「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

六月・水無月(みなつき)です

雨がたくさん降る時期なのに ”水の無い月″ とは??

水無月」の ”無” は ”の” にあたる連帯助詞だそうです。だから「水の月」とゆうことになり、この時期は田植えで田に水を張る必要があることから、「水無月」と呼ばれるようになったそうです (^O^)/

「夏は来ぬ」の歌唱にも歌われ、よく知られている「卯の花」は夏の訪れを感じさせる花です。「卯の花」は旧暦四月(卯月)ごろに咲くことからこの名がついたとも言われ、また茎が空洞なので「空木」とも呼ばれ、白い小さな花が枝にたわわに房状に咲くため、古歌には雪、月光、白波、四手などに身立てられて詠れています。他には「雪見草」「スレンダー」とも言われます。

開花期は5月末から6月に白く清々しい花を咲かせます。 樹高は2~4mにもなり生垣としても利用されます。

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子供の頃、祖母にこれは「こめこめ」の花と教わったのを思い出します。小学校で「夏は来ぬ」を歌ったとき「こめこめ」が「うの花」といっしょの花だとわかり、何か不思議な花のような気がした記憶が思い出されます。

豆腐のおからを「うのはな」というのも同じ発想とのことです。

占いで、白いうつぎの花(つぼみ)をこめ粒に見立て、その年の稲の豊作を祈願して花占いに使われたそうです。

 

 『夏は来ぬ』 佐佐木 信綱 作詞 小山作之助 作曲 1896年5月発表

(一) 卯の花の 匂う垣根に

    時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

    忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

(二)   さまいだれの そそぐ山田に

        早乙女が  裳裾(もすそ)ぬらして

    玉苗植うる 夏は来ぬ 

(三)   橘(たちばな)の 薫るのきばの

        窓近く 蛍飛びかい

    おこたり 諌(いさ)むる 夏は来ぬ

(四)   棟(おうち)ちる 川べの宿

        門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して

    夕月すずし 夏は来ぬ

 (五)   五月(さつき)やみ 蛍飛びかい

        水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲き

    早苗植えわたす 夏は来ぬ 

古典文学者による作詞された19世紀の歌詞で、普段聞きなれない表現が理解できない歌詞がありますネ?

1番・「忍音:しのびね」とは、その年に初めて聞かれる時鳥(ほととぎす)の鳴き声を指します。

歌唱には、「卯の花の 匂う垣根に」と歌われていますが、白い五弁の花にはほとんど香りがないそうです。

 2番・田植えの様子が歌われ、「裳裾:もすそ」とは、衣服のすそのことです。  「玉苗」は、田に植える苗のことです。

3番・「橘:たちばな」は、ミカン科の柑橘類です。『古今和歌集』に

「五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と詠まれています。

「諌:いめる」とは、「蛍雪の功」の故事から、夏の夜も怠らず勉学に励めと飛び交う蛍に諌められと表現されています。

4番・「棟:おうち」とは、夏に花をつける落葉樹のセンダン(栴檀)を意味する。「水鶏:くいな」は、古典文学にたびたび登場するヒクイナをさす。

                                                                                            <下写真:ネットより>

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クイナ:ツル目クイナ科 <体長23cm~30cmで鳩ぐらいの大きさ> クイナ属漢字では、水鶏・秧鶏と書きます。クイナ科の鳥類は、世界に130種類ほど生息しており、日本では沖縄本土に生息している「ヤンバルクイナ」が有名ですね  (^O^)/

クイナの鳴き声は、戸を叩くよに聞こええることから、「門」「扉」と関連付けられて用いられている。芭蕉の句に「此宿は 水鶏も知らぬ 扉かな 』とあります。また、

芭蕉(51歳)の句で、最後の旅《 笈日記 》元禄7年月日25日 旧東海道の名古屋から佐屋(愛知県海部郡佐屋町)で泊まり、 「水鶏啼くと人のいへば 佐屋泊まり」 木曽川から川舟で桑名へ渡るとあります。

5番・1~4番までの歌詞で登場した歌詞(単語)をまとめて、夏の訪れを豊に表現しています。

時鳥(ほととぎす)・五月雨・田植えの早乙女・橘・棟(おうち)・水鶏(くいな)と言った初夏を彩る風物を歌いこんでいます。

 卯の花」: 万葉集には24首詠われいます

卯の花の過ぎば惜しみか ほととぎす雨間も置かず こい鳴きわたる」

卯の花もいまだ咲かねば ほととぎす佐保の山辺に 来鳴きとよもす」

                          大伴家持

卯の花の咲き散る岳(おか)ゆ ほととぎす鳴きてさ 渡る君は聞きつや」

                          作者不詳

俳句にも、

卯の花や 妹が垣根の ほこべ草」   与謝蕪村

「押しあうて 又卯の花の 咲おぼれ」  正岡子規

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「夏は来ぬ 」: 2015年3月14日 北陸新幹線開業 上越妙高駅で発車メロディとして使用される。

世の中が便利になるにつれ、季節感を味わうことが少なくなったように思います。小学校の運動会も秋だったのが春に変更されたりして、ちょっと違和感を感じるのはわたしだけかな?

いろんな行事も年を重ねるごとに簡素化され寂しく思いますが、せっかく日本には移りゆく四季があり、風も草花たちにも変化があります。日々の暮らしに季節を感じ楽しみたいですね!

京都には、6月30日には「 夏越しの祓(なごしのはらえ)」といって和菓子「水無月」を戴く習慣があるそそうです。 季節を感じ素敵ですネ!

                            Marui  6/1  記

《追記》

6月1日 中日新聞 朝刊 <中日春秋>から抜粋

昔はよかった、それに引きかえ今どきの若者は、、、この手の嘆きは、古代ギリシャの昔からあるそうだ。兼好法師も『徒然草』に書いた。<何事も 古き世のみぞ慕わしき。今世はむげに賤(いや)しくこそなりゆくめれ> なにごとも昔ばかり恋しく現代風はひどく下品になっていくようだと◆越智啓太著「つくられる偽りの記憶」によれば人は年を重ねると過去を麗しく思いたがるものらしい。自分の人生はよいものであったと考えたいがためだ◆<記憶はわれわれの選ぶものを見てくれずに、自分の好きなものを見せてくれる> 思想家モンテ ーニュの言葉である。見るべき過去を見ることができるか、否か、賢者とそうでない者の分かれ目であろうか、、、、、<すぐれた記憶は弱い判断力お結びやすい>も、モンテ ーニュだ。薄れる記憶は美しい過去を生み、判断力を鈍らせよう。戦争が遠くになった我が国でも戎めになるだろう。