「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

『花見』 今年は??

『今年は、花見に行きますか? 行きましたか?』

 ユースクが3月22日に行ったアンケートの結果 中日新聞より)

  行く:46%(757人) 行かない:36%(600人)と回答 

新型コロナウイルス感染拡大が始まって3度目の花みシーズンを向かえ、3月21日 まん延防止措置が解除されたと言え、まだまだ気を配りながらの花見! 気兼ねなく花見を楽しむのはいつ来るのだろうか? 元通りの日常は来るのだろうか?

大変な厳しい時勢でも、今年も桜はけなげに咲いてくれました。オミクロン株で花見に出かけるのもチョット気が引けますが、でも遠くに行かなくても桜は身近でも見かけますね !

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一宮市浅井町、長誓寺  樹齢250年の紅しだれ桜 、一宮市の天然記念物指定、本堂は名古屋城三の丸にあった書院を明治7年に下賜されたもので、県文化財指定です  (^_^)

全国津々浦々の桜達は待ってたように咲き誇りピンク色に染り、その美しさに日本人は昔から魅了されてきました。そして桜はいつの世も、その美さを愛でる日本人独自の文化が、感性があり、日本人の心の原点で歴史でもあると思います。

東京の桜の開花を発表 気象庁は3月20日 午後2時の観測で、千代田区靖国神社にある桜の標本木に、5輪以上の花が咲いていることが確認され、気象台の職員がその場で「桜の開花」を発表しました。

東京の桜の開花は、観測史上最も早い開花となった去年とおととしよりも6日遅くなりましたが、平年よりは4日早いということです。

名古屋の開花宣言:3月22日 平年より二日早く、観測史上最も早かった昨年より五日遅かった。31日頃が見頃とのこと (^o^)

岐阜市は21日に開花しており、見頃は28日頃の見込みです。(何れも中日新聞より)

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松任谷由美 「春よ、来い」 歌詞に!

淡き光立つ 俄雨.  いとし面影の沈丁花.  溢るる涙の蕾から.  ひとつ ひとつ香り始める. それは それは 空を越えて. やがて やがて 迎えに来る. 春よ 遠き春よ 瞼閉じれば、、

“春”を沈丁花に例え 、忘れられない想い出を乗り越えて、来て欲しいと心から願い、 別れてしまった恋人を想い出し、また戻ってきてくれる事を待ち望んでいる曲です。

「お花見」のルーツは ?  一体いつ頃から、

桜の木の下で飲食を楽しむのは、世界的に見ても日本にしかない珍しい文化だと言う。「いつ」「どこで」「どのように」お花見の文化は育まれてきたのだろうか。

そして、今でこそ花見といえば『桜』を思い浮かべますが、中国文化の影響が強かった奈良時代ごろまでは、花見と言えば「梅」の花であったようです。

奈良時代、中国に派遣された遣隋使がもたらした梅を見る文化が始まりだと言われています。平安時代になって遣隋使が廃止され、奈良時代天平2年(730年)1月、現在の福岡県太宰府市にある大友旅人の邸宅で、梅の花を題材として和歌を詠む宴会「梅の花の宴」が開かれた。当時「梅」は唐から渡ってきた珍しい植物で、「梅花の宴」は公家や貴族らによる歌会で、花も桜の花でなく梅の花ですが、花を愛でながら宴が開かれ「花見」のルーツの原型と考えられています。

この宴で詠まれた32首の歌は、奈良時代末期の和歌集「万葉集」五巻に収録されています。そしてその序文に、昭和・平成・に続く元号「令和」の語源として有名になりましたね (^_^)

万葉集にはおよそ4200首のうち「梅」の歌は、108首もあり、それに比べて「桜」40首ほどです。梅の人気があったことがわかります。

平安時代になると、日本独自の文化が芽生え始めて、花は梅から『桜』が好まれるようになります。その理由としては、日本人独自の風流、感性が、ぱっと咲き誇った花が、風とともに散る花びらを愛でることが、生命の尊さ、もののあはれさ、いさぎよさが相重なり日本人に好まれたようです。

平安時代に編まれた『古今和歌集』では、梅を詠んだ歌は18首で、桜は70首と逆転しています。以後 花と言えば『桜』が定着したようです。

日本最初の『桜』の花見は、?

花と言えば梅だった奈良時代が終わり、794年「鳴くよウグイス平安京」と中学校の社会科で覚えた平安京《794年~869年》・平安時代になると花見の主役として「桜の花」が登場します。

平安時代嵯峨天皇(在位809~823年)は、地主神社の桜を大変気に入られ毎年さくらを献上させていたそうです。

「日本後記」という書物に、嵯峨天皇が 812年(弘仁3年)3月28日に嵯峨天皇が京都にあるお寺「神仙泉苑」で「花宴之節:かんねんのせち」を催され、対象が梅から桜に変わり、貴族が桜を眺めて楽しむと記録があります。これがもっとも古い「桜の花見」と考えられています。 神泉苑は“お花見発祥の地”として今も親しまれています。

嵯峨天皇は、地主神社の境内に咲く見事な桜の美しさに、牛車を二度、三度と引き返させて眺めたと伝わっています。それ以来、嵯峨天皇は毎年神社から桜を献上させ、梅ではなく桜の花見を催すようになったそうです。   (写真はネットより) 

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地主神社の桜(地主桜): 嵯峨天皇の故事から「御車返しの桜」とも呼ばれる !

これ以降も「桜の花見」を度々開催され貴族の間で「桜の花見」が急速に広まって行きますが、庶民が桜見を楽しむのは、まだまだ縁が遠く江戸時代になります。


平安時代には、天皇や貴族がお花見を楽しんで、「桜」を詠まれた和歌がたくさん残されています。平安時代の貴族で代表的な歌人在原業平(ありわらのなりひら)はこんな歌を詠んでいます。
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は 

  のどけからまし」
世の中に桜がなかったなら、咲くのを心待ちにしたり、散るのを惜しんだり、こんなに心を煩わせることはないのに…
桜に心ひかれるあまり春をのどかに過ごせないと詠んでいます。桜がいつ咲くかとソワソワしたり、桜が散ってしまうと切なさを感じるのは、現代の私たちにも共通する感覚ですね ! 平安時代から「桜は特別」だったようです。

京都 御所の紫宸殿(ししんでん)の左近桜!

平安京遷都  794年(延暦13)の時に、桓武天皇によって紫宸殿正面の階段から見て左には梅の樹が、右には近橘の樹が植えられていましたが、承和年間(834年~847年)に枯失したため、桜を愛好していた仁明天皇が梅の代わりに、左近桜(さこんのさくら)と呼ばれる桜の樹が植えられた。右には右近橘(うこんのたちばな)の樹があり今日に至っています

831年(天長8年)紫宸殿における花見は天皇主催の定例行事として取り入れられ、梅でなく『桜』の花見となる。

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エイザンスミレの花が咲いた !  葉が深く切れ込み、花は白色からわずかにピンク色を帯びたものがある。葉っぱだけを見てこれがスミレかと驚く方も多い。特徴がはっきりしているので、すぐにエイザンスミレだと分かります。

紫式部源氏物語「花の宴」冒頭に、次のように描かれています。

如月(きさらぎ)の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまう 后、春宮の御局、左右にして、参う上りたまふ。

二月の二十日余りに、南殿(紫宸殿)の桜の宴が催された。 藤壺中宮東宮の御座所を左右にして、お二人が参内した。

鎌倉時代から室町時代になると、貴族の楽しみから、一部の武士の間でも桜見が広がり始まります。吉田兼好が執筆したとされる「徒然草」に、武士たちが酒を飲みながら大騒ぎをする様子が描写されています。貴族の上品な花見とは対照的な楽しみかたがうかがえます。

桜見が広く一般の武士の間に普及したのは、安土桃山時代だと言われています。豪華絢爛を好んだ豊臣秀吉は桜の花を愛し、贅を尽くした「吉野山の花見」を大名以下5000人を集めた大規模な花見を行っています。 

豊臣秀吉が晩年に、醍醐寺三宝院で花見の宴を催したのはよく知られています。700本もの桜を植樹し、諸大名からその奥方、女中衆まで招待客は1300人を数えたそうです。その5ヶ月後の8月、秀吉は病により生涯を終えています。

やっと庶民にも花見をする楽しみが浸透してきたのが、江戸時代の中頃で三代将軍 家光が上野や隅田河畔に桜を植え、現在、桜の名所となっているJR王子駅近くの「飛鳥山」や隅田川の川沿い、品川区の「御殿山」は、八代将軍 吉宗が桜の名所として整備して、花見を奨励したことが背景にあります。

一般庶民に花見を奨励したワケは、幕府への不満を和らげるため、庶民に楽しみを提供したなどと諸説がありますが、吉宗が桜を植えなければ今の名所もなかったかもしれないですね !

江戸時代の後期には、オオシマサクラとエドヒガンを改良した品種「吉野桜」が誕生し、のちに「ソメイヨシノ」と呼ばれ、桜の代表として今日まで広く親しまれています。

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和名は ムスカリ  耐寒性が強く、原産は地中海沿岸 ~ 中近東・西アジアまで広い範囲に分布花ことば、寛大なる愛・明るい未来、

見ごろが大変短い桜、桜の花や葉は塩漬けにすると糖分が分解されクマリンという物質が生成され、これが良い香りの元(正体)です。材料となるのは食用として育てられている種類で、花の塩漬けは八重桜の種類、葉っぱは大島桜です。

お花見と言えば「花見団子」。ピンク、白、緑の3色が一般的だが、それぞれ意味があって、「ピンク=桜の花で春の息吹」「白=雪で冬の名残」「緑=ヨモギで夏への予兆」を示すそうです。

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スナックエンドウの花 * スナップエンドウでないの ? 実は同じエンドウ豆です。

アメリカから輸入されたスナップエンドウに「サカタのタネ会社」がスナックエンドウと名付け販売、のちにスナップエンドウが正式名称となります。しかし「スナックエンドウ」の名前は現在も使用されていて、「どっちが正しい名前なのか」と迷う!これも本家としての販売戦略か??

ミネラルやビタミンを豊富に含む、栄養価が高い食材です。とくに、日本人のほとんどが不足しているといわれる食物繊維が多く含まれています。

ウクライナ戦火のなか、3月13日 第13回 冬期パラリンオピック北京大会 が閉会された。ロシヤのウクライナの侵略に奔走されながら、ウクライナ勢は同国史上最多29個のメダルを獲得した。選手村で黙とうするなど世界平和を訴え掛けた。

日本選手団も7個のメダルを獲得し、長野大会に次ぐ多い金メダル4個と大活躍でした。

1年遅れで、3月6日「東京マラソン2021」開催された。今回は沿道での応援ができませんでしたが、次回は観戦できるようになるといいですね。(「東京マラソン2022」は中止)

名古屋ウィメンズマラソン、3月13日に開催されました !

日本で唯一の女性限定の市民参加型マラソン大会で、正式に「世界最大の女子マラソン」としてギネス世界記録に認定されているほど大きなマラソン大会です。

優勝賞金は25万ドルで、日本円でおよそ2,750万円で、世界最高額です。(1ドル=110円換算・2022年3月時点) ちなみに東京マラソンの優勝賞金が1,100万円ですから、名古屋ウィメンズマラソン2022の賞金がいかに高額かがわかりますね !2位以下の選手にも賞金が支給されるようですが、具体的な賞金額は明らかになっていません。

オミクロン株蔓延で人類の生命を脅かす事態を収束を願っている矢先に、新聞もテレビも、毎日のようにロシヤ軍がウクライナに侵略、戦火のなかで子供や女性の泣き叫ぶ映像に心が痛む  (/_;)   ロシアの前代未聞行為に驚くニュースが毎日報道されています。

人類は幾たびか戦争の悲惨を知り、人間の愚かさを知りながら、地球環境を破壊する「核」の使用までちらつかせるとは何と愚かなことだろう。チェルノブイ原発事故・福島の原発被害汚染の恐ろしさを繰り返すのか?  平和を願うばかりです!

新型コロナウイルスの流行から2年が経過しました。もう2年なのか!まだ2年なのか !オミクロン蔓延防止が3月21日全面解除されたが、南アフリカなどで発生した「デルタ」と「オミクロン」が混ざった『デルタクロン』出現 ?? もう第七波に向けた議論が? 終息が見えない (@_@)  4/1 アップ !