「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

9月になりました! 長月:夜が長くなる月です

秋はいつから (?_?)  暦の上では、8月7日 立秋「秋に入る日」こんな頃は高校野球が始まり、暑さもピークを迎え秋はまだまだ?? そして立秋以前に出すのが「暑中見舞い」立秋以後に出すのを「残暑見舞い」 (@_@;) でもまだまだ秋には程遠い時期ですが、いつまでも続くと思っていた暑さが一段落し、夏の入道雲が 9月ともなれば秋の空に多く見られるいわし雲やうろこ雲が多く見られ、空から少しずつ秋が感じられるのが9月 ヽ(^o^)丿

秋来ぬと目にはさやかに見えねども、

           風の音にぞ驚かされて知る 

季節が変わる瞬間をとられることは難しい 秋はしらないうちに感じてしまうもの! 

秋の到来です。長い秋の夜長を読書をなどして一人楽しむのもいいですね! しかし 一人寝は寂しい (>_<) そんな一首が!

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 

ひとりかも寝む     百人一首 柿本人麻呂

山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を(想い人にも逢えないで)独りさびしく寝ることだろうか、(あしびき:山鳥にかかる枕詞)

もう一首、これもせつない、寂しい!

「誰そ彼と我をな問ひ その長月の露に濡れつつ 

  君待つ我を」 万葉集 作者不明

あれは誰かと私のことを問わないでください 長月の夜の露に濡れながら いとしい人を待っている私のことを (>_<) 

9月9日は五節句のうち、9という最も縁起の良い数字が重なるので「重陽:じゅうよう」の節句として古来、「菊の節句」とも言います。菊の花を浮かべて酒を飲む風習は、平安時代の「重陽の儀」にさかのぼるという。燗酒を飲み始める日と江戸時代の「三養雑記」に記載されている。

浅草の浅草寺では、不老長寿を願って菊酒がふるまわれる「菊供養」が行われる 

秋の七草は、万葉歌人 山上憶良が詠んだ「 萩・尾花(ススキ)・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・朝顔 朝顔の代わりに「桔梗:ききょう」を入れることもあります。   

俳句では「朝顔」は秋の季語です。ほかにも「台風」「流れ星」も秋の季語です。         秋の七草を「おきなわすくう:沖縄救う」と頭文字を組み換えて覚えるそうです

特に「撫子」の花は、日本女性の慎ましく控え目で、清らかで凛として美しい「撫でるように愛しい子(女性)」との意味から「撫し子」と女性の美称でもありますね  (^^♪

ロンドン五輪で大活躍した女子サッカーなでしこジャパン」弱く控え目な日本女性、外国選手との体格差は子供と大人! でも大活躍「大和撫子」素晴らしい ヽ(^o^)丿

                              記  9/1 Mari

 

8月15日 今日はお盆! 終戦の日! 

風が吹く 佛来給ふ けはひあり  虚子

お盆とは、祖先の霊を祀る日本古来の仏教で言う盂蘭盆(うらぼん)、13日には迎え火を焚き、祖先の霊を供養し16日には送り火を焚き祖先を偲ぶ一連の行事ですね!

七月十五夜 月あかりけるに 船岡まかりて いかでわれ今宵の月を 身にそえて

死出の山路の 人を照らさん      西行山家集」 巻中

 船岡とは、京都市北区にある舟の形に隆起した山で、西行が生きた時代は、保元の乱で敗れた源為義とその一族がこの地で処刑され、葬送る地としても名高く今でもパワースポットとして知られている。また船岡山からは平安京を一望ができ、五山の送り火の際は大文字を臨む絶好の見物場所でもあるそうです。

 

昭和20年8月15日は終戦記念日」でなく、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」で「記念」という言葉には違和感がありますね! 韓国では「光復節」、北朝鮮は「祖国開放記念日」といずれも祝う日としています。

いつぽう、日本と戦火を交えた連合国の殆どは、東京湾内の米艦船ミズーリ号上で日本政府及び軍代表として外務大臣 重光葵が降伏文章 Instrument of Surrender に署名した日で1945年 9月2日をもって「対日戦争勝利日」としている。

ながらえて 甲斐ある命 今日はしも しこの御楯と 我なりました 

願わくば 御国の末の 栄え行き わが名さげすむ 人の多きを  

この二首は、重光葵 (しげみつ  まもる)が当日の朝、国内の過激分子から命を奪われる可能性もあるなかで、決意を示す短歌! ◆しこ:役立たず の 意味で使われる 

 

昭和20年8月14日 起きた「宮城事件」、ポツダム受託に抗議した一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が企てたクーデター未遂事件で、玉音が収められた玉音盤をめぐる事件のこで、1967年東宝・2015年松竹が映画「日本のいちばん長い日」が製作される。京都出身の青年将校(畑中健ニ少佐)が、8月15日 玉音放送が始まる1時間前にクデターが失敗に終わったこと悟り、宮城前の芝生で自決する。

畑中健ニ 辞世  今はただ 思い残すなかりけり 明運去りし 御世となりなば

純朴で物静かな文学青年であったそうです。これも戦争と言う忌まわしい出来事が  33才の命を奪ったとしか思わずにいられない (>_<)

 

1985年8月12日 32年前、航空機史上世界最悪、520名の犠牲を出した「日本航空123便墜落事故」が起こり、今年も墜落現場では慰霊行事が行われた。

 御巣鷹は 尾根の名にして 山の名は

 地図上に 消息不明の 破線引く

 五百余の 命かき消し その山の

黒沢丈夫 上野村村長により、墜落地点は御巣鷹山でなく「御巣鷹の尾根」と命名された。                              

                                 記 8/15

八月です* August

鬼灯・酸漿・Wikipedis : ほおずきと読みます (^O^)/  

ナス科ホウズキ属の多年草でカガチ・ヌカズキとも言う。 原産地は東南アジアで、近縁種が南欧やアメリカ大陸など温帯に自生している。主に鑑賞用や食用として栽培されているが、野生のものもあります。

お盆が来ると、お墓にホウズキを供えお参りします! ホウズキは鬼灯とも書くように盆花だけでなく、仏壇を飾る赤い提灯という特別の意味を持つて供えられます。

精霊が迎え火や提灯の火を頼りに集まると言われ、ホウズキを提灯にみたててご先祖様が迷わないように、盆棚(精霊棚)に飾る 。 出番を待つ我が家のホオズキたち (^^♪

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鬼灯:ほうずきは「古事記」にも「赤輝血・アカカガチ」と記載がり、ヤマタノオロチの目の赤さを表す例えとして用いられているそうです。平安時代には「本草和名」とゆう日本で最も古い薬物辞典にも「酸漿・さんしょう」と言う名前で記載が有り、薬草として使われ咳止め・ひえ性の改善・利尿作用・解熱など効果があるとされています

鬼灯には食用になるものと鑑賞用となるものが有り、私たちに馴染みがあるのは観賞用の鬼灯で実には毒性もあり刺激が強く苦いから注意。食用の鬼灯の実は酸味のある甘さが特徴で主にヨーロッパ地方で親しまれています。日本では東北地方などで特産物でビタミンAや鉄分含まれ「ストロベリートマト」とも呼ばれジャムやサラダとして親しまれているそうです (@_@;)

花言葉は、誤魔化し・ 偽り ・・・・ 花よりも、提灯のように見えるオレンジ色の萼(がく)のなかに、赤い実があります。この実が見かけが大きく、皮と種だけで中身がないことに由来か、 (>_<)

東京の浅草寺で開かれる「ほおずき市」は江戸時代から続いており、境内では120軒のホオズキの露店で賑わいます(毎年7月9~10日)

 鬼灯は 実も葉もからも 紅葉かな  松尾芭蕉

 

 7/26 カレジ 1班 の仲間と  キリンビール工場を見学! 最高に美味しいビールを試飲 !ビール党の皆さん、今日が有るのも、先人に感謝しなくては  (?_?)

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日本にビールが伝わったのは徳川吉宗の時代らしい? オランダ語通訳が残した「和蘭問答」に 「麦酒給見申候処 殊外悪敷物にて、何のあぢはいも無御座候、名はヒーイルと候」と記されている。

つまり、文献に残る最初の日本人のビール体験談は「まったくうまくない」と当時の人たちが口に合わないのを我慢して挑戦を続けてくれたおかげで、いま美味しいビールが飲め感謝 ! ヽ(^o^)丿 

サラリ-マン川柳に

<本物の  ビール買ったら 妻激怒 >  

 夏本番いよいよビールの季節 ヽ(^o^)丿 

幕末の革命児 坂本龍馬が貿易会社・海援隊を立ち上げたのは32才、最初の船出で紀州和歌山藩の蒸気船・明光丸に衝突、命は助かったものの乗っていたいろは丸は沈没してしまう。相手は江戸幕府徳川御三家、天下の紀州藩に決然と立ち向い世界のルールブック「万国公法」を盾に1カ月後、賠償金 8万3526両198文を海援隊に支払うことで決着する。この賠償金はその後岩崎弥太郎が引き継ぎ三菱グループが生まれ、「キリンビール」が誕生する。  キリンビールの商標(デザイン)は、頭が「龍」で足が「馬」 つまり「龍馬」 キリン !

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   人生、深刻になったら負けぜよ! 最後は骨になるだけぜよ!

   人生 5万年じゃないぜよ! たかが数十年ぜよ!

   人生、最後の日から見たら、すべての悩みなど懐かしい思い出ぜよ!

   じゃあ、一度の人生に龍馬(キリン)に乾杯ぜよ!  (^O^)/

                             Marui   8/1 

 

July・文月・ふみ月 7月です

万葉集には130首を超える七夕(たなばた)に関連する歌が有ります。ほとんどは男女の恋の物語を詠まれています

天の川 、いとし川波は、立たねども、さもらひかたし、近きこの瀬を                          万葉集 八巻 山上憶良

原文:天漢 伊刀河浪者 多々弥杼母 伺候難之 近比瀬呼

天の川の波はそれほど立ってはいないけど、近い瀬なのに、逢えるかどうかいてもたってはいられない (>_<)  天平2年(729)7月8日の夜に大伴旅人の邸宅に集まって、詠まれた七夕の歌です (山上憶良の七夕の歌一二首のひとつ)

たふても、投げ越しつべき、天の川、へだてればかも、あまたすべきかな、

                         万葉集 八巻 山上憶良 

小石でも投げれば、向こう岸に届いていそうな天の川なのに、その川で離れているのでどうすることも出来ません! アルタイルとベガの間は15光年もあるですよ!!

「七夕:たなばた」<しちせき> とも読み、江戸時代に一年間の重要な五節句の一つに定められています。七夕といえば、どこかロマンチックに感じられ7月7日の夜に願い事を色とりどりの短冊に書き、竹笹につるして星にお祈りをします。  中国・日本の七夕伝説では織姫星はこと座の1等星ベガとして知られています。そして働きものの牛使いの彦星はわし座のアルタイルです。

五節句」とは、1/7「七草粥節句」3/3「桃の節句」5/5「菖蒲の節句」7/7「七夕の節句」9/9「菊の節句

この二つの星と白鳥座のデネブを結んだものが夏の大三角形と呼ばれ、夏の星座を探す目印となっています(^O^)/ 二人の橋渡し役となるのがカササギです。

f:id:marui-hall:20170630091040j:plain     二人のロマンチックな星物語 天帝の娘で織姫は、天の川の西岸に住み機織の上手で美しい布を織り父親天帝を大変に喜ばせて居ました。天帝は東岸の働き者の牛使い「彦星」に引き合わせ、めでたく結婚しました。しかし夫婦になった二人は仲睦まじくするばかりで仕事をしないので、天帝は怒り悲しみ、二人を離れ離れにしてしまいました。しかし悲しみに明け暮れる二人を可愛そうに思った天帝は「七夕」の夜に限って再会を許すこととしました。天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り年に一度の逢瀬をするようになりました ヽ(^o^)丿

二人逢瀬を祝い、中国では「乞巧奠・きっこうでん」とゆう行事が催されるようになりました。「乞」は願う「巧」は巧みに上達する「奠」まつるという意味で、機織りの技が上手くなるように、様々な手習いごとの上達を願いました。

奈良時代遣唐使によって日本に伝わり、宮中行事として取入れられるようになった。詩歌や裁縫の上達を願い星に祈りをささげ、梶(かじ)の葉に和歌をしたためて、お祀りしていたそうです。今でも、京都の冷泉家では古式ゆかしい七夕の歌会や「乞巧奠」がとり行われており、梶の葉が重要な役割を果たしているそうです。

梶の葉の裏側には細く滑らかな毛がたくさん生えているので墨の乘がよく紙の原料にもつかわれていた

          f:id:marui-hall:20170630091917j:plain              

「七夕」日本が稲作を行っていた他に、「古事記」に登場する「棚織女」(たなばたつめ)からと言われています。「棚織女」とは織物を作る機織り機を扱う女性を指し、俗世を離れ「棚造りの小屋」にこもって神聖な布を織る習慣が有りました。この習慣と中国から伝わった「星伝説」に登場する「織女・しょくじょ」と「牽牛・けんぎゅう」がにていいたので、日本に広く受け入れられ「七夕」の文化が定着したとも言われています。

 

「藪入り」と聞いても最近はまったく聞かなくなりましたが、江戸時代に広がった風習で、商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へ帰ることが出来た休日を言います。

昔は、奉公人には休みはなく、嫁もいったん嫁いたら実家にの門はくぐらせてもらえなかった。そうゆう時代でも年に2日(旧暦1月16日と7月16日)は、住み込みで働く奉公人や、結婚して嫁いだお嫁さんが、小正月とお盆の行事を勤め上げた翌日だけは実家に帰ることが許された。それが「藪入り」です。

だから、年に2回の休日が本当に待ち遠しくて嬉しかったと思いますね ~ ~ (^^♪  嬉しくてたまらないことを「盆と正月が一緒に来た」と言いますが、ここから生まれたと言われています。

母親(家族)は、子供が帰ってくるから、朝からソワソワして美味しいご馳走を作り待っていたそうです。 今も昔も、子を思う母親の気持ちは変わらないですね !

「藪入り」の風習は、今ではほとんど耳にしないですが、現在は「帰省」として引き継がれ、お盆と正月には故郷に帰る習慣として毎年、都会から田舎への帰省ラッシュがはじまりますね !

「藪入り」の原語には諸説あり、実家に帰ることを元は「宿入り」と言いが訛った説や藪ぼ深い田舎に帰るからと言う説などがありますが、あまり説得力はないようです。

丁稚奉公は12~15才ほどの年齢で、里心が付くといけないと3年間は実家に帰してもらえなかったそうです。昔はどこの家庭も貧乏で、食い口を減らすためもあり親も泣き泣き奉公にだし、このころの子供たちは辛抱強かったですね ! 今の子供たちは、勉強ばかりで、、、どちらが良いか (?_?)

                             記 7/1

 

6月 June 水無月(みなずき) 

 

 春すぎて夏来(き)にけらし  白妙(しろたえ)の 

    衣(ころも)ほすてふ (あま)の香具山 持統天皇

春が過ぎいつの間にか、夏がそこまでやって来たようですね!  この歌は天智天皇の第2皇女の持統天皇(女帝)です。法令集「大宝律令」を編纂されるなど奈良時代の政治の根幹を築いたかたで、万葉集では「春過ぎて 夏来るらし白妙の 衣ほしたり 天の香具山」となっています(香久山は奈良県柏原市にあり、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)とならぶ大和三山の一つ)

衣替え 6月1日と10月1日となったのは明治以後のことで、学校や官公庁、銀行など制服を着用するところではほとんど実施されている。実は和服でも10月~5月は袷(あわせ)、6月と9月は単衣(ひとえ)、7月と8月は薄物とこのしきたりが重んじられているようです。また衣類を守る役目もあると言われています。それは日本には四季があり季節折々にタンスの衣類を入れ替え、カビや虫から守る。そして心の「いれ替え」をしてスッキリする機会でも有りますね!    日本の文化ていいですね (^O^)/ 

6月1日は「鮎の日」でアユ漁の解禁日でもあります。鮎は岩についてる藻を食べるため独特の香りがするから「香魚」(あゆ・こうぎょ)とも呼ばれます。秋に河口近くの浅瀬で生まれ、海で冬を越し、桜の咲くころに川を上って成長、秋には川を下って産卵し生涯を終え、1年で一生を終えるから「年魚」とも言われています (^^♪

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   夏の風物詩 1300年以上の歴史がある長良川鵜飼    (2016.7)

秋口の「落ち鮎」腹にたっぷりと卵をもっている雌鮎は美味で最高だ  (^O^)/    そして、鮎の内臓を塩漬けにした「にがうるか」、白子・卵巣を使った「子うるか」、身を使った「身うるか」は、 酒通にはたまらない (>_<)

「梅雨」日本、中国など東アジアの地域だけに見られる雨の季節を言います。どうして「梅雨」? 梅に花が咲くのが 1~2月で 6月はちょうどその梅の実が黄色く熟す時期に降る雨からそう呼ばれています。今では梅干しを作る家庭は少なくなりましたが、子供の頃、母が梅を外で日陰で干していましたが、よく雨が降り梅が干せないとぼやいていたのを思い出します

この時期に咲く「紫陽花」 いいですね (^O^)/

 ジュンブライト 6月を英語でJune(ジューン)と言いますが、それはユーノー(Juno) からきている言葉です。bnde(ブライト)は花嫁ですよね!  直訳すると6月の花嫁!!欧米では古くから6月に結婚すると生涯幸せな結婚生活出来ると言われています (^^♪

由来その1  ローマ神話で結婚をつかそどり、女性の権利を守護する女神「JUNO」と 6月の月名「JUNE」からきており、この月に結婚する花嫁はきっと幸せになるだろうと言いわれています (^^♪

由来その2 : 6月のヨーロッパは1年で最も雨が少なく気候が良い。また「復活祭」がある月で、ヨーロッパ全体がお祝いムードとなることから、多くの人から祝福されるだろうと言われいます (^^♪

由来その3 : ヨーロッパでは3月・4月・5月の3カ月は農作業のさまたげとなることから結婚が禁じられていました。そのため結婚が解禁となる6月に結婚するカップルが多く、その分祝福も多いとと言われています (^^♪ 

日本では :  6月は梅雨真っ只中! 湿気も多く結婚式場も閑散でどこのホテルも  (>_<)ヨーロッパの言い伝えに目をつけ「ジュンブライト:6月の花嫁は幸せになる」と宣伝また空調設備も完備され大成功 ヽ(^o^)丿 つまり日本では「企業戦略」から!!

 

 

5月14日は「母の日」でしたね!6月18日は「父の日」です  父の日はアメリカのワシントン州で誕生!! 今から100年以上前の1909年、ワシントン州に男手一つで6人の子供を育て上げた父親が居ました。父親の死後、長女のソノラ・ドッドは協会で、当時既に母の日が復及活動中の説教を聞き「父親に感謝する日もあるべきだ!」と考え協会で父の日を祝う礼拝をおこなったのがきっかけで始まりました。アメリカでは両日とも祝日だそうです。ちなみに「母の日」にはカーネーション 「父の日」はバラを贈るそうです。日本もはやく休日になるといいですね (^^♪ 

                            記:5/31

もう、新緑の五月!

今年はいつまでも寒く桜の開花も遅れたが、咲いた花も長く持ってくれてなにか得したよですね、桜が散ってハナミズキが満開、庭先の眺めも絶えずうつろい、新緑が芽を吹き始めやがて紫陽花が咲き、生々流転、自然の理か (^^♪

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」 江戸中期の俳人・山口素堂(1642~1716)作目にも鮮やかな「青葉」・美しい鳴き声の「ほとぎす」・食べて美味しい「初鰹」江戸の人が好んで、春から夏にかけて詠んだ俳句で、初物に手を出すのが粋の証だったようです

江戸っ子は、袷(あわせ)の着物を質に入れてでも初鰹を食べなくてはおさまらなかったようです、「まな板に 小判一枚 初鰹」宝井其角が詠われたように高価で、また「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」そして古川柳にいわく「殺された袷、刺身に化けてでる」刺身も良いが、ひと手間加えた鰹のタタキもまた絶品 (^O^)/     「初鰹銭とからしでニ度泪」江戸っ子は高値でも食べたいばかりに、川柳にも多く詠われています

初物を食べると寿命がのびる (?_?)

実りの時期に初めて収穫された農作物や旬の魚介類などには、生気がみなぎっており、食べれば新たな生命力を得られると考えられていたようです。          「初物七十五」(初物を食べると寿命が75日のびる)     

「初物は東を向いて笑いながら食べると福を呼ぶ」

「八十八夜に摘んだ新茶を飲むと無病息災で長生きできる」

初鰹も同様で「初鰹を食べると長生きできる」とされ、大変珍重され江戸の初鰹は鎌倉あたりの魚場から供給され、「鎌倉を生きて出でけむる初鰹」松尾芭蕉(1644~1694)が詠んでいる

鰹のタタキとは、

一節に、鰹のタタキは土佐藩山内一豊が食中毒を防ぐために刺身を禁じたところ、庶民がが表面だけ炙り、焼き魚と称し食べたのが起源とも。美味しい鰹のタタキが食べられるのは、図らずも名君山内一豊のおかげか ヽ(^o^)丿 今では別名「土佐作り」として土佐名物料理として有名です。 なぜ「タタキ」? もともと包丁の背でたたいてから表面を焼いていたからだとの節、現在は焼いてからたたく、 たたいてから焼く、まったくたたかないなど色んな方法が有るようです

知っていますか?

「鰹のタタキ」といっしょに食べたいのは「しょうがごはん」 新しょうがの皮をむいて千切りにし、油揚げと一緒にだし汁で煮ます、そして炊きあがったご飯に混ぜれば出来あがりです。一度お試しください、新しょうがピッタンコです (^^♪

 

鰹の旬は年に2度、春から初夏にかけ黒潮にのって太平洋岸を北上する鰹が「初鰹」 そして、秋の水温の低下に伴い、三陸あたりの海から関東以南へ南下してくる鰹が「戻り鰹」です。餌をたっぷり食べており脂がしっかりのっていて最高です。それに比べて「初鰹」はさつぱりしているのが特徴です。このように日本の食文化、季節を感じながら、季節の味をいただくなんて、先人の知恵に感謝 、感謝 (^O^)/

春の芽吹き「たけのこ」も、この季節の「旬」ですね!

「孟宗竹」」(もうそうちく)は3月中旬から5月に! その次は「淡竹」(はちく)そして、真竹・姫竹が旬を向かえます ヽ(^o^)丿

◆ 姫竹は、根曲がり竹・千島笹・地竹 とも呼ばれます

「たけのこ」の種類を見分けができますか (?_?)f:id:marui-hall:20170426132424j:plain

孟宗竹(もうそうちく):日本各地で栽培、皮に茶色のビロ-ドのような毛が生えています。まだ地中にあるうちに掘り出して食用にする。原産は中国江南地方です

淡竹(はちく):中国産で、寒さに強く、北海道南部にも分布しています。味は淡白でアクが少ない

真竹:日本古来産で、アクが強く苦味もありますが味は良い。掘りたては「えぐみ」がなく刺身としてもいいです。皮には斑点が有ります

姫竹:小型で細長く茎が根元で湾曲しています。5~6月が旬です

 

「筍:たけのこ」とゆう漢字は、竹と旬に分かれます。旬は「一旬」「上旬」「中旬」と約10日ほどの期間を表す言葉です。「たけのこ」は10日ぐらいで「竹」に成長してしまいます。だから「竹」の字が当てられたとも言われています。「たけのこ」の産地は、京都洛西一帯が有名で、香りもよく柔らかい ヽ(^o^)丿

 

                                記 4/26

 

4月は、出会いと別れ !

今年は桜の開花期が遅れている (>_<) お花見はこれから! 桜は、咲いたと思ったらはかなく散ってしまいます、出会いと別れの象徴でもありますね!

百人一首から、華やかで桜のイメージが際立つ歌を!

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 

 にほいぬるかな  伊勢大輔:いせのたいふ 「詞花集」 百人一首:61番

いにしえの昔の(古き遠い時代)奈良の都の八重桜が今日は 九重の宮中でひときは美しく咲誇っている。 

*九重:昔中国で王宮を九重の門で囲ったことからこう言われている

 

★漢字ばかりの俳句です

 奈良七重 七堂伽藍 八重桜    松 尾 芭  蕉

七堂伽藍とは、寺として具備すべき七種(塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂)を備えた、荘厳な大寺を言います

 ★根尾 薄墨桜  

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★ 薄墨桜の由来です (^O^)/

一宮市真清田神社ゆかりの土川家で発見された古文書「真澄探當證」の記述によると467年頃 継体天皇根尾村を去るに当たり、真清田神社で献納を受けた桜木をお手植えして御歌を詠まれた。

身の代(しろ)と遺(のこ)す桜は薄住(うすずみ)よ 

   千代にその名を栄盛へ止むる  継体天皇

 

4月に咲くのは桜ばかりでありませんね、たんぽぽ、レンゲ、シロツメクサと様々な花が野山に咲き競いす。子供の頃に女の子たちがシロツメクサで、頭につける花輪や首飾りを作ったりしたのを思い出されます。シロツメクサはクロバーとも言われ花より、四つ葉をよくさがしたのも懐かしいく思い出します。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 

 雪は降りつつ 光孝天皇:こうこうてんのう 「古今集」  百人一首:15番

あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくる。

若菜とは、春に生えている食用や薬草になる草のことです。昔から新春に若菜を食べると邪気を払って病気が退散すると言われています。初春の若菜摘みは慣例行事だったようです。

春の七草:セリ・ナズナ・オギョウ・ハコベラホトケノザスズナスズシロ

光孝天皇が若菜を摘んだ場所は、京都市右京区嵯峨にあった「芹川」の周辺に広がっていた芹川野で、そこに御幸を行い、鷹狩をして和歌を詠んだそうです。

実際に若菜の名所は、大和国添上郡(現在の奈良市)の春日野(奈良公園)で、桜をはじめさまざまな草花が咲き、緑に萌えとてもリラックスでき、長寿にはもってこいの景色が望むことが出来る場所です。皆さんも是非訪れたら如何でしょう (^O^)/ 

                                                                                                                  4/1 Marui