「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

「長月」 九月 

『長月』とは、日の暮れが早くなり、秋が深まる頃で、 日ごとに夜が長くなることから「夜長月(よながつき)」また、秋雨が降る「長雨月(ながめつき)」が略されたといわれています。

 夜に空を見上げれば、いつでもすぐそこにある月!

月は、地球で生命活動を営む人類にとってもっとも身近な天体であり、人々の生活と密接な関係の中で生きてきました。 いく万年もの昔からひかり輝く月、日本人はたくさんの月を繊細な感性で、愛で、語らい、表現されてきました。

<月と和歌>

 仏教伝来(538年)後、現存する日本最古の歌集 万葉集は、奈良時代(7世紀後半~8世紀後半)歌は 4,500首 天皇から庶民の歌 山上億良(貧窮問答歌:ひんきゅうもんどか)も含まれています。 編纂は不明ですが大友家持が関わっていたとされる。 
東の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ    柿本人麿
「東の野に陽炎が立つのが見え、西の空を振り返り見れば、あたかも月が落ちかけている」 これは軽皇子文武天皇)が阿騎野に宿られて、父日並知皇子を追想されたときに、随従していた柿本人麿が詠んだ歌です。

天の海に雲の波立ち 月の舟 星の林にぎ隠る見ゆ  

                                 柿本人麿

雲の波が立つ天(空)の海に、月の舟が煌めく星の林に漕ぎ入って隠れていくのが見える」 なんとも幻想的な情景が目に浮かぶような和歌です。

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                    <写真はネットより>
 
894年には遣唐使が廃止され!
 それまで大陸の圧倒的な影響のなかで、やっと日本的な文化が芽生え、 古今和歌集が編纂さる。平安時代(905~912年完成) 日本最初の勅撰和歌集 醍醐天皇の勅命により編纂 歌は1,1000首 20巻 特徴は優雅で美しく女性的な感じられ、五七調から七五調への移り変わりがみられる。 (紀貫之らが編集)

月影も雪かと見つつ弾く琴の 消えて積めども知らずやあるらむ                                    紀 貫之

「月の光も雪かと眺めながら、あなたが弾いている琴 あたかも雪が消えては積もり、消えては積もりするように、私の心に琴の音が積もってゆくけれども、あなたはそれを知らないのだろうか」 紀 貫之 は平安時代を代表する大歌人であり、勅撰集を代表する「古今集」を編んだことでよく知られる。宮中においては恋愛の道具でしかなかった和歌を、文学作品にまで高めた。「土佐日記」の著者でもある。

天の原ふりさげ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも

                            安倍仲麿  遣唐使

「大空を振り仰いで遥か遠くを眺めると、今見ている月は、かって奈良の春日にある三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ」 717年、17歳で留学生として唐に入り、753年、帰国の途につくが船が難破し果たせず、ついに二度と日本の土を踏むこと無く逝った望郷の歌です。

月影にわが身を変ふるものならば つれなき人もあわれとや見む             壬生忠岑(みぶのただみね)

「私の姿を月に変えることができるなら、冷たいあの人も「美しい」と思って --- そして「かわいそうだ」と思って --- 私のことを見てくれるだろうか」 古今和歌集には、恋のつれなさや浮き世の哀れさを詠ったものが多くみられる!

  鎌倉幕府の求めに応じ藤原定家が選んだ百人一首平安時代末期~鎌倉時代初期 百人の歌人から一首選んだで作られた秀歌撰で、カルタで知られる「小倉百人一首」として今も親しまれている。

今来むといひしばかりに 長月の有明の月を 待ち出でつる                   素性法師

「今すぐに来ようとあの人が言ってきたばかりに、九月の夜長を待ちつづけているうちに、有明の月が出てきてきてしまったことだ」遅い月の出を待ちわびる様を、また出てすぐ見えなくなってしまう有明の月に、恋のせつなさつれなさを重ね合わせた歌です。

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな                 紫式部
 
「やっと会えたと思ったのに、あなたなのかわからないうちにいなくなってしまった。出たと思ったらすぐに雲に隠れた月のようだわ」 ほんのわずかな再会を嘆く気持ちを、「夜半の月」に重ね合わせる発想が美しいですね。

紫式部は、藤原北家屈指の学者で詩人でもあった藤原為時の娘です。藤原宣孝と結婚し、大弐三位 を産み、夫の死後、一条天皇中宮・彰子に仕え、『源氏物語』を執筆する。

幻想的な作品が多い新古今和歌集 鎌倉時代の初め 後鳥羽上皇の命により八つの勅撰和歌集 歌は2,000首 20巻 藤原定家らが編集する。

 嘆けとて月やは物を思はするか こち顔なるわが涙かな                                      西行法師

「嘆け、と言って月は、私に物思いをさせるのであろうか。いや、そうではない。本当は、恋の想いのためなのに、まるで月のせいであるかのように、流れる私の涙であることよ」 元永元(1118)〜建久元(1190)年 「新古今集」の中で、最大歌数を誇る西行は、秀歌を詠み続けたスター中のスターで、鳥羽院に仕えた武士であったが、23歳で出家し、日本各地を遍歴。秀歌を詠み続けた新古今のスパースターです。

日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書養老4年(720年)に完成した。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。 神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。

日本の古い伝承(口承説話)を集めたものです

その8年後に古事記は、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。

日本書紀では、月の神様として「月神:つきのかみ)」・「月弓尊:つくゆみのみこと」・「月夜見尊」「月読尊」(ともに、つくよみのみこと)などと記載されていますが、みな、同じ神を指しているようです。古事記では、夜の国を治める「月読命:つくよみのみこと」と書かれています。

  日本最古の物語と言われる竹取物語は、平安時代中期950年位の時期に書かれたと考えられています。原文とされる漢文の文章は残っておらず、最古の写本とされているのは室町時代のものです。作者は不詳      <画像はネットより>

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子供の頃から、 童話や絵本で必ず一度は読んだことがあると思います「かぐや姫十五夜の月に帰るお話しですね!

平安時代末期には、日本最大説話集1000話を超え「月にはうさぎが、、」と語りつがれた来た話しが! 『今昔物語』31巻(8.18.21巻欠)編纂されてる。

 

月を詠まれた歌は多く、同じ歌が幾多の歌集に編纂されており特定するのが難しい!

そして、今から1000年余前には『枕草子』や『源氏物語』が書かれます (@^^)/~~~ もちろん色んな月が語られていると思います。つぎの機会に魅惑的な「月」を探したいと思います。 

 

記録に残る日本で初めての月見の宴は、919年、古今和歌集の編纂を命じた醍醐天皇の時代に催された。だがなぜか中秋の名月(八月十五夜)ではなく、九月十三夜の月見で、九月十三夜の月を愛でる慣習は中国にも朝鮮にもない日本独自のものだだそうです。 遣唐使を廃止し、日本文化を重んじた時代らしい選択といえるのかもしれませんね!

The  MOONN   日本では月の形の変化に応じて、

「待宵の月」(14日)、「十五夜」(15日)、「十六夜の月」(16日)、「立待ちの月」(17日)、「居待ちの月」(18日)、「臥(寝)待ちの月」(19日)、「更待の月」(20日)、等の名がついている。

月の明らかな夜を「良夜」と呼、特に陰暦八月十五夜の名月が、曇って月が見えないことを「無月」という。 また雨が降れば、「雨月」と称して楽しむ。

そのほかに「新月」、「三日月」、「上弦の月」、「満月(望月)」、「十三夜」、「女名月」、「十五夜」、「芋掘り月」、「芋名月」、「豆名月」、「後の月見」、「山月」、「清月」、「朧月」等の名がついている。

★ 月は古代から人類の想像力を掻き立て、様々な作品の中でいろいろな形で作品を構成する重要な要素として取り上げられてきました。特に陰暦8月15日は「月見」「十五夜」「名月」「中秋の名月」などと呼んで月見を楽しみ、短歌や俳句に詠むことが習わしとなり、作品の中には、太陽よりも月がはるかに多く取り上げられています。

満月の頃の月の位置は、地球から見て太陽の正反対に位置するので、西に日が沈むと同時に月が東に登り始めます。

昔々、農民は雲がなければ満月の光のもとで夜に入ってからも、一晩中農作業を続けることがあった。 収穫期と重なるこの時期の満月には、特にサトイモの収穫を祝って芋をお供え「芋名月」と名付け、今でもその風習が残っています。

欧米では「収穫月」(harvestmoon) の後の満月を「狩人の月」、あるいは「狩猟月」等と呼んでいる。狩猟民族にとってこの月明かりのもとで、獲物を射止める格好のチャンスを得ることができた。

日本では「十五夜」・中秋の名月を「芋名月」といわれます。これ対して中秋の名月の後を「後(あと)月」・十三夜と呼ばれ、「豆名月」「栗名月」と呼んで、豆や栗をお供えする。この風習は江戸時代後期に収穫に感謝する信仰的な意味があったようです。 また月を鑑賞する日本独自の美的風習、文化が今も残っています。

《 俳句》

<江戸時代の俳人

松尾芭蕉

名月や 池をめぐりて 夜もすがら

十六夜の 月を見はやせ 残る菊

雪と雪 今宵師走の 名月か

与謝蕪村

菜の花や 月は東に 日は西に

みじか夜や 浅瀬のこる 月一片

なかなかに ひとりあればぞ 月を友

小林一茶 

名月を 取ってくれろ と泣子かな 

寒月や 食いつきそうは 鬼瓦

年よりや 月を見るにも ナムアミダ

<明治・大正・昭和の俳人

正岡子規

名月は どこでながめん 草枕

春の月 簾(すだれ)の外に かかりけり

名月や 大路小路の 京の人

高浜虚子

 風鈴に 大きな月の かかりけり

十六夜の 月も待つなる 母子かな

月を待つ 立待月と いふ名あり

種田山頭火

あてもなく あるけば月が ついてくる

ほっと月がある 東京に来ている

三日月  遠いところをおもふ

夏目漱石

 柿の葉や 一つ一つに月の影

暁や 夢のこなたに 淡き月

影法師 月にならんで 静かなり 

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  •   松葉ボタン 多肉質の葉で暑さには強い花 原産はブラジル・アルゼンチン

  • 『今月今夜のこの月を、、』  金色夜叉  尾崎紅葉

  •  貫一とお宮で、おなじみのの有名なセリフですね。

  • 《原文》
  • ああ、宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜限だ。 
  • 一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。
  • 来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 
  • 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……
  • 一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死でも僕は忘れんよ! 
  • いいか、宮さん、一月の十七日だ。
  • 来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
  • 月が……月が……月が……曇ったならば、宮さん、
  • 貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。
  • 金色夜叉』前篇第八章より 明治30年 ~ 6年間 読売新聞に掲載> 
  •  熱海の海岸で貫一がお宮を足蹴にする、映画などでもおなじみの名場面!
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  • JR熱海駅から徒歩15分に、寛一お宮の記念像 1986年1月 建立 <ネットより>
  • 本当に貫一が恨んで、翌年からの1月17日の月は曇ったのか?  
  • あくまでも熱海での名場面が、明治30年1月17日と仮定して、明治31年32年、33年の1月17日の月の形を推測してみると、 (ネットより) 
  •  ◆ 熱海での別離から1年後 の 明治31年1月17日  
  •    月相→半月(下弦)より少し細い月
  •    <夜更かしをすれば見られる>
  •  ◆ 2年後 の 明治32年1月17日  月相→六日月
  •    <夕方から見えやすくなり月没まで見られる>
  •  ◆ 3年後 の 明治33年1月17日  月相→満月の翌日
  •    <ほぼ丸い月が一晩中見られる
  •  ◆ 4年後 の 明治34年1月17日  月相→新月3日前
  •    <真夜中の月の出から朝までは細い月が見られる>
  •                       
  • 宮さんが別れた4年目の1月17日に、過去を回想する場面があります (宮さんは富山氏とすでに結婚している)
  • 富山と結婚生活を続けながらも、貫一を忘れることができない宮が彼の言葉を思い出すくだりです。
  • 「泣ける徴もあらざりければ」とあります。
  • つまり、別れた翌年も翌々年もその次の年も月が曇ったことはなかった。貫一が泣いている証はなかったというのです。
  • 宮は貫一はもう自分を恨んではいないんだとホッとします。
  • でも、その一方「もう自分には未練がなく、どこかで暮らしているんだ」    と少しさみしくなるのです。
  •  女心とは、、、??
  • 月は私たちにとって、唯一無比の特別な天体!   
  • 月は、直径 3476Km(地球の4分1です) 温度は、およそ110℃ ~ 170℃   重力は、地球6分の1 大気はほぼ無 地球との平均距離は38万4399Km
  • 身近にある月ですが、その起源は諸説あります。近年有力とされているのが「巨大隕石衝突説」です。隕石が地球に落ちて、その衝撃で飛び散った地球と隕石の破片が、軌道上で集積して月を形成したというもの。アポロ計画で、月から持ち帰った石を解析してわかってきたそうです。
  • USAアポロ計画アポロ11号1969年(昭和44)7月20日 アームストロング船長・コリンズ・オルドリン 月面に降り立つ! 人類初 の快挙でした。 
  • 1970年(昭和45年)大阪万博延べ6400万人来場、「アメリカ館」にて『月の石』が展示され、3~5時間待ちの大盛況でした。 
  • 2005年愛知万博でも『月の石』が展示される。 今では国立科学博物館・九州 [いのちのたび博物館]で『月の石』が常設展示されています。
  • 現在、宇宙航空研究開発機構JAXA)がすすめている日本の月探査衛星プロジェクトの名前が、ギリシア神話の月の女神「SELENE」(我々は”セレーネ”と発音しますが、欧米人の発音を聞いていると”セリーニ”に近いようです)と決定 
  •  月の光は、0.1ルクス(一般的な日中の部屋は100~200ルクス)という微少な光なのです。そんなわずかな月の光が私たちの地球を照らしているのです。
  • 月が地球を公転する周期と自転する周期が全く同じ(=27.3日)だからです。だから地球からは同じ姿しか見えない。(地球に向きが固定されたのは約35憶年前と言う説があります)
  • 月は太陽光の反射で輝き、地球では大気の影響でオレンジや黄色に見えますが、月は白黒の世界です。
  • 月は地球に住む人間が、唯一肉眼で地表面を見ることができる天体で、もし、月がなければ海の汐の満ち引き、生物が陸上へ進化する過程も生まれなかったかもしれません。
  • ぜひこの機会に月の魅力、月が私たちにとって特別な存在であることを知って、お月見を楽しんでみてください。
  • 8月は猛暑日が22日で、30年ぶりの暑さでした (>_<) まだまだ暑さ続くようですがコロナと熱中症に負けないで、政治も安部総理大臣が体調不良で急な辞職!
  • 政治も大変暑い夏を迎え、日本の舵取りが誰になるのか??
  •                                                                                         8/31  Marui