「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

10月1日は「芋名月」 (^^♪

 

 10月1日は中秋の名月』です 

                      (^^♪ <旧暦の八月十五日>

是非『お月見』を! 日本では昔から、秋八月(旧暦)の満月をと呼んで、美しい月を愛でる風習があります。観月とも言います。平安時代に唐(中国)から伝わった行事と、日本に古来からあった秋の収穫祭が合わさったものです。

月々に 月見る月は 多けれど

       月見る月は この月の月  (詠み人不明)

 

十五夜は、芋名月(いもめいげつ)ともいわれ、その年の豊作に感謝し、里芋の収穫期にあたることから「芋名月」ともよばれます

里芋とお月見の関係は、昔々、宮中の女官たちが、萩の枝で作ったお箸で里芋に穴をあけて、その穴から、月を眺めて、「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という「月づくしの歌」を口ずさんだとも言われています。

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日本人は昔からお月さまが大好きです! お月さまにはうさぎが餅つきをしているように見えますが、うさぎも豊作を喜んでいる姿でしょうか?  現代子にこんんなことを言うと笑われるかな?

月見団子の形って、地方によって特色があります  (^^♪

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関東地方では、よく見る定番です。見た目もシンプルで味付けも砂糖です。

関西では、里芋をイメージして、餅にこしあんを巻きつけてあります。     「えっ、ぜんぜん違う!」関西では「お月見=芋」という風潮が強いそうです。

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 愛知地方では、しずくの形をしています。これは「芋」の形をイメージしたものみたいです。月見が伝来してきた当時は、芋をお供えしていたので、その名残が残っているようです。関西に近くにつれて、「芋」にちなんだ形になっていくところが興味深いですね!
  四国・中国。九州地方では、串にさした串団子タイプが多いようです。

画像は岡山県で定番の三色団子。あんこをくるんだり、きなこをかけたり、普通のみたらし団子だったり、バリエーションが豊富なのが特徴です。

関西より西は、串で食べるのが主流です。

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静岡地方では、「へそもち」という変わった形をした月見団子。静岡県中部地方ではこれが定番です。

由来は定かではありませんが、戦国時代、徳川家康が今川氏の人質として駿府にいた時のこと。徳川家康の付き人が、「元気に育つように」と願いをこめて、もちをへその形に窪ませ、その上にあんこを乗せたのが始まりとされています。

沖縄地方では、「ふぎゃぎ」または「ふちゃぎ」と言います。お餅のまわりには、小豆がまぶしてあります。ボロボロ落ちて食べにくいそうですね、味付けは、薄い塩味の餅に小豆をまぶすだけで、甘みはなく、ほぼ味がありません!

東北地方ではそもそも、お月見の文化が浸透していないそうです。 お月見の文化が平安時代に中国からきたことを考えると、東北まで伝わっていない可能性が高く、文化として根付いてないのもうなづけます。

 「お月見泥棒」

お供えだけでなく、独特の風習も各地に伝わっています。もっとも多いのが「お月見泥棒」です。

この日だけは、子供たちが他家の供え物をとったり、他人の畑の芋を盗んだりしても、大目にみるという「お月見泥棒」の風習が各地にまだ残っています。

たとえば長崎県の一部では「まんだかな」といい、子どもがお供えを自由に取っていいいそうです。

また東北の秋田県仙北郡では「片足御免」といい、他人の家に片足を踏み込んでお供えを取るくらいは許されるそう。
どちらも「お月さまがお供えを食べた」ととらえ、喜びます。

愛知の一部や名古屋市北区名東区など近県でも「お月見泥棒」の風習がみられます。一宮市に生まれ育ちました私も、昭和25年頃には兄貴と一緒に緊張しながら「お月見泥棒」に行った記憶があります>

子供は、お供えしたものを食べるのは「神様の力をいただく」また「お月さまの使い」と考えられていたようで、たくさん盗み食いされた家ほど縁起よいと言われたそうです。

現代では「月見団子」を盗むのではなく、「お月見ください」と言って家々を廻ってお菓子をもらう地方があるそうです。  

里芋の原産地は、インド東部からインドシナ半島にかけてという説が有力です。 少なくとも紀元前3000年ごろにはインドで栽培されていたようです。

日本で稲作が始まったのは弥生時代ですが、それ以前、縄文時代に焼き畑農業が行われており、その中心作物は里芋で、里芋は稲作以前の主食だったと考えられています。

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   我が家もそろそろ芋堀り! 十五夜にお供え準備! (^^♪

『御湯殿記』 室町中期~江戸末期・ 宮廷にある清涼殿御湯殿の女官たちの日記 に、陰暦8月15日(十五夜「名月御祝、三方に芋ばかり高盛り」新芋(サトイモ)を掘り、水炊きのまま月前に供えたりして収穫を祝った。と記述があります。

安永年間(1772年~1778年)この頃、京都、平野権太夫(料亭「いもぼう平野本店」の先祖)が、御所の御用を賜り野菜の栽培をしていた。仕え先の粟田青蓮院宮が長崎から持ち帰ったという里芋を育てたところ、大きい海老のような形ちをした芋が出来き、これが「えびいも」が生まれたとされています。

 

芋名月」秋の季語として詠まれてます!

「雲霧や芋名月のきぬかつき」    貞徳『犬子(えのこ)集』

「蕪(かぶら)よりいも名月やひがしやま」  安永『玉海集』 

 

 日本では、月への思いがさまざまな形で、各地に残され親しまれています。今年の十五夜はぜひご家族そろって食卓を囲み、お月さまと一緒に秋の旬をお楽しみたいですね!各地で晴れて、十五夜お月さんが顔をだして微笑んでくれるといいですね (^^♪

                                                                                                               

 9月22日 秋分の日です 昼と夜の長さが等しくなる日です。

秋分の日の3日前の日を「彼岸の入り」といい、3日後を「彼岸の明け」と言います。 その中間に位置する 日を「彼岸の中日」と呼ばれています。

1948年に、広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。

この日には、各家々では家族そろってお寺や墓参りに行ったり、「おはぎ」を供え祖先を供養します。「ぼたもち」では?? おはぎとの違い? 次回に! (^^)/」

                              記   9/20  Marui