「四季」 折々に思いつくまま!

いつも元気で、笑顔で、楽しい 「好々爺」です <ASC23期生>

櫻咲く 😍

『春』の語源には諸説がりますが、「日本語源広辞典」には 四説を挙げてます。木の芽がふれ膨れる、すなわちハル(張る)季節」という通説よりも「水田に水をハル季節」との説を優先させています。

従って、「収穫が終わって田がアク(空く)」ことから季節をアキ(秋)と! 

さらに異説として「田畑をホル(墾る)時節」とか、あらゆるものが「ハエル(映える)季節」とか、今風に言うなら「バエル季節」か!

蕪村は『寝ごころや いづともなく 春は来ぬ』と、気持ちよく寝ていると、どこからともなく春がやって来る。 (❁´◡`❁)

 

世の中にたえて桜のなかりせば  春の心はのどけからまし                                     

                        在原業平 古今和歌集

もしも世の中にまったく桜がなかったなら、春を過ごす人の心はどれだけのどかでしょうね !

「世の中に桜がなかったら「咲いたかな?」「もう散るのかな?」と思い煩うこともなく穏やかにすごせただろうにと思う。

でも実際には桜はあります。桜の魅力を通して、何とも春の悩ましい複雑な心情を詠っています。 そうした煩(わずら)さ、疎(うとまし)さ、儚(はか)なさを現実な気持ちを詠っています。

長誓寺境内にある伝承樹齢250年のベニシダレザクラ一宮市浅井町

また、

春ごとに花の盛りはありなめど  

          逢ひ見む事はいのちなりけり  

                                                                         読人しらず  古今和歌集
春が来るごとに花の盛りはあるだろうけど、その花に会うというのは自分の命しだいなのだ ! 

花はすぐに散ってしまって、はかないとよく言われますが、春が来るごとに花のほうはしっかりと見事な花を咲かせてくれます。それに比べて花を見る我々はどうでしょう、毎年咲く花に出会いそれを見ることができるというのは生きているからこそです。  命が尽きれば見ることはできない、花に出会うのは [命] しだいと儚さを詠っています。

  

長誓寺:本堂は、名古屋城三の丸にあった書院を明治7年に移築、県の文化財に指定

そうですね、散る桜を眺めると、あと何回「満開の桜」を見ることが出来るのかなと思うと儚(はか)なさ、わびしを感じられます。 (>_<)

  

  ハナニラの花も咲いた !

Google(グーグル)今では誰もが知っているアメリカ生まれの検索エンジンに欠かせない世界的大企業ですね! 「googleってどんな意味だろう?」と思った事は無いですか??

Googleは、Googolという名前にするはずだったそうです。Googol(グーゴル)という数の単位「10の100乗」にちなんで、また「膨大な数字を組織化できるように」という思いが込められていたそうですが、登録時のつづりミスで「Google」となってしまったそうです。

最近、デジタルデータ量の爆発的増加に追われ、国際基準の数の単位に「10の27乗を示す ロナ」「30乗を示す クエタ」なる接頭語が追加されました。現実がGoogol(グーゴル)に追いつきつつある。

ひと昔、飛び抜けて大きなことを示すのに「メガバンク」とか「メガ盛り」とか「メガ」が使われましたが、昨今はスマホのデーター容量の単位「ギガバイト」「ギガ」ですね! メガとは百万、十の六乗です * ギガは十億、十の九乗を表す 、国際的な接頭辞です。最大は十の二十四乗を表す「ヨタ」ところが、それだけでは足りないなくなって31年ぶりに見直される由。

今秋から十の二十七乗をあらわす「ロナ」、三十乗を表す「クエタ」登場するらしい。

またデータ容量がキロバイト、十の三乗程度だった時代に育った、旧世代の私は、指を折りつつ困惑するばかり (>_<)

フリージアの花も咲いた  (^^)/~~~アヤメ科フリージア属 ・日本では別名・菖蒲と水仙双方に似ていることから「菖蒲水仙(アヤメスイセン、ショウブスイセン)」花言葉・白色は「あどけなさ」黄色は「無邪気」

数を数えるに、その世界でしか通じない符丁があります。

歌舞伎界には、数字の一は「 棒」、二は 「のん」、三は「 ダル」 といいます。

落語や寄席の世界では、一は「 へい」、二は 「びき」、三は「 やま」、四は「 ささき」、五は 「かたご」、六は「 さなだ」で武将真田氏の家紋の六連銭が由来であろう!

九の呼び方は不思議にどこの符丁も似ていて、落語やお寿司屋さんは「きわ」で、関東の青果市場では「がけ」そして、露天商の世界も「がけ」である。日本では、九は「苦」につながる嫌われていまが、中国では「久」を連想させ人気の数字と聞きます。

星はなぜ輝くの?

光る星には、2種類あります。
一つは地球や月といった惑星と衛星で、太陽の光を反射することで光って見えている。
そしてもう一つは 恒星(こうせい) といって、自ら熱で光を出している星です。

夜空に輝く星のほとんどがこの星です。星は熱で光る?
恒星は、星の内部で水素などのガスが核融合反応を起こして超高温で燃えています。 水素原子4個が融合してヘリュウム原子1個が作られる反応が起き、このとき約 0.7 %の質量が失われて、その質量がエネルギーに代り超高温になった星は輝き、光りを発します。

アインシュタインが発見した質量がエネルギーに変換される 「E=mc²」という式がドイツの学術誌に掲載されたのが1905年11月21日でした。

星には、温度によって見え方が変わります。 赤い星・黄色い星・青白い星の順で温度が高いです。「黄色い星」で分かりやすいのが太陽で、表面温度は 約5,778 K です。

( Kとは熱力学温度の単位で、1K=1℃)
「青い星」で分かりやすいのはリゲルで、オリオン座を構成している星の一つです。

これは表面温度が約11,000 Kで、想像できない温度ですね!

ちなみに自宅の風呂の温度が 40℃ なら、275倍  *  箱根温泉でだいたい 46℃ なので 約239倍  *  草津温泉でだいたい48℃なので約229倍です。

江戸時代の天文学者に、麻田剛立(あさだ  ごうりゅう) 1734年3月10日に生まれで、20才くらいから天体観測を行い月面図を描いたり、「惑星の公転周期の2乗は軌道半径の3乗に比例する」という「ケプラーの第3法則」に似た法則を独自に発見しました。また暦に記載がない1763年の日食を予言し、日本の天文学者の先駆者と言われています。

天文学者の一人、ヨハネス・ケプラーは 数学で宇宙を解き明しました。太陽の周りを巡る惑星の動きを表す「ケプラーの法則」は天動説から地動説への証拠とり、常識をくつがえす発見でした。しかし当時は地球が宇宙の中心と考えられていましたので、ケプラーは知恵を使い計算によって壮大な惑星の動きを証明しました。

ロシアの科学者・数学者・理論家のコンスタンチ・ツィオルコフスキーは、10歳のときに病気で耳が聞こえなくなり、独学で数字や天文学を学び、そしてロケット推進に関する宇宙へ行くための「ツィオルコフスキーの公式」を発表し、宇宙飛行士の訓練や宇宙開発に貢献しました。ツィオルコフスキーは、「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでもとどまっていないだろう」と言う名言を残しました。

ムスカリの花とても耐寒性の強い花で、球根は植えっぱなしでも自然分球で増え、毎年花が咲きます。花言葉は、「失望」「失意」というネガティブな花言葉を持つ一方で、「夢にかける思い」「明るい未来」というポジティブな意味の花言葉も持っています。

地球の大きさを測るという偉業を初めて成し遂げたのは、古代ギリシャのエラトステネスです。今から約2000年前、二つの遠く離れた街にできる影の角度と街の距離の情報から地球の円周を求める方法で、その精度は、現在知られている正確な値と比べてわずかに1.7%の誤差しかないほど正確なものでした。

小学5年の少年が、名古屋の旧中日ビルの展望レストランから遠くに父の故郷が見え、そこまで20km と聞いた。ビルの高さを50mとして学校でならった図形の性質を使えば地球の大きさを計算できるはずと思った! 世界的な物理学者 大栗博司 氏 61歳です。「観察と思考の力によって、窓から見える風景だけで地球の大きさが分かると言うことは素晴らしい」と、6年前に中日文化賞 贈呈式での弁です。2019年紫綬褒章受賞

大栗 博司(おおぐり ひろし、1962年 - )は、日本の物理学者。専門は素粒子論。学位は、理学博士(東京大学・1989年)。カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授およびウォルター・バーク理論物理学研究所所長。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構機構長。アスペン物理学研究所理事長を歴任。

ハナズオウの花中国北中部を原産とするマメ科の落葉樹。日本へ渡来したのは1695年(江戸時代)以前です。葉がないときに花が咲くので花の美しさが際立ちます。

実は世界の中でも日本は昔から和算(数学)が盛んな国で、江戸時代には「遊歴算家ゆうれきさんか」と呼ばれる和算学者が、全国を旅し求めに応じて行く先々で和算を教えた。 太平の世の豊かさと日本人の知的好奇心の強さが、世界に類を見ない和算文化をつくり上げた。

こうして、問題を解く娯楽としても和算がつかわれ、和算ブームは地方や庶民層にも波及し、日本の隅々まで高度な数学が広まっていった。

関孝和」の登場によってピークを迎えた和算も、明治維新とともに活力を失っていく。新政府は欧化政策の一環として、学校教育に西洋数学を採用した。こうして、和算は、時代の表舞台から静かに消えていった。 (>_<)

江戸時代には、0 ゼロの概念はなく、(まる)、零(ぜろ)、空(くう)などと表記されていました。しかし、和算では演算をしないので、数式処理としてのゼロが登場することはありませんでした。現在のゼロの概念は、西洋数学の導入によってもたらされたのです。

「0: ゼロの発見」!

始めに 0(ゼロ)の概念とその扱いを厳密に定義したのは、古代インドのヒンズー教徒で天文学者と数学者でもあるブラーマグプタという人物で5世紀頃とされている。

0(ゼロ)は人類の歴史の中で最も革新的な発見の一つで、現代数学と物理学の基礎であり、様々な分野の発展に貢献した概念です。

何もないことを表現するということは、よく考えると不思議なことをしているような感じがしますが、小学生にもなれば、当たり前のように算数で使っています。

数学の歴史は紀元前2500年(今から約4500年前)以上前から存在しますので、数学という学問が生まれて2000年以上も  0(ゼロ)という概念はなかったことになります。

今では、数学に  0(ゼロ)は欠かせないものになっており、そのおかげで複雑な方程式が解けるようになったり、コンピュータなどが誕生しました。

宇宙におくる探査機も、日々使っているスマホなども、私たちの身の回りりにあるほとんどのものは数学なくして作ることが出来ませんね。

ここにきて、コロナ感染が減少傾向にあり、マスクの着用が屋外では原則不要、屋内では原則着用としていましたが、3月13日からマスク着用は個人の判断となりました。

新型コロナウイルス感染症の、感染症法上の位置付けが5月8日から特別対応2類から通常対応インフルエンザ並みの5類になると発表されている。これにより医療対応も変更され国民負担が増となり心配される? まだまだコロナの感染が心配され「油断大敵」ですね!(>_<) 

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