夏の終わり頃からよく見かける「赤とんぼ」ですが、皆さんも良く口ずさんだ童謡に
夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたにはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
一五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先
そうです、よくご存じの童謡「赤とんぼ」です
この童謡は大正10年に発表され、作詞者「三木露風」自信の幼少時代を思い出して書れたと言われています。「露風」は五歳の時に両親が離婚し、以後祖父に養育されます。実際には子守り奉公の姐やに面倒を見てもらい、そのときの思い出を歌にしたと言われています。尚、「赤とんぼ」は大正10年「露風」32歳のとき北海道のトラピスト修道院で作られました。
さて詞に「おわれてみたのは」とありますが、漢字で書けば「追われて、、」でなく「負われて見たのは、、」姐やの背中におんぶされ肩越しに見た「夕焼け、、と思われます。
つぎに、「一五で姐やは嫁にいき、、」当時は口べらしもあって、嫁ぎさきの労働力としてはやくからお嫁にいったのではないかと思われる。しかし大正時代に作られた童謡ですが、当時15歳での結婚は5%程度であり、だから「露風」の幼少期である明治時代を偲び詞ったと推察される(ここで詞われている姐やは実妹でないようです)
また、「お里の便りも絶えはてた」嫁いだ姐やからの便もり絶え、また姐やの背中に負われたときの暖かい思い出も絶えと寂しさを詞に、それともう便りもない母への強い切ない未練も込められたと推察されます。
第1節の「夕焼け小焼け、、」は幼稚時代の思い出で、第4節の「夕焼け小焼け、、」は大人になっからの時空を詞ったものと思われます。
何気なく唄つていたこの曲にこんあに深い意味が有るとは、でも短い詞のなかに万感の想いが偲ばれ作られたと思われます。詞の解釈には諸説あるようです。皆さんはどの様に解釈して唄われていたのかな??
他に、日暮れ時に家に帰る子供の様子を唄った、作詞「中村雨紅」作曲「草川信」の「夕焼け小焼け」が有りまが、「小焼け」て ? 意味も考えずによく唄いまししたが、詞の語調を整えるための造語で特に意味がないそうです。「単純に語調を整えただけの言葉」と言うのが一般的な解釈です。 例えば「仲良し こよし」このように「仲良し」単体では感じられない温かさを補うために『こよし」をつけることにより、美しい光景が生み出され使われたようです。
日本語って、奥深く素晴らしいですネ (^O^)/ (記 丸井)