10月に入り朝夕肌寒く感じられるようになりました。そろそろ冬物衣装の準備など考えないと思う今日この頃です。秋は天気の変わりが早く、急な気温の変化で体調を崩さないように注意したいです。
「しゃぼん玉」唄詞の内容について、
童謡「しゃぼん玉」は、野口雨情(1882~1945)作詞 中山晋平作曲 大正11年に発表
野口雨情は明治41年3月に長女「みどり」を生後7日目で亡くしており、また後に生まれた娘「恒子」も大正13年9月に2歳でなくしている。そんなことから茨城県 磯原村でシャボン玉を飛ばして遊んでいる少女をみて、娘が生きていればと切ない想いを込めて作詞されたと言われています。だから子供を想う「鎮魂歌」とか、作詞された時期的な観点から実子でなく親類の子を想いと、諸説が有りますが? いずれも確かな根拠がないそうです。皆さんはどんなことを思い唄われたのかな?
<讃美歌「主われを愛す」のメロディーに良く似ているとも言われています>
子供のころに「シャボン玉」を飛ばした懐かしい思い出が皆さんもかなず一度は有ると思います。
シャボン玉はポルトガル語の「シャボー(石鹸)」に由来し、1543年にポルトガル船で持ち込まれ、当時は一般庶民には手の届かない大変な貴重品で、1596年に「石田光成」が神屋宗湛に石鹸を贈られ「しゃぼんの礼状」が現存し、これが石鹸についての記録として最古と言われています。その後100年以上も過ぎた 1677年長崎商人がオランダから石鹸を持ち込まれ、夏の風物詩としてシャボン玉売りが登場し街中を売り歩き、ワラの芯を使ってシャボン玉遊びが人気だったそうです。
◆ 国産石鹸製造は1824年で、商業的に製造されたのは明治に入った1873年になってからです。
◆ 石田光成の恋を描いた短編小説「壮心の夢」 火坂雅志著 に恋の相手「摩梨花」と「シャボン」を通し、「女は無駄だ」とする光成の潔癖な恋心が書かれています。
記 丸井 10/8