唯一の戦争被爆国・広島、長崎で核兵器廃絶、恒久平和を誓う式典が開催され、石破首相が初めての式典出席!  核兵器禁止また廃絶にたいする強いメッセージは無かった。  極めて残念!

式典で石破首相は核兵器禁止条約についても言及がなく、水爆被害車団体協議会(被団協:ノーベル賞受賞)の田中煕巳代表委員:93歳は、「核兵器のない世界」を目指すと言いながら、日本政府がオブザーヴァー参加すら拒んでいる。

「核禁止条約」に何故踏み込もうとしないのかと厳しく批判した。 せめてオブザーヴァーに参加を願うと!!

被爆者が80年経っても、まだ苦しみが続いている日本!「被団協」の 今後の活動に注目したい! 「No more Hiroshima, No more Nagasaki」という言葉は、核兵器の使用による惨劇を二度と繰り返さないことを誓う強いメッセージです。          「No more Fukushima」も追加したい!

7月20日 参議院選で、自公が 大敗、する中で14議席と躍進した「参政党」!      日本人ファストと言いながら、「核保有が最も安上がりな平和維持」との主張に、違和感を覚える!  

チャールズ英国王は英中部スタッフォードシャーの国立記念植物園で開催された戦勝記念式典において、広島と長崎の原爆犠牲者に触れ「市民が払った計り知れない犠牲を、いかなる国も二度と生まないよう祈る」と異例の直接言及し述べられた。

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