セッコクの花が咲いた!
くろがねもちの幹にセッコクの花が満開!
バラが誕生したのは、7,000万年前から3,000万年前に地球上に姿を現したと言われています。ヒマラヤ山脈の麓や渓谷あたりが、バラの発祥の地と考えられているそうです。
日本原産のサンショウバラ(ネットより)
階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ 源氏物語 賢木巻 四季咲きの庚申薔薇:コウシンバラではないか? この頃には中国から渡来したバラを『栽培』していた。
庚申薔薇から作出された紅薔薇(ネットより)
「枕草子」:清少納言、 「能因本 70段 草の花は」: 薔薇(さうび)は、近くて、枝の様などはむつかしけれど、をかし、 枝がごちゃごちゃして鬱陶しいが、これもよし
「古今和歌集」:紀貫之、 我はけさうひにぞ見つる 花の色を あだなるものと 言ふべかりけり <今朝初(うい)に「さうび」の名を隠した名歌です> 今朝、初めて見たその花の色を「あだなる物と」言うべきであったよ、
この「花」「さうび」を指し、当時
鎌倉時代には、最古のバラの絵と言われるものが残っています。 「春日権現験記」で、春日大社の霊験を描く20巻の絵巻物です。狩衣や十二単の人々が集まるお屋敷のお庭の片隅に赤い花のブッシュが描かれています。(コウシンバラだそうです)
江戸時代には、「日本最古の洋バラ」という絵が残っています。 宮城県松島町にある「円通寺」というお寺です。伊達政宗の家臣で慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航した支倉常長が持ち帰ったと言われています。洋バラには見えないという意見もあるそうですが、真相は謎に包まれています。
江戸時代には鎖国をしていましたが、東インド会社などを経由して長崎などから外国人が入国しています。長崎出島のオランダ商館医でドイツ人医師のケンペル、植物学者でスウェーデン生まれの医師ツンベリー、そして医師であり植物学者でもあるシーボルトも、たくさんの植物をヨーロッパにもたらしました。
中国からは中国原産のバラを、日本原産のハマナスなどのバラを持ち帰り、ヨーロッパのバラと掛け合わせて、世界中で新しい品種のバラがどんどん作出されていきます。
1600年代のヨーロッパでは、バラは薬用目的の栽培が多かった。フランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌがバラの育種に夢中になってバラをどんどん増やしたのは1700年代です。
『本草図譜』は1828年(江戸時代後期)刊行の植物図鑑で、バラの絵が見られます。
明治時代には、西洋のバラが輸入されるようになります。
明治元年は1868年で、フランスでハイブリッド・ティーの第一号「ラ・フランス」が作出されたのは1867年です。
ちょうど西洋でモダンローズの時代が始まる時期と一致しています。
明治8年には、バラの番付表が作られます。
明治21年には90種程度、明治23年には178種超が収録されていま。バラ栽培もだんだん活況を呈していたようです。
与謝野晶子『みだれ髪』(1901年)に!
くれなゐの薔薇のかさねの 唇に霊の香のなき 歌のせますな
若々しく美しい唇には、説教くさい小難しい歌や、あでやかな香のない歌は似合わない、
昭和に入ると、益々海外からバラが輸入されるようになり、多彩な新品種のバラを目にし、終戦から3年後の1948年、第1回日本バラ展が開催されました。
1972年には鈴木省三氏の作出した日本のバラがAARS(アメリカバラ協会の選定賞)を受賞し、日本から世界へ向かってもバラは発展していきます。
800年の間「青いバラ」は、長い間不可能とされてきましたが、遺伝子組み換えによって実現「幻の青いバラ」開花!
日本のバイオテクノロジーはバラの研究開発等にも大きく貢献し、飲料で有名なサントリー株式会社はオーストラリアのフロリジン社と共に『青いバラ』を作る研究を進め、試行錯誤を重ねた結果、パンジーから取り出したデルフィニジン(青色色素)の遺伝子をバラに組み込むことで、2014年(平成24年)に世界初の青いバラが開花しました。
画像はネットより
ずっと追い続けた夢をやっとかなえ喜びに開花したサントリーブルーローズ! 花言葉は「夢が叶う」「神の祝福」
皆さんが思い浮かべる青というよりは、どちらかというと紫色や藤色に近いですね。
「もっと青いバラ」を目指しサントリーの挑戦は、今日も続いています。
通販などで青いバラを検索すると、アプローズよりも青いバラが見られると思いまが、染めの技術で出来たもので、つまり染料でバラを青く染めた物です。
7,000万年前から3,000万年前に誕生したバラは人々を魅了し、今では「花の女王」とよばれています。
* クインエリザベスばらは、イギリスのエリザベス女王の戴冠にちなんで命名された、優雅で気品あるバラです。
* クインミチコばらは、美智子皇后がまだ皇太子妃だったころにイギリスのバラの育種会社より捧げられたバラです。
* クインマサコばらは、1993年に執り行われた当時の皇太子殿下と雅子妃殿下、つまり現在の天皇陛下と雅子皇后陛下の御成婚にちなんだものです。
バラはその種類の数だけ人々の情熱と歴史が有り、とても興味深い花ですね!
そして、長い歴史には、こんな争いも!
1455年? 1485年 、イギリスの百年戦争の終わりに「バラ戦争」と呼ばれる貴族の内乱がありました。王位継承をめぐり、赤バラを紋章にしたランカスター家と白バラを紋章にしたヨーク家の争いは、薔薇戦争と呼ばれ、バラを愛する国、イギリスの歴史を大きく変えた出来事でした。
ネットより
終結時には両家のバラの色が組み合わさった「テューダー・ローズ」というバラが紋章となりました。
バラの歴史は、この先も何処までも、何処までも世界にそして日本にバラがある限り続きますネ! 皆さんはどんなバラが好きですか?
パンジーの花です!
「テリハノイバラ」は、現在広く普及している「つるバラ」の系統の土台となりました。
古書の「うばら」がノイバラやテリハノイバラと同じ花なのかどうかはわからないが、どちらも日本全国に見られた最もポピュラーな野生種です。ノバラ(野薔薇)とも呼ばれています。
それは「世界に誇る原種の薔薇」であり、『日本は世界有数の薔薇の自生地』として、広くガーデーナーに知られる国なのです。
クレマチスだ咲いた! ツル性植物の女王と呼ばれる美しい花で、原種は3000種類存在し、日本をはじめ世界各地に分布しています。